119
「リオなにしてるの?」
ルーシーがあどけない表情で尋ねてくる。
「んー、ゲームかな」
「げーむ!ルーシーも!」
そう言って、ふよふよとカードのテーブルへと飛んでいってしまった。
「あなたも食事でもしていったら?疲れた顔してる」
リュドミラさんが僕の顔を覗く。
「そうですね。あ、【風の止まり木】はどうしてるのかな?」
「先程、アッチヘ行キマシタヨ?宿屋デスカネ?」
ジャックが奥を指差しながら言った。
「そっか。どうしようかな、リオが終わるのを待って、それから……」
「お客人、お客人。いいんですかい?」
がらの悪い男が、横から口を挟む。
「ん?何がです?」
「あのナーゴ族のお客人、どうやら冒険者カードを賭けてますぜ?」
「はあっ!?」
ジャックが背伸びしてテーブルを見る。
「ウゲッ、ホントデス!賭ケテマスヨ!?」
「ちょっ、スケルトンズ!止めてきて!」
「「ウーイ!」」
スケルトンズが賭けのテーブルへと殺到する。
やがて、ドミニクに羽交い締めにされたリオがこちらへやって来た。
その上をルーシーが楽しげに飛び回っている。これもゲームの一種だと思っているようだ。
「離せ!離すニャ!勝負はこれからニャー!」
ジタバタと暴れるリオ。
それを冷たい目で見る僕とリュドミラさん。
僕達の視線に気づいたリオは、首根っこを掴まれた猫のように、しゅんと脱力した。
「リオ。幾ら負けた?」
「ま、まだ終わってないニャ……だから負けたわけじゃないのニャ……」
「い、く、ら、負けた?」
「ううっ……んシェルニャ……」
「マリウス、聞こえた?」
「キ、聞コエナァァァイ!ゲラゲラゲラ」
「だってさ」
「……ごまんシェル」
「はあ?」
「五万シェルニャ!」
しん、と静まり返る一同。
「よく、この短時間でそんなに負けたわね。逆に感心するわ」
リュドミラさんが首を横に振る。
五万シェルは大金だ。
レイロアの一般的な宿が一泊五百シェルと言えばわかるだろうか。一時間足らずで負けていい金額ではない。
「ソモソモ、何故ソンナ大金ヲ持チ歩イテイルノデス?」
ジャックの問いに、リオは口を尖らせる。
「新店舗スペースの地権者がいたら、手付けに払うつもりだったニャ」
「ソリャア、店ノ金ジャネエカ!」
「店ノオ金デぎゃんぶるスルナンテ……」
「ウシャシャシャシャ!」
スケルトンズからのブーイングに、リオは更に小さくなる。だいたい、ダンジョンに地権者などいるのだろうか?
「ノエル君、あなたも悪いわよ?リオにお金の管理なんて無理なんだから」
「ううっ、すいません……」
僕までリュドミラさんに怒られてしまった。
「旦那様。金子ハオ持チデスカ?」
突然、ジェロームがそう聞いてきた。僕はカバンから財布を取り出して確認する。
「ええと、五千シェルあるね」
「オ借リシタク」
「うん」
他のスケルトンズやリオなら迷うところだが、相手はジェローム。何かしら理由があるのだろう。
そう思いジェロームの手のひらに財布を置くと、彼はお辞儀して賭けテーブルの方ヘ向かった。
「えっ、もしかして」
「賭ケルヨウダナ」
「負けたら無一文になっちゃうよ!ジェローム、本気!?」
ジェロームは振り返り、「オ任セヲ」とだけ言ってテーブルについた。
「大丈夫かな……」
「腹ヲ括リマショウヨ。じぇろーむサンナラヤッテクレソウデス……りおサント違ッテ」
「まあ、それは確かに……」
リオから大金をせしめた三人の男達は、ニヤニヤしながらジェロームと勝負を始めた。きっと、またカモがやって来たと思っているのだろう。
「でも、あの三人はグルよ?勝つのは難しいと思うけど」
と、この期に及んでリュドミラさんがとんでもないことを口にした。
