第百二十四話 先導者
ライラックが行った演説は先ほどとそう大差はなかった。
淡々と事実を語るだけだ、残酷な事実を。戦わなければ死ぬ。死にたくなければ戦え。
至極、当然の真理である。
しかし、言葉だけでは伝わないものもある。
臆病風に吹かれている者はここに到っても、まだ自分たちは守られる側だと勘違いしていた。
「僕たちが戦うことなんて無理ですよっ!!」
一人の生徒がそう声をあげれば、そうだそうだと賛同する声があがる。
ぼちぼちと最前線で戦っていた者たちも講堂に戻っていて、その者たちは明らかな不満を顔に浮かべていた。
何を悠長なことを言っているのだ、と憤慨している奴もいただろう。
ライラックとて明らかな失望の色を瞳の中に浮かべているが、それでも語る口を止めるわけにはいかなかった。
余力があるわけではない。むしろ足りないと見た方が正しい。
俺がくだらない押し問答に辟易していた時、群集の中から立ち上がった一人の女生徒がいた。
凛とした背筋は一本の剣を彷彿とさせ、勇ましくも人込みを掻き分けて壇上に立つ。
僅かに眉をあげて、ほう、と感心するような顔を見せたライラックは大人しくその場を彼女に明け渡した。
彼女が振り返ると同時にダークレッドの髪が焔のように舞う。
国に長年使える騎士のような、きびきびとした立派な所作は自然と人の目を集めた。
停滞した戦場からこいつも戻ってきていたのか。
燃えるような情熱の瞳を宿した女、プリムラ・ローズブライド。
普段の残念なお嬢様の影はそこにはなく、威風堂々とした姿を晒していた。
「皆さん、静粛に。今、ここで私たちが争っている意味はありませんわ」
痛い程の正論だ。言い争いをした所で意味はなく、時間を浪費しているにすぎない。
理屈ではそうだが感情で納得できない生徒はまたも声を荒げようとした。
息巻いて壇上に駆け寄ろうとしたその生徒は、しかし、プリムラの瞳に射抜かれその場で縫いとめられる。
プリムラは威圧しているわけではない。眼光を鋭く、殺気を飛ばしているわけでもない。
ただその瞳には力強い意志が宿っていたのだ。
すっとプリムラはその生徒から視線を外し、壇上から生徒たちの顔を一人一人確認するようにゆっくりと見渡した。
そうしてから口を開いた彼女の声は、いつの間にか静かになっていた講堂の中に響いていく。
「私は先ほどまで魔物たちと戦っていました。
魔物の軍勢は多く、切り捨てた傍から新しい敵が湧いて出てきましたわ。
敵は実習で戦っていた魔物より強く、しかし、倒せない敵ではありません。
貴方たちの魔術は通用するのですわ。現に共に戦った生徒たちの魔術で敵を打ち倒すことが出来ました」
その言葉に若干だが旗色が変わる。
魔物の姿を見るだけでも恐怖していた者たちにとって、脅威である魔物を自分でも倒せると知れば少しだが恐怖も薄れる。
四方八方を魔物に取り囲まれ、異常事態に我を忘れていた生徒たちもその事実にようやく気付き始めていた。
戦うこと自体への恐怖はまだあるだろうが、それでも顔を上げて壇上を見上げる生徒が明らかに増えていた。
「数というものは確かに脅威ですが、それに惑わされる必要はないのですわ。
遠距離から魔術を放てば確実に数は減っていきます。
何せあの数なのですから、何処に撃っても外れることはありませんわ。
ただ、闇雲に撃つのではなく考えて行動してくださいまし。
私たちにだけは当たらないようにして欲しいのですわ。当たったら痛いですものね」
そう言って茶目っ気たっぷりにウインクするプリムラに、魅了されてしまった生徒は少なくない。
あれが演技なら大したものなのだが、プリムラの場合は天然でやっているのだろう。
天然の人たらし、というわけだ。
風は確実にプリムラたちの方へと向いていた。
プリムラが実際に戦っていた現場を目撃している生徒は多いだろう。
何せ炎の鎧はこの暗がりでは嫌でも目立つ。そんな奴の言う言葉なら、信じてもみてもいいと思ったのだろう。
ざわめきが次第に湧き出してきたが悪い空気ではない。前向きな言葉もちらほらと聞こえてきていた。
大勢は決したと思われるが、それでもまだしり込みをしている奴らもいる。
そんな生徒たちに向けて、プリムラは佇まいを正しながら真摯に語りかける。
「戦うことが怖い。そう思うのは当然ですわ。
私だって怖くないといえば嘘になります。自分が傷つけられるのが怖い。死ぬのが怖い。
人として当然の反応でしょう。それが生きているってことなのですから。
でも私はそれよりも、もっと怖いことがあるのですわ。
守りたいものを……守れないことが怖い」
一瞬だけ、プリムラの視線が俺の方へと向いた気がした。
