第三十五話 トレスヴュール
あれから数日が経ったある日、俺は一人でテトたちとの約束を果たすため中央広場に向かっていた。
プリムラは以前の騒動で結構無理をして屋敷を出たらしく、来れないようだった。
家から出る際に、ミライにはこの前のこともあるから何かしら反対されるかもしれない、と思っていた。
だが心配そうにしてはいるものの止められることはなかった。
止められたとしても約束は破らないつもりだったので、都合がいいといってはいいんだが。
自分で言うのもなんだが溺愛されている自覚はあったので、その反応に怪訝な気持ちが湧き上がった。
最近どうもミライの様子がおかしいような気がする……。
ただの気のせいだったらいいのだが。後ろ髪を引かれる思いはあったが、俺はそうして家を出た。
広場に辿り着くと噴水場の縁に座っているテトがすでにそこにいた。どうやら待たせてしまったらしい。
日にちは決めていたが時間については昼過ぎ、と曖昧にしていたのに律儀なことだ。
何をするのでもなくぼーっと人並みを眺めているテトに俺は声を掛けた。
「よぅ。早いな。待ったか」
「ん……。いや今来た所だ。気にしないでいい」
「そうか。他の二人は?」
「ラトリとルーイはスラムでの仕事がな。だから俺が代表して来たってわけさ」
それで?とテトは座ったままで俺を見上げながら話を促す。
この前は俺が協力するということ、自分には情報に強い伝手があること、最後に後日その人物と会うことだけを簡潔に伝えていた。
世間話さえろくに挟まないテトは、表面上はそうでもないが心の中では焦っているのだろう。
いなくなった仲間のことを考えればそれは容易に想像できた。
「そいつの所に連れて行くから歩きながら話そう」
「……あぁ」
言葉少なにそう頷くと、テトは立ち上がり俺の隣に並び立った。
どこか緊張している彼の姿を見て気軽に雑談する雰囲気でもねぇな、と俺は思った。
進展していなかった事態を打破することが出来るかもしれない、そんな期待も含んだ緊張だろうがその人物に会う前にここまでガチガチになっていたら身が持たないだろう。
何かリラックスするような話題はないものか……俺はそう考えながらテトと一緒に歩き始めた。
この街――今更だがリヒテンと言うらしい。五年ここに住んでいるが最近知った――は貴族街と平民街、スラム、そして商業区と大まかに分けて四つの区分で構成されている。
貴族街は方角にして北西に位置取りされており、規模は街全体の三割といったところだろうか。
リヒテンは温暖な気候に緑豊かな自然の風景に囲まれ、富裕層には大変な人気がある。
あの噴水場を作ったのもそうしてこの土地に移ってきた貴族が造った物らしく、造られた当初は色々と話題になったらしい。
どうも魔道具をふんだんに盛り込んだ物でかなりの金がかかっており、そういう意味でも話題になったらしいが。
ともかく、この街は地球で言うリソード地にあたる場所でそういった経緯から貴族が多く住みついている。
平民街は全体の二割程度で他の街などと比べると多少割合は落ちる。
驚いたことにスラム街はそれを超える三割にあたり、商業区は残りの二割だ。
これは一説に貴族たちが連れ込んだ奴隷が、後のスラム街の住民となったという話もあるが定かではない。
何しろ昔の話だ。リヒテンという街が造られて何年経っているかわからないが、当時のことを知る人は極少数になっているだろう。
何かこの街の暗部に触れたような気になる気分の悪い話だ。
話が全て真実であればスラムの住民は貴族に奴隷として連れてこられ、飽きられたりして捨てられた人たちだということだろう。
その祖先と言える人たちの子供が今のスラムの住民ということだ。
これから行く先の人物に教えられたこの街の裏話を思い出しながら、俺はテトに話しかけた。
