第二話 提案
「……質問の答えになっていない」
押し殺したような声で脅してみてもアリエスの表情は一向に変わらなかった。
場の空気が更に張り詰めていく。
顔には出さず、俺は苛立ちを握り拳を作ることで晴らす。
テーブルの下に隠したその手は二人には見えないだろう。
マリーはというと空気だけはなんとなく読めているのか、はたまたこうなることを予想していたのか。
静かに料理を運ぶ手を止め、口を閉ざしていた。
「強くなりたいんだろう。アンタが気絶した間際にも、そして眠り続けていた時にも……強くなりたい、強さが欲しいと零していたよ」
「……ッチ」
失態だ。
自然と舌打ちを止められず音に出してしまう。
その言葉は自分の弱さを表すものなのだから、誰にも知られたくはなかった。
まさかよりにもよってこの女にばれてしまうとは。
「それがどうした。お前に何か関係があるのか」
「大いにあるさ。アタシがアンタを強くしてやる」
「…………は?」
唖然とした顔と間抜けな声を思わず晒してしまう。
仕方ないだろう。
誰が命を狙っていた者を助けて、しかもそいつを強くしてやろうなどと考えるのか。
必然的に裏があると考えるのは当然だった。
しかしその裏が読めない。一体こいつに何のメリットがあるというのか。
ようやく再起動した頭でそんなことを考えていたが、結局の所、検討もつかない。
アリエスはこちらの様子などお構いなしに更なる追撃をかける。
「アンタは弱い」
痛烈な一言に歯軋りをもってして耐えるしかない。
それはこの女にして見れば事実だろう。赤子の手を捻るより簡単に俺を打ちのめせるのだから。
あの時の戦闘でそれは十二分にわかっていた。
わかっていたとしても、それは認めたくない事実でもある。
些細な抵抗として憎憎しげに睨んだとしてもアリエスは意に介さず、淡々と話を続けた。
「確かに同じ年頃の者と比べれば強いだろう。だけど世界を見れば大したことないさね」
「……」
「もっともっと強くなりたいと願うなら、アタシが強くしてやる」
「……どうしてそこまで俺にする。俺はお前を殺そうとしたんだぞ」
「そうさね。簡単に言うならアンタに才能があるから、だろうね」
「………………」
「すぐに答えを出す必要はないさ。その体では休むことも必要だろうし、しばらく考えな」
そう一方的に会話を打ち切ると、アリエスは食器を持ちながら立ち上がった。
流し台に持っていくのだろう。そのまま一度もこちらを振り返ることはなかった。
正直な所、俺には判断がつかない。
会話の途中、密かに高速思考を使って観察を続けていたが怪しい挙動は一切なかった。
感情を盗み見るため、瞳をつぶさに見つめていてもわからなかった。
だからといってアリエスの言葉を全て信じるなど馬鹿のすること。
そのの言葉が真実だと仮定したとしても、素直にはいそうですかよろしくと言える筈もない。
誰かに頼るとか信じるとか、そんなことはもう……。
「あの……」
悶々とそんなことを考えていたら、食卓にまだいたのかマリーが声をかけてきた。
顔を上げると微妙な顔をしたマリーと目が合う。
この女もよくわからないな。理解不能な度合いで言えばアリエスと同レベルだ。
「何だ」
「ええっと、その」
歯切れの悪さに苛々が募ってくる。
精神年齢的には俺の方が上なのだと思い起こし、しばらく我慢するが一向に本題に移らない。
頬を少しだけ赤らめてもじもじする様子は、まるで好きな男に告白する勇気を必死に搾り出している女のようだった。
……くだらん。
一瞬でもそんなことを考えた自分に嫌気が差し、そもそもこの女に付き合っている義理もないので立ち上がろうかとした時、
「そのご飯食べないんだったらくれない!?」
その台詞に上がった腰が途中で止まった。
椅子に手をかけたままの姿勢で振り向けば、両手を差し出してぎゅっと目を瞑るマリーの姿。
この女……馬鹿か?
