第百二十三話 ターニングポイント
ボスモンスターの出現に気付いたのは外にいた者たちだけではなかった。
講堂から飛び出してくる面々は困惑した表情をまず見せ、そしてあの巨体に気付くと揃って言葉なく立ち尽くしていた。
その中でも苦々しい顔をしているのはライラックただ一人である。
やはりあの女はここに来たことがあるのだ。
あの口ぶりからして何か知っていることは確定的だったが、あのデカブツのことも知っているようだ。
「なん……と……あれが魔物……?」
「大きすぎる!伝説の世界樹も天を貫く高さだと聞くが、あれもその類か!?」
恐慌寸前の教師が言っているのは世界樹ユグドラシルのことだろう。
とある聖域にしか存在しないユグドラシル。
超高級素材として知られる霊木だが、それも実はユグドラシルの子たちと言われている。
伝説に謳われるユグドラシルはこの世界の何処かに存在しているのだとか。
それはともかく、アレがユグドラシルと同一の存在とは冗談としても笑えない。
神聖な存在として知られるユグドラシルとはまるで対極の存在だからだ。
俺は意識的にスキルを発動してその姿を視る。
この眼に宿る力、トゥルースサイトであれば見えぬ真実であろうと曝け出すことが可能だった。
(どす黒い魔力がボスモンスターの周りを漂っている。
あんな場所にただの人間が近づけば、それだけで体に異常を来たすだろうな)
霧のように漂う魔力、いやもはやそれは瘴気といっていいだろう。
黒い瘴気が枝葉を伝い、樹皮を這うように包み込んでいた。
なんて禍々しい。見ているだけでも気分が悪くなってきた。
頭を振ってからスキルの発動を止めると、ライラックが俺の方へと近寄ってきていた。
「無事に帰ってきていたのか」
「あんな雑魚どもにやられるほど弱くはない。それよりもあれについて、あんた何か知ってるよな」
「……もはや隠す段階でもない、か。あれはこの繁殖の穴の階層主である魔界樹と呼ばれる魔物だ。
他のダンジョンの階層主と違い、あちらから攻撃を仕掛けてくることはないが、眷属を延々と生み出し続ける」
今も雨のように光りの鱗粉は降り注ぎ、眷属たちを作り続けている。
俺たちが殲滅した眷属なんて物の数ではないという程の魔物がすでに生まれていた。
その数、百や二百では済まない。数というものはそれだけで脅威である。
生徒たちの個々があの眷属たちより上回っていても、倒すそばから新しい眷族が生まれていたのでは切りがない。
「実際にあれと戦ったのか」
「私ではない。このダンジョンを踏破しようと国が動いた時があったのだ。
この通り、このフロアは広いからな……二千以上もの兵や冒険者が動員された。
結果は大敗北。あれを倒すことは叶わず、戦いの悲惨を語るかの如く、生き残る者は十にも満たなかったそうだ。
それだけあの魔界樹は危険すぎる存在として認知された」
「逃げた、ということは別に出口を封鎖されるわけでもないんだな?」
「ダンジョンによって階層主がいるフロアに入った瞬間、出入り口が閉じられる場所もあるそうだがここは違う。
引き際を見誤った、ということだろうな。
生き残った者の話では、魔界樹が現れてからはこのフロアの全ての場所から何処からともなく眷属が現れるようになる。
一体、何体もの眷属が今、このフロアにいるのかは検討もつかんな」
肩をすくめて冗談っぽく言うライラックだったが、その目は少しも笑っていなかった。
ここから脱出するにも眷属がひしめいていて、戦闘は避けられないということだろう。
それはここにいる誰にとっても最悪の一報だろう。
眷属の召喚は魔界樹によって延々と繰り返され、退路はすでに魔物で溢れかえっている。
そもそも出口が何処にあるのかもわからない。闇雲に逃げ出しても死が待っているだけだ。
「直接、魔界樹を叩くのは?」
「見た目は木そのものだからこそ火が弱点、と思われているが……妙に効き目が悪いという報告がある。
おそらく何かしらの防御壁を張っているのだろう。
他属性の攻撃はそもそも魔界樹に届く前に掻き消えてしまうことからも、その可能性は高い。
それにあのサイズを見ればわかるだろうが、並大抵の攻撃を仕掛けたとしても効果はほとんどないだろう」
防御壁の正体はあの黒い瘴気だろう。
