第一話 目覚め
砂粒を手の平ですくった時のように何度だって零れていく。
さらさらと二度と果たせない約束も機会も失っていく。
大事な時にいつだって役に立てない。
まるでもがけばもがく程、底なしの沼に沈んでいくかのように。
それでも俺は足掻くしかない。
どれだけみっとも無くても、他の者から誹られようと生き抜かなければならない。
例え光さえ無くなった暗闇に体を侵され、かつてようやく手にしたぬくもりの残り香を手放したとしても。
そうすることが報いとなる。
誰が為か。
己の為。亡くなった人の為。大切な人の為。
死人に口は無い。だから俺は自分であがなう手段を模索するしかない。
だから俺は……もっと、もっと……。
この目覚めは何度目のものだろうか。
異世界に転生してから幾度目の朝、瞼越しに光を浴びて意識は浮上していく。
夢の中の出来事は砂塵へと返り、即座に忘却する。
ただ心にだけは強い思いを残して。
ゆっくりと目を開ければ見慣れない天井。
石煉瓦でもなく、かといって貴族の屋敷のように上質な材質で作られたものでもない。
素朴に荒削りな丸太の天井だった。
体を起こすと多少ぎくしゃくしている感じがする。一体どれだけ俺は眠っていたのだろうか。
きしりと音をたてながら横になっていたベッドから降りると、立った瞬間に体が傾いた。
どうやら体は本調子じゃないらしく、力がうまく入らない。
このままだと強かに体を打ちつけることになるだろう。
そんなことをぼんやりと思いながら、床との距離が狭まり始めた時、
「危ない!」
という女の声と共に体を誰かに支えられる。
柔らかい感触にもたれかかりながら、億劫気味に顔を上げればどこかで見たような顔。
桜のように明るいショートヘアーに心配そうな顔を覗かせる女の子。
間違いない、あの屋敷でガントレット女と一緒にいた女だろう。
確かマリーと言ったか。
「大丈夫?君はまだ動けるような体じゃないんだから、無理はしないで」
「ここは……どこだ?」
言いながらもマリーの手伝いを受けながらベッドに腰掛けた。
軽く軋む音を鳴らせ座ったことを確認した後、マリーは少しだけ笑顔を見せる。
それは俺に向ける感情としては相応しくない気がする。
あの時の会話を思い出せば、ガントレット女はマリーの師匠。
つまり俺はマリーの師匠を殺そうとしたのだから。
一抹の怪訝な気持ちが湧き起こる。俺を騙そうとしているのか。
メリットは何か、こいつの目的は。
そんなことを頭の中で考えている間にマリーは口を開いた。
「ここはトール山脈。……の麓にある小屋。君はあの屋敷からずっと眠っていたんだよ」
「眠っていた……」
「暴れるかもしれないから魔術を使って、ね。あの時からもう四日以上経ってるよ」
「四日」
そのことに驚かないわけでもないが、やはりそれ以上に不信な気持ちが湧き起こる。
屋敷で言っていたことを信じるとすると、こいつは冒険者で屋敷に捕らわれていた者を救うことが目的だったのだろう。
誰が何の為に依頼をしたのだとか、ここに何故俺だけがいるのかだとか……。
様々な憶測が頭に思い浮かぶが、どれも予測でしかなく決定打にはなりえない。
何よりもこの女の態度が解せない。
多少の会話しかしてないが、その挙動からは負の感情が見当たらないのだ。
巧妙に隠している可能性もあるだろう。
しかし俺は目の色から人の負の感情をある程度は読み取ることができる。
昔の経験からそんな目で見られるのは慣れたものであったから。
その色がこの女には見えない。
「そんな顔しなさんな。アタシ達はアンタの敵ではないよ」
「師匠!」
マリーが声に振り返ると戸口に長身の女が立っていた。
あの時は天候の悪さも手伝っていまいちわからなかったが、ベッドから見上げればその大きさがよくわかる。
しなやかなその体は野生の獣を想像させ、特徴的なガントレットは今は外しているのか素の両手でいつかの如く腕を組んでいた。
レコンを殺したと言ったあの女だった。
だが不思議なことにあの時以上に心が湧き立たない。
確かに怒りや憎しみの感情はあるのだが、我を忘れてしまう程の波ではなかった。
圧倒的な力の差に臆病風を吹かせたのか?
