第十話 雪、激しさ増すその中で
高速思考を発動していたに関わらず、アリエスの初動を捉えることは出来なかった。
今までありえなかった事態に、しかし動揺するばかりではいられない。
即時の判断を下さなければそれこそ次の瞬間には地に伏せているだろう。
俺はほとんど本能的に空を見上げた。
果たして、そこにはすでに下降し始めているアリエスの姿が。
自由落下に身を任せている為にまだその姿は捉えきれる。だがそれでも回避するには時間が足りない。
苦し紛れにその場を離れようと後退するが、その前に人間規模の隕石の如くアリエスは降り注いだ。
轟音。
至近距離で爆発でも起こったかのように雪は弾け飛び、俺もそれと一緒に飛ばされる。
アリエスの攻撃は直撃せずに俺の目の前の地面に叩き込まれたようだ。
それでいてこの威力。
スラム街で出会ったあの男を彷彿とさせるが、スピードが桁違いに速い。
「何のつもりだ、テメェ」
雪のクッションのおかげで俺は傷一つ負うことはなかった。
雪まみれになった顔を乱暴に手で振り払いながら、俺はアリエスに問う。
今の一撃は当てようと思えば当てられたはずだ。外したのはわざととしか思えない。
「今のはアタシの実力を教えるようなもんさ。アタシはミコトの力を大体知っているからね」
「騎士道精神とでも言うつもりかよ」
「騎士道……そんな大したもんじゃないけどね。これは勝負だから。互いの力を知った上での試合だよ」
「…………。勝ち負けなんてどうつけるってんだ」
「アタシはミコトに攻撃を仕掛け続ける。ミコトはその中でアタシに攻撃を一度でも当てたら勝ちだよ」
「……俺が負ける条件は?」
「アンタが根を上げるか、意識を失うかのどちらか」
「ハッ。根を上げるなんて絶対にしねぇよ……」
それこそ死んでもお断りだ。諦めが悪いからこそ今も俺は生きているのだから。
鼻で笑いながら俺は立ち上がった。ぽろぽろと体中についていた雪が落ちていく。
雪の降りしきる勢いは次第に増していき、視界を妨げるほどだったが気にならない。
高揚感からか寒さをあまり感じなくなってきた。
手足を一度動かしてどこにも問題がないことを確認する。無事だ。支障はない。
「攻撃を当てるだけじゃなくてアンタを倒しても構わないんだろ?」
「出来るならやりなよ。身の程を知る事になるだけさ」
「上等だ」
戦力差なんて知ったことではない。試合だ、手合わせだ、勝負だとのたまうこの女の言い分も知らねぇ。
殺意をぶつけてきたんだから、それ相応の対処をするだけだ。
……いや、それも言い訳だ。
胸の内を正直に明かすならば、俺はこの女を……。
焦がす気持ちはどうしようもなく俺を奮い立たせる。はやく、はやくと急かしている。
内から湧き出る熱は黒い炎。
熱い。胸が本当に焼けるように熱い。
荒く息を繰り返した所で一向に収まる気配がない。胸を掻き毟っても無駄だった。
心の声がずっと木霊している。別の誰かがいるように囁いている。
焼き尽くせ、目の前にいる敵を。
喰らえ、復讐という名の甘美な美酒を。
果たせ、守らなければならない約束を。
「…………」
「もはや語る口なし、か。いいさ。わからないなら、わかるだけ叩き込むまでさね」
思考の中だけならば俺は誰よりも速くなれる。
誰にも及ぶことがない、孤独の王へと至れる世界。
ずっと願っていた。一度目の人生を終えるその日まで。願いが叶ったのはだからきっと必然なのだ。
移ろい行く時の中で、俺はその先の先へと辿り着くことができる。
なのに何故、この女はそれさえも凌駕する?
