第五十六話 誰が為の救いか
料理人が腕によりをかけた豪勢な料理の数々。
食べきれない程にテーブルの上に並べられ、それらを片付けた後にはお決まりのケーキ。
主賓席に座った俺を囲むように笑顔の使用人たち。
人の入れ替えがあったせいか、彼らの顔に浮かんでいる表情はどれも自然なもので、心から誕生日を祝ってくれているように思える。
そして俺の隣の席にはおだやかに微笑むレコン。ルクレスはやはりいなかった。
この男も時の流れと共に変わっていっていた。状態が落ち着いた、とでも言えばいいのか。
情緒不安定だった頃に比べれば、今では貴族を笠に着たどこにでもいる傲慢な男に見えることだろう。
使用人たちの評判はあまり良くないが、貴族とはそういうものだから、と納得されてもいた。
そんな人々に俺は感情をひた隠しにして愛想を振りまく。
いくら感情を逆撫でする一日であろうと、これが最後なのだとわかれば我慢も出来るというもの。
今年で三回目となる忌まわしいパーティーは、そうしてつつがなく終わりを迎えた。
自室に戻り明かりを灯すこともせず、暗闇の中を俺は何をすることもなくただ立ち尽くしていた。
今宵も雨が降り続け、月もその姿を見せることはない。
天気は荒れ模様。窓を降り注いだ雨が激しく叩きつけていた。
乱暴な雨の演奏は部屋中に響き渡り、普通に会話することさえ困難にしてしまう。
そんな中、俺は右手の潜ませていた凶器を一つ手にしてあいつを待っていた。
茶番である誕生日パーティーを終えた後に、必ずレコンは俺の部屋を訪れるようにしていた。
奴は何をするまでもない、会話をすることもなくただ俺の姿をじっと見るだけ。
全身を這うような視線は気持ちが悪いことこの上ない。
この男一人ならば取り繕うことも必要なく、しかしありったけの殺意をぶつけた所で効果はなかった。
……考えるのもおぞましいが、おそらくこの男は俺が成長していってミライの姿に近づいていくその様子を観察していたのだろう。
期待に沿うのは死にたくなる程嫌だったが……。
三年経った今の俺は確かにミライの少女時代の姿、と言われてもあまり違和感はない。
このまま俺が成長していき、彼女そっくりになればあの男はどうするというのだろう。
その願いを俺が叶える筈もなく、終止符はこの手でしかとつけてやる。
武器とするには頼りがない右手に持ったナイフはパーティーの時にくすねてきた物だった。
これでは切れ味も期待出来ず、肌を切り裂くだけで終わってしまうだろう。
一撃必殺を狙うならば刺突しかなく、それには十分な勢いが必要だ。
暗闇の中で待つのはそれを考慮にいれているからだ。身構える隙も与えずに一撃の元に仕留める。
大人と子供という体格差はこの数年でも埋めるには適わず、呪いをかけられたこの身ではろくな魔術は使えない。
だがこの歳月を俺は無駄に過ごしていたわけじゃない。
来る日も来る日も……俺は魔力のコントロールに腐心していた。
魔力を扱えばその度に激痛が胸に走るが、痛みに慣れたこの体にそれは耐え切れない程ではなかった。
最初は少しの間使うだけでいつのまにか気絶してしまっていた。
その次は脂汗をかきながらもコントロールする時間を数秒延ばすことが出来た。最後はまた意識を失ったが。
その次は……。そのまた次は…………。
そうして最後には最低限ながらブーストを発動するまでに至った。