何かしらの力が働いて火属性の攻撃を和らげているようだ。
他の属性攻撃には相当の耐性があるのか、俺の得意な風でも攻撃が届くかは怪しい。
だが、俺には瘴気が見えている。確かに広範囲を瘴気でカバーされているが、覆いきれていない部分もあるのだ。
そこをつけばダメージが通る。
ただし問題は魔界樹のステータスだ。
ボスモンスターという存在がどれ程のHPがあるのかもわからない。
VITが高ければ物理抵抗とHPが、INTが高ければ魔術や魔法に対する防御力も高くなる。
かけた相手のステータスを覗くことができるアナライズは、人のみならず魔物相手でも効くので一度調べる必要があるだろう。
それによって立てる作戦も違ってくる。
魔界樹の元に辿り着くには、あの魔物の海を掻き分けていかなければならないが。
着々と攻略の手順を考え始めた俺に、ライラックは神妙な顔で語りかけてきた。
「ミコト、お前は生徒たちの旗頭になってくれないか」
傲岸不遜なライラックにしては殊勝な態度に眉を顰める。
いつもなら命令口調でいってきそうなものだが。
ふん。それはそれとして、俺があいつらの旗頭だって?冗談じゃない。
魔界樹を倒すことには協力する、という形をとってもいいがそれだけだ。
俺があれを倒すのはその背後にいる奴を表舞台に引き摺り下ろす為。
旗頭だとかいう面倒なことを引き受けるつもりなんて毛頭ない。
「嫌だ。あんたたちはあんたたちで勝手にやっていればいい。俺は俺のしたいことをする」
「……何故だ?お前にとって親しい奴らもいるだろう。例えばマリーにプリムラ。
そしてお前を慕う者たちも多くいるはずだ。手を取り合い、守りあうことに何の不満がある」
「……うるせぇなぁ。あんた、いつからそんな人情家になったんだ。あぁくそ、めんどくさい。
そんなものはライザーにでもやらせておけばいいだろ。もう少しで傷も治るんだしな。
これ以上、俺の邪魔するっていうならライラック、あんたでも容赦しないぞ?」
今の俺ならばライラックであろうと倒すことができる。
先の戦闘で相当な魔力を消耗しているライラックに対し、精霊化している俺の魔力はスキルによって回復できるのだ。
万全なHPとMP、そして精霊化によって強化されているステータス。負ける要素は一つもない。
「やはり、か。いや、ダメ元で頼んでみただけだ。おそらく断るだろうということは予測していた」
「貴重な時間を無駄にしたな」
「そうでもない。お前がそういう意識だということは確認できた」
「…………ふん」
ライラックの妙な物言いに引っ掛かりはしたものの、わざわざ突っ込むのもやぶ蛇だろう。
言いたいことはすでに言ったとばかりに立ち去っていくライラック。
そして入れ替わるようにして、講堂からまた一人女性徒が飛び出してきた。
それはマリーだった。先ほどまでライザーの必死の介護をしていたせいか、服が乱れていて顔色も良くない。
案の定、あの馬鹿でかい魔物に目を奪われてしまっていた。
それからしばらくして、マリーは正気を取り戻すように頭を振る。
「……マリー」
そんな小さな声が聞こえてきた気がした。それもすぐそばから。
そういえばすっかりとその存在を忘れていたが、キーラもここにいるんだったな。
果たして、その声がマリーに届いたのか、彼女はこちらに顔を向けて大きく目を見開く。
キーラがここにいるとは思っていなかったんだろう。
急いで走ってくるマリーにキーラは棒立ちでそれを迎えていた。
「キーラ!?どうしてここにいるの?今日は休息日で学校に来てないはずだよね!?」
「うん。そのつもりだったんだけど、学校に忘れ物しちゃって……それを取りにきていたんだ」
「うそ……そんなぁ。間が悪すぎるよぉ」
情けない声を出しながらキーラにしがみ付くマリー。
確かに普通の生徒にとっては最悪なタイミングかもしれない。
未だどうやってダンジョン転移させられたかもわからず、脱出の糸口も見えていない。
おまけに学園はボスモンターとその眷属たちに襲われている。
運がない、と一言で片付けるにはあまりに不運だった。
「ここは危ないから講堂の方に行こう。あっちならたくさんの人がいるから安心できるよ」
安心、ね。辛気臭い空気が蔓延しているあの場所に、そんな空気が漂っているだろうか。
