第七話 避けゲー
山登りの訓練が始まって一ヶ月が経った。
筋肉痛を翌日に引き摺らなくなった頃合を見はかり、アリエスは山登りだけではなく雑用まがいの筋力トレーニングも日課とした。
薪が足りないからと俺の背丈半分ほどの斧を渡され切らされたり、水が足りないからと山の奥深くの湧き水を汲んでこいだとか。
子供の体にはなかなかハードな日常。
まめが手足に出来ては潰してはの繰り返しの毎日。
痛みには慣れていたのでそこは問題なかったが、あまりにひどい時はマリーに回復魔術をかけてもらったりしていた。
一日中体を動かすことも珍しくない。
月日が経つのが早いと感じるほど濃密な時間だった。
細身だった俺の体も筋肉が付き始め、多少は改善された。
無茶苦茶なトレーニングばかりだと思っていたが、こう見るとバランスよく鍛えられているから不思議だ。
だが強くなっているという実感はない。
ステータスは一応上がってはいるが、あれから戦ってはいないからよくわからない。
アリエスが模擬戦さえしないのはまだその段階ではないと思っているのか。
まぁどの道、約束さえ守ってくれるのならば文句はない。
そんな風に思っていたある日のこと。
いつものように山の中腹に辿り着いた時、今日は何故かアリエスがその場で待っていた。
初日を除き、彼女はいつもならば小屋で待つようになっていたはずだった。
付き添い、というかマリーはいつものように俺と一緒に登っていたのだが。
珍しい客に少々驚いていた俺に、先に声を掛けてきたのはアリエスだった。
「大分余裕をもって来れるようになったみたいさね、ミコト」
「おかげさまでな。普段からこれ以外にもこき使ってくれているアンタのおかげだよ」
「どれも修行の一貫さ。身になっているのはわかるだろう」
確かにそれは本当のことでもある。
最初に登った時と比べると雲泥の体力が身についている。
休憩なしでも登れるようになり、かかる時間も大幅に短縮できるようになった。
だがたまにマッサージをやらされたりするのも修行だと言うつもりだろうか。しかもやってる最中の注文が多くてとても面倒くさい。
俺が言及したいのはそこの所だった。
諦めが肝心、と達観するつもりはないからこうして皮肉交じりのささやかな抵抗ばかりではあるが。
現状を知っているマリーはただ苦笑しているだけだった。
「師匠、今日はどうしてここにいるんですか?」
「おっと、本題はそれさね。そろそろ次の段階にいこうかと思ってね。毎日山登りだけでも飽きてくるだろう」
「あたし山に登るの好きですよ。自然の中にいると澄んだ気持ちになれますから」
「マリーはそうでもミコトはそうもいかないさ。ねぇ?」
肩を上げてこちらを見るアリエスに、見透かされた気持ちになった俺は憮然とするしかなかった。
洞察力が高いのか、アリエスには時々こういう所がある。
微塵にも態度に出していないはずなのに。現にマリーの方は少し目を見開き驚いていた。
「だから今日はこういうものを持ってきたよ」
そう言いながらどこから出したのか、拳大のボールのようなものを取り出した。
真ん丸い形に青みのある色が全身をコーティングしている球。
見た目はそれだけでこれといって他に特徴はなかった。
そんなもので何をしようというのか。まさか野球でもするつもりか?
「あーっ!!師匠!それはっ!!」
「マリーは知っているね。ミコトはこれがなんだかわかるかい」
「いや、知らない」
俺は素直にそう答えたのだが、マリーの大仰すぎる反応が気になる。
見ればマリーは脂汗をかいてがくがくと震えているではないか。
嫌な予感が雪崩のように押し寄せてくる。少なくとも、あの反応を見れば遊びをするわけではあるまい。
「これはね、一種の魔道具さ。投げたりして遠くにやっても手元に戻ってくる子供の遊び道具さね」
「酔狂な物を作るもんだな。魔道具はそれだけで値段が張るだろうに」
「貴族の連中用だろうねぇ。まぁこれはその効果ともう一つ、強くなるようにしてある特注品さ」
「強く?どういう意味だ」
「こんな風に……」
と、アリエスは投球のモーションに入り、山の壁に向かって思い切り振りかぶった。
腕の振りが残像を作り、ボールは音を置き去りにして発射された。次の瞬間には爆発と炸裂音が辺りを木霊する。
壁にボールがぶつかった音とは思えない爆音。
ぎょっとしながら土煙がたった壁を見れば、そこが投げ込んだ所なのだろうと予測はついた。
少しした後に煙が晴れ、そこには壁に亀裂を走らせめり込んでいる青い球が見えた。
冷や汗がたらりと頬を流れる。どれだけの力を込めればあんなことが出来るのか。
この女は本当に人間なのか、と疑問を持ち始める。
「投げても壊れない。タフさねー」
「…………」
「ミコトにはこれを避けてもらう。遊びみたいなもんさね」
「あんなの当たったら死ぬからなっ!?」
遊びどころかこれでは死のゲームである。当たれば即人生のゲームオーバー。
当然の如く猛反発する。いくら修行らしくない修行をやっていた俺でさえも承諾できない。
