第十二話 年月は更に過ぎ去り
日々の激しい修行に体は追いつくことばかりに必死で、時はいつのまにか過ぎ去っていく。
思い出を作る暇さえもなく、そんな余地があれば全て力を付ける為に尽くしていく。
山に暖かな春が訪れようと、生命が謳歌する夏が訪れようとそれは変わらない。
二度目の冬も変わらずに。
三度目の新しい年が始まろうと俺は俺のままでいた。
そうして地道に積み重ねた力は確かに自分の身に宿っていっていた。
足腰を鍛えることで柔軟な動き、そして風を切るような素早さを手に入れた。
それと共に無駄のない動きを徹底的に考え、より思考を加速させるように最適化させ続けた。
スキルではなく本来の自分の思考力を鍛えることで、総合的に力を上昇させていた。
アリエスがスキルを使うな、といった理由はここにあったのかもしれない。
ブーストを加味すれば魔力を失った前よりも強くなったという自信がある。
体力的な面でも見劣りはしない。
トール山を登る程度ならば息を切らすこともなくなり、修行にも最後までついていけるようになった。
無様に失神する醜態を晒すことも今ではない。
休む日がない毎日を過ごした結果といえるだろう。
例え倒れようが俺にはマリーの回復魔術がある。どんな顔をされようが彼女には再び立ち上がる力を貰っていた。
「それでも身長はあんまり伸びなかったな……」
トール山に連れてこられてから三年目。俺がこの世界に生まれ落ちてから十一年が経ったこの日。
透明度の高い水面に映った俺の姿は、昔と比べると十センチ程度は伸びていた。
元々身長は高くなかったからおそらく同年代の平均より大分下だ。
筋肉はそれなりについているから、真っ裸になれば普通の男には見劣りなんてしないのが幸いだった。
それでもごつごつ、というよりしなやか、という言葉が似合う筋肉の付き方で少し不満だったが。
相変わらず見た目は女にしか見えない。まぁそれは今更だろう。
これが俺の顔として付き合っていくしかない。
朝一の水汲みを終えて俺は湖を後にした。
揺れる金髪を後ろに流しながら俺は小屋の廊下を歩いていた。
今となっては見飽きた丸太を削って出来た木の床をどんどん進んでいく。
直進してから突き当たり、その右手の部屋が目的地だった。
大した広さはないのでものの数秒で部屋の前に辿り着く。
扉は半開きになっていたが一応のマナーとして俺はノックした。
部屋の主がその程度で起きるとは到底思えないが、試しは試しだ。雷に打たれる確率程度には可能性はあるかもしれない。
そんな一千万分の一の日はどうやら今日ではないようだ。
一向に返ってこない反応に少々のため息を零しつつ、俺はゆっくりと戸を開いた。
「くかー。くかー」
明かりさえつけず、朝だというのに窓さえも閉めきった部屋の中は真っ暗だった。
気持ちのよさそうな寝息だけが響いている。
この女にしては案外可愛らしい寝息だと表現すればいいのか、そもそも部屋中に響いている時点で論外だと言えばいいのか迷い所である。
そんなどうでもいい葛藤を振り払って俺は真っ先に窓へと向かった。
空気が篭っていて鼻につく。女の甘ったるい匂いというのだろうか。
ともかく、空気を入れ替えるという意味でも空気の洗浄は必須だった。辿り着いた矢先に俺は窓を開け放つ。
「ん、んんー。……まぶしいさねー。まぶしい!」
唸り声を上げて寝転がっていたそれは、最後の抵抗と言わんばかりに顔をベッドに押し付けた。
往生際の悪さは今に始まったことではない。軽くスルーしてもう一つの窓も開放した。
朝焼けは確かに眩しかったが、この部屋が暗すぎるだけで慣れればどうということはない。
山特有の澄んだ空気も心地よい。
こんな日にいつまでも寝転がっているこの女、アリエスが不健康と言うものだろう。
「ほら、さっさと起きろ。朝飯が出来てるぞ」
全く、何で毎度毎度俺が起こす役を担っているのか不思議でならない。
再三マリーには代わってもらうように言っているのだが、聞き入られることはなかった。
不承不承の感情を滲ませながらアリエスに声を掛ける。
のっそりとアリエスが顔を上げれば糸目に油断しきった表情。キリッとしてれば美人なのに台無しだった。
