第三十話 決着
残存する全ての魔力を込めた魔術はもはや別物へと変貌した。
プリムラの庭園で使用した時の比ではなく、風の刃は実体を帯びて顕現する。
滞空するその姿は直径一メートルにまで及ぶ三日月形の刀身。刃の中に内在する風の力は計り知れない。
嵐の前の静けさのように一切の音が漏れてはいないが、視覚に映るその体内には風が互いの覇を競うように荒れ狂う。
己の意志の元に魔力を練り上げ、余すことなく全てを魔術に込めていく。後先なんてもう考えない。
体現する魔術は己の心の現われ。
今か今かとその時を待ちわびるその姿。我が敵を討ち滅ぼさんと力の行く先を求める。
その時は、すぐそこに。
ドンッ、とまるで大砲が打ち出された時のような轟音が鳴り響いた。
それは紛れもなく俺が解き放った風の魔術が発する音。
前回の教訓を生かし反動を抑えるため身構えていたはずなのに、俺の体は堪えることが出来ず地面を滑りながら後退してしまう。
軽く数メートルは滑りながら、しかしその行く末を見ようと視線だけは逸らさなかった。
結末を見なければ、と思った。覚悟の元に振り下ろされたその一撃を。
だが見れなかった。
いや、見えなかった、と言うのが正しい。
一時も目を逸らしていなかったのだが、あまりに弾速が速すぎて見失ってしまった。
手元から離れたそれは、強化された視神経を持つ俺でさえ捕らえることができない。
音さえも置き去りにする神速の斬撃を、足に怪我を負っている男がどうやって避け切れようか。
それでも生存本能が成せる業か、男は絶対に知覚さえしていなかったはずなのに体は避けようと動いていた。
しかしそれも僅か。
避けようとしてからでは遅いと嘲笑うように刃は食らい付く。
容易く服を切り裂き、肉を喰らい、真っ二つにせんと勢いを増す。それでも男は両断されることなく、血しぶきを上げながら耐えていた。
恐るべき防御力。メイジキラーと呼ばれた、というのは名ばかりではない証だった。
普通の魔術であればそのまま耐えていれば、いずれ効果を失い掻き消えていたことだろう。
俺の魔術はそれだけでは終わらない。終わらせない。
まるで意志を持つように、風の刃は地面に根付く巨木の如き男の体を軽々とすくい、持ち上げて上空へと誘う。
空の散歩を楽しむ間もなく、風は次なる牙を突き立てる。内在する濃縮された風を即座に解放。
ようやく呪縛から解き放たれ歓喜に打ち震える風たちは、雄たけびをあげながら四方八方に広がり行く。
目を開けていられない程の強風が吹き荒れ、その中心にいた男の姿はすでに見えなくなっていた。
どこかに弾き飛ばされたのか、風の音に混じって何かが壊れるような音が耳に届く。
鼓膜を打ち振るわせる風音の合間に聞こえてきたのはそれだけだった。
後に残るのは、聴覚の全てを支配する風がぶつかり合い爆発的に広がり行く音だけ。
俺はたたらを踏みながらも、顔を両腕で守りながら耐えていた。
大分距離を離しているというのにこの威力。
テトは大丈夫だろうか。男は死んでしまっただろうか。
確認することも出来ず、ただ俺は凄まじい風の奔流に耐えることしかできなかった。
「終わった……のか……」
呆然とそう呟いたものの、一向に実感は湧かなかった。
風の魔術は地表から離れた場所で開放され、その力を存分に発揮した。
そのおかげで見渡した限りは地面が抉られているだとか、破壊された跡は見えない。
多少なりとも違いはあるだろうが、俺が記憶している限り魔術を使う前と景色はあまり変わらない。
ただそこにあの男がいないだけだ。
変わらない景色に心がついていかない。もっと別のわかりやすい変化があれば確証が簡単に得られたかもしれない。
ピリオドが見えないこの状況に、これで本当に終わったのかと疑念が首を傾げる。
「……あ、れ」
小さく漏れでた自分の声が先か、体が傾いたのが先か。
響く衝撃、小さくバウンドする体。気づいたときには俺は倒れていた。
手をつく力さえ出すことが出来ず、鉛が体を這い回っているかのように重い。
(……まだ、終わったかどうかもわからねぇのに……)
霞がかかるように意識が朦朧とし始めた。何かを考えることさえ難しい。
緊張の糸が切れた、というレベルでは済まされない急速な意識の低下に、僅かに残った思考が第三者により攻撃を疑う。
考え付くのは魔術による精神攻撃。
あの巨漢が一人ではないことは知っていた。仲間があの禿頭と髭以外にもいるだろうことは予測がついた。
しかしまさかこのタイミングで、しかも魔術を使える者が?