それだけで一年はかかってしまったが、それでも十分な成果だった。
ブーストの能力の上昇は以前と比べてあまりにちっぽけだった。
だから更に一年を費やし、ブーストの効果を向上させた。
INTの制限を受けて出力があまり出せず、最終的に一般の大人並のDランク程度が限界となった。
残りの一年は最後の詰めの為に時間を費やした。
その積み重ねの日々を終えて、ようやく、そうようやく果たせる時が来たんだ。
あの扉が開かれた時、レコンの姿を捉えた瞬間に復讐が始まる。
雷光が世界を白く染める時のように、その復讐は瞬く間に終わるだろう。
行為は一瞬でも、俺はゆっくりと奴の命が消え行く様を見れればいい。
彼女の姿を俺に見ているのならば、それは立派な復讐となるだろう。
お前が殺した人に殺されろ、レコン・ルシエイド。
「…………?」
騒がしい雨音に混じって、何か音が聞こえてきたような気がする。
いつでも事に移れるように集中していた俺は、その音を聞き逃すことはなかった。
何かが暴れているような、そんな物音。
木が粉砕されるような音、金属同士がぶつかるような音、魔術でも行使したのか爆発するような音も。
これは一体……。
状況判断に努めるべく耳を澄まそうとしたまさにその時、この部屋の扉が乱暴に開け放たれた。
一瞬だけ虚をつかれたが、瞬時に高速思考を展開すれば扉の所にいるのはレコンでも使用人でもなく、見たこともない人だった。
冒険者のような格好で軽装なレザーアーマーを着用し、手には樫の杖。
顔を見れば俺よりかいくらか歳が上なのだろう、桜のような明るい髪色のショートヘアーが特徴の女の子だった。
俺は咄嗟に右手に持っていたナイフを後ろ手に隠してから高速思考を解いた。
いつでも発動できる用意をしながら俺はその女の反応を待つことにした。
「暗い……。明かりを」
まだ俺が中にいるのもわからないのだろう。そんなことを呟きながら女は続けて魔術を唱えた。
明かり、と呼ばれるその魔術は単純明快な初級魔術で、その名の通り空中に白色の光を放つ球を浮かべることが出来る。
そんな魔術を唱えなくとも近くに照明のスイッチがあったはずだが、そんなことを知らない女にわかるはずもない。
魔術師、か。杖を持っていることからもその可能性は高い。
断定はイレギュラーを発生させやすいのでひとまず置いておく。
そうして部屋の中に魔術の光が灯った。
「人……!?しかも女の子じゃない!?」
俺の姿を見つけて一瞬ぎょっとした表情を浮かべる女だったが、首にかけられたアレを見つけたのか、眉根を寄せながら俺の元へ走ってきた。
俺はそんな女の反応に後退りしながら顔を恐怖に歪める。
勿論演技だが。
この女の正体がわからない内は変な態度は取らないほうがいいだろう。
無反応に突っ立っているのも変だし、知らない相手がいきなり部屋に入ってきた時の反応してはこんなものだろう。
「貴方は一体誰ですか……?」
「もう大丈夫だからね。あたし達は貴方たちを助けに来たの」
そう言いながら安心させる為に笑顔を向けてきた女に、俺は巧妙に位置取りを操作しつつ離れるように後退する。
怯えている演技を続けながらなので相手にはばれてはいないだろう。
この部屋は結界が張られているので、出入り口はあの扉しかない。
いざとなればすぐに脱出できるように位置を調整する。
(それにしても、助けに来た、だと?)
