第五十九話 終わりと始まりと
ぽつぽつと雨音が屋根を叩く音が静かな部屋に木霊する。
魔術の光であるライトが明るく照らし、室内に人がいることを教えるが誰も声を出すことがなかった。
一人は無骨なガントレットを両腕に嵌めた成人の女性。
頬から流れる血をそのままにうつ伏せに倒れた子供の前に立っている。
一人は床にぺたんと座ったままの少女。
二人からは若干離れた位置にいて茫然自失といった様子だ。
最後の一人は豪華なドレスを花びらのように床に広げてうつ伏せに倒れたミコト。
誕生日パーティー用に、と設えたドレスはミコトの魅力をいかんなく発揮し、こうして見れば眠り姫にしか見えない。
先ほどの一分にも満たない激闘を見ていなければ、の話だが。
沈黙を破ったのはミコトの傍に立つ女性、ではなく呆気に取られた表情で固定されていた少女だった。
名前はマリーといい、この館に送り込まれた冒険者の一人だった。便宜上は。
「師匠……。この子は一体何なのですか……」
ミコトのことを指差しながら恐る恐るといった様子で口を開くマリー。
その声色には恐怖の色が混じっていた。
ただの綺麗な女の子だと思っていたのに、まさかナイフで自分のことを傷つけたり、本気で自分の師匠を殺しにくるとは思わないだろう。
それに加えて尋常ならぬ戦闘方法。
魔術を自分の加速に使う方法も、自らが接近戦を仕掛けるという魔術師にあらざる戦い方も常識では考えられない。
極めつけは移動しながらの魔術の行使。
理論上は可能だと言われてはいるが、この目で実物を見るのはマリーは初めてだった。
「普通の子供だよ」
「普通って……」
何気ない口調で師匠と呼ばれる女性は答えると、意識を失ったミコトをひょいと重さを感じない動きで肩に抱え込んだ。
マリーを置いて部屋を出ようとしている女性に、少女は慌てながら立ち上がり後を追う。
廊下に出ると黙ったまま女性の後をついていくマリーだったが、言いたいことはまだ山ほどあったのか、もごもごと口の中を動かしている。
その様子に気付いているはずの女性だったが応える気はないようだ。
眉をハの字に曲げるマリーをそのままに二人は館の出口に足を進める。
「他のパーティーも事を終わらせたようさね」
「……そうみたいですね」
若干機嫌が悪い声ながらもマリーは答える。
戦闘の音も聞こえず、危機に遭遇した際の連絡もないことからまず間違いないだろう。
この依頼には彼女たち以外にも他に三パーティーが参加している。
バックアップに一、彼女たちと残りの二パーティーは館の中の捜索と殲滅を担当。
その内、上の階層を二人が任せられていた。
障害という障害がない場所を任せられマリーとしては拍子抜けもいい所だったが、最後の最後でこんなサプライズが、である。
「お、アリエス。お前の所も終わったか」
館の出口まで辿り着くと、壮年の男性がそこにはいた。
壁を背中にもたれ、組んでいた腕を外してひょいと手を上げて挨拶する男に、女性――アリエスは同じように抱えていない方の手で挨拶を返した。
「ああ、アタシの担当も無事に終えたよ」
「無事、か?その傷はどうした」
「ちょいと猫に引っかかれてね。心配ないさね。そっちはどうだい」
「呆気ないほど簡単だったな。護衛が何人かいたが素人に毛が生えた程度で相手にならねぇ」
過剰戦力だったんじゃないか、と言葉を続けて豪快に笑う男にアリエスは僅かに笑う。
ひとしきり笑った後、男はぴたりと笑い声を止めるといやに真剣な表情に切り替えた。
「だが地下は胸糞悪ぃ。何か明確なものがあったわけじゃねぇが痕跡と匂いで想像がつく。この館で起こったことは外道がすることだ」
吐き捨てるように男は言ってから顔を逸らした。
憎憎しげなその表情にアリエスの後ろで控えていたマリーはごくりと喉を鳴らす。
その音を合図としてではないだろうが、アリエスは一度目を閉じ、惨劇の犠牲者になった者たちに短い黙祷を送る。
名も顔も知らぬ誰か。
だがどんな人だろうと他人が命を軽く扱っていいはずがない。
「……それで、生存者は?」
「いねぇな。そもそも何もねぇ。死体も何もかもがな」