魔物と戦うことに恐怖を覚えている奴らがわんさかいるのだ。
更にこの騒ぎだ。魔界樹の出現によって絶望的な感情が渦巻いていることだろう。
ちらりとマリーは一度だけこちらに視線を向けたが、何も言ってはこなかった。
手を引かれながらキーラは無言でついていく。その様子に俺は違和感を感じていた。
キーラが手を掴まれた瞬間、体を少し震わせていたからだ。マリーはその様子に気付いてはいなかった。
些細な変化に俺は不審を感じる。それだけでなく、俺はこのタイミングに現れたこのキーラという女が怪しく感じていた。
(学園が転移したタイミングと結界が迅速に破壊された経緯を考えれば、内側に奴の仲間がいる可能性は高い。
この女がそうか?しかし、わざわざ姿を現さなくても、隠れていればそれだけでよかったはず。
意図がよく掴めないな……マリーは微塵も疑っていないようだが)
遠ざかっていく二人の背中を見送り、俺は顎に手を当てて思考に没頭し始めた。
キーラとは何度か話すことはあったが、それ以上の会話をしたことはない。
マリーとは仲良くしているようであったが、それだけで敵じゃないと断定することはできない。
別段、学園生活で怪しい動きをしていたというわけでもない。しかし、だ。
俺はあの女の何処かに裏切りの匂いを感じていたのだ。
それは直感的なものではあるが、嘘や欺瞞で人生を狂わせられた俺なりの確かな直感でもあった。
講堂の中に戻れば、案の定、混迷した空気が漂っていた。
ざわめきが辺りを支配し、悲壮に溢れる声を出している輩も少なくない。
大人たちは事態の収拾を図っているがそれがうまくいっている様子はなかった。
俺は壁に寄りかかって様子を窺う。
魔界樹は現在、数を増やすことに邁進しているらしく、眷属たちが侵攻してくる動きはなかった。
一気に押し潰そうという算段なのだろう。次に来る魔物の数は今までの比ではないだろう。
嵐の前の静けさであるこの時間を、いかに有効に使うかがここにいる者たち全員の生き残る為のターニングポイントといえた。
俺一人だけならこのフロアから脱出することもできるだろうが。
無論、逃げるつもりはさらさらない。
「静かにしろ。今から大事な話をする」
そうざわめきを一刀両断に冷静な声で切り裂いたのは、壇上に威風堂々と立つライラックだった。
不思議とその声は騒がしい講堂の中でも隅々まで行き渡り、波が引いていくかのように静かになっていく。
ライラックは静寂が満たされた講堂をゆっくりと見回し、それから語りだした。
「ここに私たちを閉じ込めた首謀者と思わしき者が言っていたように、事態は急を要する。
すでにわかっている者も多いと思うが、私たちが今いるこの場所はダンジョンの中だ」
薄々とそのことに気付いていた者も多いだろう。
しかし、いざライラックの言葉から真実が飛び出したとなると事情は変わってくる。
否が応でもにも事実を突きつけられた者が取れる反応などそう多くはない。
子供たちのストレスという名の張り詰めていた風船を、ライラックは真実という針によって刺し貫いてしまったのだ。
人目も振らずわめいては怒声をあげる者、あまりの事実に泣きながら悲鳴をあげる者。
反応は様々だが一様に、この場で騒ぎ立てている連中のほとんどは戦闘に参加していなかった者たちばかりだった。
短い間とは言えど、覚悟を決める時間はあったはず。
それをこいつらはのうのうと悲嘆に暮れるばかりで時間を無駄にした。今のこの反応こそがそれを証明している。
心が未熟な子供といえど、それはあまりにお粗末だった。
(さて、こんな連中の手綱をどうとるのか。いっそのこと切り捨てれば楽なんだろうけどな。
いやいや戦闘に参加させたとして、他の奴らの士気を下げるばかりだろう)
最低限、自分ことは自分で守れるだけの心構えは必要になる。
お荷物を抱えた状態であの魔物の軍勢と戦えるわけがない。
ここは静観に徹してライラックの手腕を確かめさせてもらうとしよう。
何、こいつらが使えないとわかれば、それはそれで他の使いようもある。
俺は唇の端を歪ませながら、壇上に立つライラックのことをお手見拝見と言わんばかりに見詰めていた。
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