第二十六話 メイジキラー
肌にひりつくような空気に自然と喉が鳴り、尋常じゃない緊張感は滴る汗を生まれさせる。
一つ呼吸を繰り返す度に速まる鼓動が俺を急かす。おそらくこの戦いに負ければ次はない。
虫を潰すのに罪悪を覚える人が少ないように、容易く男は俺を殺すだろう。
(死ぬのは怖い。だが)
背中の方には守らなければいけない人がいる。この戦いにかけるのは俺一人の命だけではない。
あの二人組みがプリムラを襲った様子を見れば、俺が倒されれば彼女も……。
吐き気を催す緊張に改めて人の命の重さを知る。
俺の双肩にかかった彼女の命も守らなければならない。
自分が死ぬかもしれないという恐怖、肩に重くのしかかる重責。押し潰されそうな心を奮い立たせ立ち向かう。
勝負は長くはかからないだろう。
なにより俺のブーストはタイムリミットがある。短期決戦しか俺に残された手はない。
防御に回ったとしても勝ち目は薄く、あの体躯から繰り出される圧倒的な破壊は直撃すれば今度こそ俺の命を刈り取るだろう。
故に先手必勝!
「なかなかいい動きしてるじゃねぇか小僧!」
ノーモーションからの急発進、それを意識した動きを再現したつもりだったが男はいとも簡単に対応してきた。
初見では対応が難しい速度のはずなのに、俺の真上から礫と錯覚しそうな頑強で大きな拳が振り下ろされる。
「くっ」
男の拳は俺の速度にひけを取らない速さで、タイミングもぴたりと合わせてきた。
直撃コースのこの攻撃を受けるは愚策、避けるは困難。その困難に向かうしか他に道はない。
無理やり俺は体を捻って、すれすれに通り過ぎる力の塊をどうにか避けることに成功した。
代償に体勢を崩してそのまま地面に叩きつけられそうになるが、片手をつき軽くない衝撃を押し殺しながら転ぶことだけは回避した。
無様に地面に投げ出されれば、容赦のない追撃が待っていたのは間違いない。
こうして男が眼前に現れていることが何よりの証拠だ。
すでに攻撃のモーションに入っている男は、
「飛べ」
短くそう呟くと同時、目を開けていても捉えきれない凄まじい蹴りが襲い掛かる。
なぎ払うように振るわれるその一撃を、体勢を崩したままで回避することは不可能だった。
勘だけでガード方向を決め、腕を交差させて攻撃に備える。せめて衝撃を逃がすためにも後ろに飛びながら。
ドンッ、という衝撃音が耳に走ったかと思うと俺の体は盛大に蹴り飛ばされる。
これで三回目となる空中遊泳を楽しむ暇もなく、強かに地面に打ちつけられる。
ガレキや石レンガのある所に飛ばされないだけマシだった。
被害はそれなりといったところか。
防御に使った両腕は重くしびれる感覚が付きまとい、しばらく使えそうにない。鈍痛がしてあつくなっている気がするが内出血程度はしているかもしれない。
骨は折れていないと思いたいが、感覚が鈍くてよくわからない。
「ハッ。おもしれぇ小僧だよ、お前。モヤシの魔術師なら例えガードしていようが、今の一撃で戦闘不能ぐらいにはなるぜ」
そいつはどうも。お褒めのお言葉を頂いても嬉しくもなんともないがな。
鼻で笑う男は拍手でもするかのようなご機嫌顔で、それが俺にはとても気に食わない。
わかっている、こいつが格上の強者であることは。
今の攻防だけでもはっきりとそれがわかったし、髭とハゲの戦闘の時にもちらりと思ったことだが大人と子供の違いがここにきて大きく響いている。
射程、リーチの差が圧倒的に違う。
同時に打ち合えば間違いなく男の攻撃の方が先に届く。
内に飛び込もうとしても速度の面で言えば互角、いや、男の余裕げな態度を見るにおそらく俺より上。
本気を出さず油断している今の内ではあるが、その油断している状態でも全てにおいて互角以上にもっていかれている。
何も考えなしに突っ込めば、先ほどのようにカウンターを貰うのが関の山だろう。
「考えているだけじゃ何も始まらねぇぞ」
「ッッ!!」
速いっっ!!
