第二十三話 バインドボイス
相手にしてみれば相当にイラつくであろう一撃離脱の戦法は実にうまくいっていた。
一度として奴の攻撃をくらうことなく、何度となく攻撃を繰り返す。
ダガーを弾かれては危うい回避を続けながらも俺は学んでいく。
武器の取り扱いを覚え、奴の思考を読み取りその先へ行く。擬似的な未来予測。
より無駄がなく、最適な動きへとシフトする。
「速いなぁお前!?だがそれだけだ!」
切り裂かれば一撃の元に絶命しそうな爪の大振りをすれすれで回避して草葉に逃げ込む。
服の一部にかすったのか布地が空を舞っていた。
怒りの咆哮を耳に聞きながらほくそ笑む。
もっと怒れよ、もっと俺と戦えよ。
実戦という実戦が皆無な俺にはあまりに魅力的すぎた。
強くなりたいと思ってからは初めてだろう。本気で命のやり取りをする戦いは。
「俺はここだぞっ。っと!!」
姿を隠し、背後をとって仕掛けようとしていた俺に鞭のようにしなる尻尾が出迎えた。
さすがに動きが読まれ始めている。そう何度も同じ手はくわないということか。
不規則に動く尻尾の振り回しを横に飛び込むことでやり過ごす。
地面を一回転しながらそのまま立って走り出した。攻撃までには至らなかったがそれでもいい。
奴が攻撃をする度に体が覚えていく。
最初は無様に這い蹲って避けるだけだったのだ。
地面からの攻撃が読まれ始めているなら、ならば空から。
木に登って枝から枝へと猿のように飛び移る。小柄で体重も軽いおかげでほぼ無音で渡ることが出来た。
密集した木々の間を飛び交い、ちょうどいいポイントから下を覗けば奴の姿がはっきりと見えた。
首を振っては左右を気にしているばかりで一向にこちらに気付いている様子はない。
これは是非、奇襲してくださいといっているようなもの。
だから俺は遠慮なく上から奴に襲い掛かった。
「同じ場所から来ても芸がねぇよな!」
枝から思い切って飛び降りて無防備となっている背中を狙う。
全体重と重力を乗せた一突き。
いくら頑丈な毛皮に覆われていようと、この一撃だけは突き刺さった。
ざっくりと刃の半分が体の中に埋まり、魔物は悲鳴をあげて痛みに暴れ始める。
すぐさまに背中からダガーを抜くと、赤い鮮血が血飛沫を上げる。
抜く反動を利用しながら奴の体を蹴りつけ、宙を飛びながら無事に着地した。
痛がってはいるが奴にとってみれば小さな傷。
しかしこれが何度も続けばいずれ必ず倒せる。
「グァァァァアアア!!」
賢しい小蝿を蹴散らすように前足を横払いさせて魔物は反撃してきた。
鋭い爪が備わった足は見た目以上にリーチが長く避けにくい。
溜まった怒りも手伝って恐ろしい速度で襲い掛かる。
木々を薙ぎ倒すほどの威力を持つのだ。ガードなど意味を成さない。
回避は出来なくはないが次の動きに支障をきたすだろう。ならば。
(受けるのでもなく、避けるのでもなく……受け流す)
すっと視線を凝らしてその軌道を見定める。
巨大なその魔手は視界を覆いつくさんばかり。近寄ってくれば近寄るだけ、その面積は大きくなった。
絶対に避けられない……そんな距離に迫った致死の一撃に俺はダガーを添える。
一歩間違えば悲惨な結末が待っているだろうに、俺は少しも怖くなかった。
ただ一心に爪に向かって撫ぜるかの如く動きをトレースする。
受け流す、といっても攻撃を逸らせる事は出来ない。
直線的な動きならともかく、奴の攻撃は自分の体に引き込むように振り払っていたから。
だから流すのは攻撃ではなく、自分自身。
奴の攻撃の勢いを利用してテコの原理で自分の体を飛ばす。
繊細な力のコントロールが必要になった。だがそれは問題ない。
高速思考によるアシストと以前に手本となる動きを見たことがあるから。
ギャリリ、と耳障りな音を響かせて刃が滑る。左腕をダガーに添えながら地面を蹴って宙に浮く。
尋常ではない負荷が腕に掛かりかけた手前、ちょうど前足の上を飛ぶ形で俺は高く高く飛んだ。
すさまじい運動エネルギーがかけられていたのだろう。予想以上に飛ばされた。
空中で錐もみ状態になりかけた所を姿勢制御でどうにかとりなす。
足で降りれるように調整し地面についた時には魔物の正面、十メートルあたりに俺はいた。
(メイジキラーだとかどうとか言っていたあの男のようにうまくはいかない、か)
無事に済んだ、とはとてもいえない。
ダガーに添えて支点とした左腕が軽くない痛みを訴えている。
高い位置から着地したおかげで足も痺れているし、回避に専念した方が無傷で済んだだろう。
だがあの魔物の顔を見ろよ?
