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思考進化の連携術士  作者: 楪(物草コウ)
第二章 少年期 魔術学校編 『繋げる者』
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第八話 ある月夜の事

 夜も更けた頃、トール山の麓にある小屋の中で少年は深い眠りに陥っていた。

極度の疲労と精神的な疲れにより、あれからずっと起きることはなかった。

ベッドの上で身じろぎ一つ取らず穏やかな寝息を立てている。

 そんな部屋の明かりを消し、そっとドアを閉めていく人物がいた。

その人物――マリーは廊下で何かを考えるようにしばらくドアの前で立ち尽くした。

思い出すのは昼間の出来事。

アリエスとミコトの苛烈な修行の風景。いや、そもそもあれが修行といえるのだろうか。

思い返すだけで少女の中から沸々と湧き出すものがあった。

その矛先を向けるべき相手に会うために彼女はその場を後にする。

マリーは静かな怒りに震えていた。


 闇の中にぽっかりと浮かぶ月は美しく、幻想を夢見させる。

淡い光に照らされた風景も昼間とは違う顔を覗かせていた。

あの湖に行けばさぞかし風靡な光景が拝めることだろう。

残念ながらこの小屋からではそれは望めない。

開けた場所に小屋は建てられている為、空を眺めることは存分に出来るだけましといったところだろうか。

杯に満たされた無色透明な飲み物をぐいっと仰ぎながら、アリエスは沈黙を肴としてそんな風景を眺めていた。

きぃ、っと背後で扉が軋む音がしても彼女は振り向かず、ただ月を眺めるだけに留まる。


 「綺麗な月夜さね」


 自分でも柄じゃないと思いつつも、彼女はそんな一言を零した。

普段なら彼女がそんなことを口に滑らせれば、笑い声の一つでも上げるだろう。

特に後ろにいた少女ならば。

聞こえていないはずはないのに返答はなかった。

彼女もそれは期待していなかった。だから何事もなかったかのように杯を傾けてもう一口、喉に流し込んだ。


 「どうして……」


 その囁きはか細くて、この静かな夜に吸い込まれそうなほど小さかった。

だがアリエスの耳にはしっかりと届き、手を止める。


 「どうして、師匠はあんなことしたんですかッ……!!」


 搾り出したかのようなマリーの声には切実な程の怒りが込められていた。

初めてではないだろうか、とアリエスは思った。

少女がこんなにも感情をあらわにしたのは。

よく笑う子だと思う。気立てもよく優しい。食欲が旺盛なのが玉に瑕だが、そんな隙がある方が魅力的だろう。

でも誰かにこんなに激しい感情をぶつけたりはしない子だった。少なくとも、今までは。

だからアリエスは少々の驚きと共に喜びも感じていた。

 マリーの見えない位置から笑みを一瞬だけ零し、それから体ごと振り向く。

真正面から対峙したマリーは厳しい瞳でアリエスを見据えていた。


 「あんなことって今日のことかい?」

 「あれ以外に何があるって言うんです!?ミコトを一方的にひどい目に合わせて!」

 「始めはあんなものさね。あの子が強くなろうとすれば、今日のだって糧になる」

 「それでもあそこまで追い詰めなくてもよかったんじゃないですか!?」

 「マリー。アンタは知らなかったかい。能力の上昇は危険になるほど伸びが良くなるんだよ」


 例えばギリギリの瀬戸際、命を失うようなピンチに陥った時。

その危機を乗り越えた時、人は急激な成長を遂げる。比喩でも何でもなく、ステータスが劇的に向上するのだ。

それこそランクの壁――ランクを上げようとすると途方もない労力がかかる。それを一般的にランクの壁という――を一息で飛び越すぐらいには。

 ただ、無闇矢鱈に死に掛けてもいいわけでもなく、また一つしかない命を気軽に掛けられる者がいるはずもない。

定説がなく、やり方もリスクが高すぎる。だから好んで試そうとする者は多くない。

それにしてもやり方は他にもあるだろう、とマリーは思っていたが、強さに対するミコトの執着のことを考えると反論することが出来なかった。


 「アタシは手加減をしていたし、ヒーラーであるアンタも傍にいた。危険なんて皆無さね」

 「師匠……。師匠も知っているでしょう?ミコトの体にある傷跡のこと」


 それでもどうしてもマリーは認められなかった。だって知っているから。

あの館に閉じ込められていたこと。傷跡から察することが出来る残虐な行為があそこで行われていたことを。


