第二十六話 腹ペコ少女
小さなベッドにはそれに見合うかのような少女が寝ている。
顔色はあまり良くなく、短く呼吸を繰り返すその様子をマリーは心配そうに見守っていた。
取り急ぎ作った手作りのベッドは果物等を入れる籠に布を敷き詰めているだけの簡素なもの。
二十センチの少女には俺が使うようなベッドでは大きすぎて埋もれてしまう。
だから、とマリーが作ったものだった。
俺たちはどうにかこうにか、無事に小屋に帰ることができた。
魔物との戦闘を続けて奥地まで進んでしまっていたから、戻ることは難しそうだったのだが。
そこはマリーが活躍してくれた。
どうも行きがけに一つまみ程度の魔石のかけらを少しずつ落としては目印にしていたみたいだ。
魔石の魔力をスキルで探知して帰り道を探すという彼女にしか出来ない芸当。
呆気にとられる俺に束の間得意げにするマリー。
俺が木に印をつけたていたことをヒントに、二度目の魔物探索の時にやっていたらしい。
意外と抜け目がない女だ。
呆れるやら感心するやらはさておいて、シルフィードが弱りきっている状態を見るに急いだほうがいいだろう。
まだ聞きたいことがある。話していないことがある。
だからまだ死なせるわけにはいかない。
駆け足で走り抜けた帰り道は行きと比べると半分の時間で踏破することができた。
おかげで日が沈む前には見慣れた小屋に辿り着くことができたのだった。
「そいつの具合はどうだ」
「……苦しそうにしてる。わからないよ。この子、どうやったら助けられるの。熱があるわけでもないし、回復魔術も効果がないみたい」
「さぁな。俺も知らない」
「ミコト……なんか冷たい」
泣きそうな声をしている割には俺のことを一丁前に睨んでくる。
俺が見たところ、シルフィードはすぐに死ぬような状態ではない。
スキル、トゥルースサイトでは魔力を捉えることもできる。
精霊とはいわば魔力の塊であり、集中して視ることで俺にはその状態がわかるのだ。
(とはいえ、今まで他の奴を見たこと無いから詳しくはわからないんだが)
状態の良し悪しだけを判別するなら確かに悪いのだろう。
見た目もそうだが、どうもシルフィードに流れている魔力の量が少ない。
前に呼んだ本の話によると、精霊は輝かんばかりの魔力を持っているという。
普通の種族ならば揺らいでいる炎程度だとも書かれており、後は素晴らしいとかどうとか高説を垂れ流しているだけだったので忘れた。
その著者は特殊な眼を持っているという話で、だからその本は信憑性がある、らしいが本当かは知らない。
俺がその著者と同じ眼を持っているかは不明だ。しかし、確かに頷ける点もあるのも事実。
そして今のシルフィードには俺には輝くほどの魔力は到底見えない。
付け加え、普通ならば精霊の姿など特殊なスキルを持っていなければ見えないはず。
それがどういうわけかマリーにも姿が見えている。
魔力感知は体感的なものであり、視覚には関係がない。これはどういうことだろうか。
病気……という線もあるかもしれないが、ただ単純に弱っているだけ、というのがしっくりくる。
それ以上は本当にわからない。
わかっていそうなのは俺じゃない。あの女だろう。
俺はマリーをその場に置いて、件の首謀者であるアリエスの元へ行くことにした。
家の中にいなかったので外を探そうとしたらすぐにでもアリエスは見つかった。
むしろ待っていたかのように欄干に腰掛けて、こちらを見ていたのだった。
相変わらず寒そうな格好の普段着であり、魔力操作で体温でも調節しているのだろう。
それも日々修練する為さね、とか抜かしていたが絶対に面倒くさいだけだと俺は思っている。
「お帰り。シルフィードの様子はどうさね」
「変わらん。マリーが献身的に介護しているが効果は薄いだろうな」
「ミコトは傍にいないでいいのかい」
「あいにく、話さないといけない奴がいるもんでね」
鬱憤が溜まった思いを乗せながら言葉にすると自然と声が厳しくなった。
何せこいつがシルフィードのことを知らなかったということはありえない。
「はて、それは誰だろうさね」
「白々しいな。てめぇ以外誰もいねぇだろうが。あいつとはいつから繋がっていた」
「どうしてそう思うのか、聞いてもいいかい?」
「ふん。お前が仕組んだ試験でたまたまあいつがあの場に現れたと信じるほど俺は能天気じゃねぇ。
それにあんたが今言ったじゃないか。何故あんたがシルフィードという名前を知っている?」
マリーはこの子や精霊さんと口にするだけで、一度もシルフィードという名を声に出していない。
