第三十七話 鐘の音色
それから日々は瞬く間に過ぎていった。
スラム街で起こっていた誘拐事件は調べを進めていくにつれ、たくさんのことがわかった。
まず行方不明となっている人が実に数百にも到達する勢いであること。
スラムの人口がどれだけいるかは知らないが、これはけして少ない数であるとは言えない。
また誘拐する以上はその人々を何かに利用するはずだ。
平民、もしくは貴族ならば身代金といったものを手に入れることもできるだろうが、スラムの住民にそれは期待できない。
つまりは奴隷として攫っているというわけだ。
……スラム街の祖先が奴隷として連れてこられたことを考えると、とてもやるせがなく歯がゆい。
しかし不思議なことにどうも奴隷が他の街や都市に売りに出されている、という記録はないようなのだ。
この事件が起こり始めたのを遡れば、数ヶ月前に突如として始まったようなのである。
数人が消えたのならばごまかしも効くだろうが、これだけの大人数を短期間に外に出せば嫌でも目立つというもの。
その形跡がない、ということは……この街、リヒテンに消えた人々がまだいる、ということになる。
それが生きているか、はたまた死んでいるかは定かではないが……。
その事実を聞いたテトたちはいやがうえにもやる気を見せ始めた。
活発に活動を開始して、チーム全員がトレスヴュールに移り住んでしまうほどの勢いだった。
確かにあの酒場は結構な広さを誇っていたが、居住空間もそうだっただろうか。
ガウェインに話を聞けば、使っていない三階をまるまる貸し渡したそうだ。
案外この親父も子供たちと接するにつれ情が湧いたのかもしれない。基本的に子供が好きなそうだから。
ただティアには絶対に手を出させないよう、目を光らせている姿がとても印象的だった。
ティアは歳が近い子供がたくさんお家に来てとても楽しい!と喜んでいたのだが。
だが相変わらず俺に対してはご執心のようで、ガウェインの嫉妬まじりの視線と、最近は更にテトたちの冷やかしも加わって厄介なことこの上ない。
プリムラがあまりトレスヴュールに来ないことだけが救いだったが。
……これでプリムラまでもがいたとなると、寒気が止まらない。
そのテトたちのことを手伝うといったプリムラはと言うと、やはり貴族という立場が邪魔をするのか思うようにいかないようだった。
まさか貴族がスラムに入って手伝うわけにもいかず、もっぱら俺と行動を共にしていた。
それでも外に出ることは容易ではないようで、ミライの授業がてらに会うようにしていた。
俺が事の進展具合を伝えると、直接外に出て手伝えないことを悔しそうに顔を歪めていたりしていたが、それだけに終わる彼女ではなかった。
時に鋭い意見を出して俺を驚かせることもあったのだ。
基本的にプリムラは高スペックなのだな、と再確認するわけではあるが、いつもは残念お嬢様なのだから微笑ましい。
だが、そんな彼女だからこそムードメーカーに成り得たのだろうと思う。
ある日、プリムラがようやく外に出れるようになった時、テトたちと直接会うことがあった。
その頃はちょうど事件に進展がなくて、皆が意気消沈している時だった。
その様子を見て彼女が放った一言が場の雰囲気を変えた。
「皆さん、何を沈んだ顔をしていますの?こんなにも世界は光り輝いているというのに」
まるで燦々と輝く太陽を自分が用意したかのように自慢げに両腕を広げてそう言ったのだ。
臭いセリフもプリムラならば何故か妙に似合っているのが不思議だ。
呆気にとられて空を見上げれば、確かに暑いぐらいに太陽は照り付けていた。
それから鼻息を荒くしてご満悦なプリムラの顔に視線を戻した時、なんだかすごく馬鹿らしくなって誰とも言わずに笑い出したのだった。
どこまでも前向きで皆を心の中から引っ張ってくれた彼女に、どれだけ救われていたかわからない。
それは一つのことに突き進んでいた俺たちだからこそ尚更だったかもしれない。
