第十三話 怒りの正体
「本当に今朝の件についてじゃないんだよね?ね?」
「しつけーな……違うって何回も言ってるだろ。……たぶん」
「たぶん!?」
話があるとアリエスに聞いただけで、それ以上のことはわからない。
だからこうしてマリーを無理やりに引き摺っている最中だった。
嫌がる女の子を無理やり、と字面にするといかにもな犯罪臭だが、実際は怒られるのが怖いから嫌がっているだけだしな。
泣こうが喚こうが知ったことではないのである。
たぶん、とさっき俺は言ったが九割近く今朝の件ではないと思っている。
くだらん騒動に巻き込まれた仕返しに教えることはしない。
何度も同じようなことに巻き込まれているんだ、たまにはいいだろう。
マリーの手を引いて居間に向かう途中、不安から口数が多くなっているマリーだが、本気で逃げ出さないあたり良心の呵責には勝てないみたいだった。
何だかんだで悪いことは出来ない体質のようだ。
そうして居間の前に俺たちは辿り着いた。
「ほら、後はもう手を引かないでも歩けるな?」
「う、ううう……」
唸り声を上げるマリーは放って置いて扉を開く。
あっ、とマリーが小さく声を洩らすが時すでに遅し。完全に開かれた先にはすでにアリエスがいて、椅子に座って待っていた。
何の気負いもない俺は先に部屋に入ってアリエスの対面の席に座る。
遅れてマリーがおどおどと俺の隣に腰を下ろした。
アリエスといえば俺たちの様子をつぶさに見詰めながら、一言も話すことなく待ち続けていた。
そんな師匠の様子にマリーがようやく何かが違うと気付き始めたようだった。
こちらが落ち着いた頃合を見計らって、アリエスは口を開いた。
「二人ともようやく来たね。遅かったようだけど、何かあったかい」
「いや、ちょっと俺がマリーを探すのに手間取った」
実際は違うのだが、ここは嘘をついておく。
アリエスの話す内容によってはやぶ蛇になりかねないと思ったからだ。だからマリーを気遣ったわけではない。
隣に座っていたマリーが声を出さずに、え?という表情でこちらを振り返る。
臨機応変に、とは期待していなかったがもう少しリアクションを薄くして欲しい。
「ふぅん。まぁいいさ。それで肝心の話ってのはアンタたち二人のことさ」
「俺たちのこと?」
「それってどんな話ですか?」
マリーと一様に首を傾げる。心あたりはどちらにもないようだった。
「アンタたちがここに来てからどのくらいの時間が経ったかわかるかい。ミコトは三年、マリーは五年さね」
「そんなになりますか……」
「そうさ。アンタたちも随分と大きく成長した。自分ではあまり気付かないかもしれないけどね。……本当に大きくなったよ」
しんみりとした口調の後に、ま、それでも強さではアタシに適わないけどね、とアリエスはお茶らけた。
成長……ね。
確かに俺は身長も伸びたし、手や足のサイズも大きくなり、以前は着れた服も着れなくなったりと成長はしている。
それはいつのまにかという表現がぴったりと当てはまり、ふとした時に気付くようなものだった。
だが不安もある。このままでいいのだろうか、と。
俺はあいつに匹敵するほどに強くなれるのだろうか、と。
体は成長し続けるが、ステータスもそれと共に上がっていくという保障はない。
最近、俺のステータスは上がり幅が良くない。時間で言えば半年前から。
所謂、ランクの壁というものにぶち当たっていた。
めきめきとステータスの向上を遂げていた初めの頃とは違い、一向にステータスが変化しなくなってきたのだ。
そんな俺の心を見透かすように、アリエスは言葉を続けた。
「だから、ってわけじゃないけどね。近々、アンタたちの卒業試験をしようと思う」
「えっ、師匠?それってどういう意味ですか?」
「言葉の通りだよ。合格すればアンタたちはここから出て行ってもらう。いつまでもここにいるわけにもいかないだろう」
「そんな……」
「…………」
