第五話 修行の方向性
三日の時が経ち、俺の体は日常生活を送るぐらいならば支障がない程度には回復していた。
寝ているばかりともいかず、リハビリがてら外を歩いていたのも良かったのかもしれない。
散歩の目的はそれだけではなく、地理を把握するという意味もあった。
その結果わかったことといえばここが全く未知の場所であること。
見晴らしのいい場所から辺りを見回しても、馴染みのある光景は一つも見当たらなかった。
そして今、俺は小屋のそばにある小さな広場でアリエスと対峙している。
草や名もわからない花がぽつぽつと生えているだけで、後はまっ平らな所だ。
見通しがよく、障害物がない。
戦うには絶好の場所と言えるかもしれない。
「そんな好戦的な目をしたってまだ戦わないよ」
「……そんなこと考えていない」
「それにしては間があったと思うけどね。まぁ、ミコトとアタシが戦うのは……そうさね、それは卒業試験としようか」
「卒業試験だと?」
「そうさ。修行を終えるかどうかの最終試験。ミコトとの約束も守れてちょうどいいと思わないかい。結果によっては何度でも戦うようにしてあげるよ」
嬉しいだろう、とアリエスは楽しそうに目を細めて笑っているが、何度も戦うってのはイコール不合格にするってことだろうが……。
俺を完全に舐めている発言ではあるが、今は甘んじて受ける。
反骨心を漲らせた目で睨みつけた所でアリエスはどこ吹く風だった。
「さて、いよいよ修行……の前に色々と説明しなくちゃならないね」
「……その説明にあいつが必要なのか?」
あいつとはマリーのことである。
何故だかは知らないがマリーが少し離れた所で所在無さげに突っ立っているのだ。
あえて無視していたのだが、いい加減放置して置くのも限界だった。
チラチラとこっちを見ていて非常に鬱陶しい。
「いや全然必要ないさね」
「…………」
「気にしなさんな。あの子もミコトと同じアタシの弟子さ。いずれ一緒に修行することだってあるさね」
「弟子、ね……」
誰も弟子になるとまでは言ってはいないのだが、この女が俺の言うことを聞くはずもないだろう。
すげなくスルーされるのが目に見えているので突っこむことはしない。
俺の白けた視線も跳ね除けて、アリエスは言葉を続けた。
「まず始めにパワーレベリングはしない。あれは十分な成長が見込めないからね」
「パワーレベリング?」
「おや、知らないかい。レベルが高い者とレベルが低い者とパーティーを組んで魔物を倒し、その名の通り力技でレベルを上げる方法さ」
パワーレベリング。
それは俺にとって初めて聞く言葉ではない。
所謂ゲーム用語であり、簡単に言うと経験値稼ぎのことだ。
意味はアリエスが説明したものと大差はない。
ゲームのシステムによって出来ない物もあるが、大抵は一人でレベル上げするよりも大幅にレベル上げを早くすることが可能となる。
まさかこの世界でもその言葉を聞くことになるとは思わなかったが……ステータス画面のことといい、奇妙な感じだ。
「確かにレベルが上がることで能力の値はめきめき上がる。
でも基礎能力が備わっていないとランクの上がり方が悪く、レベルが高くなればなるほど差が出てきてしまうのさ」
「じゃあ十分に体を鍛えた後にパワーレベリングするのが手っ取り早いのか」
「そうさね。成長のズレをうまく修正出来るなら悪くないね」
「成長のズレ?」
「いきなり強くなっても肝心の自分が制御できないってことが多々あるのさ。むしろレベリングする前より弱くなったってケースも珍しくないさね」
力に振り回されるってことか。わからない話ではない。
身の丈に合わないものを手に入れても自滅するだけだ。
例えば赤ん坊に銃を持たせたところでうまく扱えるだろうか。下手をすれば銃口を自分に向けて撃つかもしれない。
ズレを直すにも多大な時間がかかるらしく、今のところ現実的ではないという話だ。
もっとも、楽をして強くなりたい者は後を絶たないようではあるが。
「アタシにおんぶに抱っこというのも格好悪いだろう?まぁ元々そんなことする気はないけどね。さて次は……」
そう言ってから無造作にアリエスはこちらに近づくと、いきなり俺の体をまさぐり始めた。
肩を始め、腕、肘、胸板、腹筋、太もも、足とあますことなく触っていく。
何かを探るような手つきではあったが、前触れ無く逆セクハラされた俺は気付かない。
突然のことに硬直する俺の代わりに、動転した声を上げたのはマリーだった。
「師匠!?何しちゃってるんですかっ」
「マリーも触るかい?女が嫉妬するぐらいきめ細かい肌してるよ。体もほっそいねぇ」
「触りませんっ!!」
「むしろ俺が触らせんわっ!!」
ようやく正気を取り戻した俺は妙にテンポよく会話を繋げながら拳を振った。