いや、それはない。例え誰であろうと俺は目的を果たすだろう。
……その事はひとまず置いておこう。現状把握が先だ。
「あんた何が目的だ。俺をどうするつもりだ」
「アタシを見て即座に襲い掛からないだけよしとするさね。そのことよりまず腹ごしらえしないかい」
「何を……っ!」
言っている、と続けようとした所ちょうどいいタイミングで腹の音が鳴った。
ただそれは俺ではなく、俺の隣にいたマリーから聞こえてきた。
「……一応、その子に言ったつもりだったんだけどね」
「あ、あははは」
「まぁ仕方ないさね。その子の看病につきっきりだったんだから」
「し、師匠!それは言わなくていいです!!」
看病?つきっきり?
俺が倒れそうになった時、マリーが即座に支えたのは偶然ではなかったということか。
理解に苦しむ。俺ならば自分の身近にいる人に危害を加えた者を絶対に許したりなんかしない。
相手が弱っていようが、それが子供だろうが女だろうが知ったことではない。
報いは必ず受けさせる。
……よくわからない。
こいつらは何なんだ。
「自力で立つのが難しそうだったら手を貸してやりな。話もあることだしあっちにいくよ」
「わかってますってば!……はい」
マリーは当然とでも言うように手をこちらに差し伸べた。
俺はその手を払いのける。
乾いた音がぱしんと鳴り、静寂が束の間支配する。
硬直した表情のままのマリーを差し置いて、俺はベッドから降りて立ち上がる。
体が揺らぎそうになるが、ブーストの補助を使って強制的に安定させる。
咄嗟に使ったがどうやらブーストは使えるらしい。
その様子を見ていた長身の女は、一言ほう、っと呟いたがそれっきり何も言わなくなると廊下の方に姿を消した。
リビングみたいな所に行くのだろう。
俺は黙って後をついていくことにする。
部屋から出ると慌てて後ろの方から誰かが走ってくる足音が聞こえるが、振り返ることはしなかった。
テーブルの上には出来たての朝食。
パンにスクランブルエッグのような物とサラダ。そして木のコップに注がれた新鮮な水。
簡素ながらも朝食としては十分だ。
二人は隣同士の席に座るようで、俺は対岸の席に座ることにした。
食事をしながら話をすることにしたのだろう、真っ先にアリエスが手をつけるとその次にマリーが。
俺は食事には手をつけない。
「さて、まずは自己紹介から始めようかね。アタシの名前はアリエス。この子はアタシの弟子のマリー」
「よ、よろしく……」
ある程度、食が進んだ所でそうアリエスが口を開く。
アリエスは飄々とした態度で言葉を続けて、ぽんっとマリーの頭に手を乗せる。
口を開くことなく黙々と食事を続けていたマリーは、いきなり振られたことに驚きながらも若干ぎこちなく挨拶をしてきた。
先ほどのことが尾を引いているのだろう。知ったことではないが。
次はお前の番だと言うのか、気は乗らなかったがこのままでは話が進まないと思い俺も名乗ることにする。
「ミコト」
「ミコト、か……。いい名前さね。そうか、ミコトか」
噛み締めるように何度も呟くアリエスを見て、俺の眉間に皺が寄る。
それはマリーも同じだったようで俺と同じような顔をしていた。
「そんなことはどうでもいい。俺の質問に答えろ」
「うん?……ああ、答えられることなら何でも聞くといいさね」
「お前は俺をどうするつもりだ?」
再び同じ質問を問う。
答えが答えならばすぐさま戦闘が始まってもいいようにしながら。
アリエスは使っていたフォークをテーブルに置くと、まっすぐにその瞳で俺を貫く。
視線に力でも通っているのかと錯覚する程の強さ。
真っ向から受け止めるには苛烈なプレッシャーに、だが目を逸らすことはしない。
戦いはすでに始まっているような気がした。
一触即発のそんな空気でアリエスが口に出したのは意外な言葉だった。
「アンタ、強くなりたいんだろう」
第二章の第一話。というわけで新章です。
見切り発車気味で書き始めると、なかなか難しいですね。ひぃひぃ言ってます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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