「証拠を消した、か。狂った頭でもその程度の考えはあるようさね」
「狂人だが冷静な奴か、厄介だな。……ところでお前さんがその肩に担いでいるもんはなんだ?」
「猫だよ。アタシが預かることになった」
それ以上何も言うことはないとでも言うように、目を丸くする男を放って置いてアリエスは横切って館の出口を押し開いた。
館の外は未だにしとしとと雨が降り続き、快晴には程遠い。
だが遠くの場所では雲の合間に差し込む光明がちらりと見え隠れしていた。
それはこの季節にしては珍しいことだった。曇り空、雨模様が当たり前だったのだから。
いずれ雨は止み、青空がその姿を現すことだろう。
「ちょ、ちょっと待ってください師匠!預かるってどういうことですか!?」
問い詰めるようにアリエスの前に先回りしたのはマリーだった。
慌てふためいた様子で館から飛び出し、雨に濡れていることも気付かない様子でアリエスに食って掛かる。
「あー……ったく、うるさい弟子さね。この子が起きたらどうするんだい」
「起きるもこうも、どういうつもりだって聞いてるんです!!」
「うちで預かる。連れて帰る。以上」
「ちょ、ちょっとししょー!!!」
悲痛な叫びもアリエスの耳には届かず左から右へと素通りしていく。
無視されてしまったマリーはそれでもぎゃーぎゃーと声をあげるが効果はなかった。
仕方なく、無駄な抵抗と知りつつ唸り声を上げることに留めることにしたマリー。
マリーは最初から何かおかしいと思っていた。
依頼を受けた時のアリエスの様子もおかしかったし、ミコトに切り掛かられていた時もそうだ。
本来、アリエスの実力であればそもそも傷を負うことさえない。
例えどれだけの奇襲を受けようが、あの程度の攻撃であれば容易くかわせる。
後の戦いもそうだ。
確かに常軌を逸した戦い方であり、マリー本人がミコトと戦っていればあえなく敗北しただろう。
だがマリーの師匠であるアリエスであれば、最初の奇襲は百歩譲って仕方ないとして、後の方は接近された時点で攻撃されることなく軽くいなせたはず。
そう、あれではまるでわざと攻撃を受けているかのような印象を抱いてしまう。
わけがわからないことだらけで頭を悩ませているマリーを放って置いて、アリエスは雨の中ミコトを担いで歩いていく。
物のような扱いだがその実、繊細に衝撃を与えないような歩き方だった。
安らかな表情のまま気絶しているミコトが何よりの証拠だろう。
実に器用に素早い足取りに、マリーはついていくのがやっとだった。
三人はそのまま雨の町の中に消えていった。
最早もぬけの殻となった館を残して。
それから数時間後。久しぶりに太陽が姿を見せた時には、三人の姿はリヒテンの街中に影さえ見当たらなくなっていた。
「おや、あの館が潰されてしまいましたか」
所変わり闇が支配するかのような暗闇がそこには満ちていた。
闇に浮かぶのは白い能面。
気味が悪い薄笑いが貼り付けられた仮面に二つの覗き穴から垣間見えたのは赤い瞳。
人ならざる者に相応しい声色で使い魔にそう呟くのは、ルクレスと呼ばれる魔術師。
大して残念がる様子がない声を上げてから読みかけの本を閉じる。
この暗闇で一体どうやって文字を読めるというのか、魔術を使っている様子もないというのに。
ルクレスは使い魔を還すと、仮面の顎を撫で始める。
思案するような所作。
事実、そうであったのかしばらく経つとぽつりと声を零した。
「悪意の種が大輪の花を咲かせる時、貴方とは再び会うことになるでしょう……。その時が待ち遠しいですねぇ」
誰に向けた言葉か、ルクレスはそう言ってから不気味な笑い声を上げた。
予言めいた言葉が真実となるかどうかは、この時、誰も知る由はなかった――。
一章完。
『思考進化の連携術士 EE』にてそれぞれの人々のその後の話を書いていますので、興味がある方は読んでみて下さい。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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