何事もないかのように軽くアリエスには避けられてしまい、後に残るのは陵辱されてしまった俺だけである。
師匠の突然のご乱心に顔を真っ赤にしているマリーもいるが、今はそれどころではない。
まさかこの女、そういう趣味でもあったのだろうか。
俺を無条件に引き取った本当の理由に戦慄する。
アリエスという女は女にしては長身であるが、野性味に溢れる美人でもある。
男ならばむしろ付き合って欲しいという輩は腐るほどいるだろう。
しかし、事、俺を対象にすると歳の差を考えればあまりに犯罪臭がするのである。
推定八歳の俺とおそらく二十半ばのアリエス。
歳を重ねれば少しは気にならなくなるであろう差ではある。だが今という時を考えればアウト。確実にレッドカード。
異世界は常識が違うという線もあるかもしれないが、そんなことは知ったことではない。
俺の常識で言えばありえない。立場的にも心情的にも。
思わずドン引いてしまい、距離をとるために数歩後ずさる。
「……なにやら失礼なことを考えている顔をしているけど、別にそういうことじゃないさね」
マリーと俺の疑心と軽蔑に満ちた瞳に晒されたアリエスは、心外だ、という顔をしながら弁明する。
事によっては今すぐにでもここから逃げ出さないといけないだろう。
命の危機に瀕したことはあるが、まさか貞操の危機にまで晒されるとは……。
「だからその顔は止めろっていうのに。マリー、アンタまでそんな目で見ないでもいいだろう?」
「あたしは師匠のこと素敵な女性だと思っています。でもこんな性癖は……」
「生々しく性癖って言うんじゃないよっ。全く……。さっきのはそういう意味合いのものじゃなくてね、体を調べていたのさ」
「体を……!?調べてっ……!?」
「……マリー、アンタは後でいつもより増し増しの修行をさせてあげるからね?楽しみにするといいさ」
「ぅぇ!?し、師匠!さっきのは冗談です!ほんとに!」
「アタシのは冗談にしないから安心しな」
そんな~……と、本人は悲痛な声を出しているのかもしれないが、俺からしてみれば力が抜ける声を出すマリー。
そんな弟子は捨て置き、アリエスは俺に体ごと振り向いた。
アリエスの顔はにこやかに笑いつつも、目の奥は少しも笑っていない。
そんな表情をしながら無言で、アンタはわかっているだろうね、とプレッシャーをかけてきた。
獣であれば総毛立つ程の物理的な圧力。
抵抗は惨事を招くと瞬時に悟った俺はゆっくりとだが頷く。
その反応に満足したのか、ぱっとアリエスは元に戻った。
とりあえず逆鱗に触れることはなかったようだが、改めてこの女の恐ろしさの片鱗を見た気がする。
そうして後ろの方でさめざめと泣く誰かの声を無視しながら、アリエスは再び口を開いた。
「やっぱりミコト、アンタはエルフにしては丈夫なようだね。
ステータスを見た限りではランクは低いけど、体はしっかりしているようだし伸びる可能性は高いよ」
いつのまに俺のステータスを覗かれたのだろうか。
アナライズを使った素振りは見当たらなかったし、おそらく今ではなく俺が意識を失っていた空白の四日間の時だろう。
診断という意味ではアナライズはこれ以上にない魔術であり、あの時の状況を考えれば使われても仕方ない。
心の内を土足で踏みにじられた不快感があるが、顔には出さないように苦心する。
「ただ魔術は絶望的と言うしかないね。INTがGのマイナスでは何も出来ないだろうさ。潤沢なMPも活用しようがない」
「……」
「ただしそれは普通の魔術師として、という話さね。ミコト、アンタは強化魔術のようなものが使えるね?」
アリエスが言いたいのはブーストのことだろう。
まさか見抜かれていたとは思わず目を見張る。
確信に至っているまっすぐな視線に貫かれ、今更隠し通すことは出来なかった。
俺は黙ってこくりと頷いた。
「詠唱すらしない身体の強化。……魔力を直接強化に当てている?
なるほど、アンタだから出来る器用で贅沢な方法だってことか。面白いね」
「俺の秘密を暴いて楽しいか?」
「アンタにはもっと余裕が必要さね。修行するにも当の本人の力を知っていなければ、見当違いな鍛え方するかもしれないだろう」
苦笑して眉をハの字に曲げるアリエスを見てばつの悪い気持ちが走った。
自分では自分の弱さをわかっていたつもりだったが、他人に改めて言われてイラついてしまったのかもしれない。
いつの間にか泣き止んでいたマリーも、俺たちのやりとりをハラハラと見守っていた。
俺一人だけがガキでいるかのような居心地悪さを感じながら、アリエスの言葉に耳を傾ける。
「心配性な弟子もいることだし、余計なことは言わずこれからの修行について話そうか。
ミコト、アンタには……」




