第百二十五話 開戦
絶望という名の海にどっぷりと浸かってしまっていた生徒たちも、プリムラの演説を聞き終わる頃には希望の光をその胸に宿し始めていた。
湧き上がる活気に先ほどの暗い空気は微塵も感じられない。
瞳に光を取り戻した生徒たちは互いを鼓舞するように「俺たちはやるぞ!」と励ましあっていた。
不自然なほどに手の平を返す彼らは気付かない。それが魔術によって誘導されていることを。
精神魔術ブレイブハート。対象者のやる気や勇気といった前に進む為の力を呼び起こす魔術だ。
プリムラが壇上に立つタイミングを見計らい、精神魔術の得意な者にライラックが指示を出してかけさせたものだ。
ミコトにとって精神魔術というものに苦い思い出があった。それこそ唾棄すべき程のものだ。
感情に流されやすくなっている今の彼が激怒しなかったのには理由がある。
一つはそんなことにかまけている余裕がなかったこと。怨敵がすぐそばにいるのだから瑣末事を気にしている暇はないということだ。
そしてもう一つ理由がある。
それはいくら魔術だからといって、ないものを呼び起こしたりはできないということだ。
つまりプリムラの演説を聴き、ここにいる者たちは少なからず希望を抱いた。
魔術はそれを手助けしたに過ぎない。真に絶望した者にとってこの魔術は効果がないのだ。
「……ふぅ」
沸き立つ少年少女を壇上の上から見下ろしながら、プリムラは誰にも気付かれないように小さなため息をついた。
あまりの現状にいても経ってもいられず壇上に立ったはいいが、何も考えなど彼女にはなかった。
自分が思っていることを吐き出していたに過ぎない。
それは結果として無情に事実を突きつけられるよりも、飾り気のある言葉で上手に嘘をつかれるよりも、少年少女たちの心に響いた。
ただそれだけのことだったのだ。
人の前に立つ事を気にするプリムラではなかったが、さすがにこの場に立って発言することに緊張を覚えた。
いや、緊張が後から追いかけてきたと言った方が正しい。
なにせ彼女は責任を負ったのだ。ここにいる数百名の命を。
魔物との戦いは文字通りの命がけである。生徒たちを戦いに先導した彼女はその責を担う必要があった。
引くに引けぬ状況にあったとしても、それを導いたのは自分だ。そうプリムラは思っていた。
(だからこそ一致団結する必要がありますわ。誰一人として欠けることがないよう、協力しなければ……もしものことが起こってしまう。
そんなこと許せませんわ。私の前から人がいなくなるのは、あんな思いをするのはもう嫌ですわ)
一番始めの喪失の記憶。それはリヒテンにいた時の悲しみの記憶だった。
あの親子と、そしてスラム街のちょっと粗暴な友達と過ごした思い出は毎日が楽しくて新しい発見の日々ばかりで。
鮮明に刻まれ、胸の奥に大切に仕舞い込んだ記憶となった。
だからこそ、それが一遍になくなってしまったあの日はとても辛い、今でも思い出すと泣き出してしまいそうになる悲しい日になった。
ついその日のことを思い出しずきんと胸を痛めながらプリムラはハッとする。そういえばミコトは?
