第二十話 スラム
プリムラを見つけるための手段……作戦自体は簡単なもの。所謂ローラー作戦と言われるものだ。
しらみつぶしに捜索するこのやり方では今の四人では圧倒的に人数が足りないが、どうやらこのガキ共は生意気にもチームを組んでるらしく他の仲間を集めて探してくれるらしい。
スラム街にこのガキ共は住んでいるらしく地理にも詳しいそうだ。
誇らしそうに俺たちに任せてくれと胸を叩いて自慢してきた。
逃げ出した原因はこいつらにもあるから胸中でイラッとはしたが、それを表に出すことなくぶりっこスマイルである。
全く、可愛い面してよかったと思ったのは生まれて初めてだ。
だが男に媚びるのは金輪際なしにして欲しいところだが。
何が悲しくて男のでれでれ顔など見たいものか。
ラトリとルーイと呼ばれたガキ二人が、その仲間へと連絡しに張り切って走って行くのを俺は手を振りながら見送った。
リーダー格のガキの名前はテトと言うようだ。
そのテトは俺と二人で一緒にプリムラ探しにスラム街へと足を踏み入れていた。
何故こいつだけ一緒について来ているかというと、俺が待ちきれなかっただけだ。
スラムに入っても俺一人だけだと迷うからテトがついてきた、という寸法だ。
しかしこのスラム、貴族街とも俺が住んでいた所とも違う雰囲気がある。
スラム、という言葉を聞いて浮かぶイメージは荒んだ場所に落伍者や浮浪者が住み着いている、というものだったがそれとさほど違いはない。
建物はどことなく薄汚れていて扉が壊れて開けっ放しの母屋があったり、子供が作ったようなみすぼらしい辛うじて家と呼べる物もあった。
道端に申し訳程度の布をくるんで寝っ転がる者もいれば、石レンガの壁に寄りかかって骨と皮しかないような男がぶつぶつと呟いている者もいる。
殺風景な風景は荒廃した空気を漂わせ活気とは無縁である。
こうして軽く見ただけでも普段生活している場所とはかなりの違いがあって、俺はショックを受けていた。
それと共にこんな場所に迷い込んだかもしれない彼女を一刻も早く見つけなければ、という決心を改めて胸に宿した。
「ったく、一人でスラムに入ろうなんざ無茶がすぎるぜ」
隣を歩いていたテトが愚痴るようにため息をこぼしながら呟いた。
しっかりと聞こえているぞ。聞こえるようにしているのかもしれんが。
「うるさい。黙ってついてこい」
「黙ってたら案内なんて出来ないぜ?」
「黙って案内しろ」
「俺の話聞いてた!?」
やかましいやつだ。しかし機転が利くやつでもある。
俺は自分の服を見下ろす。そこには泥だらけで汚くなってしまった服があった。
何故こんなことになっているかというと、俺とテトで自ら汚したからだ。
テト曰く、その服装は綺麗過ぎる、という話だ。
なるほど、確かにこの現状を見れば俺が着ていた服は上等にすぎるだろう。
すぐさまここの住人に目をつけられて、いらぬトラブルに巻き込まれるに違いなかった。
だからスラムに入る前に泥で服を汚したのだった。ついでに顔も泥メイク済みである。
しかし、俺の服でもこれだからプリムラはもっと……。
いやそれを考えるのはよそう。そうなる前に見つければいいだけの話だ。
「ここからは俺に任せてもらおうか。何、ちょっとは顔が利くもんでね」
へへっと笑いながら言うテトはどこにでもいる少年のようでもある。
だがしかし、こんな過酷な環境に置かれて育った子供がただの少年のわけがない。
ラトリ、ルーイに関してもそうだ。
俺はどことなく年長者として見下ろしていた部分があったが、とんでもない。
こいつらは俺なんかより、もっとずっと精神的な意味合いで強い。
こうやって笑えていること自体がその証だろう。余裕がない者は笑えたりしない。
俺はその笑顔をどこか眩しそうに見ながら、テトの後をついていくのだった。
「ドレス姿の少女?そんなもんこんな所にいるわけがねぇだろ」
そう言ってゲラゲラと下品な声で笑う男に俺は失望が隠せないでいた。これで何人目だろうか、プリムラのことを聞いて空振りに終わるのは。
あれから二時間ほどの時間が経っていた。
テト、ラトリ、ルーイとその他の仲間、そして俺を入れた総勢十五人の子供がプリムラを捜索している。
俺とテトとルーイの三人、他の子供たちも三人ずつの計五チーム体制でローラーを敷いていた。
ローラーの仕方はそれぞれが三十分捜索した後、特定のポイントで集合し情報の照らし合わせをする。
情報がなければ再度散らばって行きまた三十分捜索する、といった方法だ。
だかしかし三回目に集合した時にもこれといった情報はなく、こうしてまた散開して人に聞いたりこの目で探しているものの一向に見つからない。
そろそろスラムの中部に位置する辺りまで来ている。
