第五十一話 唆す声
地獄のような時間から開放され、俺は自室にあてがわれた部屋に放り込まれた。
どの程度地下に拘束されていたかわからない。
執拗に魔法のことを拷問混じりに聞かれたが、記憶にないことを尋ねられても答えられるはずもなく。
むしろそれは俺も思い出したいことで……だがあの男はそれ抜きにしても拷問を楽しんでいたように思える。
淀みなく拷問器具を操っていたことから、日常的に使用している可能性が高い。
奴はなかなか俺が期待通りの叫び声を上げないことに不満を覚えているようだったが……。
俺はあまりの責め苦に声が漏れかけたことが度々あった。
体験したことのない未知の痛み、普段は怪我もしないような所ばかりを執拗に狙ってくるのだから。
度が過ぎようとしたタイミングを見計らって回復魔術を施され、拷問は延々と続くのだった。
意識を失えば水を被せられ、眠ることさえ許されない。
終わりを迎える頃には意識は切れ切れで、体を誰かに担がれ運ばされて今に至る。
気付けば窓の外から差し込む光もなりを潜めて、夜が訪れようとしている。
この部屋には時計もなく、時間という感覚が曖昧だ。
唯一食事を部屋に運ばれてくる時に今が朝だとかいつ頃だとか、なんとなく計れるぐらいだろう。
その時にはメイドのような服を着た女性がトレイに乗せた食事を運んでくる。
怯えた態度が印象的のメイドと会話も、目さえもろくに合わせない。
何かしらの情報でも聞き出そうかと思ったが、その前にさっさと部屋から退室してしまう。
「……窓もダメ、か」
癒されたとはいえ体は痛みを覚えているのか幻痛に苛まれた体をようやく起こし、窓辺に寄って外に手を伸ばそうとしたが、チリッとした感覚が指の先に走りそれ以上先には進めない。
おそらく魔術的な結界が施されているのだろう。
鉄格子さえなく外はクリアに見えているのに、手を伸ばすことも出来ない。
当然のように部屋から出入りする扉にも鍵がしっかりと掛けられていた。
「心技体の理を今ここに……っ。アナライズ」
ルクレスに指輪を埋め込まれた体はまともに魔術が使えなくなっていたが、MP消費のないアナライズは別口だったようだ。
それでも僅かながら胸に痛みが走り、危うく失敗するところだった。
この体では下級魔術さえまともに扱うことは不可能だろう。
そうしてアナライズで自分のステータスを覗いた時、更なる現実に直面する。
名前 … ミコト
性別 … 男
種族 … ハーフエルフ
状態 … 呪い
L V … 1
H P … 17 / 17
M P … 2359 / 2359
STR … F-
VIT … F
AGI … E+
INT … G-
DEX … E
S L … 高速思考Δ
覚醒・トゥルースサイト
フィーリングブースト
森羅万象
INTがGのマイナス。つまりはアナライズで測定できる最低値まで落ち込んでいた。
状態の項目にある呪いのせいだろう。
指輪をただ着けていた時よりも効力が高くなっているのは、何かしらルクレスが手を加えたせいか。
歯噛みしたくなる気持ちを必死に抑え、スキルの欄にも目を見やる。
高速思考は変わりなく、今でもスキルはちゃんと使えている。
トゥルースサイトには頭に覚醒とついたようだが、精霊の姿形をこの目に捉えられるようになったのがその表れだろう。
現状何の役にも立たないが。
フィーリングブーストは言わずもがな魔術を使える状態ではない今、確かめる術はない。
最後に森羅万象というスキルが新たに追加されていたが、何故かその文字は灰色になっていた。
森羅万象……言葉としてはあらゆるもの、という意味だったか。
用途も効果も不明。文字が灰色になっていることから、なんとなく今は使えないのではないかという推測ぐらいしかできない。
一通り今の状態を確認した後、魔術に値しないブーストを試して見るがやはり使えない。
代わりに全身あますことなく電撃に打たれたような痺れが襲い掛かり、姿勢を維持することも出来ずに倒れこんでしまった。
「…………ただMPが多いだけのガキ、か」
冷たい床ではなくふかふかの絨毯の上に倒れたから怪我一つしなかったが、重いため息を絨毯に染み込ませるように吐く。