あたし達ということは複数。そして先ほどの反応から俺個人を助けに来たわけではないだろう。
身なりから察するに騎士団……地球で言う警察とかではないはず。
妥当に考えるのならばどこかの誰かに依頼された冒険者、という線なのだろうが……。
とはいえ事情が詳しく掴めていない内に動くのは早計だ。
この女からもう少し情報を聞き出してからでも遅くはない。
「こんな首輪をされて可愛そうに……。ッ!しかもこれ呪いが掛けられてる!?」
馴れ馴れしく首輪に手をかけた所で反射的に反撃してしまいそうになるが、すんでの所で堪える。
ぴくりと反応してしまった俺に、女は別の意味に捉えたのか痛ましそうに顔をしかめてからまた魔術を唱えだした。
中級魔術、祝福と呼ばれるその魔術は対象に祝福を与え聖なる力を与える。
ゾンビや悪魔といった魔物に対抗する力を上げる効果もあるが、呪われたものを解呪する力も備えていた。
女が祝福を唱え終われば、ぱきりと小さな音がしたかと思うと、首元が久しぶりに空気に触れる感触がした。
手をやれば首輪は跡形もなくなっていた。
「これでもう大丈夫!……師匠からはまた勝手なことしてって怒られそうだけど」
冷や汗を浮かべて苦笑いする女はその師匠という存在が怖いのだろう。
だがそこに悪い感情があるわけではなく、親しみのようなものが感じられた。
「ありがとうございます……。それで、貴方は一体?」
「あぁ、ごめんね!そういえば説明してなかった。君の姿を見てたらいても経ってもいられなくて」
「アンタはいつも突っ走りすぎなんだよ、マリー」
会話を遮った人物の声は入り口の扉の方から聞こえてきた。
いつの間にいたのか、そいつは扉付近の壁に腕を組みながら寄りかかっていた。
「師匠!もう下の方は片付いたのですか?」
「粗方、ね」
言葉少なに師匠と呼ばれた人物は片目を瞑って女、マリーにウィンクした。
男がすれば気持ちが悪い仕草も、女性がすれば可愛くも見える……実際、師匠と呼ばれた人物も女だった。
しかし、その女は女、と言うには些か抵抗を覚える奴だった。
割れた腹筋を隠しもしないオープンな着の身着のままのようなタンクトップ。
防具という防具もない平民のような出で立ちに、際立って目立つ両腕にこしらえた無骨なガントレット。
そしてこの世界では珍しい長い黒髪を無造作に垂れ流している。
確かに顔立ちは整っており、ふくよかな胸が女であることを主張しているが、雰囲気が尋常ではない。
スラム街で出会ったあの男、そしてルクレスと同じ匂いがする。
危険な女だ。俺では歯が立たないようなとびきりの。
「……その子はどうしたんだい?」
「あ、どうもこの子もこの屋敷に捕らわれていた人たちと同じみたいで、ひどいんですよ!首輪なんかされてて」
「ふぅん。……アンタ、何か知りたそうな顔してるね?そう言えば、マリーとそんな話をさっきしていたっけね」
「…………」
「アタシたちは冒険者さ。とある人物にこの館から人を助け出してくれって依頼を受けてね」
案の定の話に辟易する。
今更、とかそういうことではない。
誰がその救いを望んだ?俺は助けなんて求めていなかった。
そんな甘い考えに浸っていたからこそ色んなものを失ったのだから、手を差し伸べた所で掴むはずがない。
そんなことよりも、俺はもっと知りたいことがあった。
「……当主はどうなったのですか?」
「怖い人はもういないからね!大丈夫だから!」
「マリー、アンタは黙ってな。そんなにその子が気に入ったのかい?」
「し、師匠!!」
「まぁいいさ。それで、アンタが言っているのは当主であるレコン・ルシエイドのことかい?」
顔を真っ赤にして抗議する女はスルーしながら、ガントレットの女はそう聞いてきた。
何気ない口調でこの女は話してはいるが、どこか探りを入れているようにも思える。
警戒心が警笛を鳴らすもののこれだけは知っておかなければならない。
「……はい」
「殺した」
「……え?」
「聞こえなかったかい、アタシが殺したさ」
「師匠!?どうしてそんな直球で言っちゃうんですかっ。もっと言い様ってものがあるでしょう!!」
「あーあー。ったく、うるさい娘だね。回りくどいのは好きじゃないんだよ」
口うるさく喧嘩を始める二人の声がどこか遠くに聞こえていく。
あまりの衝撃に世界の音が全て遠ざかっていくような感覚。
ころした?
だれを?
だれが?
どうして?
頭の中に渦巻くのはそんな言葉の数々。
まとまりがないそんなワードを、反射的に発動していた高速思考が瞬く間に組み立てていく。
感情が追いつかないままに出来上がったそれは、最悪の答え。
一つの復讐を、成し遂げなければいけない俺の存在理由をかすめとられたという事実。
そうしてようやく感情が答えに追いついた時。
俺は未だに喧嘩を続けている二人に向かって駆け出す。
ブーストを起動しつつ、障害となる女を突き飛ばして後ろ手に隠していたナイフを件の女に振りかざした――。




