第四十話 継承魔法
親子の美しい愛情劇にルクレスは拍手を上げたい心持だった。
瀕死になって死の恐怖に怯えるわけでもなく、愛した人を助ける為に残りの命を費やすなど並大抵の人では出来るわけがない。
そこに転がっている魔術の恐怖に失禁した哀れな男とは比べるまでもない。
それだけにおしい。
逸材だっただろうに死んでしまうとは、おお、情けない。
生きていれば自分が存分に活かしてやることが出来たのに。
いや?死んだ後でも利用は出来るか。
沸々と邪悪な思いつきが泡のようにぷくぷくと浮かび上がるが、さて、その前に母親はどうするべきか。
先ほどの魔術を見た限り、一筋縄ではいきそうにない。
彼女が放ったのは下級魔術であるウィンド。
本来、牽制程度にしか使えない小規模な魔術である。
それをあそこまでの威力に仕上げるなど、彼女も子供と同じように逸材ということだろう。
ならば生きたまま捕らえ、その子供である死体も手に入れてご満悦……といきたいところなのだが。
いかんせんあまり用意をしていない。
戦闘をするつもりがなかったので使える手持ちが少ないのだ。
さて、どうしたものか……邪魔な荷物もいることだし。
ちらり、と床を濡らしているレコンを見下ろす。ぽかんとした表情のままで放心しているではないか。
使えない男だ。肉壁ぐらいにしかならないだろう。
「…………………………」
彼女の様子を見れば、亡骸をその胸に抱いて黙り込んでいた。
事切れた子供にずっと泣きながら話しかけていたというのに、どうしたのだろう。
レコンと同じように放心しているだけか、はたまた。
まぁそれはどちらでもいいことだ。
自分たちに復讐をするべく襲い掛かってきたとしても何も問題はない。
エルフである以上、彼女も魔術師なのだろう。ならば万に一つも負ける可能性はない。
ワタクシの多層魔術障壁は上級魔術だろうと耐えてみせますからねぇ……ヒヒヒッ。
「……な…………い」
おや、と思い耳を澄ませれば何か彼女が呟いているのが聞こえてきた。
恨み言だろうと、嘆きの言葉だろうと、ルクレスにとっては甘い歌声にしか聞こえない。
聞き取りやすいように仮面の横に耳を当てて楽しみに待つことにした。
「しな…………い」
それでもなかなか聞き取れないのがもどかしくも、どんな声を聞かせてくれるのかわくわくする。
童心に返ったルクレスは辛抱強く言葉の続きを待つことにした。
だが、続く言葉は残念ながら彼の期待に添えない妄言であった。
「死なせない!!」
そんな言葉を呟いていたのだこの女は。興が一気に冷めるというものである。
才能豊かな逸材だと思っていたが、どうやらその前にただの感傷的な母親に成り下がってしまったらしい。
すでにあの子供は死んでいる。
認めようとも認めないとも、それは確かな事実。
人の生き死にを腐るほど見てきたルクレスには一目でそれはわかった。万が一などありえない。
そう、魔術で死んだ者を生き返すこともそれと同じだ。どんな手段を使おうと可能性はない。
彼らの永遠のテーマである死者の復活は今現在、どんな高名な魔術師だろうと成しえた者は存在していない。
まぁそれでも素材としては使えるのですが……それとも甘い言葉でも囁いて希望を持たせた後に、というのも面白いのかもしれませんねぇ。
即座に外道な考えが思いつくルクレスは相当に捻じ曲がっている。
ゾンビにするのは容易いですから、それで生き返りましたよーっということにして、母親を襲わせるというのはどうでしょう?
ヒヒヒッ。さて、彼女は喰われる事を望むのか、子供をもう一度殺してしまうのか、見ものですねぇ……。
いつもの不気味な笑い声を上げて、ルクレスは妄想の世界に入り込んでいた。
だがそれが彼の一つの過ち。
愉快な想像に浸っていたから、彼女の起こした次の行動を見落としてしまった。
それがまさかありえない事態を起こすことになるとは知らず。
「ヒヒッ。ヒヒヒ!!…………っ!?」
突如として膨大な光が部屋の中を満たし始めた。
昼間の太陽に匹敵、いや、それ以上の輝きで視界の全て埋め尽くしていく。
仮面を被っているルクレスもそれは例外ではなく、彼の黒いローブでさえ染めつくす。
白い閃光はエルフの女を中心に放たれているらしい。
事の真相を見定めようにも目を開けることは叶わない。網膜を焼き尽くされるのが落ちだ。
ルクレスは咄嗟に顔をローブで隠してやり過ごす。
「一体……何をしているのですか。不快、不快ですねぇ……この光」
闇の中に生きる彼にとってもはや慣れ親しんだ暗闇こそが友であり、眩く世界を照らす太陽など忌々しいとしか思えない。
これはそれと似ている。生きとし生けるものに生命の輝きを与えるような、そんな光。
強烈な閃光はそれから少しの時を経て、消え去った。
ようやく不快な光に身を晒さずに済んで、ルクレスはローブの中から顔を出した。
件の光を放った女に不快な思いにしてくれた礼をしなければならないと思いつつ。
だが結果として、彼のそんな思いは霧散していった。
「こ、これは…………」
目の前に広がる光景にルクレスは言葉を失ってしまった。
光り輝く魔方陣が複数に渡り展開されていた。陣がいくつも重なり、別々の軌道を辿りながら回転している。
その一つ一つが解読不能な文字でこと細かく魔法陣の全体を構築し、美しいまでに洗練された幾何学模様を宿す。
その中心で女は瞳を閉じ、亡骸を胸に抱いて歌っていた。
粛々とその口からは心に直接潜り込んでくるような旋律が部屋の中に響き渡る。
意味は理解できない。おそらく、あれは言語として聞こえない。
(魔法使いか!この女!?)
