第四十六話 腐食竜
魔物たちが一掃された空に残されたのは、一人の復讐者と追い込まれた召喚士だけだった。
復讐者である少年は静かになったその場所で、弓に手を当ててもう一度剣へと変貌させる。
弓で間接的にいたぶるつもりはなかった。弓を使っていたのはただ単に数が多くて煩わしかっただけ。
あいつは直接この手でその身を切り刻みその感触を味わいたかった。
どこから切り刻もう。
腕か。
足か。
それとも薄く肌を刻みながら生殺しにしていくか。
沸々と暗い喜びが胸の中を支配し始めるが、それもまだはやい。
焦ってはいけない。能面の男はまだ手を残しているじゃないか。
その希望も打ち砕き、それでもまだ抵抗するのなら更に……絶望を覚えるまで繰り返せばいい。
殺すのは一番最後のとっておきだ。
少年はその時のことを想像してしまい、我知らずに薄く唇の端が上がってしまっていた。
ルクレスは少年が何も仕掛けてこないこととその笑みを前にして、言いようのない怖気が走るが詠唱を止めなかった。
ふとその時、これでも適わなかったら、という思いが頭をよぎる。
残された手はほぼなくなっているといっていい現状、詰みに近い。
成すすべなく無様に殺されるだけならまだマシだろう。少年の様子を見るに、そんな生易しいもので済ますはずがない。
そんな不安が詠唱に悪影響を及ぼさなかったのは彼の修練の賜物だろう。
すぐにでも逃げ出したい気持ちだったが、ルクレスは召喚術の最後の一節を唱えた。
「……地の底から蘇る太古の種族よ。その身不滅なりて生命を冒涜し、現生する生者をくらい尽くすがいい。召喚!」
魔術の媒体である大きな宝石が嵌められた指輪をルクレスが掲げると、詠唱が終わったと同時に宝石は砕け散った。
一度きりしか使えないアーティファクトであるが、その分、媒体としては非常に強力な魔道具である。
何もない空間に大きな穴が出現すると、その奥からぬうっと何かが頭を出した。
雄雄しい二本の角に眼孔から覗く赤い瞳、そして口内から垣間見える鋭利な牙。
穴を無理やりこじ開けながら、次に見えたのは捕食者の鉤爪。
体の方がようやく外に出るとそこには二対の立派な翼が背に生えて、空の王者たる風格を纏っていた。
最後に穴を抜け出したのは長くしなる尻尾だった。
「竜……」
ミコトの呟きはまさしくその魔物を表すに相応しい。
だがしかし、その竜はただの竜ではなかった。
全身が爛れて所々から骨が見え隠れしており、頭に至っては皮膚がもはやない。
「腐食竜。世界から消え去ったといわれる竜を目の前にしていかがです?」
いくらか疲れた声を上げながらルクレスは腐食竜の横に並ぶ。
竜の全長は二十メートルはあろうかという巨体だった。これに比べれば人など豆粒に等しい。
「………………」
少年はその竜の姿を見てからどこか様子がおかしくなっていた。
酷薄な笑顔を一変してどこか苦しいような、泣き出すかのような顔をしていた。
ルクレスは怪訝な表情を仮面の裏で浮かべる。予想だにしない反応だったからだ。
しかしそれは少年も同じこと。
竜など見てもただのデカブツだと思う一方で、心のどこかで激しく気持ちが揺さぶられている。
まるで自分の中に誰かがいるような感触。
いや、実際に少年の中にはもう一人いるのだ。ミライから継承された記憶にそれは残されていた。
スラム街のあの時、聞こえた声の主……。
「グァァァアアアアアアア!!!」
些か気にはなるがルクレスは後手後手になっていた現状を思い出し、竜に命令を下した。
内容は言わずもがな少年の排除。
轟く咆哮が空に響けば、腐食竜が翼を羽ばたかせる。図体の割りには素早い速度で頭からぶつかるように少年に襲い掛かった。
それに致命的に反応が遅れたのは少年だった。眼前に至るまでぴくりとも動かなかったのだから。
大質量の竜と小さな子供では、いくら規格外の力を持っている少年でもねじ伏せることは叶わない。
直前に風の障壁を張ることは出来たが、完全に押し負けてしまっている。
障壁越しに頭蓋骨そのままを晒した竜が、少年を丸呑みにしようと顎を大きく開けていた。
死してなお、その脅威は薄れることを知らない。
「調子に……乗るな!!」
不利だと感じた少年は一旦端距離を離すべく、魔物に取り囲まれた時のように風の障壁を爆発させることにした。
今度は自分も巻き込み無理やりに間合いを。
ボゥン、と至近距離で爆発させ姿勢制御を失わないようにして反動を利用する。
どうにか距離を開けることには成功したが、矢継ぎ早に竜は追撃をかけてきた。
愚直に突進してくる竜に対し、少年は全力全開のウィンドをお見舞いする。
魔弾、というよりもはや大砲と称した方がいいだろうその魔術は、開幕にルクレスに向かって放っていた時よりも数倍は大きい。
強力さに見合った空気を振動させる重低音を鳴らし、発射。
物体を粉微塵にすり潰すその魔術は、しかし竜の頭に直撃したはずなのにこれといってダメージを与えられなかった。
突進の勢いを殺すことなく再び竜が少年に魔の手を伸ばそうとしたが、今度は少年も待っているわけにもいかない。
背中の四枚羽を駆動させて空を華麗に舞う。
図体がでかい分、竜は小回りが利かないのだろう。
しばらく止まることができなかった竜に向かってもう一度魔術を放ったが、やはりこれといったダメージを与えられない。
「どうです?この竜は。特別製でしてね……。魔術にも強い抵抗力があるのですよ」
ヒヒヒ、と耳障りな声を上げたのは少年の真後ろの位置にいたルクレスだった。
護衛の魔物を数体召喚して、自分はその後ろに隠れていた。
前には竜がこちらを睨みつけ挟撃をされる形となっていたが、少年が今気にしていることはそれではない。
自分の中にあるこの気持ちがひどく気に障っていた。
(余計な感情を感じさせるな……。憐憫?ふざけるなよ……!俺の前に立ちはだかったのならそれは憎み、殺すべき悪だ!!)
