第三十四話 街に潜む深淵
それは貴族街のとある一角に建てられた立派な洋館である。館の主の名はレコン・ルシエイド。
両親亡き後にかの館は青年へと受け継がれ、弱冠二十歳にしてレコンはルシエイド家の当主となった。
華美に豪奢に。まるでそれがモットーのように周囲に立ち並ぶ建物の中でも、その館は一際目立つ雰囲気を醸し出していた。
外観が、ではなく雰囲気の話だ。
周りに比べて遜色がない建物の作りをしているが、その館には暗い空気が付き纏う。
庭の手入れはきちんとされていて、清潔感はある。仕事をしているであろう人たちも見えて生活感がないというわけではない。
ただそこに働いている人々の目が何よりも不気味だった。
希望をなくしたような瞳は虚ろに彷徨い、生きる気力がない目の色は暗く濁っている。
いつも何かに怯えている使用人たちの様子に、近隣の貴族たちはあの館には何かあると感じ近づくことさえしないのだった。
風の噂ではその館の中から夜な夜な時折叫び声のようなものが聞こえてくるだとか、邪教の信奉者が凄惨な儀式を執り行っているだとか枚挙にいとまがない。
噂好きの貴族たちでもその館の住人の恐れてか、公然と話すようなことはしない。
だが人の口に戸は立てられず、噂は広がっていったのだった。
「ほう、カルデネア・グリードが消えた……とな?」
「へ、へぇ。その通りでございます」
そんな渦中の噂になっている館の一階の応接間で、二人の男が身分に沿わないソファーの上に縮こまって座っていた。
一人は顔中が髭だらけ、もう一人は頭を剃っているのか髪の毛一本さえない禿頭の男だった。
男たちの格好は身奇麗にはしてはいるが、どうも服に着られているようにしか見えず違和感が目立っていた。
大の男が二人も揃って体を小さくしている姿は滑稽にも映るが、その場に笑う者は一人としていなかった。
部屋の中には他に二人の人物がいた。
館の主であろうふんぞり返った格好で対面のソファーに座り、その話を目を細めて聞いている優男。
歳は成人にちょうどなった頃であろうか。
幼さが若干残るものの肩にまでかからない金色の髪を綺麗にセットして、その顔を見れば例え淑女であろうと黄色い声を上げるであろう。
身なりのいいその服を着こなし、さぞかし女性にもてることは間違いない。
しかし体躯は意外にもしなやかに整っており、ただの貴族のお坊ちゃまというわけではなさそうだ。
そしてその後ろに控える人物。この中で一番の異彩を放つのはその人物をさしおいて誰もいない。
まず一番初めに目に付くのは、その顔に貼り付けられた仮面だろう。
全身を覆いつくしている黒のローブも相当目立つが、対比するように白化粧で彩られたそれに目を引き付けられずにはいられない。
中の人物の性別は定かではないが、その仮面は女性を象っていた。短い眉に細められた瞳、肉厚の唇が薄く笑っている。
もしもこの仮面をミコトが見ればこう言うのかもしれない。
まるで能面のようだ、と。
「ヒヒ、ヒヒヒヒヒ。貴方たち、それでおめおめと引き下がってきたというわけですか?人攫いも失敗して?」
仮面の人物が声を発すれば、大の大人二人がビクリと肩を震わせた。
しゃがれたその声はおそらく男であるだろうが、老婆であるようにも思える。
仮面の奥から不気味に響く笑い声は怒りか、喜びによるものか。隠れてしまっているその表情は一体どうなっているのだろうか。
「グリードの件はまぁ……よい。仕事の方も足がついたわけではないのだろう?」
「へ、へい!それは勿論!相手は子供でしたし、捕まった者もいません!」
「ならばよい。仲間にも引き続き仕事の方を続けろと言っておけ」
「へい!ありがとうございます!ありがとうございます!」
二人してへこへこと頭を下げながらソファーから立ちあがり、退出するその時にまでしつこく謝り通していた。
禿頭の男は杖をつきながらで下げにくそうにはしていたが、手を抜くことはしないようだった。
すでに興味を失ってしまったのか、金髪の貴族は物思いを煩ったかのようなため息を一つつくだけだった。
ドアがぱたん、と閉まると仮面の男は背中越しに貴族に話しかけた。
「ヒヒ。レコン様、あれでよかったので?」
レコン、と呼ばれた貴族の青年は振り返ることもなく平坦な声で言葉を返した。
「よい。グリードを失ってもどうとでもなろう。そもそも、私はあいつが好きではなかった」
「まぁ確かに口調はそれなりに丁寧ではありましたが、態度があまりに不躾でしたね」
グリードは言葉こそ貴族に対するそれであったが、態度やその物言いは不遜にすぎた。
敬う心や恐れが欠片も見えないグリードにその時の主と言えば大層な不機嫌になり、いつ切りかかっていたとしてもおかしくなかった。
それだけ熱しやすい性格であるはずの人物が、ヘマをしたあの二人を何も罰せずに帰したことが解せなくて先ほどの言葉を仮面の男は発したのだ。
「呼んだのはお前であろう、ルクレス。どういう奴か知らなかったのか」
黒衣の男はルクレスと言うのだろう。ルクレスは後ろに控えたまま、不気味な笑い声を上げながら主に答えた。