壇上で話している時にミコトを見つけたが、その場所はすでにもぬけの殻だった。
講堂の中を上からだと見渡しやすいのだが、ついに彼女は少年の姿を見つけることは出来なかった。
そんな時、監視班として外に偵察に向かっていたある先生が講堂の中に駆け込んできて大声を張り上げた。
あまりに切羽詰ったその声は一瞬にして沸き立った空気を吹き飛ばした。
「た、大変だ!!生徒の一人が魔物の大群に突っ込んでいってしまった!!」
止める間もなく物凄い速度で駆け抜けていったという生徒のことを、これから誰しもが目撃することになる。
その時に抱くのは英雄の如き活躍を見せる者に対しての羨望か。
あるいはあまりに壮絶な戦いを見せることによる恐怖か。はたまた……。
どちらにせよ彼らにとってそれは、あまりに衝撃的な事実として心に残るのであった。
それから一部の者たちを除き、大半の者は講堂の中に残ることとなった。次なる戦いに向けての準備をする為だ。
一時的に騒然となったものの、幸いにして勢いが萎んで鎮火することはなかった。
暴走した馬鹿には構っていられない。それが誰であるかはわからないが、こんな状況で英雄願望を見せるのは命を縮めるだけだ。
そんな思いがあったからだろう。
冷たいようではあるが、彼らにも心の余裕というものはあまりなかった。
自分たちのことで手一杯だったのである。
しかし、その馬鹿な行動をした生徒が最近になって学校の噂の渦中となった人物だと知れば勝手は違っていただろう。
最初にその人物を見た者はあんぐりと口を開けることとなる。
何故なら彼が想像していたのは魔物の軍勢に敵わず命からがらに逃げ帰る若者の姿、もしくは最悪の事態を想像していたからだ。
だが現実はまるで真逆だった。
「なんだあれは……」
思わずついてしまった言葉の後、彼は無意識にごくりと喉を鳴らした。
目の前の現実感のない光景に意識がついていかない。
それは暴走した生徒を止めようとして救出班として同行した他の者たちも同様であった。
暗闇の中で光が走っている。
それは巨大なボスモンスターから生まれる鱗粉のようなものではない。
小さな灯火ではあるが、確かな光を輝き放っていた。
縦横無尽に走る光はまるで縫うように魔物の軍勢を走り抜けていく。
それは遠目で見ているからこそ視認できるほどの恐ろしい速度だった。
光の軌跡を描きながら駆けていくその跡にはぴたりと動きを止めた魔物たちがいた。
一体何をされたのか、不思議に思ったが直後、魔物たちの体が一斉に傾き崩れ落ちる。
否、その体が両断されて二つに別れ落ちていく。寂しそうに佇む下半身も後を追うようにどっと倒れていく。
彼は何の冗談かと思った。
あの魔物は上層にいる似たような姿の魔物より数倍は強く、魔力を高め威力を上げた魔術でようやく倒せるレベルである。
けして何処ぞの雑魚のように一瞬にして倒せるような魔物ではない。
しかし、現実として塵芥のように魔物は次々と一刀両断され、その数を減らして入っていた。
おまけとばかりに光は飛び立ち中空に佇んだかと思うと、強力無比な魔術を解き放ち魔物の軍勢に風穴を空けていく。
「もしかして、あれが特攻していったという生徒……か?」
戸惑い半分、興奮半分の声が隣から聞こえてくる。
見なくともわかる。隣にいる者はあの圧倒的な光景に魅せられたのだ。
今も光は縦横無尽に大地を駆け、空を駆け、一撃の元に魔物を殲滅していく。
それは英雄に憧れ、自分の力量さえわからずに無謀にも特攻していった者の姿ではない。
まさしくそれは英雄にも近しい、強者たる者の姿であった。
魔物たちに取り囲まれ絶望的な状況に追い込まれた彼らだからこそ、その姿はあまりに鮮明に彼らの瞳に焼きついた。
唯一、一人だけを残して。
「ミコト……ッ」
ぎりっ、と音をたて口を硬く結ぶのは救出班のリーダーとして選ばれたプリムラだった。
もしやと思い、率先して救出班に志願した彼女はこの光景を見て、陶酔している彼らとは違う感情を胸に抱いていた。
(どうして……!どうして!貴方は一人なんですの!?)
悔しいという思い。悲しいという思い。
ミコトに対する感情は怒りを含めれば多種多様に混ざり合っていて、はっきりとしたものとはいえない。
だがあえてその感情を一言で言うならば、後悔、だろうか。
また自分は彼を一人にしてしまっている、という思いが、プリムラの表情に如実に現われていた。
プリムラはミコトが深い、とてつもなく深い悲しみの感情を背負っていることに気付いていた。
平気な振りをして澄ました顔をしても彼女にはわかる。
昔っからミコトはそんな感情を隠すのは下手だった。
気丈に見せていても心に何か傷を負っているということは、幼心の中にもなんとなくわかっていたのだから。
踏み込めなかったのは再会した直後のあの事があったというのもそうだが、ミコトがそれを望んでいないということも知っていたから。
だから彼女はいつも通りを選んだ。
いつも通りの彼女を演じることを選んだ。
いつしか、その演じるということが本物になることを望みながら。その時までゆっくりと傍にいればいいと思いながら。
二人でいればきっと寂しさもなくなっていくと思うから。だが……。
(この体たらくを私は晒してしまっている。ミコトは強い。それこそ私なんかよりもずっと。
だからといって一人だけで戦う理由なんかにならない!!
ミコト……貴方は今、何を思って戦っているんですの……?)
プリムラは転移騒動に巻き込まれてからミコトの様子が違っているのには気付いていた。
気付きながら、周りの対処に追われてしまってどうすることも出来なかったのだ。
それが彼女が騎士という家系に生まれた定めである。周りの者を守ることこそ、騎士の本懐であった。
だが、たった一人の大切な者を守れないで何が騎士かっ!!
