第二十二話 励起する力
改稿した中でここが唯一かなり変えた場面でしょうか。
「クソガキがぁ!調子に乗りやがって!!」
よほど子供に尻餅をつかされたのに苛立ったのか、髭面の男はそう喚きながら襲い掛かってきた。
けして速いわけではないその動きは子供の身ながら避けるのは簡単だろう。しかしそれも広いスペースが取れるならば、の話。
この狭さでは髭面の横を抜けるか、股下をすり抜けるか。……いやそもそも回避ということが難しい。
プリムラがいる以上回避という選択肢はない。
俺の背に隠れ、震えている女の子をこれ以上どうすればいいというのか。無理やり立たせ、動かそうとしてもろくに体は言うことを聞かないだろう。
(ここは俺が気ぃ張る場面だろうがよぉッ……!!)
守らなければいけない存在は時に足かせとなり選択肢を狭める。いくら本人が無敵の超人であろうとも大切な人を人質に取られれば強さなんて関係ない。
その人が大切であればあるほど弱点となってしまうだろう。
だが、守る者がいるからこそ生まれてくる力がある。思いがある。
まさかそんな青臭いモンを俺が、という気持ちがないわけでもない。
それでもこの激情の中には怒りだけではない、確かに強い思いが存在している。守りたい、助けたいという気持ち。
「死ねやクソガキっっ!」
暴力という言葉がふさわしい力任せの一撃が頭上から振り下ろされる。男の狙いは頭部。
鈍重な動きながらも走って加速をつけた拳から繰り出された一撃は、まさしくまともに受ければ致命傷となるだろう。
怒りに顔を真っ赤にさせた男に手加減を期待するのが間違っている。
容易に命を刈り取ろうとする男に対し、不思議と恐怖は湧いてこなかった。
避けようともせず無防備に眺め、そんな俺の後ろからプリムラの悲鳴が聞こえてくる。
もはや当たることは必然、後は当たり所がいいか悪いかどうかという瀬戸際になって、俺は。
(高速思考展開――)
胸中でそう呟けば即座にシフトする。世界が移ろい、全てが置き去られる。
唯一の例外は俺の意識だけ。男の拳も己の体も、別世界に縫い止められているかの如く静止する。
だがしかしそれは完全なる静止ではない。僅かながらでも時は刻まれ動いていく。
だから俺は迷わず体に宿る魔力を開放した。
奥の手……大げさな言い回しだがこれは魔術でも何でもない、俺が偶然見つけることが出来た荒業。それは身体を魔力で強化すること。
溢れんばかりに漲る魔力に全能感に似た恍惚とした感情が湧き上がる。
力に溺れるという言葉があるが、なるほどこの世界では魔力はまさにソレだろう。
だが今はそんなものに浸っている場合ではない。目の前のクソヤロウを打倒すべく、俺は身体強化に心血を注いだ。
高速思考が発動している時、俺の思考以外は全てスローモーションのように遅くなる。
ものによっては停止していると見間違えるほどだ。
髭面の拳はその点、除々にではあるが動いていることからそれなりの速さで振るわれていることがわかる。
しかしブリキ仕掛けがわざと遅く動いているような髭面と違い、俺のブーストはその速度さえ超える。
この世界で発動すれば自分の思考へとようやく体が追いついてくれる。
身体能力の劇的な向上、ステータスで言うならばINT以外を全てCランクまでブーストで引き上げることが出来た。
そこまで能力が上がっていると、ただの大人なら秒殺できるポテンシャルを秘めていることになる。
そんな驚異的な力も持つブーストだが弱点もある。
おそろしく燃費が悪いのだ。
具体的な数値をいえば一秒の間にMPを十消費する。
数値的にたいしたことがないと思うかもしれないが、これは俺のようにMPが膨大になければそれこそ数秒でMPが渇水してしまうだろう。
俺の年代の子供ならば五秒持てばいい。現役で戦う魔術師だろうと一分程度も持たないだろう。
それほど馬鹿食いしてしまうのだ。
俺のMPは約二千四百。つまり四分間。
(しかしこいつ相手に四分もいらない……数秒で十分だ)
ようやく髭面の拳があと少しで俺の頭へと辿り着こうとしている。加虐心が満たされそうになっているのかヤツの醜い顔は愉悦に歪んでいた。
ただの子供を一方的に嬲れるのだと信じているその顔に、俺はたまらなく嫌悪した。
この拳を軽くいなすことも出来るだろう。
喧嘩した経験など皆無だがスキルがそれを補ってくれる。高速思考とブーストさえあれば簡単だろう。
だがそれでは気が晴れない。この暴力だけが得意そうな男に、思い知らせてやりたい。
お前のクソッタレな、それこそ小さな少女をいじめることだけしか出来ない力なんかでは、俺は倒せないのだと。
だから俺は真っ向からその拳に向かって、自分の小さな拳で思い切り迎え撃った。
「うぉぉぉぉぉぉらぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」
自分を鼓舞する雄たけびを上げ、俺は振り下ろされた拳に自分の拳をぶつけるべく振り上げる。
アッパーカットの要領で肘を曲げ、思い切り突き上げた。
俺は前世でも今生でも格闘技なんて学んでいなかったから見よう見まねだ。
不恰好な俺の下手糞な物まね。鏡でそれを見返したら思わず失笑してしまうことだろう。
そう、普段ならば。
ブーストによって強化された俺の体はそんな物まねの技でさえ一級品へと昇華させる。
頭に描いた想像がそっくりそのまま現実へと描き出された。
しかし相手は勢いをつけ、上から殴りつけた関係上、勢いという点では完全に負けている。
なおかつ、武器となる拳の大きさという所でも圧倒的な敗北は免れない。
