第四十九話 籠の中の鳥
一部、あらすじでも書いている通りの表現がありますので苦手な方はご注意ください。
俺の人生は裏切りの連続だった。
生きていく中で様々な人から裏切られた。
友達だと思っていた人、先公、好きになった人……。
その最期に裏切られたのは義理の母親だった。
ミコトに振られて引き篭もりになってしばらくして、見知らぬ女が家に来た。
その女は父親の再婚相手で、傷ついていた俺を根気よく毎日慰めにきていた。
だが、とんだクソヤロウだった。
前に話しただろう?俺が必死に勉強して自力で合格したって話。
実はあれはこの女の差し金だったんだ。俺の努力は実ってもいなかった。
単純にも心を許し始めた矢先のこと、あの女が笑顔の仮面を被りながら教えたんだ。
何故そんなことをしたのか聞いたさ。
哀れみだってよ。高みから俺を眺めて偽善で心を満たしていたらしい。
そして十分に満足した後はあの女が俺を殺した。
俺は部品だったらしい。親父が病気になったから適合する心臓が欲しかったんだってよ。
世話を焼いていたのもそのせいだったらしい。
それで以前の人生はおしまい。散々な人生には散々な結末が待っているだけだった。
……だが、どうして二度目の生を受けてからも続かなければならない?
ガウェイン。
あの男が貴族の奴と能面の男を連れてきた。
父親のような存在だと思っていたのに。ミライの仲間だと思っていたのに。
許せない。
許せない、許せない、許せない!!
例えどんな事情があろうとも、ミライが死んでしまったのはガウェインのせいでもある。
あの二人を連れてこなかったらこんなことにはならなかった。
憎い。どうしようもなく憎たらしい!!
俺だけではなく、ミライのことも裏切って今ものうのうと生きているのが許せない。
あいつにも必ず、必ず裏切りの代償を払わせてやる。
長年連れ添ったはずの精霊もミライを裏切った。
俺は別にいい。存在こそ感じていたが話も何もしなかったから思い出なんてない。
だがどうして親友を裏切れる?
生命の危機に瀕した時、我が身可愛さになるのは精霊も同じということか?
ミライがもしも生きていたら、そんな精霊の姿をみて……。
彼女の顔が涙で濡れていることを想像したら苦しくてたまらない。
復讐はすんでの所で成し遂げることはできなかった。
自分以外を信用したせいだ。他人の力に頼ったせいだ。俺が弱かったせいだ。
強くなりたい、強くなりたい、強くなりたい!!
誰にも頼ることのない力が、望めば叶えられるだけの力が欲しい。
どうしたら強くなれる?心の底から強くなれる?
暗闇の中で俺はそんなことをずっと渇望し続けていた……。
意識が浮上したと共に全身がとんでもなくだるく、指一本動かすのさえ億劫に感じる。
ここはどこだ、と思う前に再び闇の中に戻ってしまいそうになるのをどうにか堪えなければならかった。
意志の力で捻じ伏せると、ずきずきとこめかみを金槌で叩かれているような痛みが走る。
体の虚脱感も手伝って目覚めは最悪だった。
「……くっ」
しばらく時間を置くと僅かずつだが体に自由が戻ってくる。
とはいえ芯に疲労が溜まっているのか完全には抜け切れない。
何かしていなければまた眠ってしまうかもしれない。
俺は声を上げながらも手をついて体を起こそうとした。すると手に残る上質な手触りにふかふかとした感触。
どうやらベッドの上にいるらしい。
苦労しながらどうにか上半身を起こすと、室内の様子が見渡せるようになった。
傷一つ、埃一つ見当たらない家具の数々。それだけではなく高級感も兼ね備えた最高級品。
まず最初の項目だけでも庶民の家ではありえない。
鼻につくのは何の匂いだ?おそらく何かの花の香りなのだろうがわからない。
ミライと過ごしていた家よりも数倍は広い部屋の中、俺はその中心にあるベッドで眠っていたのか。
取り囲まれるように家具は配置され、まるで監視されているかのようだった。
頭痛を我慢しながら意識を失う前のことを思い返す。
殺されずに捕らわれの身となったということだろうか。
みすみす捕まってしまったことに口惜しさで舌を噛み切りそうになる。
その時、喉元に妙な感覚を覚えて手をやると、何か首にぐるりと輪のような物がはまっていることに気付いた。
いやそれ以前に俺が着ているこの服は……。
「女物の服……?」
「目覚めたようですね。ご機嫌はいかがですか?」
そう独り言を呟いていたら、無造作に部屋の扉が開かれてあのルクレスという能面の男が姿を現した。