それも刹那のことで、プリムラは自分の思いを噛み締めるように自分の手を握り胸に当てた。
「私は大切な人を守りたい。すぐそばにいる仲間たちを救いたい。
もちろんそれは、この場にいる皆のことでもあるのですわ。
誰も失いたくなんてないのです。だから、皆、私のお手伝いをして欲しいのですわ。
皆を守れるよう、この場所から誰一人かけることなく生きて帰れるように。お願いしますわ!」
なんともご都合主義の言葉に失笑の一つでも浮かべたくなる。
敵の数は膨大だ。しかもボスモンスターという規格外の魔物も存在している。
あいつらを相手に犠牲者の一人も出すことなく、切り抜けることなんて不可能に近い。
(こいつらをのせるための甘い言葉だ、と言い切ったらいいんだろうがな。
プリムラの場合は本気でそう信じている)
だからこそ性質が悪い。だからこそその言葉には真実味が宿ってしまっている。
カリスマ性、といえばいいのだろうか。プリムラには皆を導く力というものがあるようだった。
プリムラの新たな一面に厄介なものを感じながら、ふと、ライラックはこれを狙っていたのではないかと勘繰る。
ライラックにしては芸のない説得の仕方に、あっさりと引き下がったこと。
これを見越していたならその反応も納得できる。
ああいう女が女狐というんだろうな、と俺は思いながら、すっかりとプリムラの演説に見入っている連中から目を逸らす。
誰も彼もがあの幻想に希望を抱き始めている。
これならばもう戦いたくないと言う奴らもいないだろう。
実際に戦い始めたらどうなるかわからないが、そんな段階になった時点でもはや手遅れだ。
俺にとっては願ってもない展開である。さて、俺は俺で自分のするべきことをしよう。
そうして俺は寄りかかっていた壁から背中を離し、耳につけているイヤリングを触りながら講堂を立ち去ろうとした。
「何処に行くんすか?」
しかし、目の前に立ち塞がった女に足を止められる。
今の今まで何処にいたのか、その女は左目に眼帯を嵌めた調律技師であるミスラという女生徒だった。
久しぶりに見た顔に片眉を上げながら、俺は笑いながら逆にミスラに問う。
「先輩こそ、今までどちらにいらしたんですか?」
「私は結界の修繕が出来ないか先生たちに連れられていたっすよ。
結果としてあまりに高度すぎて私の手には負えず、早々に退散したっすけどね。
それよりもミコトは何処に行くんすか?今、みんな盛り上がっている途中っすよ」
誤魔化されてはくれなかったらしい。
背中の方から聞こえてくる歓声にも似た声があがっていることから、ミスラの言葉に偽りはない。
生徒たちは皆、群集心理に流されて湧き上がっているらしい。
周りが希望に満ち溢れていれば、自然と自分も希望を抱いているように感じる。
一種の麻薬のようなものだ。
騒がしくなってきた後ろ側とは違い、何処かここの空気は緊迫感のようなものが漂っている気がする。
ミスラは何を警戒している?俺か?
「露払いですよ」
「露払い……?」
オウム返しにミスラは問い返すが、それに答える言葉は俺にはない。
構っている時間がそれ程残されてはいないからだ。
せっかく場の空気が暖まってきたというのに、冷水を浴びせるわけにはいかないだろう。
怪訝な視線を向けるミスラの横は俺は通り過ぎる。
今度は呼び止めることはしないらしい。
いよいよもってして講堂の中は喧騒といえるまでにボルテージは上がってきていた。
いくらプリムラの演説の効果があったとしても、それは異様ともいえるぐらいだった。
トゥルースサイトで確認して見ると、薄い紫色のモヤのようなものが辺りを漂っていた。
(……なるほど、精神操作系の魔術を使ったか)
それは軽い効果の魔術らしく、ある程度の力を持つ相手にはどうやら効かないようであった。
俺は当然ながら効いてはおらず、精神的に弱っていた相手に高揚感をもたらすもののようだ。
異様な盛り上がるを見せているカラクリはこれだろう。術者は……ライラックの近くにいた講師のようだ。
やはり食えない女だな。どうせあいつが命令したに違いない。
ふん、と鼻を鳴らしながら俺は講堂を出る。
幸いにして、ミスラ以外の奴らは俺が出たことにも気付かなかった。
「目の前に大群を見せつけて、暗がりの中から伏兵を着々と侵攻させるなんざ、姑息な手段を考えるお前らしいなぁ?」
風の剣の一撃で木屑と化した魔物を切り捨てながら、闇の向こうにいるはずの奴に言葉を投げかける。
答えは返ってこないが講堂の中の様子を逐一監視し、会話すらしていたことからもしかして、という場合もあるだろう。
学校の外に警戒の手段として常に風の網を張っていた俺の監視網に、先ほど複数の敵影を感知した。
