第二十八話 その先の先へ
思考は加速し、時は置き去りにされる。俺だけが今を支配する世界へとシフトする。
真上から降り注ぐ命を絶とうとする必殺の一撃がスローモーションとなり、はっきりと知覚できる。
この世界に入った後でさえその一撃は恐ろしい程の速さを保ち、避けることを許さない。
テトに抱えられて地面に寝ている俺では、例えブーストを発動したとしても完全に回避することは難しいだろう。
ならばブーストを集中させて、身体能力を爆発的に高めるしかない。
一点集中型のブースト――集中という意味からCブーストとでも言おうか――は緻密なコントロールが必要で、高速思考を併用しなければ運用が難しく先ほどまでは使えなかった。
また通常のブーストとは違った弱点を抱えてしまうのだが、どの道使わなければ未来はない。
集める場所は最初から決まっている。何よりも回避を優先する。
迷っている時間はすでになく、俺は即座に行動に移した。
テトの体を放り投げないように思い切り抱き締め、急速に力が集結し限界まで高められた脚力を開放する。
体勢が体勢だったので踏ん張りが利かなかったが、強化したブーストのおかげで自分でも驚くほどの速度を発揮した。
男の横をすり抜けて背中側へとすり抜けることに成功し、俺は制動に苦心しながら土煙をあげ地滑りして止まった。
途端、地面が爆ぜるような爆音が鳴り響く。
振り返れば俺たちがいたと思わしき場所に小さなクレーターが出来上がっていた。
間違いなく、それは男の一撃がもたらしたものだろう。
クレーターの中心から男が埋もれていた自分の拳を抜き出しているのが何よりの証拠だ。
「ミンチでも作るつもりかよ」
「痛みも何もない死が慈悲というものだろう?」
慈悲だと。笑わせるな。
アンタみたいな強面がそんこと言ったとしても怖いだけだっての。
ゆっくりとこちらに振り返る男にやはり感情というものはなかった。静かに手についた土を取り払う姿はどこか不気味だ。
「それにしても小僧、今の動きは何だ」
「俺も本気を出すってことだよ」
「本気……。その体たらくで今更か?」
追い込まれてから真の力を発揮するなんてどこにでもある話だろう?
だったら最初っから本気出せよって漫画やゲームでいつも俺も思っていたが、自分の力の限界なんて案外わからないもんだよな。
本気だと思っていたが、まだまだ引き出せる力があるなんてことはよくあることだ。
生存本能が限界を突破させて呼び覚ますこともあれば、こうして俺みたいに守りたい者がいるからこそ出せる力もある。
「なら本気中の本気でこい。俺はお前を殺しにいく」
この先の死闘を予感させる言葉に、しかし俺は恐怖などしていなかった。
感覚が麻痺してしまったのか?不思議と血が滾り興奮している自分に僅かに戸惑いを覚える。
俺はどこかおかしくなってしまったのだろうか。
脳内麻薬がドパドパ出ているせいかもしれないが。そのおかげで痛みも少しだけ薄れている気がする。
だがこの高揚はなんだ。
目の前の男を倒したい。蹂躙したい。その四肢を砕き、地面にひれ伏せたい。
激しい闘争本能と暗い感情がとめどなく、心の奥底から喜びの悲鳴を上げている。
まるでようやく産まれ出でたかのように泣き叫んでいる。
能無しだった以前の俺では絶対に考えも付かないような感情の嵐。いっそ感情のままに突っ込みたくなっている。
いけない。そんなことではこの男を打倒することは叶わない。
理性ではそうわかっているはずなのに、本能がそれを否定する。
その時、聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。その声は偉そうな声でこう言っていた。
(我がそなたに力を貸そう。闘争本能のままに人間如き容易く打ち砕く)
「ッッ」
唇を自分で噛み切って支配されかけた意識をどうにか取り戻す。
何だ今のは。わけがわからない。一体、俺はどうしてしまったのか。
あまりのストレスに幻聴が聞こえたというのだろうか。
だがそのことを嘲笑うように、再び声が俺の頭に響いた。
(身を任せぬか。それもよい。ならば僅かながらの力程度は受け取れ)
鮮烈な痛みに冷や水を浴びせられたかの如く、興奮は段々と冷めていく。
心が平静を保ち始めると共に何かが深層に潜り込んだかのような、そんな感覚がした。
今のは……声さえ聞こえなかったが、髭面と禿頭の戦闘の時に感じていたものと同じような……。
何か異常でも俺に起こっているかと思いステータスウィンドウを覗けば、いつの間にかMPが回復していた。
残量は時間にして二分程度と全快はしていないが、これならまだ戦える。
「おい……お前、俺のことは考えないでいいからな」
「……?あ、ああ」
声を掛けてきたのはテトだった。抱えたままの格好だったことを思い出した。
全く意識の埒外にいたので少し反応が遅れた。
そうか。俺は一人ではなかった。
不思議な現象については気にならなくもないが、今は置いておくしかない。
戦力としては考えられない、とテトのことは思っていた。
だがそれはやりようにもあるだろう。
更なる危険に巻き込むことになるのは忍びないが、どの道俺が倒れればどうなるかわかったものじゃない。
テトから手を放す前に俺は彼に小さな声で囁く。作戦を伝える為に。
それはほんの僅かな時間だったが、あまり怪しい動きをすれば悟られる可能性があった。
