第十九話 追走
驚くほどの瞬発力を発揮したプリムラは、そのダークレッドの髪をなびかせて俺の前から走り出して行く。
ドレスを着ているプリムラが見る見る間に駆けていく姿は驚嘆に値する。
遠ざかる背中に一瞬呆けてしまったものの、俺は即座に追いかけることを選択した。
ここで見失ってしまうとおそらく再び見つけることは至難を極めるだろう。
俺はこの辺りの地理に詳しくなく、見た所プリムラの身体能力は俺を上回っている。
速度でも追いつけない、ショートカットで優位性を取ることも出来ない。
奥の手を使えば容易に追いつけるだろうが、あれはまだ未完成で確実性にかける。
幸いといっていいのか、彼女は人込みの方に走り出しているようでまだチャンスはある。
あそこでもたつけば十分に追いつく可能性はあるだろう。
そう高速思考を使い、一秒も経たない時間の中で決断すると俺は走り出した。
が……。
「……離してくれない?」
俺はリーダーのガキに手を掴まれていた。
振り向いて俺は苛立ちを隠そうともせずガキに感情そのままをぶつける。
そんな俺の態度が意外だったのかガキは目を丸くし、だがその後に表情を引き締めると手の力を強めた。
クソ。振りほどけねぇ。なんだってんだ、こっちは急いでんだよっ!
「お前、誘拐された子供だろう。無理やり言うこと聞かされてたんだろ。あんなやつに従うことない」
「…………は?」
思わず間抜けな声が出てしまった。いや、仕方ねぇだろ。なんだ誘拐って。
ちょっと暴力的なシーンを見せちまっただけでそこまで発想が飛躍するか?
あまりに予想外だった言葉に俺は抵抗することも止めて、まじまじとそのガキのことを見つめてしまった。
別段イっちゃった面構えでもないし、強いて言えば生意気そうな顔をしているがそれは関係ない。
俺が無遠慮に眺めすぎたせいか、ガキは気まずそうに目を逸らしてしまう。
「誘拐されてないし、無理やり言うことも聞かされてない。だから離して」
「悪いが信用できない」
どの口が言ってやがる。段々とイライラしてきた。
いきなり誘拐だのなんだの言うヤツがほざいてんじゃねぇよ、クソが。
こうしている間にもプリムラは……。
プリムラが走り去った方向に顔を動かすと、そこにはすでにプリムラの姿は影も形もなかった。
はえぇよ……あのドレスでよくもまぁうまく走れるもんだ。ほんと……。
虚脱してしまいそうになる体をどうにか持ち直す。落ち込む暇なんてない。
見目も麗しく目立つ格好をしているプリムラだから視界にさえ入ればすぐに発見できるだろう。
前述の条件をどうにかクリア出来れば、の話だが。
追いつくことは今からでは難しいからどこかで歩いている、もしくは休憩している所をこちらが見つけるしかないだろう。
こう思ってしまうのは諦めが早いと思うかもしれないが、このクソガキがどうにも俺を離さないから仕方ない。
まさか魔術でぶっ飛ばすわけにもいかないだろう。ほんの少しそうした気持ちがあるのは否定しないが。
低い可能性ではあるがプリムラはそのまま館に帰っているのかもしれない。
それが身の安全的には一番いい。
(確かに家に帰っているならそれがいい。貴族街までの道のりは人通りが多く、区間に入ってしまえば安全面での問題はほぼない)
だがそれは希望的観測というものだろう。
プリムラが向かった先は俺たちが来た道とは真逆の方向だった。俺が住んでいる所とも方向が違う。
……最悪のケースを想定して動かなければならない。そしてその最悪を絶対に阻止しなければ。
なにより俺としてはすぐにでも話をしたい気持ちで一杯だった。勘違いしてそうなお嬢様を放っておけない。
ならばこそ、このガキをどうにかしなければならないのだが。
……あぁめんどくせぇ。もう取り繕った態度はオシマイだ。
知らないやつだったから臆病の虫が顔を出していたが、こんなヤツにいい面見せてどうする。
いやそもそも遠慮なんてする必要なんてなかった。最初からあるがままでよかったのだ。