「ヒヒヒ。すみません、ワタクシ、なんでも仕事をこなす凄腕としか聞き及んでいませんでした」
「お前も大層な無礼者だと私は思うがな……今更ではあるが。その不気味な笑い方もやめよ」
「ヒヒヒッ。もはやこれは癖のようなものでございます。諦めていただくしか」
主と雇われ者だという立場なのに、分をわきまえないルクレスにレコンは諦めたかのようなため息をつくだけだった。
いつもならば眉尻をしかめて目を吊り上げるはずの主がそんな態度をとったことに、ルクレスは本格的に何かあったことも察した。
理由はおおよそ検討がついているので尋ねるような無粋なことはしなかったが。
物憂げに自分の前髪を弄んでいる館の主人はようやくそのことに飽いたのか緩やかに立ち上がると、そのまま何も言わずに出口へと足を進める。
自分の私室に戻るであろうレコンに、ルクレスは声をかけることなく見送った。
そうして一人なり静かになった応接間で、ルクレスは誰に聞かせるわけでもない独り言を呟くのだった。
「ヒヒ、ヒヒヒ!恋煩いとはレコン様も大層人間らしくていらっしゃる。しかし外道の道をひた走るワタクシたちには過ぎた産物ではありませんかな」
投げかけた言葉は主に向けてであろう。しかしそこに込められた感情はおおよそ主従の関係でやり取りするようなものではない。
愚物を見下げ、たまらない愉悦がルクレスの身を痺れさせる。なんとも愚か、なんとも愛らしい生き物であろうか。
ひとしきり歓喜に身を震わせると、敷かれていた高級な絨毯を踏みしめながら光が差し込める窓際まで歩いていく。
中庭には死人のように瞳を濁らせる使用人たちが働いている。沈んだ顔を晒し続けるその姿は、晴れやかな空と対比して一層目立っていた。
その様子を見ながらルクレスは考えていた。
「カルデネア・グリード……人の身でありながら英雄に最も近しく、その振る舞いから英雄に最も縁遠い者。ワタクシのことを一目で察したのですかな?」
会ったのは一度きりである。
レコンと一緒にこの館で仕事の内容を話し契約を結んだ、ただその一度だけ。
何食わぬ顔をしてその後はしばらく金を貰いつつ仕事をしていたようだが、その合間にこちらのことを調べていたのかもしれない。
元々、グリードに対して特別に固執していたわけではない。逃げればそれはそれでどうでもよかった。
「案外あっさりと手を引いたようですが、何かあったのですかな?あの男たちが言っていた耳の尖った子供が関係しているのでしょうかな」
耳の尖った子供。十中八九エルフであることは聞いただけですぐにわかった。
ルクレスは興味の対象が一人減ったことに残念な気持ちがあったが、もう一人が帳尻を合わせてくれたおかげでプラスマイナスは零になった。
大した期待もなく趣味の一環としてこの街には訪れたのだが、思いの外収穫はあるようだ。
表情の動かない仮面を手で撫でながら、ルクレスは喉から飛び出しそうな笑い声を束の間押し殺した。
レコンに言われたからとかそういうわけでもなく、ただの余興である。
だから我慢が効かなくなるのも早かった。
「ッヒヒ。おっと、思わず声が出てしまいました。いけませんなぁ、ヒヒッ。……それにしても、こうもうまくいくと味気がありませんな」
偶然舞い込んだ幸運はともかく、趣味の方は非常に好調だった。
ルクレスがしていることは、それは端的に言えば実験である。
彼の言に従って言えばそれは、人という種を使ってのあらゆる可能性の追求。
レコンという後ろ盾を利用して、実験の場所と材料を集めることが出来た。
貴族たちの間で流れている噂は、実の所的外れというわけではなかったということだ。
この件に関してはレコンにも承認を得ており、むしろ彼は実験に協力してくれる得がたい人物でもあった。
ただただ、全てが順調なだけである。
「あのならず者を呼んだのも、ワタクシがどこかでつまらないと感じていたからかもしれませんな」
またも語尾に不気味な笑いを纏わり付かせ、ルクレスはそのエルフの子供が自分の好奇心を刺激してくれることを心から願っていた。
高らかに響くその特徴的な笑い声は、静か過ぎる館の中で延々と響き渡るのであった。
関係のない話なのですが、18時に投稿していない時は実は完成したてほやほやの話だったりします。
どこか間違いがありそうで怖いのですが、大筋ができてるしいいと思う。思いたい!
という感じに投稿していますです、はい。
何が言いたいかっていうと、誤字・脱字あったらすみませんと、今のうちに謝っておくためです!
情けない。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
気に入っていただければお気に入りにぽちっと入れてくれれば、作者のやる気がうなぎのぼりです。
いつも読んでくださっている方はありがとうございます。
更新ペースが不定期ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。