よくわからない女から馬鹿女に評価を改めていた所に鉄拳がマリーの頭に降り注いだ。
「マリー、アンタって子は本当に食い意地が張ってるねぇ」
「だ、だってお腹すいたんですもん……」
マリーの頭に拳を一発叩き込んだのはアリエスだった。
今は素手だったからよかったものの、あのガントレットをしていたら惨事になっていたことは想像に難くない。
涙目になっているマリーを見て、アリエスは深いため息をしながら流しの方へと戻っていった。
そうして、何やらごそごそと音を立たせてから片手にパンを持ち帰ってきた。
それをマリーに手渡してから俺の方を向く。
「アンタも早く食べてしまいな。この子に食べられてしまう前にね。元気になろうとするのなら食事は大切だよ」
最もな意見だ。
俺の体はずっしりと何か重しを乗せられているように重く、ブーストの補助なしでは動くこともままならない。
体力の回復には栄養補給が不可欠だろう。
ただそれを感情で納得するかはまた別の問題なのだが。
目の前に視線を投げればすでにマリーに渡されたパンはカケラさえ残っていなくて、俺の方を何か期待するようにじっと見ていた。
これ以上は付き合っていられないとでも言うように、アリエスは手をひらひらとさせて立ち去っていく。
「……ジー」
エサをせがむ犬のような瞳が突き刺さる。師匠に止められた手前、もう自分からは言い出せないのか。
……どうせこのまま意地を張った所でいつか食事はしなくてはいけない。
自分で食料を確保する手段がない以上、施しを受けなくてはならないだろう。
それに答えを出すまではここにいなくてはならない。
あの女の提案を受けるにせよ、ここから出て行くにしても、そしてあの時の戦いの続きをするにしても。
テーブルの上に置かれたフォークを手に取り、スクランブルエッグを一切れ口の中に放り込んだ。
薄味だったが塩が効いていてまずくはない。
久しぶりに食事をしたせいか頬のあたりが痛んだが、気にせず食事を続ける。
「あ、あぁ……」と落胆するような声が聞こえた気がしたが、それは努めてスルーすることにした。
というかこの馬鹿女、いくら見たってやらんのだからさっさとどこかへ行けよ……。
トール山脈の麓の小屋、アリエスとマリーが住んでいるその場所から数分歩いた所にある湖。
俺は水面が透き通るほど純度が高いその場所に一人で来ていた。
食事をしてから数時間後、俺の自室となるようあてがわれていた部屋で休んでいたら、アリエスがやってきてこう言ったのだ。
体を洗ってきたらどうだい、と。
どうやら俺は少し匂っていたらしい。意識を失っていた間は水に濡らした布で拭いていたらしいが。
……誰がそんなことをしたのかと問えば、アタシが甲斐甲斐しく世話するような女に見えるかい、と言われた。
舌打ちするのはなんとか堪えたが、表情には出ていたらしくアリエスは笑っていた。
調子が狂う。
さっさとその場所を吐かせると、俺はすぐさまに小屋から出て行ったのだった。
そうして今に至るわけだが。
あの女は俺がこのまま逃げるとは思わなかったのだろうか。
尾行されている気配はなく、家にいる間も特に警戒はされていなかった。
……見透かされているような気がするが、考えても詮無いことか。
自然の中で裸になるのは妙な気分だ。それでも着の身着のままでいるわけにもいかない。
まぁどうせ俺以外はいないみたいがら気にせずに脱ぐことにした。
魔物の類や危険生物は周辺にはいないらしい。
おせっかいにもアリエスが出かけ際にそう教えてきた。
粗暴な見た目に反してこの女は意外と世話焼きなのかもしれない。
湖畔にあった平らになっている岩に服を無造作に脱ぎ捨てる。
風が素肌に当たるようになるが寒くは無い。
むしろ陽光によって暖められ、まるで体温を持つかのようなぬくもりがあった。
そうしてゆっくりと足から湖の中に入っていく。
温度は少し肌寒いぐらいだが頭の中がすっきりとしていく感じがして悪くない。
全身を浸すまで深い所に足を進めてもよかったが、ひとまず先に体を洗うことにした。
それから考えることにしよう。アリエスの話したことを。