ちょうどプリムラの演説が始まる頃だ。
厭らしい効果的なタイミングで仕掛けてくるってことは、なんとなくわかっていた。
なにせ相手はどうやってかは知らないが、講堂の中を視ているのだから奇襲を仕掛け放題だろう。
ライラックはあえて放置しているようだった。
もしかすると俺が動くことも予想していたのかもしれない。
(奴の手に踊らされているようで気に入らないが……)
デメリットばかりでもない。
こうして魔物を倒すことによって確実に俺は俺の目的へと近づいている。
最終的な目的など言わずともわかるだろう。能面の男を殺すことだ。
そのことを考えるだけで狂おしい感情が浮かび上がる。
感情のままに振るった魔術が跡形もなく魔物を粉砕した。
相変わらず木の化け物のような魔物、確か眷族といったか。その眷属ではあるが、多少は強化されているようだ。
奇襲専用に眷属を作り出したということだろう。そういえば何処かスリムな体型をしているな、こいつら。
まぁ、俺にとって物の数ではないが。
二十体ぐらいの眷属を殲滅した所で奇襲部隊は打ち止めのようだ。
準備運動程度にはなったな、と首を回して俺は暗闇の中でも明かりを灯している方へと視線を移した。
遠くでは魔界樹が煌く鱗粉を撒き散らし、眷属たちを量産している。
恐るべき生産能力だ。少し見なかった間にも二倍も三倍も増えている。
『ボスモンスター……あんなの大きい魔物を私たちは倒せるのです?』
そう言って不安に思う気持ちを俺に伝えるシルフィード。
ただのデカブツであるなら、スキルによって無限にMPが回復できる俺なら倒せる算段はある。
しかし、今の俺に決定力が不足している感があるのは否めない。
いくら精霊化によって強化されているといっても、元々の俺は脆弱だ。
悔しいがそれは認めるしかない。
その上であの天にも轟く魔物を倒そうと思うなら……手段なんて選んでいる場合ではないだろう。
「倒せるじゃねぇんだよ。倒さないとその先に進めないんだよ」
風の剣を消失させ、魔力の安定化を試みる。
時折、この状態になってから揺らぎのようなもの感じ始めていた。
言葉では説明しにくいが、ぶれているような感触があるのだ。今までにない時間、精霊化を保っているせいだろうか。
不安材料の一つではあるが気にしてはいられない。
「あの先に、いや、もしかするとあそこに奴がいるかもしれない。
なら、俺は突き進むだけだ。お前は黙って俺についてくればいい」
『そう……なのですね。わかった、のです』
魔界樹の方へと虚空に手を伸ばしてぎゅっと手を握る。
奴の心臓を握りつぶすように、強く、強く。
煮え滾る憎悪が血管を流れている。体が熱い。もう少しで手が届くと思えば、とてもじゃないが抑え切れない。
奴を切り刻む瞬間を夢見て、どうにか理性を保っているのだ。
これ以上、俺をおかしくしないでくれ。そうじゃないと、お前も。
「あぁ、はやく殺してぇなぁ」
体の熱を逃がすように、熱いため息混じりにそう呟いてぶらりと足を動かす。
学校の傍から少し離れれば、広い空間の中にまるで取り残されたかのような錯覚に陥る。
俺は風を操って目に見えない部分も網羅していく。
あたりは本当にまったいらな地形をしているようだ。ダンジョンらしいといえばらしいのかもしれない。
歩く先には魔界樹。
万の軍勢へと成長している眷族たちが待ち受けている。赤い目がまるで絨毯のように敷き詰められ、暗闇の中に光っていた。
風の範囲を広げて奴らの懐に忍ばせる。
呆れる程の数がうようよと存在している。個体差もあるのか、色々な眷属がいるようだ。
その中にも一際強そうな固体がいるのを発見する。
数こそ手で数えるほどだったが、あれが魔界樹のとっておきということだろう。
「第二ラウンド、そろそろ始めようじゃねぇか」
ある程度、把握した所で風の索敵を止める。それと共についに奴らの索敵範囲に入ったらしく、ぞろぞろと眷属が動き出した。
俺も再び風の剣を手にして戦いに備える。
覆いつくす巨大の波のように眷属が押し寄せてくる中、俺の存在はあまりにちっぽけだった。
「それだけじゃ、足りねぇよ!!」
眷属たちに比べれば矮小な身であれど、この体の中に宿した力は強大だ。
風の剣を両手に持ち、半月を描くように振り回せば前方の眷属たちはまとめて両断された。
体が二等分にされた眷族を踏み潰しながら、すぐにでも大量の眷属が絶え間なく俺一人へと襲い掛かる。
軍勢に対してただ一人。孤独なる戦いが今ここに始まろうとしていた。
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