のめり込めばのめり込むほど、俺たちは周りが見えなくなっていただろうから。
……ただ、プリムラは大層な天然だったが。
その時も笑われている理由がわからず、一人だけ疑問符を頭に浮かべて目を瞬かせていたのだから。
「ミコト、お出かけしてくるの?」
「うん、お母さん、ちょっと行ってくるね」
慣れ親しんだ靴を履きながら、俺はそうミライに答えた。
最近は外も結構な頻度で出歩くようになって靴が少しくたびれてしまっているが、裁縫もミライは達者なのか時々修繕してもらっている。
それは靴屋のように綺麗にとは言わないが、俺はこの靴がとても気に入っていた。
この世界では室内を靴で歩くことも普通なようだが、俺は出来るだけ長く使いたいから出歩く時だけ使うことにしていた。
裸足でいる俺に対してミライは不思議に思っているようではあったが、理由は恥ずかしいから明かすことはないだろう。
さて、踵を指で慣らしてから足を納めれば準備万端だ。
昨日洗濯してもらったばかりの普段着を着こなして、気合も十分。
最近は停滞気味だった誘拐事件に除々にだが光明が見えてきた。
後一歩のところまで迫っており、テトたちや俺のテンションも上がりっぱなしだった。
もう少しで答えに辿り着ける。長かった苦労がようやく報われそうになっていたのだ。
「行って来ます!」
俺はそうして後ろを振り返ることなく家から飛び出していった。
今日も天気は快晴。晴れ渡る空と俺の心も同調したかのように清々しい。
踏みしめる足の一歩一歩が軽くて、ともすれば羽が生えて浮き上がってしまいそうだ。
気分の高揚だけでなく、これも鍛錬のおかげかもしれない。
魔術と同じくして体を鍛えることも始めた俺はめきめきと能力を上げていった。
ステータスで言えば、同年代の水準であるEを超えて俺はDに到達していた。
数値的には大したことがないように思えるがステータスにはランクの壁というものがあって、EからDに上がるのも結構大変だという話だ。
こうして目に見えて成長の成果が出るというのはとても嬉しい。
魔術の方も指輪をしていない状態なら、俺は中級魔術まで使えるようになっていた。
念願の回復魔術を真っ先に会得してやったぜ。攻撃魔術も浪漫があるが、汎用性は回復魔術の方があるだろうからな。
……まぁ、中級魔術は回復だけしか覚えていないんだけど。
下級と違って中級は詠唱が長くて、魔力のコントロールが難しかった。
ミライにせっかく教えてもらっているのだから頑張ろう。
何もかもが順風満帆で俺はとても幸せだった。生まれ変わってよかったと神にも感謝したい気分だった。
前世ではいもしなかった優しい母親、愛情を万遍なく注いでくれるミライがいて。
天然で残念なお嬢様だけれど、時折見せる子供っぽさが可愛いプリムラが笑ってくれて。
人一倍仲間を家族を大切にするテトと、テトと三人で羨ましいぐらい強い信頼関係で結ばれているラトリとルーイがそこにいる。
おうじさまと無邪気な笑顔を見せてくれるティアが腕に引っ付いて。
そんな娘を愛し、俺にちゃんとした父親がいたならばこんな人だったかもしれない、と思わせてくれるガウェインが渋い顔で立っている。
以前では考えられなかったたくさんの人と知り合い、人との繋がりというものを俺は強く強く感じていた。
もしかしたらこれが絆ってものなんじゃないかと、浮かれきった頭で考えてもいた。
だから。
だから気付かない。
だから気付けなかった。
「いってらっしゃい……」
ぱたんと閉じられた扉の向こうで彼女が曇った表情で小さくそんなことを言っていたことも知らず……。
ミライが窓辺により、そっと俺が走り去っていく姿を眺めていたことも知らず……。
彼女の心に何が起こっていたのかも想像さえしなかった。
たくさんのサインを見落として、時は過ぎていく。歯車はもはや止まらない。
終わりと始まりを告げる鐘の音がもうすぐ掻き鳴らされるだろう。
全てを変えていく鐘の音色は、一体どんな色を帯びているのだろう。
今はそれを誰も知らない――。