ぱんっ、と勢い良く自分の頬を叩くプリムラ。
その大きな音に触発され、はっと気付く他の救出班の面々はまるで白昼夢でも見ていたかのように目を瞬いていた。
その間にも恐ろしい勢いで光は……ミコトは魔物たちを殲滅していく。
相変わらず戦くようにその光景を彼らは見つめていたが、今度は魅入られて固まることはなかった。
「ミコトを……あの人も援護しますわよ!」
「えっ?援護って……あいつに手助けなんて必要あるのか」
「一人でも十分なんじゃないか。ここは彼だけに任せて、学校の防衛に人を回すべきでは?」
「何を言っているのですの!?ミコトもただの人です!疲れもするし怪我だってしますわっ。
その時になって周りに仲間がいなかったら、どうなるかわかりますわよね?いい加減、目を覚ましてくださいまし!」
軽々と魔物を屠り続ける様子を見て、プリムラ以外の者は彼女の言葉で懐疑心を捨て切れなかった。
事実、ミコトは無尽蔵とも言える魔力供給手段と回復魔術も完備している為、空中に逃げさえすれば安全に回復することができる。
一人でも魔物の軍勢を相手取ることは、今の状況であれば可能といえるだろう。
唯一、魔術では回復しようのない精神面も怨敵が傍にいるかもしれない現状、最高潮にまで高められている。
能面の男を殺すまではミコトは止まることはないだろう。
だがしかし、ここをミコトだけに任せることにプリムラは大きな危機感を覚えていた。
ここで彼を一人にすることで、取り返しのつかないことが起こりそうで怖かったのだ。
そもそも彼女は自分だけであろうと、ミコトを助けに行くつもりであったが。
確固たる意志を崩さないプリムラを見て、救出班の面々はいよいよ覚悟を決める。
元々、助けに入るつもりで戦闘意欲のあるメンバーだけが選ばれていたのだ。
戦うことに対する異議はない。
一名だけは学校側への連絡要員として後ろに下がっていったが、残りのプリムラを含む二十名は戦闘態勢に入る。
その数は魔物の軍勢に対してあまりに少なすぎたが、ミコトの獅子奮迅たる活躍によって戦況は五分と五分。
「はぁぁぁぁぁぁあああ!!」
プリムラを始めとする面々も全力を尽くしていた。
ミコトの邪魔にならないように取りこぼしの魔物を倒しながら、一定のラインを築く。
前に出すぎてしまえば数の暴力にやられてしまうのは目に見えている。
一見してミコトの凄まじい殲滅力によって押しているムードはあるが、実の所、魔界樹のモンスター生成速度とほぼ拮抗している状態だった。
延々と戦い続けるのは無理がある。
ミコトはまだしも他の者たちは魔力切れ、もしくは体力の底が尽いてしまうことだろう。
だからこその攻撃的な防衛線の構築である。ここを基点として学校からの援軍を待つ腹積もりだった。
急ぎ出発した救出班とは違い、学校にはまだまだ戦力が残っているからだ。
学校からの援軍がくれば一気呵成に魔物の軍勢を駆逐し、魔界樹に迫るのも夢ではないだろう。
(なのに……この胸騒ぎは一体なんですの)
プリムラは激しい戦闘の最中でもミコトの姿を追っていた。
いくら魔界樹の眷属といえど、彼女の炎の防御を破ることは出来ないでいた。
だからこそ余裕をもって、されど油断することなく戦っていたのだが、プリムラの不安は増すばかりであった。
戦っているミコトを見ていると嫌な予感が止まらない。
一体これがなんなのか、彼女自身にすらよくわかっていなかった。
プリムラの予感は正しい。それも彼女にとって良くない方向で当たっていたのだ。
ミコトは魔物を倒す度に高揚感を得ていた。
何故なら、魔物を倒せば倒すほど彼の目的へと近づいているのだから。
心は喜びに満ちていた。歓喜の雄叫びに打ち震えていた。いよいよもって私たちの悲願が達成する、と。
ミコトは気付かない。精霊化を果たして一体化しているシルフィードでさえも気付かない。
ミコトの心の奥の更に奥、深淵の中から伸びだしている黒い手に。
『モウスグ、ボクタチハ、イッタイトナル』
嗤うその声に誰も気付かない。現実世界にいる誰もがその破滅の足音に気付くことはなかった。
……ミコトの中に存在している、ただ一人の女性を除いては。
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