雪の上でのアリエスの動きは障害を物ともせずに疾風と化して襲い掛かってくる。
弾丸のようなあの球さえ遅く感じる程に速い。
間にあった距離など始めからないに等しく、容易く懐に入られてしまう。
「ッチィ!」
「秘密の答え、魔力操作。それは魔力の活性化により体の限界を引き上げる方法」
「くそったれ!」
「だがそれは一面にしか過ぎない。例えばこんな風に雪が降るような寒い日でも薄着でいても気にならないように出来る」
「っく!」
「何でも出来る万能な力じゃない。けれど本人次第で色んなことが可能になる」
「っはぁ、っはぁ……」
この間にもアリエスは喋り続けながら格闘戦を繰り広げていた。
高速思考による擬似的な未来予測も対象が速すぎては役に立たない。
俺が未だに息を荒げているだけに済んでいるのは、アリエスが全ての攻撃を寸止めしているおかげだった。
悔しいという気持ちが湧く暇さえない圧倒的な連撃。
全てに殺気が込められており、当たらないとわかっていても回避しようと体が勝手に動いてしまう。
それも寸止めされてから動いてしまうので、何の意味もない。
今俺は寸止めされなければ、何回の攻撃を受けていたのだろうか。
十回か?百回か?それさえもわからない。
「ミコト、アンタのブーストは荒すぎる。精練さがない。無駄が多すぎる。力任せにMPに頼り切っているだけさ」
「っるせぇ!!」
ごちゃごちゃと御託を並べるアリエスに力任せに拳を振り下ろした。
相手のカウンターも考えない無謀な一撃。
感情的になった攻撃がアリエスに届くはずもなく簡単に受け流される。
「攻撃に移るのならば最適な場所に魔力を流し込む。そうすればより鋭く、より速く打ち込める」
まるでその言葉を実戦するかのように綺麗な正拳突きを披露するアリエス。
動きも読めず、体が流されたままの俺では回避など絶対に不可能だった。
無論、それさえも俺の体に触れることはなかったが。
精神的な疲労は著しく、死んだと思ったのは一度や二度ではない。
「うあああああああああ!!」
「魔力を逆に放出させることで魔術とは違った現象を生むことも出来る。こんな風に」
奮起するように叫び突撃する俺に、アリエスは優しく羽で触れたかのような柔らかさでとんっと俺の胸をその手で押しとめた。
運動エネルギーは一瞬にして零になり、そこから押すことも引くことも出来なくなってしまう。
「何、だ、これ……ッ」
「捕まえているだけだよ。そして……"崩撃"」
それは始まった攻防の中で初めてアリエスが俺に直接触れて、そして初めて直接的な攻撃に移った瞬間だった。
崩撃、とアリエスが口にした直後、押し出した彼女の手の平から何かが発生した。
おそらく魔力操作の一環。
アリエスの言葉を借りれば魔力を手の平から放出したのだろう。
ただのそれだけ。
しかしそれだけのことで、俺の体の内を激しく揺さぶられた。
内臓器官をぐちゃぐちゃに混ぜたかのような激震が全身を駆け巡る。
あまりの衝撃に息の仕方さえ忘れ呼吸がうまく出来なくなり、立っていることさえ難しい。
太い木の杭でも腹にぶちこまれたかのような感覚。
だが不思議なことに痛みという痛みはなく、体の動きを止められただけで他に害はなかった。
(無力化させることに特化した技……)
ずるずると体はずり落ちて、気付いた時には頬に雪の冷たい感触が訪れていた。
地面に倒れてしまったのだろう。頭を少し動かすだけで精一杯だが、雪の白い地面が視界に広がっていた。
視界の片隅にマリーの姿が見えた。
激しさを増した雪の中ではおぼろげな姿しか見えない。
見っとも無い俺の姿を見て笑っているのかもしれない。それともまた同情の瞳で俺を見ているのだろうか。
思考が霞んでろくに考えられない。
アドレナリンの放出も抑えられてきたのか、一気に冷気が全身に感じられるようになった。
「技を覚えるのは無理かもしれないさね。でも魔力の流れを今よりもうまく使えるようにすることは出来る。
ミコト、アンタならもっともっと強くなれる」
アリエスの言葉もどこか遠くに聞こえている。
そんな中でも強さという言葉だけはしっかりと耳の中に残っていた。
俺が求めて止まないもの。今の俺にはないもの。
「だから今はゆっくりとお休み。次にやるときにはもっと容赦しないからね」
そんな辛辣な言葉の割には優しい声色で誰かが囁いていた。
暖かい。
さっきまで寒くて凍えそうだったのに今は何かに包まれるように暖かい。
この暖かさを俺は知っている気がする。
雨の中で誰かに抱き抱えられていた、そんなあったかも定かではないあやふやな記憶。
そうしてすぅっと意識は遠のいていく。
それが俺とアリエスの初めての勝負のことだった。