第二十七話 明かされる真実
扉を前にして俺は一度立ち止まる。
部屋の中からは物音一つせず、静寂を保っている。あまりに静かで中には誰もいないような錯覚さえ覚える。
誰もあいつのことを見張っていなかったのだ。目を離した隙に逃げている可能性もあるだろう。
でもあいつは俺のことを待っている気がしていた。それは感覚的なもので理由という理由なんてない。
そんな妙な確信を抱きながらドアノブに手をかけた。
「本当に、逃げていなかったな……」
俺の呟きは静寂に負けるぐらいに小さく、あいつには届いていないだろう。
あいつは、シルフィードは窓辺の縁に座って静かに俺のことを見詰めていた。
起き上がっているということは体調が良くなったのだろう。
アリエスは嘘をついていなかったということか。
シルフィードの顔は月明かりの向こうに隠れてしまってよく見えない。
だから俺は一歩ずつ踏みしめるようにして顔が見える位置まで近づいていくのだった。
『ミコト……』
その最中、頭の中に鳴り響く女の声が聞こえた。
それは初めて耳にする声で全く聞き覚えなんて無い。まるで野原を駆け巡る風のように澄み切った声。
だが俺にはこの声こそが目の前の精霊が発しているものだとわかっていた。
シルフィードと契約しているせいか。一種のテレパシーのようなものだろう。
……どうでもいいことか。話せるというなら俺にとって都合がいいだけだ。
「元気にしていたか、シルフィード。お前が倒れた時には驚いたぞ」
心にも無い言葉に自分でも笑ってしまう。たぶん俺の顔も笑っているだろう。
だけれど、少しでも茶化していないと今にも心の歯止めがぶち壊れてしまいそうだった。
本心からの言葉でないとシルフィードもわかっているのか。
あいつは小さな顔を曇らせていた。
それでもこちらに合わせるように無理やり笑顔を作って、シルフィードは声なき声で返事をする。
『ミコトも元気にしているようで安心したのです』
「あぁおかげさまで五体満足でいるよ。お前の調子はどうだ?」
『……ミコトのおかげで回復していってるので大丈夫なのです』
「そうか、俺のおかげかぁ」
ははは、それは反吐が出そうな程に気持ち悪ぃな。本人から聞かされると尚更吐き気がする。
無論、そんな言葉を声に出してはいない。まだ表面上だけでも会話を続けたかったからだ。
笑顔で水面下の感情を抑えていると、頭の中で沈んだ声が響く。
『……ミコトはやっぱり私のことを』
「そういやお前さぁ?あれからの数年間、何してたんだ?」
『それは……』
「知りたいんだよお前のこと。こうして直接話せるってわかったんだし、教えてくれよ」
立っているままでは話しにくい思い、目線を合わせるようにして俺はベッドの脇に座ることにした。
いつも俺が寝ているような大きさのもので――そういえばあまり触れていなかったが、ここはマリーの部屋だ――、軽く軋む音を鳴らしながら体が沈む。
さぁ話してどうぞ、と有無を言わせない態度を取る俺にシルフィードは眉根を寄せて逡巡している。
話しにくいことでもあるというのか、俺に対する負い目が理由か。
どちらにしても俺の前にいるという時点で選択肢なんてない。
鼻から話す気もないのならば姿など現さなければよかったのだ。
あの時のように、中途半端に助けるぐらいなら最初から見捨てればよかったんだよ……。
シルフィード?それともお前はまた同じことを繰り返すのか?