「それを早く言うニャ!ズルいニャ!」
「目立つイカサマやってるわけじゃないのよね。たぶん、サインを通してるだけ」
「十分ズルいニャ!」
「そう言われても。私にもどうやって通してるかわからないのよねえ」
「むう……」
暗雲立ち込める僕の財布。
しかし。
「オット、御無礼」
「糞ッ!またかよ!」
「今日ハツイテルヨウデスナ……申シ訳ナイ」
ジェロームの横に積まれたチップは、ゲームを重ねる度に増えていった。既に最初のチップの五倍以上の手持ちがある。全部で二万五~六千シェル分くらいだろうか。
せっかくリオから得た五万シェルの半分近くを失って、対戦相手の男達からは先程までの笑みが消えていた。
「ゲ、ゲーム変更だ!次はレイロアンポーカーだ!」
「オヤ、私、ぽーかーハ不慣レナノデスガ」
「ルールくれえ知ってんだろ?今更逃がさねえぞ!」
「ヤレヤレ……仕方ナイデスナ」
わざとらしい身振りでため息をつくジェローム。
しかし本当に不慣れだったのか、ジェロームは降りてばかりだった。少しずつだが、じわじわとチップを減らしていく。
「おいおい!そんな逃げ腰だと、こっちが萎えちまうぜ!」
三人のうちで一番チップを持っている鷲鼻の男がジェロームを煽る。
「ソウデスカ?デハ、タマニハ……こーる」
「おっ、そうこなくちゃな」
共有カードが配られ、鷲鼻の男は僅かに口角を上げる。
「どうすっかなー。一応、レイズ三百だな」
「コール」
「降りだ」
「れいず五百デス」
「おっ、強気だな。コール」
「コール」
四枚目が配られると、鷲鼻の男はますます饒舌になった。
「んー、困ったなあ。皆強そうだしなー……チェックしとくかあ」
「レイズ、メイク二千」
「ムウ……こーる」
「かあっ、ここまできちゃあ引けねえ!コール!」
そして最後のカードが配られた。
鷲鼻の男が満面の笑みでテーブルを叩く。
「よっしゃ!レイズ五千!」
どよっ、と見物客からざわめきが起こる。テーブルは大一番の様相を呈してきた。
「フォールド!ついて行けねえぜー!」
もう一人の男が、芝居がかった口調で降りる。
「さあ、ここまで来たんだ!勝負しようぜ!スケルトン君!」
「……おーるいん」
「はっ?何て?」
ジェロームは手持ちのチップ全てをドシャッと前に押し出した。減らしたとはいえ二万シェルくらいある。
「おーるいん」
騒いでいた見物客が、しんと静まり返る。
鷲鼻の男は共有カードを見直し、ジェロームを睨んだ。
「……ブラフだろ?一色手、引き損ねたんだろ?」
「……」
ジェロームは何も言わない、動かない。
表情も全く変わらない、完全無欠のポーカーフェイスだ。
なにせ、表情筋がない。
「ぜってえブラフだ……間違いねえ、間違いねえんだ……」
鷲鼻の男はブツブツ呟きながら、己の手札とテーブルの中央にできたチップの山を交互に見る。
何度も、何度も。
やがて、手札の上に置いた右手が震え出し、慌ててそれを左手で押さえた。
「ぐううっ……降り、だ」
その瞬間、ワアッ、と観客が沸いた。
どうやらこの三人は〈野兎の隠れ穴〉では嫌われ者らしい。おそらく、他の客からも金を巻き上げていたのではないだろうか。
ジェロームは、伏せていたカードをピラッと僕達にだけ見えるように開いて、すぐ山に返した。
「見マシタ!?」
「見た……ブラフだった……」
「じぇろーむサン、強心臓デスネエ!」
「心臓ないけどね。僕には無理……絶対無理……」
胃の痛くなる僕だったが、大勝負はこれが最後だった。チップの量で鷲鼻の男を上回ったジェロームは、容赦なく三人からチップを回収していく。
三人はもう賭けテーブルを離れようとするのだが、その度に観客達が押し留められ、結局ジェロームに全額回収されてしまった。