ざわざわとそれでも心が波打ち、チッ、と一つ少年は舌打ちをした。
少年の中にいるもう一人は竜に哀れみを感じていた。あんな姿になってまでも使役されているという現状に。
そんなものはくだらない感傷だと、少年は切り捨てる。
言ってわからないのなら行動で示してやろう。
そう少年は結論付けると、後ろを気にすることなく今度は自らが竜に向かって加速していく。
Cブーストを全身にかけてステータスを補強した少年の速度は音速に近い。
常人ならばあまりのスピードに自分でさえ置いてけぼりになるだろうが、少年は併用して高速思考も発動させていた。
誰もが止まった思考のみが加速する世界に、少年はついに自分だけが動ける領域に到達する。
もはや追随する者が存在しない絶対の領域。
その世界で少年は竜の体に沿って風の剣を突き刺し、捌くようにして飛行しながら竜の後ろ足付近まで振りぬいた。
大言を吐いた割にはあまりに呆気なく、魔術にしか抵抗がないのならこうしてなます切りにしてしまえばいいだけのこと。
そうして高速思考を解除して少年は旋回しながら振り向いた。
「何……?」
一撃で終わるとは少年も思ってはいなかったが、予想だにしない光景が広がっていた。
竜の体を切り裂いた傷の上に魔法陣が浮かび上がり、一瞬の内に跡形も無く傷を塞いでしまったのだ。
なるほど治癒能力持ちか、と軽い驚きをおさめると今度は弓に変化させて竜の体全体に爆砕する矢の雨を降らせた。
着弾と共に体内に潜り込んだ矢は暴虐の力を解放し爆発。
巨体を誇る竜のあらゆる場所で骨と腐肉が弾け飛び、苦痛に満ちた竜の嘶きが空を振るわせる。
しかしそれも先ほどの魔法陣が姿を現すと、瞬く間に傷跡が癒えてゆく。
驚異的な回復力。
否、弾け飛んだ肉片が地に落ちることなく消えてしまっていることから考えると、時間を遡行させているのだろうか。
あたりをつけたが早いか、少年は今度は魔法による攻撃を連続して行う。
『その身、黒き風にて食い潰される。心さえ、魂さえ残すことは許さない。
絶望の海に沈んで消えよ "凶ツ風"』
音もなく現れた黒き風は竜を取り囲もうとはせずに、少年の後ろに展開していった。
凶ツ風そのものは速さで言えば遅く、簡単に振り切られてしまうと思ったからだ。
ルクレスを風の魔術で足止めしていたからこそ、最初は使えた戦術だった。
そうして展開した風の中から、数え切れない黒羽が生まれると我先にと竜に向かって飛び交う。
百を超える羽の群れの悉くが竜の体に突き刺さる。まさしく百発百中。
その全てが爛れた皮膚に、剥き出しになった骨に、竜の名残を残した死体に腐食をもたらす。
「無駄ですよお!?腐食竜の由来は伊達ではありません。ヒヒヒッ!!」
ルクレスの言葉は確かにその通り。
黒羽がその効果を発揮しようとしても竜の体が腐り落ちることはなかった。
怒りに満ちた竜の嘶きが木霊して全身を振り動かすと、黒羽は呆気なく落とされて消えていった。
攻撃の全てを防いだことで、ルクレスに心の余裕が戻ってきた。
切り札として持っていたものがこれでよかった、と安堵したぐらいである。
少年の魔法と相性がよく、腐食の力も無効化することができる。
他の魔物ならばどれほど強力であろうと、あれをくらえば死んでしまうとこだっただろう。
頼もしく見える腐食竜を向こう側にして、ルクレスは攻略の糸口を模索し始める。
腐食竜の防御は完璧だろうが、いつ少年が気が変わりこちらに攻撃してくるかわからない。
その前にこの少年を倒さなければならない……。
久しぶりのちゃんとした更新であとがきも復活!
ルクレス戦も終盤、切り札も登場したということでやはり一話ではおさまりませんでした。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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続けて読んでくださる方もありがとうございます。
ようやく普通の更新に戻れそうなので、迷惑をかけていた皆様はすみませんでした。
それではまた次の更新で。