「いいから、離せ」
離せ、の部分で俺は再び微笑んだ。しかしその笑顔は今までとは一変していたことだろう。
笑顔の中に潜んだ感情をガキは読み取ったのか、後ずさりながら手を離した。
後ろにいるガキ共もどこかプレッシャーを感じているのか緊張しているようだった。
これが迫力のある笑顔かもしれねぇな、と心の隅で思いながら俺は更にガキに言い募った。
「お前たち、案内できるか?」
「え?」
「ッチ。呆けてんじゃねぇよ。ここらへんに詳しいかって聞いてんだよ」
舌打ちしながら顔を顰めれば、俺の変容にガキ共はあんぐりと口を開けて驚愕していた。
間抜けな面晒してる暇あったら口動かせや。
愚図な野郎共にもう一度舌打ちすると首をくいっとさせてプリムラが消えていった方向を示した。
「あいつが逃げて行った方はわかるか。あぁ?」
怒鳴り込みそうな声をなんとか抑えているつもりだったが、語尾にその片鱗が見えてしまっていた。
まるで威嚇するチンピラのようだな、とは思うが直す気はない。
俺がこいつらにどう見えているかは知らないが、少しは効果があったようでどもりながらリーダー格のガキが率先して答えた。
「あ、あぁ。あっちはスラム街の方だ」
「マジかよ……」
なんというお約束。額に手を当てて嘆きたい気分だ。
お約束ではあるが実際にそんな立場に置かれたらたまったものじゃない。
マンガや小説の中だと大抵最後には無事に終わることが多い。だが中には悲惨な結果に終わることも、ある。
くそったれが、トロトロしている場合じゃねぇな……。
自分で想像してしまった嫌な結末に胸がムカムカしてきた。
しかしどうしたものか。スラム街など行ったこともないし、そもそも初めて聞いたぐらいだ。
プリムラも家からあまり出たことがないと言っていたし、あのまま進んでいたとしたら迷子になっている可能性が非常に高い。
そんな中を俺一人で探し出すのは不可能に近いだろう。
闇雲に探すのは時間を無駄にするだけだ。
せめて何かしらの探索系の魔術でも覚えていれば別だろうが、残念ながらそんなものは習っていない。
もっと色々と早く習っておけばよかったと今更後悔するが後の祭りだ。
他に何かないか……。ん?
顎に手を当て高速思考を使って思考の渦に飛び込もうとしていると、困惑気味の三人が目に入った。
どうすればいいのか迷っている様子だ。後ろにいたガキ二人がリーダーのヤツに何やら話しかけているようだがよく聞こえない。
そうだな、便利な魔術はないが近くに使えるコマなら三個ほどあるじゃねぇか。
俺はニタリと口の端を上げて笑い、それから三人を見渡して優しく、やさーしく声をかけた。
「お前ら、迷惑料払ってもらうからな?」
「……はい?」
揃いも揃って三人同時に疑問の声を上げるガキ共に、俺はこき使う算段をたてながらガキ共に近寄っていく。
リーダー格のガキの手を今度はこちらから掴み、ミライにいつも向けているような愛嬌たっぷりの笑顔を振りまく。
身長差がちょうどいいので上目遣いもセットである。
男にこんな顔を向けるのは正直気持ち悪いことこの上ないが、手段なんて選んでられない。
俺の顔が可愛い?
いいぜ、いい加減俺もそれを認めてやる。
利用できるなら上等。武器に出来るなら万々歳。知恵も知識もないなら自分の体使って気ぃ張っていくしかねぇだろうよ。
案の定というか、そんな笑顔に騙されてぽわーっとした表情になっているこのガキ共の将来が心配だが知ったことではないな。
せいぜいが悪い女に身包み剥がされたりしないことを祈るだけだ。
まぁ今の所は悪い男に騙されてもらおうか。
二重の意味で騙しているのはちょっと申し訳ねぇがな。
しかしコイツラに俺が男だとばらすと、こいつらもショックだろうし俺も演技ぶちかましているから恥ずかしい。
……お互いにこのことは黙っている方が身の為になるだろう。
そう思いながらガキ三人を抱き込むことに成功した俺はプリムラを探すため、スラム街へと赴くことになったのだった。