第二十三話 彼女の勇気
一応の危機は去ったということでブーストは温存することにした。髭もハゲもしばらくは追ってこれないだろう。
アナライズでMPを確かめると、残り三分半程度は使える計算だ。
この魔術、実は意識しておけばウィンドウをそのままにしておけるので、時間を計るのにはちょうどいい。
視界の端っこに待機させておこう。
「ミコトって見た目と違って怖い所がありますのね」
ぼそりと脈絡なくプリムラが呟いたのは、しばらく歩いた後だっただろうか。
黙ったまま俺に連れられていた彼女が突然発したその声は小さなものだったが、すぐ傍にいた俺は聞き逃すことはなかった。
戦闘そのもののことを言っているのだろうか。暴力に晒されたのだからそれはわからないでもない。
それともハゲの膝を砕いたことだろうか。
膝を砕くなどやりすぎた感は否めないと今では思ってしまうが、こうやってプリムラの言葉として出てくると衝撃を受ける。
助けた相手から怖がられると、思った以上に心に響くんだな……。
それが友達になろうと思っていた相手だから尚更。
こんなんじゃきっと友達になんてなれないだろう。
……いかん、何をネガティブになっている。危険地帯にいるというのに友達になれるなれないで落ち込むなんて。
平静を装っていればよかったが、存外にショックだった俺はもろに態度に出して肩を落としてしまう。
暗雲たる気持ちだ。胸にずーんときて進んでいた足も遅くなってしまう。
罵倒などといった言葉には慣れっこだったからそっち方面だったら俺は強い、と今まで思っていたのだがこの有様である。
女の子の一言で打ちのめされるガラスハートの持ち主だったんだぜ……。
「…………」
「あっ、そ、その……」
思わず出てしまった言葉だからだろうか、言い淀むプリムラ。
ふとした時に出た言葉は本音が多いという。俺が怖い、と言った彼女の言葉もきっとそれだろう。
慌てるプリムラに対し俺が掛けられる言葉はない。
言い訳をするつもりもなかったし、あれを後悔しているわけでもなかったからだ。
けして落ち込んでいるからではない、けして。
そんな風に強がっている癖に歩みが遅くなっていた俺に、プリムラは意を決するように俺の前へと回り込んだ。
二人を繋いでいる手を自分のもう一方の手で包み込むように持ち直し、プリムラは必死の形相で俺を見上げた。
「でも嬉しかったですわ!!」
「……嬉しい?」
「ミコトが私の元に駆けつけてきてくれたことですわ!!」
きょとんとした呆け顔だった俺は彼女が言った言葉を理解するのにしばらく時間がかかった。
その間も彼女はたどたどしく言葉を探しながら、しかし真剣なまなざしで俺を射抜いていた。
「見知らぬ土地に迷い込んで!一人でとっても寂しくなって!それから貴方の目の前から逃げ出したことを後悔して……」
「……」
「それから、それからずっと考えて……。どうしてこうなったのかなって。何がダメだったのかなって」
尻すぼみになっていく声。プリムラ自身にもまだ整理がついていないことなのだろう。
それでも言葉は止まらなかった。止めなかった。
彼女の勇気を示すように偽りのない言葉が綴られてゆく。
「私、帝都から一人でこちらに来た時決心しましたわ。一人でも頑張っていこうって。父様や母様に心配かけないように」
彼女の言葉にはまとまりなんてない。思いの丈を吐き出すことにそんなものは必要なんてない。
現にこうして耳を傾けている俺がいる。
どうでもいい支離滅裂な言葉だったら聞いてもいないだろう。
「でもそんな頑張りも長く続きませんでしたわ。何をしてもうまくいきませんでした。一人は寂しい。そんなこと両親と離れてようやく気づきましたわ」
これはさっきも話したことですわね、と笑うプリムラに俺は同じように笑うことはできなかった。
「……ミコト?私が迷子になってその時に思っていたことって何かわかりますか?」
「……両親のことか?」
「そうですわね、確かに両親のことも考えていましたわ。このまま帰れなかったら迷惑かけてしまうかも、と思っていましたし」
困り顔でそんなこと言うんじゃねぇよ……。もっと心配することあるだろう。
スラム街で一人きりでいたんだろうが。一人は寂しいってさっき言ったばかりだろうが。
「そんな顔しないで、ミコト。やっぱりミコトは優しいですわね」
「……そんなことねぇよ。優しくなんて全然」
「ううん、ミコトは優しい。だから私はミコトのことを信じて待っていたのですわ」
信じるって、出会って間もないやつのことを簡単に信じるんじゃねぇよ。
どうしてそんなに嬉しそうに笑っているんだよ。間に合わなかったかもしんねぇだろう。
……いや俺は間に合ってなんかいなかった。それはプリムラの頬に残る赤くはれた跡が雄弁に物語っている。
信じるに値しない男だ、俺は。
プリムラの両手に包まれていない方の手で、感情の発露をそこで発散するかの如く力の限り握り締める。
爪が手の平に食い込んで鋭い痛みが走るが、元々髭と殴りあった時に怪我をした手である。少し悪化しただけで何も問題はない。
「こうして来てくれた。それがとても嬉しい。だけれど、さっきのミコトを見て怖いとも思いましたわ」
「っ……」
「ミコト、最後までちゃんと聞いて?確かに怖かった、だけど私はそれでも貴方と友達になりたいと思っているのですわ」
……え?
