第五十五話 Happy Birthday
「ねぇ知ってる?最上階の部屋のこと」
「何それ。何かあったっけ?」
「この館のお嬢様が住んでいるらしいんだけど、すっごく綺麗な女の子なんだって!」
「へぇー。あの旦那様の子供ならそうかもしれないわね」
「でしょー」
「でも私は見たことないわよ?結構ここで働く時間長かったと思うけど……」
「それがどうも部屋からあまり出てこないらしいのよ。この話も食事係の先輩から聞いたってわけ」
「うーん、でもどんなに綺麗でもあの旦那様の子供だからねぇ……」
「それが人当たりが良くて、笑顔が天使みたいな子なんだって!いいな~。一度でいいから見てみたいわっ」
「ふーん。あんまり興味がなかったけど、それだったら私もちょっと見てみたい気がするわね」
「今度二人でこっそり見てみる?」
「止めときなさい。あんたがその顔した時って大抵ろくでもないことになるから」
「その顔ってどんな顔よ!失礼しちゃうわ」
「お仕事をさぼって立ち話するのは失礼じゃないのかしら?」
「げっ。先輩!?」
「…………」
「貴方も今更仕事している振りしたって無駄ですからね?」
「ほら……ろくでもないことになった」
「そんなに暇があるならたっっっっぷりお仕事をあげましょうかねぇ?」
「ひぃー」
…………。
……………………。
………………………………。
数年の歳月は様々な変化を引き起こす。
体の変化、心の変化、環境の変化。
それはこの地獄を詰め込んだ屋敷も例外ではなかったらしい。
いつからだろう。
ルクレス、レコンの両名が姿をあまり見せなくなった頃を契機に、少しずつではあるが変わっていったのだ。
使用人たちは一新され、代わりに入ってきた人たちは本当に普通の者たち。
この世の終わりを予感しているような絶望に顔を染めている人物は一人もいなく、極平凡な人ばかりだった。
光が差し込めたように屋敷は明るくなり、本来の輝きを取り戻していく。
確かにあったはずの惨劇を忘れてしまうかの如く。
俺もその流れに逆らうことは出来なかった。
体の成長。今の歳は定かではないが、おそらく八歳ぐらいだろうか。
少なくとも、この館に閉じ込められてから三年は経過していることは確実だった。
相変わらず鏡で見るその姿は小柄で細い。髪は更に長くなって腰まで届くほど。
外に出ていないので仕方のない話ではあるが、元々エルフという種族は細身なのかもしれない。
外は……どうなっているのだろう。色々と変わっているのだろうか。
プリムラはどうしているだろう。俺のことなんてもう忘れているのかもしれない。
テトは?もしかするとガウェインと一緒に裏切っていたのかもしれない。
あぁ、そんなこともうどうでもいいか……。
俺はもう他人なんて信じない。信じる余裕なんて作りたくない。
この三年……。
片時として忘れなかった復讐は未だ遂げることはない。
数少ない選択肢から奴らを殺す手段を試行し続けたが、失敗するばかりだった。
失敗から学び次へと活かす。諦めるという言葉がない俺にとって何度でも繰り返すだけ。
なめきった態度で俺を生かし続ける奴らをこの手にかけるまでは、絶対に。
だがそんな思いとは裏腹に、そもそもの機会が失われていっていた。
あの二人がこの屋敷から姿を消すようになったからだ。
レコンの方はたまにこの部屋を訪れるが、ルクレスは滅多にその姿を見せることはなくなった。
「もうすぐ……」
独り、窓辺に寄り添ってそう呟く。
格子さえない窓は結界に守られており、中の者を外に出すことを許さない。
見えない牢獄のようなもの。この部屋でいくつの時を過ごしただろう。
あっという間であり、無限のようでもあった。
記憶に残るようなものはほとんどなく、復讐をする為の経験だけを重ねていく毎日。
その時、ぽつり、と窓に何かが降ってきた。
見やると小さな雨粒が零れ落ちていた。雨だろう。
どんよりとした雲が先ほどから空を覆っていたから。
……テラという世界に季節というものが存在するのかはわからない。
だがこの街リヒテンには雨季というものはあるようだ。
ある特定の月になると雨が降りやすくなる。それも一年に一度だけ。
それはこの三年で気付いたことの一つだった。普通の生活をしていた時には気付きもしなかったこと。
何故、そんなことに気付いたのか。
それは……彼女が死んだあの頃も雨がよく降っていたから。
そしてあの下種が俺の誕生日だとかで毎年祝うようにしていたからだ。
この男はどれだけ俺の憎しみを育てなければ気が済まないのか。
祝う?