あの時の姿のままで不吉な黒いローブを纏い、斬り飛ばしたはずの腕も何事もなかったかのように元通りになっていた。
反射的に魔術を唱えようとしたが詠唱の途中で胸を締め付けられたような痛みが襲い、言葉を発することさえ難しくなる。
「おぉ怖い。姿を見せただけで攻撃してこようなどと、ワタクシ、憎まれておりますねぇ」
「き……さま…………俺の体に、一体何をした……」
「ミコトさんはあの指輪を大事そうにしていらっしゃったので、なくさないようにここに埋め込んであげましたよ。オマケもつけてね。ヒヒヒッ」
不気味な笑い声を上げながら、ルクレスは自分の胸の中心あたりをとんとんと指差した。
あの痛みはそのせいか。どこまでも下種な野郎だ……。
際限のない憎しみが湧き起こり臨界点を突破しようとした時、ルクレスの背後からぬうっともう一人の男が姿を現した。
ミライの死の元凶の一人でもある貴族の男、レコンだった。
生気のない瞳にほつれた髪。
とぼとぼと部屋の中に入ってきたレコンは頼りない足取りで、背筋もなだらかに曲線を帯びて覇気が全くない。
この男とは短い間しか接していなかったがこんな男だっただろうか。
「ほらレコン様。ここにいらっしゃいますよ」
「あ……?お、おお……!?」
束の間、あらぬ方向に進み始めていた男がルクレスの一言でこちらを振り向いた。
ピントが俺に合った瞬間、レコンは歓声を上げて小走りに俺の方へと近寄ってきたかと思うと縋り付くように手を取られた。
あまりの怖気さに空いていた手で殴ろうとしたが、呆気なくその手もレコンに止められる。
「離せっ。クソが!」
「あ、ああぁ……」
意味のわからないことをもごもごと口の中で反芻し、陶酔しきった表情で俺の手をレコンは頬ずりした。
気持ちが悪い。
生理的嫌悪以上に、母親が死んだ原因ともなる男にこんなことをされることに吐き気を催す。
必死で引き抜こうとするが力では適わなく一向に解けない。
「屑が死ね!」
短い罵倒の言葉と共に振りかぶってからのヘッドバットをぶちかます。
さすがにそれは予想していなかったのか、防御する間もなくもろにレコンの顔面に入った。
頭部が歯に当たった硬質な感触を感じつつ、レコンはようやく手を離し無様に尻餅をついた。
奴は俺の顔を目を見開いて床から見上げながら、口の端から血を流していた。おそらく当たった拍子に切ったのだろう。
ざまあみろ、と心で浸る前にいきなりレコンがへらへらと締まりなく笑い出した。
「レコン様が嬉しそうで何よりでございます。彼女はここにいますからご安心なさい」
「てめぇ、こいつにも何かしたのか」
「彼女が死んでしまってから抜け殻のようになりましてねぇ。それではワタクシも困るのですよ」
「……」
「だから貴方を彼女に仕立てることにしました。その格好もその一環ですよ。首輪はワタクシからのプレゼントですけどね。ヒヒヒッ」
レコンの尋常ない様子もやはりこの男が仕組んだことだった。
おそらく精神系の魔術でも使って操作しているのだろう。
首に回っているこれもどうせろくなものではない。
部屋に備え付けられた大きな立ち鏡を見れば、黒い首輪をした白いネグリジェを着た俺が映っていた。
倒錯的な絵面に妙な気持ちを抱く野郎がいてもおかしくはないが、最悪な奴がすでにそこにいる。
俺をミライと思わせているだと?ふざけやがって。
そんな居心地のいい夢に逃避することなんて許されない。
現実を見ろ。お前が、俺たちが彼女を殺したんだ。
「レコン様に何を言っても無駄ですよ。彼は貴方しか見ていない。貴方の外見しか、ね」
「俺を飼い殺しにでもするつもりか?」
「まぁ似たようなものですかねぇ?楽しい一時を一緒に過ごしましょう、ミ ラ イ さん?」
「……てめぇは絶対に殺してやる。俺を生かしていたことを必ず後悔させてやる」
「ヒヒヒッ!!それはそれは楽しみにしておりますよ。魔術も魔法も失った貴方がどうするのかずっと見ておりますからね」
そう言ったっきり、ルクレスはレコンを立ち上がらせると何をすることもなく部屋から立ち去った。
名残惜しそうなレコンの顔を最後にぱたりと扉が閉まる。
残されたのは広い部屋の中に俺一人。
胸の内に沸々と込み上げるものは憎しみ一色だった。
頭の内を占めるのはあの二人の確実な殺し方。
魔術も魔法も失ったというが、スキルはなくなっていなかった。
目覚めたその最初の日、俺は目まぐるしい程に殺害のシミュレートを繰り返し続けていた。