伏せかけた顔を上げるとプリムラは真剣な面持ちでこちらを見つめていた。
嘘や冗談などではない。けしてそんなもので言葉を汚すことなどしないと表すように。
「それでも貴方はそんなことって言うのかしら」
そう言い放った彼女には怒気の一欠けらも見当たらなかった。あるのはただの純粋な悲しみだけ。
不安そうに揺れる瞳は先ほどの告白とは打って変わって頼りなく、弱々しげな色が垣間見えた。
どれだけ俺の言葉がプリムラを傷つけていたのか思い知らされ、心が軋むように痛い。
否定していたわけじゃない。嫌だったわけじゃない。
ただ恥ずかしかっただけだ。
そんな俺の都合でひどく傷つけてしまったことに激しい自己嫌悪に襲われるが、塞ぎこんでいる場合ではない。
今度こそプリムラに伝えなければ。
俺はプリムラと……。
「おいおい、ガキ共。なーんでこんなとこにいるんだ?」
…………あぁ?
声に振り向くと巨体の男が壁に寄りかかってこちらをにやにやと笑って見ていた。
スラムの連中はニヤニヤ笑いがデフォルトなのか?
本当にこいつらは悉く邪魔してきやがって、どうせまた絡んでくるんだろ。問答無用にぶちのめしてやろうか。
プリムラは怖がってすぐに俺の後ろに隠れてしまった。精神的に彼女にも悪いだろう。
邪魔をされて俺も腹が立っている。喧嘩っ早くなっているのはさっきの戦闘の余韻だろうか。
しかし今度はどうやって処理しよう。あまり残酷な手段だとさすがにプリムラに前言撤回されるかもしれない。
……想像しただけでハートブレイクしてしまうから、それは考えずに穏便に半殺しにすることにしよう。
物騒な考え事をいつものように瞬く間に済ませると、俺はプリムラにはその場に残るように言って巨漢に向かって足を進める。
こういう輩のエンカウント率が高いことからも迅速に事を進めたほうがいいだろう。
次にあいつが何か喋ったら戦いの合図だ。暢気に会話を続けようとしたらこれ幸いとボディに一発かましてやる。
俺のスピードなら突進力も考慮すれば相当の威力になるだろう。
悶絶している間に逃げればよし、まだ立つなら本気で半殺しだ。
だから俺はその時、気づいていなかった。
大人二人、しかも一人は武器をもったやつらをたいした怪我もなく圧倒できていたから生まれた増長した心。
その心が油断を呼び、高速思考を使って相手を見極めるということを忘れていた。
スラム街にいるには明らかにおかしい鍛え抜かれた体躯の男。見え隠れするその筋肉を見落としていた。
初動は一瞬。
男は次の言葉を発することなく、いつのまにか俺の眼前へと移動し俺を体ごと蹴り上げた。
文字通り空中へと投げ出された俺は地面に激突する瞬間まで何も出来ることはなく、反応さえ出来ずに蹴り飛ばされたのだった。