「テトはこのあたり来た事あるか」
「いいや、もっと浅いところは来たことがあるけどな。目的地が検討もつかない」
「なんだ、不安になってんのか?」
軽く冗談まじりに笑いかければ、テトは肩をすくめてそれに答えた。
そういう所作が妙に似合っていてなんだかむかつくが、後で俺にも伝授していただきたいと思ったのは秘密だ。
噴水場から北に進み、俺たちは賑やかな商業区に入っていた。
土産物と思わしき噴水場をモチーフにした木彫りを売っている店、食欲を刺激させるいい匂いを漂わせ街行く者を釘付けにさせる屋台。
活気に溢れる掛け声が行き交い、商売人たちが観光客を逃がすまいと目を光らせている。
ここは金が飛び交う戦場だった。
「しっかしすげぇ活気だな。正直圧倒されるわ」
「なんだ、不安になってんのか?」
俺が引き篭もりの顔を少し覗かせれば、ここぞと言わんばかりに先ほどの意趣返しをテトにされた。
そのことに目をぱちくりすると、テトはしてやったりといった顔で笑っていた。
俺も意趣返しと思いテトと同じように肩をすくめれば、あまりに似合っていなかったのか思わずといった調子で吹き出していた。失礼なやつだ。
多少和やかになった雰囲気を引き連れて、俺たちは商売人たちが繰り出す数々の誘惑を振り切りながら奥へと奥へと足を運んでいくのだった。
「ここだ。俺がテトを連れてきたかったのは」
「ここが……?」
商業区の奥深く、活気が遠ざかり静けさが辺りを満たし始めた頃、俺たちは目的の場所へと辿り着いた。
その建物は見た目はこれといって特徴がなく、唯一目立つ所があるとすれば看板ぐらいのものだった。
この世界の文字で看板には『トレスヴュール』と何やら流麗な文字で綴られている。
店の主のことを思えばあまりのギャップに噴出してもおかしくないのだが、今はテトがいるから堪えていよう。
店内に入るための扉を押し開く。扉には小洒落た感じのリースが掛けられていたが、これは店主の趣味ではなくあの子が掛けたものだろう。
扉に備え付けられた鈴が来客の知らせを伝える。
おそらくここで待っていたらすぐにでも……。
目の前に広がる空間にきょろきょろしているテトを他所に、どたばたと騒がしい足音が店の奥から聞こえてきた。
「来たか……」
「来たって何が?」
「それはすぐにでもわかるさ」
テトへの返事はそこそこに、俺は身構えて対ショック体勢に入った。半端な心構えで迎え撃てばぽっきりと折れてしまうだろう。
腹に力を入れて、踏みしめた足で踏ん張りをきかせた。毎度毎度、負けるわけにはいかないのだ!
「おうじさまぁぁ~~~~!!」
「!! 来たか!」
猪突猛進。まさしくその言葉がぴったりと当てはまる勢いで小さな弾丸が奥から飛び出してきた。
カモシカのように俊敏に突撃するその子の狙いは俺である。テトには目もくれずに木の床を蹴りつけながら駆けて行く。
十分に加速した速度はそのままに、最後には体そのものを空中に投げ出して俺に飛び込んできた。
どこにそんな力が宿っていたのか、凄まじい衝撃が腹部に走る。
負けずと足を踏ん張る俺だったが、それも一瞬のこと。
耐え切れなくなり、惨めな声を上げて吹き飛ばされるまでにタイムラグは一切なかった。
「ぐほぉ!?」
成す術もなく腹に突っ込んできたその子もろとも彼方に飛んでいく俺。今回も俺は勝てなかったようだ。
腹に受けた衝撃で意識が若干飛びかけている中、テトの叫びがどこかからか聞こえたような気がした……。
「相っ変わらずお前らは仲がいいなぁ。えぇ?おい」
そう言ってきゅっと布でグラスを拭く厳つい親父はカウンターの向こうから俺のことをじろりと睨んだ。
それから俺の片腕を掴んでにぱーっと笑う女の子を一つ見やってから悲しそうにため息をついている。
この親父も相当自分の娘が好きなようだが、そんなことで嫉妬してもらっても困る。