重い口を開いたのはそれから間もなくのことだった。
シルフィードが俺の元から去った後の日々を、少女は顔を項垂れながら痛々しげに話すのだった。
「お前が……あの館から助け出した依頼主、だと?」
驚愕というにはあまりに意外で、感情がすっぽりと抜けてしまったかのように呆然とした声を出す。
それは考えも及ばないようなことで今の今まで想像さえしていなかった。
俺が長い間監禁されていたレコン・ルシエイドの館を冒険者たちが強襲したのは三年前である。
確かにどういった経緯であの館が襲われたのかは知る由もなかった。
だが被害者などそれほど腐るほどいたのだ。俺は毎日だってそれを見ていた。
その中の誰かの知人、もしくは親しい者が冒険者たちに依頼していたものだと思っていた。
まさかそれが精霊によるものだと誰が予想できただろうか。
「だが……お前は俺以外の者と話せるのか?」
『……基本的には出来ないのです。ある程度、経路が出来た相手でないと』
「経路?」
『簡単に言うと親しくした相手、ということなのです』
「それがアリエスだった、ということか」
あの女……やはり俺のことを知っていやがったか。最初から怪しいとは思っていたが、そんな裏があったとはな。
付け加えてアリエスとシルフィードは昔からの知り合いでもあるらしい。
俺が監禁されていた三年間、ずっとアリエスを探していたとのことだ。
レコンはともかく、あの下種な魔術師に関してはシルフィードも俺と一緒に戦っていたようなもの。
だから強さは十二分に把握していた。並の人物では返り討ちに合うのが関の山。
シルフィードには心当たりがアリエスしかいなかった。
しかしそのアリエスも冒険者という根無し草だったせいで探すのに時間がかかった。
その間にも蓄積していた魔力が減っていき、大地から貰っている魔力だけでは足りなくなった。
なんとか魔力が切れる前には見つけることは出来たが、それからも俺の傍に近寄ることは出来ずにいた。
遠くにいるだけでも少しは供給を受けられるらしく、それでどうにか食いつないでいたらしい。
倒れたのはなけなしの魔力を使ったせい、ということか。
マリーがこいつの姿を見えていたのも、大方弱っていたせいだろう。
(あの女には色々と聞きたいことが増えたな……)
くだらないことを黙っていたことも腹が立つが、内心、あの女が訳知り顔で俺の傍にいたことが感情を逆撫でる。
魔力が切れて死にたくないからと、俺の周りをこそこそと隠れてずっと潜んでいたこいつにも怒りが止まらない。
どういうつもりかは知らんが、これであの女をぶっ飛ばす理由が一つ増えた。
レコンの生死の事について確かめる為にも、アリエスとは一度本気でやり合う必要があるだろう。
まぁそれはあちらから用意するらしいから時間の問題だろうが。
今はそれよりもシルフィードの件が先だ。
あまりの真実に感情が置いてけぼりになっていたが、こいつが依頼主ということは……。
「つまり、お前が俺の邪魔をしたんだな……」
冒険者が館を強襲した日のことはよく覚えている。
その日、俺はレコン・ルシエイドに復讐するつもりだったのだから。
邪魔が入ったのはアリエスのせいであり、あの日あいつらが館を襲わなければ復讐を果たせていた。
『邪魔なんて!?私はただミコトを助けたかっただけなのですっ』
「助け……?くだらん、心底くだらねぇ。そんなものは自己満足の偽善なんだよ!!
お前がそう思っても、俺が助けて欲しいと思ってないなら意味なんてねぇんだよ!!」
『ミコトはずっと苦しくて悲しいと思っていたはずなのです!私にはそれがわかるのですっ』
「それもお前と契約をしているからか?クソ忌々しい。
だがそれは勘違いだな。お前に俺の気持ちなんて欠片もわかっているはずがない。
わかっているのならどうしてあの時お前は逃げ出したッッ!!シルフィード!!」
激情が心を支配する。今の今まで溜まりに溜まっていた感情が噴き出す。
笑顔の仮面で取り繕うことももう出来そうにない。
こいつの裏切りを片時も忘れたことなんてないのだから。
俺を裏切った。ミライを裏切った!きっと彼女が生きていれば親友の裏切りを心底悲しむに違いない。
涙を流すミライの姿なんて想像すらしたくない。
だからそれが何よりも許せない。
拳を血が滲むほどに握り締める。
あぁ、確かにお前の言葉は少しだけ当たっているかもしれない。俺はとても悲しくて悔しかった。
こいつのことだけじゃない、父親のような存在に感じていたガウェインのことだってそうだ。
どうしてそうも簡単に裏切れる?どうして人を信用させておいてどん底へと突き落とす?