つまるところ名前を知ることが出来るのは、いや知っていたのは以前からそう呼んでいたからだ。
あまりに初歩的なミスであり、アリエスにしては迂闊すぎる。
考えるにこの女は最初から隠す気がなかったということだろう。
現にアリエスは俺が指摘したとしても驚いている様子はなく、ただどこか楽しげに口の端を上げるだけだった。
「それで?何が聞きたいさね」
「あいつは治るのか」
「へぇ……。シルフィードの容態を気にするのかい」
「下世話な気持ちで勘繰るなよ。あいつには聞きたいことがあるだけだ。それでどうなんだ?」
「アタシは医者ではないけれど、今みたいになったことはあるんだよあの子はね。心配ない、アンタが傍にいればいずれ治るよ」
「どういうことだ……?」
曰く、魔力が欠乏しているから起こる症状らしい。魔力欠乏症とでも言えばいいのか。
人であれば魔力を失ったとしても限界まで使わなければそこまでの支障はないが、精霊は前述した通り魔力の塊。
魔力を失うデメリットは他の者よりも顕著となる。
だが精霊とは元々が膨大な魔力量を誇る。故にそのデメリットはあまり問題とならない。
あの崖での事とマリーを守った障壁程度でそこまで悪くなるものだろうか。
強大な魔法を使ったでもないのに。
俺の胸中の疑問は差し置いて、アリエスはもう一つの答えを口にした。
「精霊は本来は大地との繋がりを持って魔力を手に入れている。ミコトとシルフィードは契約をしたね。
その場合、魔力の供給源は契約者であるミコトになる。多少は大地からも補えるけど、それも微々たるものになるさ。
新しく繋がりを持つとはそういうこと……らしいさね。人伝の話だけどね」
「俺に?とっくの昔に切れていると思ってたんだがな……」
具体的に言えば俺を裏切って空の彼方へと飛び去った時から。
苦い顔をした俺を見てアリエスがどんな感情を抱いたのかはわからないが、少なくとも何も言葉にすることはなかった。
傍にいれば回復するとはそういうことか。
「それだけか?」
「それだけ、とは?」
「つくづくむかつく女だな、あんた。さっき俺は聞いただろうが。あいつとはいつから知り合っていた」
「……それは」
アリエスが答えるより前に小屋の扉が勢いよく放たれる。
そこには血相を変えたマリーが立っていて、慌てた口調で俺たちに声を投げかける。
「み、み、ミコト!師匠!あの子が目を覚ましました!!」
マリーのその言葉の中には動揺しつつも嬉しそうな色を滲ませていた。
命を助けてもらった恩人なのだからそれも当然だろうか。
複雑な気持ちで俺はマリーを見やる。これから俺がすることに彼女は難色を示すだろうから。
出来るなら席を外していて貰いたい。
ふと、俺はそう思ってしまっている自分に疑問を抱いてしまう。
どんなことをしようと俺はあいつに真実を聞くまでは逃がさない。許せない裏切りだからだ。
その現場を見せたくないのは、マリーに嫌われたくないと思っているのだろうか?
いや、違う。ただ俺は彼女に借りがある。
その借りを返すまではごたごたしたくないだけだ。
そんな俺に助け舟を出したのはアリエスだった。
「マリー、アンタはここにいな」
「え、でもあの子のこと看ていてあげないと」
「それはミコトがやるってさ。ねぇ?」
「……あぁ、俺が代わりに看ておくよ」
「でも一人より二人の方が色々と助かるんじゃ……」
「まりー?これなーんだ」
「そ、それはぁ!?」
アリエスがマリーの前に掲げたのはサイドウィッチだった。
夜空でも見ながら食事でもしようと洒落込んでいたのだろうか。
アリエスと暮らしている内に意外とロマンティストであることは知っていたので驚きはない。
俺はそんなものだったが、マリーは逆に驚天動地といった有様で天地が引っくり返ったの如く驚いていた。
驚きプラス涎を垂らしていた。
……そういえば俺たち、帰ってきてからろくに食事を取っていないな。
うん、まぁ、なんだろう。
色々と疲れることはしていたし、すでに夕飯を食べる時間も結構すぎているから、マリーの反応もわからないでもないんだが。
さっきまでとのギャップでかなり俺の気概が磨り減った、というかだな。
この食いしん坊キャラに借りを返す場合、どんなに大きい借りだろうと食事でも奢り続ければ良さそうな気がしてきた。
猫じゃらしで猫と戯れるようにひょいひょいとサンドウィッチを振り回して遊ぶ師弟を尻目に、俺はシルフィードがいる部屋へと足を運ぶのだった。
「師匠!食べ物で遊んではいけないんですよっ!あたしが然るべき所に収めてあげますっっ」
もうお前さ、ほんと頼むよ……。