彼女が死んで、そして俺を彼女だと錯覚し始めたあたりを誕生日としているのだろうが、あまりに皮肉に富みすぎている。
ケーキを前に拍手するレコン、そして後ろに立ち満足気に気色の悪い笑い声を上げるルクレス。
一緒に拍手しながら引きつった笑いを浮かべる使用人たち。
皆、皆死んでしまえ。
その日だけは殺意に気が狂いそうになるのを必死に抑えなければならなかった。
「…………」
過去の過ぎ去った出来事を振り返る俺に、空がまるで泣いているようにしくしくと雨粒を落としていく。
俺は雨の日が好きだった。
屋根や壁に当たって静かな音楽を奏でる雨音を聴いていると、落ち着いた気分になるからだ。
それも今や何の感慨も呼び起こさず、泣いている空を見上げているだけ。
雨足を強くする空に日の光は一切見えてこない。
これからしばらくの間は太陽を拝むことは少ないだろう。
これは彼女の涙なのだろうか。
あまりにセンチメンタルな考えに一笑しそうになるが、ここは異世界だ。可能性としてはないとも言えない。
何に対して悲しんでいるのか……そんなものは決まっている。俺がいつまでも復讐を遂げていないからだ。
はやく、はやくと急かすように窓に雨が叩きつけられる。
ずいぶんと時間を無駄にしていたのだ。彼女が怒っていたとしても当然だろう。
ならば捧げよう、雨雲を晴らすための生贄を。
彼女の命日が近いこの季節ならばまさにうってつけだろう。
復讐の日は、近い。
三年目にしてようやく一人目を殺す絶好の機会が訪れようとしていた。
俺の強さ、ステータス的な意味合いで言うと三年前の方が断然に強い。
ミライの指輪を埋め込まれた体はINTが最低ランクのGマイナスまで落ち込み、魔術はほぼ使えない。
それにも付け加え首輪が殊更厄介で、効果が発動すると身動きさえとれなくなる。
だが、この首輪に関してはルクレスが近くにいないのならば効果が発揮しないのは検証済みである。
ミライの指輪については対処法はすでに考えている。
ただその方法は、三年前だとあまりに危険で実行すれば確実に命を落とす方法だった。
だからこうして時が過ぎるのを待たなければならなかった。
死ぬのは構わない。今更、生に執着する理由もない。
ただそれは成すべきことを成した後でなければ。
俺が復讐したいのは今のところ三人……。
元凶であるルクレス、レコンは当たり前だが、裏切り者のガウェインも許すことは出来ない。
ともすれば、テト、ラトリ、ルーイも同罪だろう。
トレスヴュールの面々は全員その可能性がある。
こんなにたくさんいるというのに、一人目で満身創痍になっている場合ではない。
確かに今でも指輪をどうにかする方法はリスクが多々孕んでいるが、もう俺が我慢の限界だった。
今年も彼女の命日近く、俺の偽りの誕生日が祝われる日がある。
一年、二年と鋼の意志で我慢していたが、今年はその自信がない。
あの優男の酷薄な笑顔を前にしながらおめでとう、と言われていつまでも我慢できる奴がいるだろうか。
ルクレスがレコンと共に来る可能性はあるが、奴は飽きてしまったのか二年目の時は来ることがなかった。
おそらく今年も同じだろう。
俺が殺すことが出来ないと高を括っているのか、レコンをどうでもいいと奴が思っているかは知らない。
どうであれ後数日経てば三回目の誕生日となり、その日何かしらの決着はつく。
あぁ、その日が楽しみで楽しみで仕方ない。
そんな俺の心の中には彼女が同じように祝ってくれた時のような幸せな気持ちは一片もなく、ただただ暗い悦びに満ち満ちていた。