第十九話 心のライン
「一人で魔物と戦う?それ本気なの?」
十分に休憩を取った後に早速例の話をすれば、思いっきり訝しんだ目で見られてしまった。
顔にはありありと「頭、大丈夫?」と書かれていた。
まぁ予想の範囲内の反応ではあるが、本当にそんな目で見られると何処か釈然としないな。
「勿論本気だ。だからマリー、お前はアリエスの所に戻れ」
「なんであたしを除け者にするの。これはあたしとミコト、二人の試験なんだよっ」
マリーが声を荒げた拍子に木の枝に止まっていた鳥たちが驚き、羽ばたいて飛び去っていった。
そんな音さえ彼女の耳には届いていないようで、口惜しげに顔を歪めていた。
未だ五体満足に動けないというのに、彼女の中の何処にそんな力が残っていたのか。
俺が軽く目を見開いて驚いたのさえ気にはしていなかった。
普段の彼女ならば表情の機微に敏感だったのに、それだけの激情ということだろうか。
常日頃、俺との心の距離を五歩分は離れていた彼女が、今は零距離で己の心情を吐き出していた。
いつも保っていたその距離は彼女にとっても、俺にとっても傷つかない距離。
居心地のいい仮初の付き合い方。
だって踏み込めば相手の闇も、そして自分の汚い部分も曝け出してしまうから。
何も俺だけが彼女を近づかせなかったわけではない。
彼女もどこかで暗い部分があったからこそ、無理やりには踏み込んでこなかった。
それはマリーだってわかっていたのに、彼女は自らその境界線上を越えて来た。
だが、驚きはしたもののここで引くわけにはいかない。
一緒にあの魔物と戦うということは、命の危機に晒されるということ。
俺に彼女の命の責任なんて到底とれない。
「死ぬかもしれないんだぞ?お前、あんなに震えていたじゃないか」
卑怯な物言いだっただろう。だがあえて俺はそのことを口に出した。
崖の上で俺の服のすそを握り締めながら、後ろの方で震えていたこと。
蒸し返す最低の行いだが、これで彼女がついてこないのならそれでいい。
しかし、俺の目論見は早くも崩れ去る。
マリーはきっ、と視線を強くして俺を睨みながら眦を上げた。
「だから!?」
「だからって……怖かったんだろ」
「そりゃ怖かったよ!すぐにでも逃げ出したかったよ!あんなに魔物が傍に来たことなかったんだから!」
「だったらもうそんな思いは……」
「でもそれはミコトだって同じだったんじゃないの!?」
「……」
ヒステリックに叫びながらこちらの声に被せて興奮気味に放った言葉は、確かに真実でもあった。
恐怖を感じなかったわけじゃない。死ぬのは怖い。
魔物が怖かったわけじゃない。俺は何よりも、何も出来ずに死んでしまうことが怖い。
彼女の感じていた恐怖とは似ているようで似つかない、そんな思い。
瞬時の葛藤が胸に渦巻いた。
だが、すぐにでも否定するべきだった。
はっとした時には時すでに遅く、無言がマリーの言葉を否定したも同様、みたいになってしまった。
幾分か興奮が冷めてきたマリーは落ち着いた様子できっばりと声に出す。
「……ミコトがよくて、あたしがダメな理由、ないよね」
確信めいた口調はこれからの説得がいかに大変になるかを物語っている。
はっきり言って俺はマリーの気持ちがわからない。
震えるほど怖かったのにどうしてついてこようとするのか全くわからない。
相手の気持ちがわからないのに、説得などどうやって出来るだろうか。
道筋が全く見えない上にこの調子なら、無視して魔物の元へ行こうものなら絶対についてくるのは間違いない。
弱り果てた俺にマリーは追撃をかけてくる。
「それにミコト。あの魔物をどうやって見つけるつもりなの?闇雲に探しても見つからないよ?」
「む……」
ノープランだった部分を突かれて反論する余地もない。
彼女は暗に言っているのだ。自分のスキル、魔力感知がなければ魔物を見つけることが出来ない、と。
例え自力で探し当てたとしても、相手は言わば自分の庭にいるも同然であり、必然的にこちらは後手に回ってしまう。
ならば最初の大事な一手ぐらいは先手をきって奇襲でもかけないと厳しくなる。
その点、マリーがいればその成功率はグンと上がることだろう。
無論、以上のことは事前に考えついてはいたのだが……。
ともかく、今の俺は劣勢に立たされていた。
「あたしは一緒に。ミコトと一緒に、試験に合格するんだからっ」
マリーの瞳に映るのは明確な決意だった。
こうなった人の心を折るのは並大抵のことでは出来ない。
だから俺も一歩だけ、踏み込むことにした。彼女の領域に。
「どうしてそこまでする?どうして命をかけてまでこの試験に合格したい?」
所詮はアリエスが出した課題であり、合格だろうと不合格だろうと意味はない。
少なくとも俺にとっては。
マリーは違うのだろうか。もっと深い意味があるのだろうか。
「それは……」
言い淀むマリーの表情には先程の勢いは見当たらない。
曇りきった彼女の顔を見て、やはり、という思いが湧き立った。
これがマリーにとってのウィークポイント、か……。
俺がしていることは、自分で例えるならミライに関することを尋ねられているも同然の行い。
深く踏み込めばこうやって傷つけてしまう、あの雪の日のように。
