第四十一話 大切な人がいなくなった世界で
夢の世界から舞い戻ってきた時のように意識が急に浮上し、俺は目を見開いた。
暗い世界が視界に広がっている。ここはどこだ?
俺は……。
そうだ、俺は死んでしまったんだ。
気付いた時にはテラという世界に転生してしまった時のように、また俺は産まれ落ちたのだろうか。
……そんなものはどうでもいい。
俺はまだミコトだ。ミライの息子であるミコトだ。
今さっきまで俺はミコトとして生きていたのに、そんなすぐに次の人生を生きることなんて出来ない。
どうせ生まれ変わるのなら、記憶さえ真っ白にしてしまえばよかったのに。
そうすれば迷うことなく生きれた。こうして喪失感に心を痛めることはなかった。
俺はもう一度ちゃんと生きられるのだろうか?
この世界に彼女はいない。
その事実だけで胸の内はこんなにも空っぽで、何の気力も湧きあがってこないのだから。
「――!」
「…………。………………」
暗い世界の中にも俺以外の誰かはいるようだ。はっきりと聞こえるわけではないが、声が耳に届いてくる。
取り乱したように慌てている声と、何かをぶつぶつと呟いている声。
どこかで聞いたことがるような、でもどこだかわからない。
ただのデジャヴだろうか。
そういえば俺は今度はどんな風に産まれてきたのだろう。
一番初めは人間だった。その次はエルフ。今は……魔物だったりしてな。
必ずしも人型の生物に産まれるとは限らないから、その可能性はありえるだろう。
だから俺は確認の意味も込めて、自分の右手を目の前に持ってきた。
その手の人差し指に銀色の指輪を見つけるまで、俺は何にも気付くことはなかったんだ。
「………………え?」
何の細工も施されていないシンプルな銀の指輪。
人差し指から抜き取れば、本来のサイズに戻って一回り大きくなった。
見間違いようのない、ミライが魔力を抑える為にくれた魔道具そのものだった。
俺はまだ死んでない?
そのことに気付きがばりと体を起こすと、俺の体に掛かっていた何かがずれて横に落ちた。
薄暗い部屋の中で目を凝らすと見覚えのある女性の服が目に入る。
今朝、出かける際にミライが着ていた服とそっくりの……。
その瞬間、膨大な情報が頭の中に飛び込んできた。それはある者の一生を教えてくれるものだった。
「あ、ああ……ああああぁぁぁぁ!!!」
過去の全ての記憶、経験、感情が俺の中で渦を巻く。
とても処理なんて出来そうにない、意識が吹き飛びそうなほどの情報量。
ともすれば心そのものが破壊されてもおかしくはなかった。
過去から現在へと遡り、そうして終わりを迎え、それでも耐えられたのは一種の奇跡かもしれない。
今更……奇跡なんてものは、本当に今更。
彼女がすでに俺に奇跡をくれていたのだから。
俺は全てを理解した。彼女が、ミライがリヒテンにいた理由も。
あの時俺に泣きながら謝っていた理由も。
そしてどれだけ俺のことを愛していてくれていたかも。
魔法の光の中で事切れた俺に向けて笑いながら、自分がもうすぐいなくなると知っていて尚、恐怖など微塵も感じていなかった。
一言だけ、俺に幸せに生きてね、と言葉を残して彼女はただただ、俺ともう一緒にいれなくなることを悲しみ……。
二度と抱き締めてあげられないことを哀しみ、そして。
「うああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
そして、消えていった。奇跡の代償に。
魂の底からの叫びはそれだけでも足りない。叫びなどでは何も解決しない。
心の中で抑えきれないほんの一部がそうやって表に出ているだけで、一向に枷が外れた荒れ狂う感情は留まることを知らない。
「お前は……!死んだはずでは!?」
「うああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
「ミライがいなくなって貴様が生き返る、だと?そうか……。そうか、貴様のせいでミライは!!」
………………何?今、何って言ったんだ?
天に向けて叫びを上げていた俺の耳に、いつかどこかで聞いたようなセリフが聞こえてきた。
首を傾けて声の発生源を辿ると俺を刺した貴族風の男が怒りに顔を染めていた。
まるでそれは悪鬼羅刹――。
「お前が……お前がミライ(聡子)を殺したんだッッ!!」
………………はは、ははっ!あはははは!!
滑稽だ、あまりに滑稽すぎる!
どうして二度も生を受けて、二度も同じようなセリフを聞かされて、そしてそのことが真実だと思い知らされるだろうか!!