何が起こったか理解できない、ということがありありとわかる間抜け面をしているじゃねぇか。
激怒していたことも忘れ呆然としていて愉快でたまらない。
俺がくつくつと笑うとようやく魔物は元の感情を取り戻したのか、犬歯を剥き出しにしだした。
恐ろしい形相だ。あの牙で噛み砕かれない内に身を隠すとしよう。
横合いの草むらに隠れようとした矢先、何故か魔物は遠吠えを上げる。
それは索敵の為の手段だったはず。今、どうしてその行動を選んだのか。
嫌な予感がした俺は早々に逃げ出そうとした。だが。
「こ、れは……っ」
急に動きが取れなくなってて足をもたつかせてしまう。
転ぶことだけはどうにか我慢出来たのだが、全身がどうにも言う事を利かない。
体が異常をきたした原因とは一体何か。
答えはどう考えても奴が上げた遠吠えのせいだろう。
それ以外の原因が見当たらない。
一体何がさっきまでのものと違うのか。
それは周りを見渡すことである程度の推測はついた。
(草葉が震えている……?)
俺の周りに生えていた草葉が超振動でも受けたかのように細かく震えていたのだ。
ぶれて元の形が曖昧になるほどの震え方。
それが俺の周りだけに起きている現象だった。少し遠くを見れば他の場所は何ともなっていなかった。
指向性の遠吠えとでも言えばいいのだろうか。
つまり俺を狙って魔力の波が乗った遠吠えを当てることで、体の異常を起こしているのだ。
「こんな、隠し球を持っていやがった、とはな。くっ」
幸い体は全然動かないということはない。ただ今までのような動きは到底出来そうにはなかった。
思うように動かない体に苦戦しながら奴の動きを伺う。
「ガフッ!ガフッ!」
人間でいえば咳き込むような音を洩らしながら、魔物は頭を振っている。
なるほど、どうして今まで使わなかった不思議に思っていたが、どうやらそう頻繁に使えるものではないらしい。
その様子から喉を酷使するようで、ここぞという時に使わなければいけなかったのだろう。
索敵の為の遠吠えも同じく喉を使うものであり、おそらく奴はしばらくどちらも使えなくなっている。
(なめるんじゃねぇぞ犬っころが。チャンスだと思ったようだが俺はまだ動けるし、戦える!)
気合で体を動かしながら俺は草むらの奥へと姿を消していくのだった。
「はぁはぁ……ん、くっ」
もつれかけた足をどうにか立て直して走る。
走る、といっても小走り程度であり万全とはとても言えない。
こんな状態ではすぐにでも追いつかれると思っていた。
だが魔物は慎重にでもなったのか、気配は後ろの方にあるものの襲い掛かってくる様子はない。
もしくは再び遠吠えが使用できるようになってから確実に仕留めようとしているのか。
ともかく冷静さを取り戻したのはいただけない。
索敵の手段がなくてもあの魔物なら鼻で追跡は出来るのだろう。
それにしても体の自由が完全に取り戻せない。
回復はしているのだが五割程度といったところだ。
果たして、魔物が襲いかかる前に治るのか微妙なところだった。
体力も無理やり体を動かしたおかげで消耗が激しい。
俺は木の幹を背にして休む事にした。あの魔物はおそらく近くにはいない。
物音立てずに接近するにはあの巨体では難しいだろう。
「まぁ来たとしても、俺が今度こそあの魔石をかち割ってやるけどな……」
強がりも言葉にすれば本当になる。いや、してみせる。
今が窮地に立たされていたとしてもまだ終わりではない。
心は決して屈していないが、いかんせん状況は良くない。
こちらから攻勢をかけるなどもってのほか。攻守逆転したのは疑いようのない事実だ。
逃げに徹するべきだと思うが、さて……。
そう思っていた矢先のこと。目の前の茂みが唐突にがさりと揺れた。
考え事に耽っていたせいで警戒を怠ったか!?
反射的にダガーを抜いて魔力を通す。呼応して刃の紋様が輝きだした。
来るなら来いとばかりに身構えていた俺だったが、茂みの中から現れたのは意外な人物だった。