「それにマリー。アンタは誘いが来ているんだろう?いつまで待たせているつもりだい」
「そ、それは……」
意味深なやりとりをする二人だったが、俺はそれどころじゃなかった。
黙っていたのもアリエスの言葉に納得しているわけではなく、自分の感情を抑えるのに必死だったからだ。
結局、その後はアリエスが一方的に喋るだけでマリーと俺は口を噤んだまま無言を貫き、その場は解散となった。
「おい、お前どういうつもりだ」
ショックを受けている様子のマリーがふらふらと居間を出て行ってしばらく経った後、俺はきつい口調でアリエスに問い詰める。
マリーがいなくなった今、感情を抑える必要はない。
端的にいって俺は怒っていた。憤怒していたといってもいいだろう。
それはアリエスが俺との約束を守るつもりがないと知ったからだった。
「なんだい怖い顔をして。綺麗な顔が台無しだよ」
「ふざけるなよてめぇ。俺と交わした約束、守るつもりがないのか?」
どうしようもなく苛立った俺は握り拳で力任せにテーブルを叩き込んだ。
激しい音を立てながらドンっと揺れるが、アリエスは微動だにもしなかった。尚更それが腹立たしい。
怒りの理由は言わずもがな、アリエスが俺と戦うことを反故にしたからだ。
こいつは以前に俺と戦うことを卒業試験にすると口にした。
なら何故アリエスは先ほどアンタたちの卒業試験をする、と言った?
俺と戦う意志がないと言っているようなものじゃないか?
「落ち着きな、ミコト。アンタが何に怒っているのかは大体想像がつく」
「知った風な口を利くなと俺は以前に教えなかったか……?」
「やれやれ。全く、アンタって子はそんな所は変わらないね。いいかい、アンタのそれはただの早合点さ」
「なんだと?」
「アタシは二人の卒業試験、と言った。二人の、ね。ミコト、アンタとの約束は別に果たすつもりさ」
言葉遊びのようなものだが、それならば一応の説明はつく。ややこしいことこの上ない。
つまりは二人セットでの試験というわけだろう。
どうしてそんなことをしなければならないのか俺にはよくわからなかったが、約束を破るつもりがないのならそれでいい。
「ッチ。紛らわしい」
「事前に話しておけばよかったさね」
「全くその通りだな」
不遜な俺の態度にアリエスは苦笑する。
苛々しながらも俺はアリエスをきつく睨んで確認することにした。
「俺一人の試験もちゃんとやるんだな?」
「あぁ、そう何度も聞かなくてもちゃんとやるさね。そうさね、二人の試験が終わった一週間後としようか」
「ふん。ならいい」
最早用はない。俺は踵を返して居間を出ることにした。これ以上話しても平静ではいられないだろう。
静まらない怒りを未だに引き摺り、足音強く歩いていく。
「ミコト」
背中に声が掛かったのは入り口まで後少しといった所だった。
今振り向けば感情を逆立てていらぬことを口にしそうだったので、振り向かずに努めて平静な声を意識しながら返事を返した。
「まだ何かあるのか……?」
「アンタはどうしようもなく……裏切りという行為が憎くてたまらないんだね」
「…………」
心臓を直に掴まれたかのような感触がした。アリエスの言葉に衝撃を隠せない。
俺は、裏切られたと思ったのか?だからこんなにも怒っているのか?
あんなにも誰ももう信じないと繰り返し心に刻んでいたのに、また俺は同じことを繰り返していたのか?
そう、約束。
約束とは相手を信じなければ成り立たない。
契約書でも何でも、他に誓わせることだって出来たはず。なのに俺は言葉だけで……信、じた?
嘘だ。
嘘だ!嘘だ!!
俺は、俺はもう誰も信用なんてしないっ!誰も信じない!!
気付けば俺は脱兎の如く駆け出していた。何かから逃げるように。
だからアリエスが零した最後の言葉も俺には届くことはなかった。
「ミコト……アンタはまだ何処かで信じようという気持ちがあるんだね。なら、アンタは復讐者なんかにならない。それはきっと……」