プリムラとのアイコンタクトでさえ感付いた男のことだ。例え距離があったとしても怪しまれれば成功する確率は下がる。
男に対面をするその直前にテトが唇をきゅっと引き締めた気がした。伝わっていると信じたい。
俺一人ならおそらく時間稼ぎしか出来ないだろう。だが二人ならば。
「オッサン、俺も一つ言いたいことがある」
「……なんだ?」
殺す殺すと物騒なことを言い続ける男に、俺は挑発するように唇の端を上げて言い放った。
「本気出すから、死ぬなよ?」
「……抜かせっ!!」
互いのその言葉を合図として最後の戦いが始まった。
俺は惜しみなく足にブーストを一点集中させ、一気に接近を図る。
あまりの速度に体が押し戻されそうになるが、抵抗するように前傾姿勢で空を切って走り続けた。
地面を軽くえぐりながら土煙の中を疾走する俺に、男は今までとの違いを感じたのか自分から接近することは止め、向かい撃つことにしたようだ。
不動の構えで待ち受けるその姿は一本の巨木を想像させる。
人間如きが何をしようがけして倒れず全てを受け止める、自然にそびえ立つ堅牢の塔。
なら俺はそれを穿つ一陣の風となろう。
風の一つでは足りないかもしれない。だがそれが二つ、三つと重ねればどうだろうか。
「ッラァ!」
攻撃のために全身のブーストに切り替えながら、ガードの上からでも抉り削り取る、そんな気合の乗った声を上げ力を振り絞りながら掌底を打ち出す。
小さくもろい幼子の手では拳を固めて殴った所で、防御されれば逆にこちらが痛めてしまう。
そう考えた上での掌打だったが、衝撃を受け流されたかのように手ごたえがなく、先ほどの二の舞を踏んでしまう。
だが今の俺には高速思考がある。奴のからくりを見破るための目がある。
至近距離からつぶさに男の一挙手一投足を観察する。
……なるほど、こいつ、当たる瞬間に身を引いてやがったのか。
うまい動きだ。技術など大層なことは知らないが、見よう見まねで出来るものではないことははっきりとわかる。
俺はそれだけを確認すると、反撃を警戒してすぐさま男との距離をとった。
「……やはりどこかが違う。攻め急ぐわけでもなく、焦りが見えない。何よりその目だ」
「……」
今でもその気持ちは確かにある。俺には時間がない。
それはブーストの残り時間という意味でもあり、体の限界が近いという意味でもある。
しかし時間がないからといって無闇に戦い続ければいいというものではない。
それがわかったのは余裕を少しでも取り戻したからだろうか。
独り言のように呟く男に俺は答えることもなく、呼吸を落ち着けることに終始した。
全く、今の動きだけでも相当疲れる。
こうして実践に初めて使うようになってわかったことだが、Cブーストは思いのほか負荷が高いようだ。
それも当たり前かもしれない。一部分だけを重点的に強化し、他の部分は素のままなのだから。
これがCブーストの弱点であり、最も危険な部分だ。
(つまりこれからの戦いは更なる綱渡りってことだ)
強化していない所は元の俺のまま。子供のステータスではおそらく男の攻撃をかすっただけでもかなりの大打撃となるだろう。
HPの色が赤色までになっている俺ならば、そのまま死んでもおかしくない。
一瞬のミスも許されない戦いに挑むのは無謀というのだろうか。蛮勇だろうか。
否。
勇気を持って戦うからこそ開ける活路もある。その先へ、更なる先へ。
だから俺は思考し続ける。全ての情報を頭に叩き込み、脳内で試行錯誤し続ける。
男の癖、筋肉の動き、攻撃のパターン、避ける時の動作、反撃までの時間、反応速度、地形の把握、風の動き、鼻に届く匂い。
全てを加味し、己が望む未来へと導く。
先へ、もっと先へ!
思考が時間を超越し、未来を見通す。まるでそれは未来視のように。
「攻撃が当たらない……?読まれているのか?」
乱打の最中、この身を置いてもその魔手がもはや届くことはない。数多の思考が正解の道を叩き出し、休むことなく動き続ける。
動作の最適化によるぎりぎりの回避をもって、反撃の鋭さも増していく。
戦えば戦うほど俺は強くなる。あらゆる動きが俺の脳へと蓄積され、解析していく。
一歩進めば奴の攻撃は当たらない。
あの攻撃は次の一撃を当てるためのフェイク。
隙を見せてはいるがあれはカウンターの布石。
衝撃を受け流そうとしても無駄だ。引こうとするならばより速く、より重くすればいい。
回避のCブースト、攻撃の全身ブーストと切り分け奴を追い詰めていく。
「ぐぅぅ!!」
そうして初めて男がまともにダメージをくらい、うめき声を上げた。
掌打を中心に組み立てた連撃の末に鳩尾に入り、左手で腹を押さえながら後退する。
岩を殴ったような硬い感触だったが、衝撃は殺せなかっただろう。
手応えを確かに感じたが、これで勝敗を決するほどの致命傷でもない。
「面白い……面白いぞ小僧!俺が本気を出してから、笑えるほどの楽しみを感じたのは久々だ!!」
軽くない苦痛があるだろうに高らかに笑う男に掛ける言葉はない。
かつてない集中力が発揮され、目の前の敵しか見えていない。
だが目的を忘れるな。男を倒すのではない、勝てればいいのだ。
俺が出来ることは奴の余裕をなくすこと。そうして初めて次への布石へと進めるのだから。
テト、頼むからうまくやってくれよ。
そう心で祈りながら、もう何度目かもわからない戦いの火蓋が切って落とされたのだった。