楽しいのか?お前たちは人が絶望に身を焼き尽くされる光景を見て笑うのか?
わからない、もう何もわかりたくなんてない。
『あのまま精霊化を解かなかったら貴方の体は耐えられなかったのですよ……?』
「う、る……さい!!俺はそれでも良かった!あいつらを殺せるなら、それだけで良かった!!……ゥゥ……」
――…………セ
『そんなの、そんなの悲しすぎるのですっ。ミライはそんなこと望んでいないのです!』
「お前が……お前が彼女の名前を口にするな……!!どうせお前は死にたくなかっただけなんだろ!?」
『ミコト。私は貴方と契約した瞬間から全てを譲渡していたのです。体さえも、魂さえも。あれはそういう契約なのです。
そんな私に逃げることなんて……』
「嘘をつくなよ!だったらあの時、なんで精霊化が解けたんだ!!……ぐ、ゥゥ……」
――……ロセ
『私にもそれはわからないのです。私に抗う力なんてなかった。でもあの時、不思議な力を感じたのです。
どこか懐かしくて暖かな力。それが身の内から湧き起こったと思ったら、いつの間にか解けていたのです……。
気付いた時には私は知らない場所にいた。……ミコトは何か感じていなかったのですか?』
「戯言を、言うなよ。ゥゥ……く、そ。頭が、頭がいてぇ……」
『ミコト……?大丈夫なのですか?』
――コロセ
「黙れ。黙れよ!!お前は何なんだよ!何でここにいるんだよっ!!ゥ……ゥ……ァァアァァァ!!」
『ミコト!?顔が真っ青なのですっ!心から伝わる負の感情も尋常じゃない……しっかりと自分を持つのです、ミコト!』
――ソイツヲ、コロセ。コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ
コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ
コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ
「ァァァァァアアアアアアアア!!!」
ヒュン、と風を切る音がした。
次の瞬間には俺はシルフィードの首筋にダガーを這わせていた。
一ミリという隙間もない、喉の一つでも鳴らせばそれだけで切り裂かれるであろう距離。
小さな精霊に比べればそのダガーはあまりに大きく、その刃は鏡のようにシルフィードの顔を映していた。
「シにたいのか、オマエ?」
『…………』
「コロしてやるぞ?コロしツクしてやるぞ?」
その白い喉から血飛沫を上げさせてやろうか。その時お前はどんな表情を俺に見せてくれるんだ?
絶望か。お前たちが好む絶望か?
きっとお前らはそんな時でも喜ぶんだろうな。狂った思考の壊れた奴らだから。
自分の絶望にさえエクスタシーを感じるんだろうな。
それとも懇願するか。死にたくないと泣き叫ぶか?
見っとも無く生にしがみつくのか。意地汚なさを俺に見せてくれるのか?
そんなもの俺は数え切れないほど見てきた。あの館でどれだけの人がそれを願ったと思う。
憎めよ、もっと俺をあの憎しみの瞳で俺を見ろ。
なのに、なんでお前は……。
『ミコト。私は貴方の精霊。貴方が私のマスターであり、所有者なのです。
精霊の身であるこの体は本来なら並大抵のことでは殺せません。
だけど、貴方がそれを望むのならば……』
「…………」
どうしてそんな顔で俺を見るんだ。
もっと絶望しろ。死にたくないと叫べ。涙を浮かべて懇願しろ!
シルフィードはダガーの刃の部分をぐっと握り、俺の顔を見上げていた。
その表情は透明でいていっそのこと優しく、他の感情など微塵も見当たらない。
瞳の中を覗いても絶望の色なんて一つもなかった。
ただ、この小さな精霊は死を前にしても微笑んでいたのだ。
記憶が、脳を刺激する。
雷鳴が脳髄を駆け巡るような感覚が奔り、失くしてしまった記憶が蘇る。
思い出したのはいつかの記憶の断片。
暗い部屋の中。濃厚な血の匂い。顔の色を失って寝転がる少年。
複雑な魔法陣の数々。祈りの歌を歌う女性。傍観する仮面の男。
歌が終わるとき、世界は閃光に染められて白に支配される。
眩い光に誰一人として瞳を開けていられるものはいない。
だけれど俺はそんな光の中に確かに見たのだ。
少年を抱き抱えたまま愛しげに笑う女性の姿を。幸せをただ願いながら微笑んでいた彼女の姿を。
その彼女の姿が現実と重なる。シルフィードの表情は彼女の笑顔と酷似していた。
あの女性は……いや違う、彼女は……み、らい?