「よくやったニャ!ジェローム!」
リオが大喜びでジェロームを迎えるが、彼は素通りして僕の前に来た。
「奥様デハ不安ガアリマス。ココヲ出ルマデハ旦那様ガオ持チ下サイ」
「わかった」
「信用ないニャ……」
ない、と言うか、先程失ったのだろう。
五万シェルを取り戻すどころか増えてしまったので、〈野兎の隠れ穴〉に一泊していくことにした。
入って左手に並んでいた二段ベッドは、やはり宿屋だったのだ。
料金を払い、二段ベッドの下の段に横になる。
狭そうに見えていたが、案外、具合がいい。こういうシステムを黒猫堂で取り入れても良いかもしれないな。
上の段がやたらギシギシと軋む。そこに寝ているリオも、今後のために二段ベッドの寝心地を確かめているのだろう。
「残念だったね。店、開けなくて」
そう言うと、上の段の軋みがピタリと止まる。
「仕方ないニャ、リサーチ不足だったニャ。冒険者辞めたからってダンジョンの情報収集をおろそかにしてた、アタイの落ち度ニャ」
「僕も〈野兎の隠れ穴〉のことは知らなかった」
僕にとって未踏破階層ではあるが、それでもよく調べれば噂話くらいは聞けたのではないだろうか。
「そうニャ、ノエル」
尚もリオが話しかけてくる。
「何?」
「さっき冒険者カードを賭けるとき、気づいたんニャけど……」
「とりあえず、冒険者カードは二度と賭けないように」
「わかってる、わかってるニャ。それで、気づいたんニャ。アタイ、レベルアップしてたニャ」
「ほんと!?おめでとう!」
「ありがとさんニャ。それで、ノエルも上がってるんじゃニャいかと思ったんニャ」
「いやあ、まだだと思うよ?」
今更だが僕は司祭。
レベルアップという言葉さえ忘れがちになる職業だ。リオが上がったからって、そんな都合良くレベルアップしたりは……
「上がって…………ない~」
冒険者カードにはレベル14の文字が変わらずそこにあった。思わず出たため息に、少し期待していた自分に気づく。
「……希望持たせるようなこと言って悪かったニャ」
「いや、大丈夫。今年はもう上がらないと思ってたし」
そう答えると、リオがプッと吹き出した。
「司祭は年に数回しか上がらないもんニャあ」
「いや、上がらない年もあるよ」
「まだレベル10代ニャのにか?思ってたより悲惨だニャ……いやいや、そういう話をしたいんじゃないニャ」
「ん?」
「実は、アタイも上がるとは思ってなかったニャ。まだとうぶん先だったはずなんニャ」
「ふうん?」
「うちのスケルトンズ、アタイとノエルの使い魔扱いなんだと思うニャ」
「使い魔……ああ、なるほどね」
使い魔の獲得した経験値は、使役する者に入る。リオにスケルトンズ三人分の経験値が入ったということか。
ん?僕とリオの使い魔扱いなら、半々になるのか?機会があったら検証してみようかな。
「……レベル上げに行き詰まったら、スケルトンズを連れて冒険に出るといいニャ。たまになら黒猫堂も問題ないニャいし、奴らの息抜きにもなるニャ」
「うん、そうする。ありがとう」
「……良いニャ。ファ……もう、寝るニャ」
「おやすみ、リオ」
「……おやすみニャ」
上の段をぼんやり眺めていると、すぐに寝息が聞こえてきた。ずいぶん疲れていたようだ。
僕は布団にくるまって、壁の方に体を向けた。
うとうとし始めた頃、酒場の喧騒の中から馴染み深い声が聞こえて目を開ける。
「壁蹴ッチャだめデスヨ、るーしー!」
「うーい!」
ああ……壁蹴り覚えちゃったか。
きちんと言って聞かせなきゃなあ。
もう……全部ジャックに任せてしまおうか。
そんなことを考えながら、そっとまぶたを閉じた。
『黒猫と野兎』これにて閉幕。