体格差、そして高低差も考えるとまさに絶望。もしも観客というものがいたなら目を覆う光景が数秒後に広がることを想像するだろう。
それはこの場にいた者でも変わらない。
悲鳴を上げるプリムラ、後ろで腕組みして傍観に徹しているもう一人の男、そして今まさにその想像をしているであろう髭面も同じだろう。
ただ一人、この場で俺だけが違う未来を想像している。
「な!?」
「ギャァ!!」
拳と拳がぶつかり合い、誰もが想像した結果はそこにはなかった。
一方的に小さな拳ごと叩き伏せられた子供は存在せず、下世話な声を上げて喜びに手を叩く男もいない。
そこには弾かれる様に数歩分後退した俺と、殴ってきた右手を押さえて汚い悲鳴を上げ後ずさる髭面だけがいるのだった。
俺が打ち勝ったように思えるが、やはり能力だけではどうにもならないものがあるのか、拳を痛めたようで激痛が走った。
伝わる痛みを顔には出さないように苦心する。余裕であると思わせるのが重要だと思ったからだ。
ただでさえ異常な事態の中、得体の知れない子供を演出するのにその演技は役立つことだろう。
それに心配をかけたくないお嬢様もいることだしな。
驚いた声は後ろにいた禿頭の男か。ちらりと視線を向ければ腕組みを解いてこちらを何かお化けでもみたような顔で見ていた。
そんな男の様子に気を良くすることもなく、俺は容赦なく追撃をかけた。
たたらを踏んでいる髭面に速やかに接近すると、痛めていない左拳で正確に鳩尾を貫いた。
高速思考の中ならば急所など容易に打ち抜ける。造作もない。
ブーストをしているとはいえ、元々のSTR値がF-と低い俺では一般的な大人の力しか出せず、まだ気絶までに追い込めていないだろう。
だから最後の一撃として、腹部の痛みで垂れ下がった髭面の顎あたりを狙ってハイキックを放った。
成すがままに攻撃を受けた髭面は糸が切れた人形のように横倒れして崩れ落ちる。
白目を剥いてピクピクと体を動かしている様子を見る限り、確実に失神しているようだ。
「はぁ……?これは一体どんな夢だよ……」
振り返ると、禿頭の男は腰のあたりから鈍く光る短刀を取り出していた。
仲間がやられた様子を見てすぐに武器を取り出しているあたり、意外と冷静らしい。
どうあろうが無駄な話なのだが。
「フゥー……フゥー……」
体がアツイ。細かい息を吐き出して中の熱を出さなければ燃え尽きてしまいそうだった。
実戦では初投入だったブーストの弊害だろうか。いや、それとは違う気がする。もっとこれは俺の体の奥底から……。
禿頭と俺の間にいたプリムラの横を通り過ぎる。
彼女は全身をガクガクと震えて、可愛そうなまでに怖がっていた。
大丈夫、その恐怖ももう少しで終わるから。
禿頭の武器は少し厄介だった。
この狭い路地では横に避けるのが難しい。体格差から下を潜り抜けるのがいいだろうが、攻撃に移すのが難しくなるだろう。
「ウォォォォォォ!!」
獣の咆哮を上げて俺は突進した。本能のままに叫べば、体中がそれに応えてくれる。
愚直に走り寄る俺に禿頭の男は嘲け笑っていた。
所詮は子供なのか、と。後悔と共にその認識を正してやらなければならない。
いくら速く距離を詰めようとも俺の速度は人の領域を出ていない。真正面から突っ込めば短刀の餌食になるだろう。
では真っ直ぐでなければいいのだ。
狭い路地ということを利用して、俺は横の壁に向かって飛んだ。
激突する瞬間に蹴りつけて、二度、三度と繰り返し三角飛びの要領で飛び上がる。
慌てたのは禿頭の男である。まさかそんなことをされるとは思っていなかったのか、まだ届くはずもないのに短刀を振り回し目算を誤った。
予定ではただ飛び越えるつもりだったが、自ら隙を見せてくれるなら話は別だ。
加速した世界で適宜修正することなど息をするより容易い。
最後にもう一度壁を蹴りつけると、勢いそのままに飛び蹴りを男の頭に叩き込む。
「ぐぼぁっ」
汚らしい言葉を上げて男は倒れこんだ。どうも入りが浅かったらしく意識を刈り取るまではいかなかったようだ。
転がっていた短刀を見つけたので禿頭の男から離すために蹴り飛ばした。これで脅威はほぼなくなった。
この男には特に恨みはないが、どうせ髭面の仲間だ。
手をまだ出していなかったというだけで、同類ということは変わらないだろう。
だらだらと鼻と口から血を垂れ流して、ヒィヒィと情けない声をあげている男を目の前にして俺は冷静に考えていた。
後は成すべきことを成すだけだ。
脳震盪でも起こしているのかろくに立てない体を引き摺り、俺から遠ざかる男に俺は近寄って行く。
そして……
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁああああ」
転がっていた男の膝を上から思いっきり踏み抜いた。
地面を打ち抜かんとまで力を入れた一撃は嫌な音をたてながら呆気なく男の膝を砕いた。
頭部はこれ以上打撃を与えると危険そうなので、足を封じることにした。
これで追っては来れないだろう。
しかし、うるさい。他のやつらが来たらどうするのだ。
ハゲのことは放置してさっさと逃げることにする。
彼女の所に戻ると何故かプリムラは呆然と突っ立っていて、俺が声を掛けるまで反応さえしなかった。
呆気に取られている様子だが、どうしたのだろう。
不思議に思ったがそのことは聞かず、俺はプリムラと二人で裏路地を抜け出し出口を目指すのだった。
元々上げていた話も『思考進化の連携術士 EE』にしばらく掲載することにしました。
比べて見るとちょっと面白いかもしれません。