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「レオナール、どっちに逃げればいい?」
僕の囁くような問いに、レオナールが黙って指で方向を示す。
「よし、レオナールを先頭に離脱する。殿はルパートとジャック」
「あいよ」
「フヒィ、置イテカナイデ下サイネ?」
レオナールに目で合図すると、彼は頷き、走り出した。
月も見えない闇の中、僕達は走る。
石に足を取られ、転けそうになるポーラの腕を支える。
ザッ、ザッ、と迫りくる足音は、走っても走っても振りきれない。
先頭のレオナールが、ペースを緩めて声をかけてきた。
「統率されてますね、足並みが乱れない」
「迎え撃ちますか?」
ポーラが勇ましい提案をするが、この状況では蛮勇に近いだろう。
「ルーシー、あれを試そう」
肩の上のルーシーが、コクリと頷く。
僕はレオナールに手で合図を送り、立ち止まった。
遅れてきた殿の二人が、驚いた顔で僕の両脇を走り抜ける。
「いくよ、ルーシー!」
「ほーい!」
「せーの、「『マッドハンド!!』」」
合唱で唱えた足止めの魔法は、地面を大きく波打たせた。広範囲に発生した泥の手は、向かい来る敵の足を掴んだようだ。
「ギギッ!?」
「ゲッ、ゴゴ」
「わっしょーい!わっしょーい!」
一部で胴上げが始まっているが、気にしている暇はない。暗闇で足を取られる敵の何体かを、迅速に鑑定する。
「敵、ゴブリンソルジャー!」
ゴブリンソルジャーはゴブリンの上位種だ。ゴブリンは力をつけると、まるで出世するように上位種へと変化していく。当然、出世するほど強く、たかがゴブリンと侮ってはいけない。
ちなみにホブゴブリンはゴブリンに似ているが、完全に別種だ。
「全部、ゴブリンソルジャーだってのか?」
ルパートが信じられないといった風に聞いてくる。
「鑑定した数体は、全てそう」
「さあ、今のうちに!」
レオナールの声に、僕達は再び走り出そうとするが。
「ウギイィィッ!」
暗闇の奥から、一際大きな声が上がる。
すると、足を取られたゴブリンを踏み台にして、残りのゴブリンが向かってきた。
「くそっ、ほんとに統率がとれてるなっ!」
ルパートが手斧を構える。
逃げるにしても、足を取られた連中だけでも討っておくべきかもしれない。
「ルーシー、もう一ついくよ!」
「わかった!」
肩の上のルーシーと、心を通わせる。
次に唱えるのは、最大火力の『ファイヤーストーム』だ。
「「我が招くは恋い焦がれ焼き焦がす者……」」
僕とルーシーの合唱が始まったとき、白い影がゴブリン達の前に躍り出た。
ジャックだ。
「待ッテ下サイ!!」
ジャックがゴブリンをかばうように立つ。
「ちょっと、ジャック!何してるのさ!」
「魔法ヲ止メテ下サイ!」
「そうは言っても、もう唱え始めちゃったし!」
「ドウシテモト言ウナラバ、私ゴト火葬シナサイ!」
「君の背中の食料まで焼けちゃうだろ!」
「エッ、ソッチ?」
そうこうしている間に、魔力がゴッソリ抜けていくのを感じた。詠唱を中断したことにより、魔力だけを失ったのだ。それにしても、合唱や合成は魔力の消費が激しい。
「どう、するのです?」
混乱した表情のポーラが尋ねてくる。
だが、僕にも答えはわからない。ジャックの意図がわからないから。
立ちすくむ僕達に、ジャックは心配するなとでも言わんばかりに深く頷いて見せた。
不思議なことに、ゴブリン達はジャックを襲わない。
ほどなく、ゴブリンの群れが割れ、一体のゴブリンが姿を現した。周りのゴブリンソルジャーより、ひと回り大きい体格。そして何より特徴的なモヒカン頭。
ゴブリンチーフ【大物食いのジルベル】
懐かしいな。あのゴブリンか。
ゴブリンチーフはゴブリンソルジャーよりも更に上位の存在だ。ずいぶんと出世したようだ。
ジャックとモヒカンは、しばし見つめ合い、ふいにガシッ、と抱き合った。
「ウギッ、ギュルグイィィ……」
「私モ会イタカッタゾ、強敵ヨ……」
呆気に取られる僕に、ルパートがジャックを指差しながら問いかけた。
「これ、どういうこと?」
ジャックが言うには、モヒカンが夕食をご馳走してくれるらしく、彼らの集落へと向かうこととなった。
僕達はゴブリンソルジャー達に護衛されながら歩く。外から見れば、僕達がゴブリンの群れに拉致されているようにしか見えないだろう。
「なあ、ほんとに大丈夫なのかよ?」
ルパートが不安そうに言うが、僕だってわからない。ポーラは真っ青な顔で、ルパートにくっついている。
「こんな経験、そうそうできるものではないですよ?いやあ、嬉しいなあ」
逆に、レオナールはうきうきと心踊る様子だ。吟遊詩人にとって未知の経験とは芸の肥やしであり、歓迎すべきことなのだろう。
ルーシーは集団の上空をふよふよ飛び回っている。