一時も目を離していなかったのに気づくと男は眼前に瞬間移動でもしたかのように現れ、一気呵成に連撃を繰り出してきた。
前蹴りからのロー、そしてミドル、ハイキックと軸を変えながら変幻自在に惑わす。
足技を中心としたその一撃一撃が当たれば必殺の死の嵐。
ローキックでさえ骨を砕かんといわんばかりに物騒な風きり音を鳴らし、心胆を冷えさせる。
死に物狂いで避け続けてはいるが、これはまずい。
回避は出来ているもののそれ以外ができず反撃に移ることさえままならない。
タイムリミットは刻々と近づいているのに、時間がこうして費やされるのは最悪としか言いようがない。
「避けながら考え事なんて余裕見せている場合か?」
「ぐぁ!!」
今まで見せてきたより一段と速い抜き身の刃のような鋭い蹴りを、俺は回避することが出来ず左肩に受けてしまった。
たたらを踏みながら後退する俺に、男は追撃する絶好のチャンスだというのに呆れるようにため息をついてその場に留まっている。
速度を重視した一撃だったのか、思ったよりも重くはなかったがそれでも左腕が上がらなくなる程のダメージを負ってしまう。
やべぇな……これ繰り返されるだけでなぶり殺しにされるぞ。
「余裕じゃねぇよ……お前をぶっ倒すための作戦考えてるんだよ」
「……お前ら魔術師の弱点ってなんだかわかるか」
「……は?」
「大抵の魔術師は魔術に頼りきり、己の体を練磨することを考えない。だから接近戦に極端に弱い」
お前は規格外そうだけどな、と語る男。
一体何を言っている?こいつが何を考えているのか全然わからない。
油断をするつもりはないが一旦ブーストを停止させることにする。危険でも仕方ない。
MPも時間経過で少しずつ回復はするのでそれに期待しよう。
淡々と喋る男はこちらの様子などお構いなしに話を続けた。
「中にはそれさえも克服しようとするやつもいる。まぁそれでも専門職には適わないがな」
「それがどうした」
「だが接近戦の弱さはある程度カバーできる。色々な手段を使ってな。それでも魔術師には致命的な弱点がある」
「……致命的?」
「詠唱。その一点につきる。人は詠唱なくして魔術を行使できない」
確かに魔術師は言葉に魔力を乗せて魔術を使いこなす。
詠唱とは魔術を使うための鍵とも言えるものだ。切っても切り離せない一部と言えるだろう。
「詠唱をするということは無防備になるということだ。俺はその間に何回だって殺せる。喉を潰し、頭を砕き、心臓を抉り取る」
「……」
「俺の二つ名を教えてやろうか。魔術師殺し(メイジキラー)だ、大層な名前だろう」
二つ名なんて中二病くせぇと笑い飛ばしたいが、付いた名前は俺にとって最悪なもので笑うに笑えない。
もしも俺に決定打があるとすれば、それはフィーリングブーストによる魔術だからだ。
それで警告している?無駄だと。詠唱する間もなく殺してやる、と。
戦いが始まってからずっと俺は考えていた。この男を打倒する手段を。
身体能力では圧倒され、攻勢に移ることも出来ずこちらの手傷が増えるばかりで一向に情勢はよくならない。
投げ込むべき手は戦況をひっくり返す隠し玉。俺が数少ない選択肢から選んだのは魔術だった。
それがこうして実行をする前から潰されている。
思考でも上手をとられ、八方塞になりかけているが諦めることはしない。
最後まであがくと、そう決めたのだから。
この男が言っていることは何も間違ってはいないだろう。
二つ名が示す通り、幾多の魔術師をその手で殺めてきたのかもしれない。
俺のような未熟な子供ではなく、それこそ百戦錬磨の魔術師とも対等に渡り合ってきたのだろう。
その研ぎ澄まされた肉体は言葉より雄弁に物語る。
雰囲気、という曖昧な部分でさえ素人の俺にわかる程の気迫が感じられる。
そんなヤツと俺が戦うこと自体が間違い。前に立つことさえ愚か。
…………愚かでいいじゃねぇか。それぐらいじゃなきゃ、こんなレベルの相手に勝てやしないッ。
「御託はいいからかかってこいよオッサン。そろそろ退屈になってきたんだよこっちは」
「は、はははは!俺はお前が気に入ったよ小僧。なら望み通り再開といこうか!!」
全くもって嫌になるぜ。戦闘狂かよこの親父は!
そんな喜色満面の笑顔で迫ってくるんじゃねぇよ、気持ち悪いだけだっての!
しかし、気持ちの上では絶対に負けてはいないが、何かしら一手は打たなければならない。
多少は魔力が回復したが雀の涙。ブーストできる時間はほんの少し延びた程度だ。
何か、戦況を変える一手があれば……。
『思考進化の連携術士 EE』にてテトたちの視点の話があります。
読まなくても差し障りはありませんが、興味が出た方はよろしければご覧ください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