魔術の埒外……一個人ではけして手に入れられないはずの強大な力を会得した魔法を操る者たち。
懇願し、切望した己が決して手が届かなかった領域。
そんな力を持った規格外の生き物が目の前にいる。
魔法に憧れたからこそ、実物を見ればルクレスにはすぐにそれが本物だとわかった。
「その魔法は見たことがある……。遥か遠い昔、それこそ記憶の彼方に確かに……」
魔法の名前は継承。幾重にも空中に浮かぶ陣が術者の知恵や経験を移し読み、生きてきた全てを他者に伝える魔法である。
だがそれは竜の……何故この女が使えるというのだ?
あまりに不可解。
魔法はその強大さ故に使い手を選ぶ。
生まれや性別、果ては受け継がれた血族だけにしか使えないものもある。
最初からその選定に外れた者が魔法を扱えることなど絶対にありえないのだ。
彼が知っている継承の魔法はエルフである彼女には使えないはずだった。なのに何故?
「ルクレス……ミライは、一体何をしているのだ」
「……」
「答えろルクレス!彼女は何を……」
「黙れ人間風情がッ!!理解も出来ないというのならその口を永遠に閉じていろ!!」
普段の口調さえも忘れてしまったルクレスの怒鳴り声に、レコンは口を閉ざすしかなかった。
彼女の魔法は未だに続いている。響き渡る調べは段々と力強さを増していく。
邪魔をすることは出来ないだろう。
あの陣は魔法の構成そのものであると共に、外敵を術者に近寄らせない為の盾でもある。
武器など使っても無駄。大砲でさえ容易く弾き返すだろう。魔術など言わずもがな。
同クラスの魔法でも使えばあるいは、といったところだ。
つまり手出しすることは出来ず、ただ成り行きを眺めることしか出来ないというわけだ。
そのことにルクレスは例えようのない苛立ちを覚える。
自分の思い通りにならないことなど、あってはならないものだ。
人の身を捨て、心を捨て、代わりに得た物は強大な力だったはず。その自分が届かないものがあるなど……!!
「忌々しい魔法使いがっ……」
「――――――」
その言葉に答えたわけではないだろうが、ルクレスが吐き捨てた言葉と時を同じくして、彼女の魔法は終わりを迎える。
再び全ての魔法陣が光り輝き、部屋の中を閃光が満たしていく。
害はないが鬱陶しさにルクレスはたまらず舌打ちをした。
次に何が起こるのか彼には予想がつかない。
継承の魔法は知っている。大まかな効果も知っているつもりだ。
この女がその魔法を使っている理由がわからない。死者にそんなことを施しても無駄だというのに。
彼のもう一つの過ちはそれだった。
魔法の理解が足りていなかったこと。だから彼女が起こした奇跡を目にするまでは、思いつきもしなかったのだ。
光が、止んだ。彼女の旋律も止まってしまった。
音さえもなくなってしまったかのように、ルクレスもレコンも身動きさえせず固まっていた。
その場にあるのは傷一つさえなくなってしまったエルフの子供と、その子供に覆いかぶさるようにして残っている女性の服だけ……。
子供が生き返っているのはその上下している胸の動きでわかった。
血に赤く染まった左胸も破れた箇所だけを残して傷跡はなくなっていた。
「死者の蘇生?馬鹿な……そんな効果は。いや、己の身さえも継承することで副次的にもたらした?」
「……み、ミライはどこだ?どこにいった?」
慌て始めるレコンに答える者は誰もいない。雇われ者であるはずのルクレスは目の前で起こったことを解析しようと考えを巡らせている。
喧騒、というまでもないが多少騒がしくなった部屋の中で、少年は静かに覚醒する。
未だ自分が救われたことを知らずに……。