おかしくてたまらない。愉快で憐れな喜劇じゃないか。
そうだ、俺のせいで二人は死んだんだ。
俺のせいで……俺が生きていなければ……。
「私のミライをよくも……!許されざる命、復讐を遂げさせてもらうぞ!!」
聖なる誓いのように言葉を立ててから、男は木の床を蹴りつけ目にも止まらぬ速さで眼前まで迫り来る。
その手に血塗られた銀のレイピアを携えながら。
その血は誰の血だ?
そう、俺の血と彼女の血で出来ている。
復讐という甘い酒に酔っただけの男が、俺をもう一度殺そうというのか?
確かに俺は死んだ方がいいのかもしれない。今だって自分でもそう思う。
だが、貴様に俺を殺す権利だけは譲らない……。
復讐は酔いしれるものでもない。身を焼き尽くして、全てを掛けて相手を呪い殺すことだ。
それをお前に教えてやる……。
「高速思考……展開」
移り行く思考。止まり始める時間の狭間。全ての存在を置き去りにする孤独の世界。
彼女の経験によるブーストの最適化はすでに完了している。
全身にCブースト相当の能力補正がかかり、この男の攻撃などもはや脅威ではない。
愚直にまた心臓を狙ってきているようだが、お前にくれてやる命はもうない。
銀のきらめきを放つ凶器に俺は合わせるようにして横合いから右手で掴み取った。
「何!?」
刺突武器とはいえ両刃のレイピアを素手で掴み取ったおかげで掌が切り裂かれ、血が吹き出した。
鮮烈な痛みが脳髄を駆け巡るが、どうということはない。
驚愕している男の顔など見ても波立つ感情などもない。
あるのはただの一点。闇より深い曇りなき憎しみだけ。
お前がここに来なければ、お前が生きていなければ、お前が存在していなければ。
「くっ、離せ!!」
引き抜こうとする力に逆らい、俺は更に力を込めて刀身を握り込んだ。
更に血が勢いを増して出血するが構うものか。回復魔術がある限り、どんな怪我だろうとすぐに治せる。
暴れ始めた男が更に余計なことをしない内に、俺は出力を抑えた風の魔術を男のどてっぱらに叩き込む。
呆気なく男は武器から手を離し吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
木の壁は衝撃によって亀裂が入り、ぱらぱらと木屑を零して男はその場に崩れ落ちる。
死にはしないだろう。まだ死んでもらっては困る。
「素晴らしい……。継承魔法とはここまでの潜在能力を発揮する物ですか」
「化け物が、人の言葉を喋るなよ」
「おや。気付いていらっしゃった。これはこれは、子供と思って侮っていてはいけませんねぇ……」
ヒヒヒ、と不気味な声を洩らして仮面の男はまるで貴婦人に挨拶するかのようにかしこまった礼を披露した。
ミライから継承を受けたからこそ、この目の前にいる仮面の男の異様さが更に浮き彫りとなっていた。
胸糞が悪い。人を象っただけの人外が。
「ワタクシの名前はルクレス。お名前を伺っても?」
「ミコト」
「素っ気無いですねぇ。せっかく綺麗なお顔をしているのに勿体無い」
「答えてやっただけありがたく思え。それにどうせ愛想振りまいても無駄だ」
「ほう、それはまたどうして?」
「お前も俺が殺すからだ」
「…………ヒヒッ。ヒーヒヒヒヒヒヒッッ!!!!」
心底面白い話を聞いた時のように、ルクレスは腹を抱えて大笑いした。
能面に刻まれた酷薄な笑顔が際立って不気味に映る。
隙だらけに体を晒しているように見えるが、この化け物の多層魔術障壁がある限り魔術に対する防御力は完璧といっていい。
身体能力を活かして攻撃を仕掛けるか?
いや、貴族の男のレイピアはあるが、ただの武器が通用するとは思えない。
そんな不確定な手段で戦うわけにはいかない。
こいつは必ず殺す。そこで寝ている貴族も殺す。
絶対に絶対に許さない。死さえも生ぬるい苦痛を与えてから殺してやる。
憎悪で身が焦がれる。はやく、はやくと急かしている。
だから俺は迷いなくそれを選択した。
後先などもはや考えない。先にあるのはこいつらだけの死だけでいい。
目には目を、歯には歯を。化け物には化け物になって対抗するしかない。
力が、力が欲しい。
誰にも負けない力が欲しい!
「その力を……!シルフィード!!」