 「それなのに師匠は平気で痛みをミコトに与えるんですか?そのせいであの場所にいた記憶が蘇るかもしれないのに」


 きっとあの場所にいたことなど思い出したくもないに違いない。

そうマリーは思っていた。だが、


 「あの子は……ミコトはそうじゃない気がするんだよ、アタシは」

 「そうじゃない……?」

 「うまく言葉にできないんだけどね」


 そう言ってから杯に残った僅かな酒を飲み干した。ほろ苦く、喉を熱くさせる。

今の感情も一緒に飲み込むようにして腹に落としていく。それ以上言葉は続かなかった。

風に揺れる木々のざわめきが二人の間に流れていく。

しばらくの間、静かな時が流れた。

その間もアリエスはマリーをじっと見詰め、マリーも視線を逸らすことはなかった。

五分か十分か、そのまま二人は声を出すことはなかった。

 一時の風が休まり、木々のざわめきも落ち着きを取り戻した頃合にマリーは口を開いた。


 「止める気はないんですね」

 「ミコトが自分から止めると言わない限りないさね」

 「言えないのかもしれませんよ」

 「そんなタマじゃないさね。最初にあの子から条件を突きつけてきたぐらいだ」


 その時のことを思い出してアリエスは笑う。

傲岸にして不遜、とでも言うのだろう。あの年齢にしては不釣合いな言葉だが、そっくりと当てはまる。

戦えと言ってきたミコトの表情は抜き身の刃のように鋭く、ふざけた返答を許さなかった。

だからこそ笑いのツボに入ってしまったわけだが。

くつくつと笑うアリエスに深い溜め息をもってしてマリーは応える。

何も納得はしていないが、アリエスにこれ以上何を言ったとしても無駄だということはわかった。


 「わかりました。師匠、生意気なこと言ってすみませんでした」


 最後の抵抗と言わんばかりに無表情、無抑揚の声で謝り頭を下げた。

アリエスが苦笑している所を見ると、少しは効果があったのだろう。

そうして失礼しました、という言葉を残して踵を返す。

マリーが小屋に入る手前、アリエスはその背中に声を掛けた。


 「マリー、アンタのその優しさは両親のことが関係しているのかい」


 返事は返ってこない。

一瞬だけマリーは立ち止まっただけだった。




 「全く、厄介なことになったモンさね」


 手すりに腰をかけてアリエスは嘆息する。

空となってしまった杯では口直しすることも出来ず、かといって小屋の中に入って注ぎ足すのも憚れる。

マリーと鉢合わせになればろくなことにならない。

今は時間を置くことが最善だろう。

ままならないと思いつつ、アリエスは腰掛けたまま背中をぐっと逸らして視界を反転させる。

子供みたいな所業だが、どうせ誰も見ていないのだからいいだろう。

ただ上下があべこべになっただけだと言うのに、見慣れた景色が途端に何か違うもののようにみえる。

不思議だった。

ちょっとしたことで見える景色が、それを見て捉える感情が違ってくる。


 (あの二人もそこに気がついてくれればいいんだけどね……)


 一つの事に集中しているから他に何も見えない。大事なものは一つだけとは限らないのに。

それをうまく伝えられればいいのだが、あいにくアリエスはそこのところは器用ではなかった。

物理で教えるのは得意なのに、そう唸っていた所、油断した隙にバランスを崩してしまう。


 「おわっ、と!」


 あわや頭から転倒かと思われたが、神掛かった身体能力で空中で回転し、すたっと足から降り立つ。

擦り傷一つさえ負わず完璧な着地を披露した。

観客がいないのが残念なぐらい見事なものだった。

それはアリエスも理解しているのか無性に悔しくなってしまった。

 ふと。

その時に思い出した。いつも無茶をして危ない目に遭っていたアリエスにはらはらしていた親友のことを。

そんな親友が今のアリエスを見たら、きっと拍手してくれるに違いない。

いつもの間延びした声で、わーすごいね!アリエスちゃん!と言ったことだろう。

そんな懐かしいことをアリエスは思ってしまった。


 「あの子を見ているとアンタを思い出すよ……。中身は似ても似つかないのにね」


 大切な仲間だったあの娘の忘れ形見。

だからアリエスにとってどんなに厄介なことでも投げ出したりはしない。

例え憎まれようと、彼女は自分の流儀であの子の手助けをすると決めたのだから……。

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