そこまで考えていた所で意識は闇の中へと沈んでいく。
最後に覚えているのは、土の香りと日向に照らされてほのかに暖かい地面の感触。
抵抗する術もなく、そこで俺の記憶は途絶えるのだった。
「う……ん……」
誰かの声が耳元から聞こえる。少女の声だ。それは微かでまるで寝言のように小さい。
どこかで聞いたような聞き覚えのある声。
どこだったか、誰だったか。
思い出そうとはするものの俺はとても疲れていて、考えることも億劫だった。
何故こんなに疲れているのだろう。疑問が生まれるが、どうでもいいことだと諦めた。
俺は頑張った。今までで一番頑張った。だから休んでしまってもいいだろう。
今は休みたい。泥のように溶けてしまうぐらい眠りたい。
少しぐらい、いいだろう。自分へのご褒美に。
自分で自分を慰めながら、ある人の顔が浮かんだ。ミライだ。
途端、会いたいという気持ちが溢れかえった。無性に寂しくなって、ただただ会いたくなった。
俺のことを褒めて欲しかった。いつものように笑いかけて、頑張ったね、と抱き締めて欲しかった。
だって俺は、命を掛けて守りたい人を守ったのだから。
……命を掛けて……?
……守りたい人……?
「ッ!?」
その瞬間、意識が急激に覚醒した。記憶もそれと共に復活し、飛び起きる。
自分にかかっていた毛布を跳ね除けると、すぐさまに高速思考を展開し状況の把握に努める。
(ここは、どこだ?)
俺はどこか知らない部屋の中で寝かされていたようだ。
頭だけを動かして薄暗い部屋の中を見渡す。家具がろくになく生活臭がしないおんぼろな室内。
散らかり放題で掃除もしていないのか、ゴミや埃が目立ち汚らしい。
悪臭はそれほどしていないが埃っぽくてどこか息苦しい。人が寝泊りするにはあまり適していないといえるだろう。
俺が寝かされていたベッドもいつも寝ているベッドと比べるとあまり粗末で、少し身動きするだけでぎぃぎぃとうるさい。
敷いてあるシーツと毛布は、ある程度清潔に気を使っているのか汚くはなかったが。
この中ではマシ、というだけで進んで使う気にはならないぼろさも伴っていた。
(俺はあれからどうなった?テトは?プリムラは?)
現状把握がある程度済むと、気になるのはあれからのことだ。俺が覚えている限りでわかることは少ない。
あの男を倒せたかさえわからないのだから。
もし、俺が最後に考えていたことが本当だったなら俺は捕らえられてしまったのだろうか。
そうなれば、テトも、プリムラも……。
「んぅ……」
悪い方に思考が偏りそうになっていた時、枕元から声が聞こえた。
ぎょっとして振り返ると、そこには鮮烈な赤が広がっていた。
血!?と、更に驚きそうになったが、よくよく観察してみると壮大な勘違いだったと思い知らされる。
それは髪の色だった。
暗い室内でも映える燃えるような赤色。ベッドの上を流れる髪は長く、そこで腕を枕に寝ている人物の顔を隠していた。
体の方に視線を向けると、薄汚れてはいるが仕立てのいいドレス姿。
まさか、という思いで顔にかかっていた髪の毛をどかすと、垣間見えたその顔は紛れもなくプリムラその人だった。
「プリムラ!?」
「んー……?」
俺の驚いた声に反応したのか、プリムラは目をこすりながら顔を上げる。
小さな口を空けて欠伸を隠しもしないその姿は、淑女ということを忘れているようだ。
普段ならばそんな顔を見て可愛いな、とも思うわけだが驚きに身を固めていた俺は目を見開くだけに留まっていた。
ぽけーっとした顔も束の間、俺が元に戻るよりも先に彼女の方が気づいた。
「ミコト!大丈夫ですの!?」
血相を変えて俺の方に乗り出すと、プリムラは頬や体をぺたぺたと触りながら具合を確かめる。
あまりのくすぐったさに、ようやく俺も我を取り戻した。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって……痛っ!」
「あっ、あっ。ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
口では大丈夫だとは言うものの、やはりあの激闘の傷跡は残っていたようで、プリムラに腹部を触られた時思わず声が出てしまった。
おろおろと狼狽して涙目になったプリムラに、重ねて大丈夫だと繰り返すがそれも説得力はないだろう。
他にうまい言い回しも思いつかず、彼女の顔をすぐに晴らしてあげることが出来ない。
全く、高速思考などを持っていても何も考えが生まれないのであれば無駄でしかない。
混乱が混乱を呼び、いよいよ収拾がつかなくなりかけた時、助けの声がかかる。
「騒がしいと思ったら、ようやくお目覚めか。その様子だと、大事には至っていないようだな」
「お前……テトかっ!?」
「どっからどう見てもそうだろ。他に何に見えるって言うんだよ」
肩をすくめてそう笑うのは確かにテトだった。テトはこれみよがしに冗談めいて自分の体を見せ付ける。
見た所、特に何かされている風には見えず健康そのもののようだった。
俺が最後に思いついたことは勘違いだったのか?なら、一体あれは何だったのだろう。
あの男は?ここはどこだ?
様々な疑問が浮かぶが、それもこれもこの二人が知っているかもしれないと思い、俺は口を閉ざした。
今はみんなが無事だったことを喜ぼう。それから話を聞けばいい。
とりあえずはまずはプリムラをどうにかしなくちゃな。そんなに泣きそうになるなって。俺は本当に大丈夫だから。
ニヤニヤとその騒動を見守っているテトが若干鬱陶しいが、それも後回しである。
ぐずりそうになっている泣き虫をどうにかする手を考えるのが先決だった。
全く、これならまだ戦っている方が楽ってもんだぜ……。
そんなことを思いながら、自分でも情けない顔をしていることを理解して、解決方法を探すべく頭を悩ませるのであった。
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