もしかしてマリーはコレをやったからこそあんな反応をしたのか。
まだ生きていることを考えれば、俺みたいに嫌がってやらなかったのかもしれないが。
「ミコト。それ相応に強くなろうと思うなら、危険なこともしないといけないさね」
「ぐっ……」
強くなる。
それは俺にとっての殺し文句でもある。何が何でも強くなりたいという気持ちは常に心の中にあるのだから。
真摯な顔でそう諭すアリエスに心が動かされそうになる。
「安心しな。今のは肩慣らしだからミコトに向かって投げる時はもう少し手加減するよ」
あくまでも最後までその真剣な表情を崩すことのなかったアリエスに、俺は渋々に頷くことになったのだった。
彼女の言葉を全面的に信用するということではなかったが、俺に向けてまさかあの殺人ビームを投げ込むことはないだろう。
そんな考えを抱え込みながら、早速といった感じでアリエスとの距離を離していく。
中腹にあるこの場所はそう広いものでもなく、せいぜいがキャッチボールが出来る程度の広さである。
目算、十メートル程度離れた所で立ち止まる。
俺の背後は崖になっているが、あの魔道具ならば問題はないだろう。
対面にアリエスが肩を回しながらボールを弄んでいた。
非常にリラックスしているようで、こちらの心中など一向にわかっていなさそうで腹が立つ。
山の壁際に退避しているマリーは悲壮な表情で俺の方を見ていた。
その顔はやめろ。ろくでもない未来が待っているみたいじゃねぇか。
「さてと。そろそろやろうかね。ミコトは準備いいかい」
「いいぞ」
言葉少なにそう返事をすると、アリエスはゆっくりとした動きで投球に入る。
まさしく今から投げますよ、と言わんばかりの動作だった。
先ほどの光景が目に焼きついていた俺は油断することなく身構えた。
高速思考のスキルは勿論始めから発動しておく。
どこを狙われるのか見当もつかない。あの球の大きさから面積が大きい所に投げ込んでくるか。
様々な思考が導き出す未来を模索しつつ、果たしてその第一球は放たれたのだった。
考えが甘かったと思い知らされたのそれからすぐのこと。
何処に手加減の余地があったのかと思うぐらい、アリエスの投げる球は速かった。
四肢を豪速球が打ち抜いては一撃の元に使用不能にされ、腹部に突き刺さっては胃液を強制的にぶちまけられる。
朝飯を抜いておきな、と今朝方言われたのはこれのせいかと今更ながら気付く。
スキルのおかげで捉えきれないわけではないが、体がその動きについていかない。
投げられた後ではすでに遅く、アリエスの動作から事前に何処に来るのか予測しなければいけなかった。
それでも避けられるかどうかは五分五分。
球にぶち当たればそれこそ手痛いダメージを受けてしまう。
ヒビの一つや二つ出来ていてもおかしくはない。
合間合間にマリーに魔術で治療してもらってはいるが焼け石に水だろう。
いくら魔術によって回復が出来るとはいえ、無茶苦茶すぎる。
……いや、魔術で回復できるからこそこうやって無茶をしているのだろう。
「治療前提の修行とか、どこの熱血漫画だっての……くそったれが」
悪態をつきながら立ち上がる。
球が体に衝突したのはこれで何度目だろうか。
比喩でも大げさでもなく、まさにあの球は衝突してくるのだ。
痛みだけではなく衝撃といった面でも体中に響いていく。
魔術にも限界があるのだろう、そういった部分で癒しきれていないのか体が機敏さを失っていく。
そんな最中、アリエスが投げる手を止めた。
まだ治療してもらってから二回しか被弾していない。右腕と左肩に当たり、両腕は上げることができない。
だがその程度ではマリーに魔術をかけてもらうのも早い段階である。
緊張と疲れで大量の汗をかき、息も絶え絶えだった俺は遠慮なく休むことにする。
虚を突かれる可能性も捨てきれないが。
「先読み過ぎる。ミコト、アンタ今スキル使ってるね?」
「あぁ?それがどうしたってんだ……」
「使うのを止めな」
「……は?」
「でないと、先読みできても無駄な球を投げることにするよ。その球の威力がどうなるかはわかるね?」
「………………」
予測が出来ても避けられない。
つまりは避ける暇さえない速度で飛来する、まさしく必殺の威力が込められた球というわけだ。
無慈悲な宣告に冗談の余地さえ見られない。アリエスは本気だった。
本気で俺を殺すと言っている。
スキルを使わせない理由はわからないが、従う他ない。
それからが本当の地獄だった。
高速思考が使えずに自前の反射神経では避けることさえ適わなかった。
アリエスは手加減をしない。
本気では投げてはいないだろうが、高速思考を使っていた時のレベルで豪速球を投げてくる。
予備動作を懸命に紐解こうとするが間に合わない。
結局、それからマリーのMPが尽きるまで一度とて避けることは出来なかった。
強かに全身に球をぶち当てられた俺は、今度こそ意地を張る余裕さえなく自力での下山を諦めた。
誰かの背中に抱えられ、意識も薄れかけていた俺はそのまま眠りに落ちる。
何かを思うことなく、真っ白な意識にただ身を委ねたのだった。