一切俺からは何も行動は起こしていないのだから。腹が痛い……。
しかもお前の娘は俺より歳が低いだろうが……俺がどうこうするような歳でもないし、子供の可愛い愛情表現だと思って大人なら流せ。
俺は掴まれていない腕の方で置かれていた飲み物をぐいっとあおった。
冷たい水だ。
この世界では魔術や魔道具でも使わない限り、街で冷たい飲み物のには出会えないのでこれは正直に嬉しい。
ごくごくと一気に飲み干しグラスをすぐに空にした。その様子を見て親父は鼻白むと、新しい水を顔を背けながらも注いでくれた。
なんだかんだ言って邪険にしないのがこの男のいいところだと思う。
そうやってほっこりしていたら、隣に座っていたテトが居心地悪そうに手を挙げた。
「あの……全然状況が飲み込めないんだが」
「あん?ミコト、お前何も話していないのか?」
「水うめぇ」
「水うめぇじゃねぇよ。後、ティア、そろそろミコトから離れなさい」
「やー。おうじさまからはなれたくなーい」
ガーンとあからさまにショックを受ける男はとりあえず置いておいて、俺の腕に纏わり付いている少女の名前はティアという。
そこの親父の娘であり、トレスヴュールの看板娘でもある。
茶色の短い髪をリボンで頭の後ろに尻尾のようにまとめている元気な女の子だ。ひょんなことから俺のことをおうじさまと呼んでいる。
親父の名前はガウェイン。
まるで騎士のような名前だが、実際はただの厳つい娘好きのおっさんだ。表向きは。
トレスヴュールのマスターとして客に酒を提供しているが、今は昼間で振舞う相手もおらず夜に向けての準備をしている時間帯だ。
「ミコト……そろそろちゃんと事情を説明してくれないか?」
「俺がおうじさまって呼ばれている理由か?話せば長くなるんだが……」
「おうじさまはおうじさまだもーん」
……まぁティアの言う通りでもあるんだが。
俺がここに初めて来た時、この子が俺のことを見た瞬間に零れた言葉がおうじさま、だった。
曰く、俺はティアにとってすっごくおうじさまらしい。
それから異様に懐かれたわけではあるが、この店に入ってきた時の弾丸も何を隠そうティアだ。
毎回熱烈なタックルをご馳走になって俺の腹は物理的な意味で限界なのだ。ちょうどティアの頭が鳩尾に当たってな……。
「そういうことじゃない!俺は……!!」
「切羽詰まってんな、お前さん。ほら、これでも飲んで落ち着け」
ガウェインはことりと透明なグラスをテトの前に置いた。それから並々と注がれたのは先ほど俺にご馳走してくれた水と同じだろう。
俺も別にとぼけたわけではないんだが、今のテトにとってはメインの話以外は聞く耳がもてないようだ。
ガウェインから仕入れた情報によるとテトたちが巻き込まれた事件はどうも一筋縄ではいかない。
誘拐事件の裏に潜むのはただの貴族ではないらしいのだ。情報通だと自負しているガウェインにも尻尾をなかなか掴ませない。
おそらくどうあがいても早期決着は見込めないだろう。
血気盛んに逸る気持ちはわからないでもないが、それは今爆発させるものではない。
牙を剥くのは犯人を追い詰めた後、トドメをさすときだけだ。
だから少しでも鎮火するように今も、そして道すがらも努力してみたが……全く、うまくいかないもんだな……。
隣でためらいながらもグラスの中の水を流し込むテトを見ながら、俺は心の中で深くため息をつくのだった。
更新遅れました!日曜だから早めに投稿したかったのですが、寝てました。
頭すっきりになったのはいいんですが、時間が足りなくなったという。うああん。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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