「話せない、話したくない、よな」
「…………」
「それは俺にだってあるから少しはわかる。だけど」
「……くな……たい」
「え?」
これから説得の口上を広げようとした所に小さな声が聞こえた。
マリーの声。小さくて、でも振り絞るような切実な声だった。
だからべらべらと俺が喋りだすのを容易に止められた。
「あたし……強くなりたいの!」
「な……」
そうして次に出たマリーの言葉はどこかの誰かが言ったような台詞。
……そんなものは俺に決まっている。
冗談で言っているなら今度こそ本気で怒る所だったが、マリーの表情は真剣そのもの。
震えるほど握り締めたその手が、瞳の奥に揺れる強い光が真実だと物語っていた。
「ミコト。あたしも強くなりたいの」
そうしてもう一度、今度は声を抑えながらもその分言葉に思いを込めてマリーは呟いた。
強くなりたい。
その思いは痛いほどに痛感している。
誰よりも求めて、誰よりも強くなりたいと願っている。
己のことだけを考えて練磨してきた。そうして積み重ねてきた。
だからこその盲点。
身近にいる人が俺と同じ思いを共有していただなんて気付きもしなかった。
今度こそ俺は完全に敗北してしまったのだと悟ることになった。
まさかその思いを俺が否定することなんて出来ない。
俺にとって復讐を果たすための手段、彼女にとってそれは何なのかはわからない。
だがそんなものはどうでもいい。
彼女のその姿に、懸命に願うその心に、俺は俺自身であるミコトという存在を僅かでも垣間見えてしまったのだから。
最早、聞き出す気もなくなってしまい、説得の手段は完全に潰えてしまった。
(まさかマリーの中に自分を見るとはな……)
マリーには最初っから最後まで押されっぱなしで完敗。
だけど何故かそんなに悪い気はしていない。
それでも格好だけはつけたくて、俺はため息をつきながら了承の言葉を口に出した。
「……はぁ……。わかったよ。もう何も言わないから一緒に行こう」
「え、ほ、ほんとっ!?」
「ああ。だけど、本当に危ないと思ったら逃げろよ」
「わかった!でもその時はミコトも一緒だからね」
「……ったく、わかったわかった」
不貞腐れ気味にそう言えば、マリーはえへへと上機嫌に笑うのだった。
妙なことにはなったが、これでようやく一悶着に決着がついた、というべきだろうか。
肝心の魔物退治が少しも進んでいないのが頭が痛いところだが。
しかし二人になった所で勝つ算段があまりないというのも現状である。
切り替えてすぐに魔物との戦闘方法を考えていたら、不意にとんとんと肩を叩かれる。
振り向くとマリーが何やら鞘に納められた短剣をいつのまにか持っていて、目の前にそれを掲げているではないか。
「お前、それどうしたんだ?」
「ん、これはね、魔晶石のダガーって言う武器」
「魔晶石のダガー……」
マリーが鞘からそれを抜き取ると、すらりとした刃渡りに柄の部分に嵌められた赤色の宝石が目に飛び込む。
宝石は魔石だろうか、不思議な色合いをしており光の当て方によって様々な顔を見せてくれる。
魔石に目がいきがちだが、よく見ると刃の部分も不思議なことになっている。
ツタのように刃の部分を回路のようなものが生えており、銀色の刃に黒い回路、とかなりへんてこだった。
「魔力を注ぎ込むことによって硬度が増す魔道具なんだ」
「魔道具、か。なるほど。それにしても何処にそんなもの隠し持ってたんだ」
「んーと、背中の服の中に、かな?お守り的なものだから」
「全然気付かなかった……」
「それより、はい」
端的にそう言うとマリーは鞘の中に刃を収めて、改めてこちらの目の前に掲げた。
それを俺に渡そうとしているのか?
「マリー、それはお守りなんじゃないのか?そんな大事な物、俺に渡してもいいのか」
「うん。確かに大切な物だけど、今はミコトにとって必要な物じゃないかって思うんだ」
後悔も後腐れもなく、気軽にそうやって彼女はダガーを俺に押し付けた。
魔力を注ぎ込むことにより硬さが増す武器、か。
単純明快ながら使う者によっては強力無比な武器になりそうだ。
俺が使っても効果は薄そうなのが難点だが……有難く使わせて貰おう。
丁重に受け取ると、嬉しそうに笑うマリーの姿。
その姿を前にして居心地の悪さを俺は感じていた。
誤魔化す様にごほんと咳をついてから立ち上がり、歩き出した。
唐突に出発した俺の後を慌ててマリーも追いかけてくる。
休憩はもう十分とったのでお互い体力は回復しているだろう。
腹はすいているが、この辺りなら地理にもある程度詳しく食べ物があるところはわかる。
伊達に三年、トール山に住んではいないということだ。
さぁ、腹ごなしを済ませて、魔物退治といこうか!
俺たちの戦いはこれからだ! -完-
すみません、嘘です。
今年最後の更新という意味では完、というのもあながち間違いじゃありませんが、来年も続きちゃんと書きます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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では最後にちょっと早いですが、皆さん、良いお年を!