ジャックは先頭のモヒカンと並び、楽しそうに会話しているようだ。言語が違うのに。
しばらく歩くと、林の中に入った。
林と言っても【腐り王】の影響下にあった場所なので、樹の幹は細い。
そんな細い樹木の隙間から、集落が見えてきた。
集落の建物は、そのすべてが獣の皮を繋ぎ合わせた粗末な天幕だ。それが何十と並んでいて、集落というよりも村や町の規模に近い。集落の周囲には先の尖った柵が巡らされていた。
「キギッ、ガッ、グゲゲ」
柵の途切れた門らしき所で、モヒカンが見張りのゴブリンに何事か話し、集落に入る。
僕達も続くと、周りの天幕からゴブリンが続々と出てきた。雌のゴブリンに年寄りゴブリン、子供のゴブリンまでいる。
ゴブリンの視線の中、歩みを進める。すると、一際大きな天幕が現れた。モヒカンはその天幕の前でホコリを落とし、中へ入った。
僕達も続いて中へと入る。天幕の内部は敷物が何重にも敷かれた、なかなか豪華な造りになっていた。
「グギッ、ガグ」
「楽ニシテクレ、ト言ッテマス」
僕達は囲炉裏らしきものを囲んで、車座になった。
「ゲッグ、ジガ、デクグ……」
モヒカンは何事か話し、モヒカン型の頭飾りが敷物に触れるほど頭を垂れた。
「謝ってる……?」
ポーラが呟くと、ジャックが頷いた。
「我ガ強敵ノ率イル一団トハ露知ラズ、失礼ヲシタ、ト、言ッテマス」
ジャックが率いる一団というのが引っ掛かるが、とりあえず謝罪を受け入れた。そして、僕は最も聞きたいことをジャックに尋ねた。
「あのさ、ジャック」
「ハイ?」
「普通に通訳してるけど、言葉わかってるの?」
「イヤ?ワカンナイデス」
ジャックはあっけらかんと答えた。
「デモ、雰囲気トカじぇすちゃーデワカリマス」
「それにしては、細かいニュアンスまで伝わってるようだけど」
「何トナク、デスヨ。デモダイタイ合ッテルト思イマス」
「そっか」
何か、轡を並べた戦友同士、伝わるものでもあるのだろうか。
「ゲコギ」
「夕食ノ用意ガデキタヨウデス」
天幕へ入ってきた雌ゴブリン達が、僕達の前にできたての食事を用意する。
灰色のとろみのあるスープ、紫色のソースのかかった肉料理っぽい物、やけに濁った液体の入った杯が並んだ。
「ギルギギ、ゲッ」
「サア、食ベテクレ、ダソウデス」
「ううむ」
「……これ、食べるの?」
「ってか、食べれるのか?」
どうしても躊躇してしまう見た目だ。
「しかし、招かれて食べないのは大変失礼です」
そう言って、レオナールが杯をグイッと呷った。
流石は各地を放浪する吟遊詩人。地元民との付き合い方を心得ているらしい。
「美味しい!?」
飲んだレオナールが驚く。
「ほんとに?」
「フカシてねえか?詩人さんよ」
「いやいや!……では、料理も食べてみましょう」
レオナールがスープを一口飲んだ。
「おお、これはまた、滋味深い味わいですねえ!」
スープ皿を抱え込むようにして食べ続けるレオナール。
「騙されたと思って、食ってみるか」
「……兄さん先に食べて」
「いや、お前が食えよ……」
ルパート兄妹はまだ不信感が拭えないようで、互いに譲り合っている。
「じゃあ、コレいってみようかな」
僕は紫色の肉料理らしき物を口に運んだ。
「うむ、はむ?ぐむ……美味い!?」
なんだろう、甘いとも辛いとも酸っぱいとも言えない不思議な味。だが、とても美味い。
「ジャック、これは何?」
ジャックが身振り手振りを加えて、モヒカンに伝える。
「エー、肉ダソウデス」
「何の肉?」
「四足歩行ノ生キ物ノ肉ノヨウデス」
「アバウトだね……」
「名詞ヲ伝エ合ウノガ難シイノデスヨ。四足歩行デスカラ、恐ラク哺乳類デハナイデショウカ?」
「トカゲとかじゃないよね?あれも四足歩行でしょ」
「チョットオ待チヲ」
ジャックが四つん這いになって、モヒカンに伝える。あれは多分、トカゲの真似だろう。
「とかげモ美味イゾ、ダソウデス」
「トカゲの美味さは聞いていないんだけど……」
「スイマセン、コレガ限界デス」
結局僕達は、正体はわからないが味が良い料理を平らげてしまった。その後は返礼とばかりにレオナールが演奏を始め、ゴブリンを交えてのどんちゃん騒ぎに。
やがて夜も更け、モヒカンの勧めで一泊することになった。
「うお、案外ちゃんとしてるな」
ルパートが天幕に入るなり驚く。
客用の天幕だろうか、五、六人で使うには十分な広さに、布団代わりの獣皮が人数分、用意されていた。
「衛生面が心配です。変なもの食べたし、お腹壊さないかな……」
ポーラはやっぱり気になるようだ。
「大丈夫、『キュアウィルス』もあるから。ほら、レオナールなんて」
僕がそっと指差す先には、早くも寝息を立てるレオナールがいた。
横になってみると、しっかり布団の感触だった。
久し振りの安眠の予感に、僕は静かに目を閉じた。