「ウ?ゥゥ……」
『ミコト……』
――コロセ!コロセ!コロセ!
「あ、あ、あああああああああああああああああああああ!!!!!!」
嫌だ!
嫌だ嫌だ!
俺は、俺はシルフィードを殺すことなんて出来ない!!
もうたくさんだ。俺の為に死ぬ人を見るのなんて嫌だ!
殺したくない。殺させたくない。
生きていて欲しい。生きていて、欲しかった……。
するりと手からダガーが抜けて、からん、と床に音を立てて落ちる。
いつの間にか心を黒く染めていた声も聞こえなくなった。
心の中は空っぽになり、空虚な風が吹いていた。
空しくて、とても空しくて、どうして俺はこんな場所にいるのだろうと思った。
強くなりたいと思っていた。何の為に?
復讐を遂げたいと思っていた。彼女の笑顔とそっくりな顔をするこの精霊に?
わからない。俺はどうしたかったのか。
何が何でもミライの仇をとりたかった。ただそれだけだったのに。
『泣いて、いるのですか……ミコト』
頬から流れるのはいつからか流すことがなくなっていた涙の一滴。
意識もしない内に流れ落ちるそれは止め処ない。止め方がわからない。
何で俺は泣いているんだろう。
ミライのことを思い出したからだろうか。そう、彼女は最期に俺の幸せを願っていた。そんなことも忘れていた。
今の俺は彼女が望むような俺でいるだろうか……。
ふっ、と力が抜けて膝をついてしまう。その拍子にぽたり、と床に向けて涙が零れ落ちた。
歪んでしまっている視界をどうにかしようとする気力も湧かず、身を成すがままに任せるしかなかった。
力なく俺は言葉を零す。
「俺は……一体どうすればいい。教えてくれ、シルフィード。
お前が心を読むように、俺にだってお前の心がなんとなくわかる。
だからお前が嘘をついていないってわかってる。あの時、本当にそんな冗談みたいなことが起きたんだろう。
だがそれでも、お前を許せない……。許せないけど、お前を手にかけることも出来ない」
『泣かないでください……ミコト。泣かないで』
頭の中に響く声はそれこそ俺なんかよりよっぽど泣きそうだった。
不意に暖かい感触が頬に訪れる。それは小さな小さな、シルフィードの両手だった。
滴る涙を拭うように頬を撫で、少女の瞳からもキラキラとした雫が生まれ落ちていた。
「お前も泣いているじゃないか」
『貴方の心が私にも伝わるのです。でもそれ以上に、ミコトのそんな姿を見ていられなくて……』
「見っとも無いか?大口を叩きながら何にも出来ない俺が。男の癖に涙を流している姿が」
『そんな、そんなに……自分を傷つけないで欲しいのです……私は、私は……』
「…………すまん、だからお前もそんなに泣くな」
大粒の涙を零す少女に言いながら、俺も瞳から流れる熱い涙を止めることなんて出来なかった。
どうすれば止められるのだろう。そんな思考さえも思いつかない。
俺に泣いている認識なんてなかったのだから。それでも現実に俺は泣いている。
わからない。俺はどうすればいいのか。
二人以外は誰もいない部屋の中で、俺たちは静かに泣き腫らす。
どれだけ時が経とうとも答えは見つかることはなかった。心のあり方さえ見失ったまま、呆然としているしかなかったのだった。
『思考進化の連携術士 EE』にてアリエスとマリーの話があります。
閑話的な話ですが、興味がある方は読んでみて下さい。
ここまでお読みいただきありがとうございました
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