「今日の朝ごはんはー?」
「いつもと変わらん。パンに昨日の夕飯の残りだ」
「……昨日はシチューだったかい?ミコトが作った」
「そうだな」
料理というものにも挑戦している所だった。
修行に余裕が出来た頃合を見計り始めたもので、腕はそこそこといった感じだろう。
これからのことを考えれば出来るに越したことはない。
返事を聞くや否や、無駄な運動能力を発揮してベッドから跳ね起きて床に着地するアリエス。
包まっていた毛布も一緒に宙を舞う。誰がこれを片付けると思ってんだ……。
「しゃっきり全開!アタシ、ミコトの料理好きさね。朝ごはんー」
「そいつはどうも。それよりちょっと待て。それをまず先にどうにかしろ」
それを俺は指差しながらアリエスに注意した。ちなみに毛布のことではない。
アリエスの上はいつものタンクトップ姿なのだが、下の方は下着のみでカモシカのようなしなやかな足が丸見えだった。
男女問わず寝る際に服を着ない輩はいるようであるが、アリエスもその類だった。
「いいじゃないかい。減るものでもないし」
「俺も別に構わんが、マリーが怒るだろう……」
何度かアリエスが下着姿で小屋の中にうろついては、顔を真っ赤にして怒っているマリーの姿を目撃している。
どうもこの女、普段はだらしないと言うより自由奔放なスタイルであるようで、マリーはいつも振り回されていた。
マリーにはいつも治療してもらっているので、少しぐらい借りを返しても罰は当たらないだろう。
アリエスが聞く耳を持つのは彼女の気分次第。
どうやら今日は言うことを聞く日であったようで、いそいそと着替えに勤しんでいる。
「ミコト!パンに浸して食べるシチューは正義!全部食べないようにマリーを見張るさね!」
気分がいいのではなく食欲のせいだった。
弟子を警戒する師匠とかどんだけだよと思わなくもない。だが、こと食事に限ってはこの二人はライバルらしい。
一応マリーに言ってはみるが、あまりに彼女に対して失礼な発言ではないだろうか。
いや、そう言えば今朝のマリーは俺にアリエスを起こしに行ってくれ、と言った時にシチューが入った鍋ばかり気にしていたような。
……まさかな。
「ミコトがアタシを邪魔するから食べられなかったさね……」
恨みがましい声を背中に受けながら俺は洗い物をしていた。
食事の担当は主にマリー。時々俺。アリエスは食べる専門。
洗い物に関しては三人の当番制であり、今日は俺だった。
今朝組んできたばかりの湖の水を使いながら、食器の汚れを落としていく。
朝飯の品数は多くなく、三人分ということもあり時間はそんなにかからなかったが、背中にチクチクと刺さっている視線が鬱陶しい。
恨み言も未だに継続中である。だが正直な話、俺に非はなかったと言いたい。
作り置きするつもりだったから軽く三人分はあったんだぞ?
まさか俺がアリエスを起こしている間に平らげられるとは思わなかった。
家政婦は見た張りに、アリエスの部屋を後にした俺が現場を目撃した気持ちも察して欲しい。
口の端にパンくずとシチューの残りという証拠を顔に貼り付けたまま、スプーンを口にくわえたマリー。
振り返った彼女の顔はひくついていて、何とも言えないような表情をしていた。
何を言えと。
固まった空気のまま数秒経ち、その後にアリエスがようやく現れてまた一騒動、という顛末だった。
「そんなに食べたかったのなら起こしに来る前に起きるんだな」
食器を大体洗浄した後、十分に綺麗な布で拭いてから棚に戻す。
一仕事終えた俺はそんなことを言いながら机に突っ伏していたアリエスを振り返った。
アリエスは不満げな顔のまま頬を机に引っ付かせていた。
俺は何処吹く風で手に付いた水気をタオルで拭い、それから台所を後にする。
マリーはこの場にはいないからおそらく逃げたのだろう。
俺もそれを倣うことにする。食い物の恨みは恐ろしいというしな。
修行の時間でもないし、俺は自室に足を向ける事にした。
だがその前にアリエスの声に足を止めることになる。恨み言のようならば無視をしたのだが、どうやら違うみたいだった。
「ミコト、話があるんだけどいいかい。それとマリーも一緒に。二人に話がある」