このスラム、存外に規模は大きいようであるがそれは上部にあたる部分が実の所大きく、中部と呼ばれる区間は上部と比べて半分の大きさらしい。
深部と呼ばれる場所は更に狭いらしいが、子供たちは行ったこともないようだった。
それは第一の理由としてリスクが大きすぎるせいだ。
危険の度合いで言うならば深部が一番危ないらしく、路頭に死体が転がっていることも珍しくないらしい。
そんな死臭立ち込める場所に住む人がまともであろうはずもない。
スラムの中でも深部に限っては不可侵でもあるかのように立ち入る者はまずいない。
「そろそろ中部、か。ここまで来て見なかったとなると、そもそもここにいないのかも知れないな」
ぽつりと呟いた声に振り向けば思案顔のテトが物思いに耽っていた。
独り言だろう。誰に聞かせたわけでもない言葉だろうが、俺の耳にはしっかりと届いた。
ここにいないのならそれはそれでいい。スラムより他の場所にいる方が危険は少ないだろう。
もしかしたら本当に家に帰っているだけかもしれない、そんな風に思っていた俺だったが四回目の集合場所でその甘い考えは覆させられる。
プリムラの目撃情報があったからだ。
「少し前に中部の方に走って行った、だと……?」
俺たちはあまり目立たないように路地裏へと集まっているのだが、この雰囲気は路地に日陰が差していないことだけが理由ではないだろう。
難しい顔で唸りながらテトは仲間の報告を聞き、他の十三名の顔もどこか同じように暗い顔だった。
中には明らかに怯えているやつもいることから、まずい事態になっていることは容易に推測できる。
……これ以上、こいつらに頼むのは無理だろうな。
元々が特に関係ないやつらばかりである。
テト、ラトリ、ルーイの三人は始めに絡んできたことから多少責任がなくはないが、無理やり押し付けるものでもない。
上部のスラムの惨状を見るに、中部はもっとひどいのだろう。それこそ歩いているだけで命の危険性があるかもしれない。
そうまでして付き合わせるのは俺からして願い下げだ。人の命に責任なんて持てやしない。
だから……。
「おいアンタ待て!どこに行く!」
呼び止める声に俺は歩きかけていた足を止める。
後ろを振り向くとテトが追いすがるように手を伸ばしていた。
だがその手は仲間に囲まれている所から伸ばされていて、直接に俺に触れることはない。
テトの足は戸惑うように一歩、二歩とこちらに近寄ろうとするが途中で止まってしまう。そうしてちらりと肩越しに仲間を振り返っていた。
それでいい。仲間がいるのだからそこにいるべきだ。
「何って迎えに行くんだよ」
当然だろ。そんな調子で俺は軽く答えを返した。まるでそれが日常の延長線上にあるかのように。
焦っているテトに気楽に笑いかけてみると本当にそんなような気がする。これから行く所を考えれば少し異常か?
だが俺は考えすぎると足が止まってしまう。だからそのぐらいがちょうどいい。
「お前、本当にわかってんのか!?スラムの中部はお前が笑っていけるような所じゃ……」
そうだな。俺の想像以上のことが待っているかもしれない。
所詮、俺は人生経験の乏しいクソヤロウだ。死んで転生してもたいした成長なんてしていない。
特に自信も根拠なんてものもない。あるのはこの小さな体と覚えたての魔術だけ。
しかもその魔術もウィンドだけである。その魔術も人相手に使えば俺の場合、殺傷してしまう危険性がある。
フィーリングブーストによる増幅効果は未だ御し切れていない。少しは練習もしたが威力はまちまちだ。
この歳で殺人なんて犯したくはないから、実質あるのはこの身一つというわけだ。全く、嫌になっちゃうぜ。
だがそれでも見捨てられない。見捨てたくない。
俺が彼女に友達になろうと言った。彼女はその言葉に嬉しそうに笑ってくれた。それだけで十分だ。
何よりまだ答えをもらっていない。このままじゃ宙ぶらりんだ。
俺をずっとぼっちのまま放置しておく気かよ。とんだドSだぜ。
「お、おい!待てって!!」
「じゃあな。世話になった」
また会えたらこの借り必ず返すからな。そう最後の言葉は口にせずに心の中で呟く。
そうしてから瞬時に俺は頭の中を切り替えた。考えるのは一つだけ。プリムラのことだ。
足に力を入れて俺は走り出した。目指すはスラムの中部のどこかにいる彼女。
テトの仲間の情報によると右手にある方角へ走り去ったらしい。時間は少し前。
少しがどの程度かはわからん。が、一時間以上前ということはないだろう。
俺は流れる空気の壁を懸命に切り裂きながら頭を高速で働かせ続ける。
踏みしめる地面、遠のいていく景色、まばらにたむろうスラムの住人の視線に晒されながら。
プリムラ……絶対に見つけてやるからな。