同年代の子供の標準はE。それを考えると俺は貧弱な部類に入る。
この場所も規模もわからない所からそんな俺がどうやって抜け出せるだろうか。
窓の外は高い塀に阻まれていてよくわからず見当もつかない。
都合よく抜け出せたとして、外がどうなっているかわからないと無謀としか言えないだろう。
そもそもあの下種が何かしらの対処をしていないはずがない。
窓に掛けられた結界然り、俺にはまっているこの首輪然り。
「ミライ!!」
考えに耽っていたせいか、部屋に誰かが入っていたことも気がつかなかった。
その人物は倒れこんでいた俺の体を優しく抱き起こすと、心配そうな顔を覗かせる。
彼女の名前を未だに呼ぶようなクソは俺は一人しか知らない。
哀れな操り人形と化してしまった男、レコン・ルシエイド以外いないだろう。
「…………」
「ミライ!?大丈夫?大丈夫?」
俺の体を揺すりながら端正な顔立ちを歪ませる男に嫌悪以外の感情は生まれない。
まるで幼児になったかのように繰り返し大丈夫と声を荒げるレコンに、弱く俺は手で胸を押し返すことしか出来なかった。
拷問の後遺症である幻痛、そして先ほどのブーストの影響も手伝ってうまく体に力が入らない。
例え魔術も何も使えなくなった今だろうと、こんなことをされれば顔をぶん殴る程度の力はあるのだが、タイミングが悪いとしか言えなかった。
その行動にレコンは何を勘違いしたのか、手を握りながら俺の体を抱き上げすっくと立ち上がる。
そしてベッドの上にまで運ぶと、そっと俺をそこに寝かせた。
「大丈夫、私、傍にいる。大丈夫」
「…………」
再び同じ言葉を繰り返し、両の手で俺の手を握り締めてベッドの横に膝立ちするレコン。
俺は何も口にすることはない。
……この男はあれからも何度も俺がいる部屋に訪れては、こうして甲斐甲斐しくも優しく俺に接する。
言葉遣いが退行していたり、やたらと触れ合いを求めるこの男の様子は明らかにおかしい。
いや、そもそもが俺のことをミライだと思っているのだから……どこまでも卑怯で屑な男。
散々口汚く俺が真実を突きつけようとも、逆にこの男は不気味な笑顔を浮かべるだけで効果はない。
気味が悪くて本気で拳を叩き込もうとも子供の力だ、せいぜい僅かに血を流させるぐらいだった。
その暴力でさえも喜ぶのだから始末に終えない。
そう、この男もいずれ俺が殺さなければいけない相手。
憎むべき対象の一つ。彼女を死に追いやった原因の一人。
そんな相手から何故俺が逃げ出さなければならない?
こうして手に届く位置にいるのだから、すぐにでも行動に移すべきだろう?
(……いや確実に殺さなければ意味がない。俺は復讐を遂げるまでは死んではいけない)
なら我慢が出来るって言うのか?お前の憎しみはそれを許すのか?
あの白い喉を掻き切ってやろうとは思わないか。無様な命乞いを聞いてみたいとは思わないか。
この男も、あの化け物も絶対にぶっ殺してやろうじゃないか。
(不可能だ。この男はともかく、ルクレスは魔術も何も使えない今では手立てがない)
可能か、そうでないかではない。
やりたいか、やりたくないかだ。
ほうら、あの顔を見ろよ。あの油断しきった顔。こちらを心配そうに見る瞳。吐き気がするだろう?
おや、そういえばまだ朝食の時の食器が残っているな。ちょうどいい。
そこにフォークがあるだろう。手に届くはずだ。
力が入らないその体でも武器を使えばあの瞳を見えなくすることだって出来るだろう。
(…………)
真実を見ない瞳は不要だ。
(現実を見ない瞳はなくしてしまえばいい……)
手に取れ、その手に。
「離して……」
俺がか細い声でそう呟くと、ようやく反応を見せたことにレコンは喜んで両手をすぐにでも離した。
自由になった手を見やり、もう一度今度は小さく小さく声を出す。
レコンには聞こえないように。
その言葉には意味はなく、この男が何だろうとその顔を寄せることに意味がある。
近づいてくるその顔を他所に死角から手を食器の元まで移動させて、音を立てないように探り当てる。
そして柄の部分を握り締めると、レコンの横合いからその瞳目掛けて銀色に鈍く光を放つフォークを突きたてた――。