第百二十二話 ダンジョンの主
学校の敷地内は意外と綺麗なもので、荒らされた形跡はほとんどなかった。
水際で魔物の浸入を防いだということだろう。
ただ、無事に成し遂げた、というわけではないようだ。あちこちで座り込んでいる奴らが目に付く。
そのほとんどは生徒たちで、顔に色濃い疲労を浮かべていた。
制服が破れていたり、服に血を滲ませている様子は見えるがどれも軽傷のようだ。
俺は周囲を軽く見回しながら講堂の中へと入っていった。
中はどんよりとした重たい空気が漂い、皆、顔を俯かせている。
魔物の第二波を退けたにしてはあまりに暗い雰囲気である。
その原因はあの人だかりの中にあるだろう。
「傷が深くて治療速度が追いつかない……!誰か、包帯と治療のポーションの追加をお願い!」
深刻な大声をあげて周りの奴らに声をかけているのは俺もよく見知っているマリーだった。
いつもの明るい表情はなりを潜め、額に汗を流しながら懸命に寝転がっている奴に回復魔術を唱えている。
その傍では生意気なあの女がいた。
神に祈りを捧げるように両手を組み、顔を青ざめながらマリーの治療している姿を見守っていた。
なるほど。床に転がっている奴はライザーか。
人だかりが邪魔でよく見えないが、回復魔術特有の緑色の優しい光が辺りを照らしていた。
(察するに、重傷を負ったライザーを見て周りの奴らが怖気ついたってところか。
やはり、ライザーをあのまま見殺しにすればよかったかもしれんな)
士気が下がるのは好ましくない。一応、こいつらでも戦力にはなるからだ。
雑魚を散らすぐらいの役割しか出来ないだろうが、俺の手間は省ける。
いざとなったらあの程度の魔物、百や千いようが一人で殲滅できる自信はあるが面倒だ。
まぁ今更の話ではある。俺が今からライザーに引導を渡すわけにもいかないし、やる意味もない。
踵を返してその場を後にしようとすると、シルフィードが心配そうに声をかけてきた。
『ミコトならマリーのことを手伝えるんじゃないのです?』
その声に俺は鼻で笑った。言葉を返すのも馬鹿らしい。
何故、俺がそんなことをしなければならないのか。そもそもシルフィード、お前は俺がどういう反応をするかなんてわかっているだろうに。
『ライザーの為でもアマナの為でもなく、マリーの為でもダメなのです?』
……何が言いたい?
機嫌が一気に悪くなるのを自分でも感じながらシルフィードに問う。
答えは返ってこなかった。だんまりを決め込むシルフィードに苦々しく顔を歪める。
クソが。嫌がらせのつもりか。
反抗的な態度をとるこいつに手をあげたくなる気持ちも湧き起こるが、俺の中にいるのだから手の出しようもない。
俺の苛々を加速させるように持続的な痛みが体に走る。
精霊化の弊害。戦闘中はあまり気にならなかったが、今はとても煩わしく感じる。
それに頭も痛くなってきた。少しでも何か考え事をしようものなら、頭の奥から響くように痛みが走るのだ。
思考が散り散りになって集中できない。次第に大きく強くなっていく頭痛に俺は立ち止まった。
頭をガンガンと叩いてもそれは消えることがない。
きえろ。きえろ。きえろ!!
言葉で念じたところで痛みは少しも薄れない。警笛のように痛みが鳴り響き、歯軋りをもってして耐える。
(余計なことを考えるから頭が痛くなる。そう、考えることなんて今は一つだけでいい)
誰かにそう囁かれたような気がした。
耳に届いたその声に従い、気持ちを落ち着かせる。すると、まるで霧が晴れていくかのように頭の中がクリアになっていく。
それが正解とでも言うように頭痛は治っていった。
そうだ、それでいい。俺は俺の復讐だけを考えていればいいんだ。
「ぉぉおお!!」
背中側から歓声のようなものがあがった。
俺が振り向くと、そこは先ほどの人だかり。ただし、さっきまでの暗い雰囲気は吹き飛んで辺りの奴らは笑顔になっていた。
その中でもマリーに抱きつき、感謝の言葉を泣き叫んでいるアマナという女が特に目立っていた。
どうやら俺は結構な時間そこで立ち尽くしていたらしい。
治療にはもっと時間がかかると思われていたが、あの様子だと無事に終えたみたいだ。
マリーは抱きつかれて困惑していたが、その顔はとても嬉しそうだった。
自分で人を助けられたのがよほど嬉しいのだろう。マリーは自分の親のようになりたいと言っていたから。
回復魔術で誰かを助ける。その光景に俺の頭の中が疼いていた。
そう、俺も誰かを助けたことがある。密かに練習していた回復魔術を使って、大切な誰かを助けるために。
頭の中にあるその誰かは薄ぼんやりとしていて誰か思い出せない。
あれ、どうして思い出せないんだ……?その人は俺にとってとても大切な人だったはずなのに。
ライザーが助かったことで一気に暗く淀んだ空気は払拭され、誰もが笑顔になっていた。
泣き叫んだアマナも一通り落ち着いたのか、自分の痴態を恥じながらも笑っていた。
誰もがその場所では笑っていた。絶望的な状況下にいるというのに、それさえも忘れたかのように。
あんな笑顔を、俺も欲しかった。
「ッ!!!」
頭の痛みとも体の痛みとも違う胸の苦しみに、俺はどうしても耐え切れなかった。
その光景から逃げ出すように走り去る。そんな俺の後姿を歓声の中でマリーが見ていたことにも気付きもせず。
心のバランスが取れていない俺にそんな余裕なんてありはしなかった。
講堂から少し離れた校舎の壁に寄りかかって俺は心を落ち着かせていた。
幸い、ここに人はいないようだった。
時折、学校の外から戦闘の音は聞こえてきているがそれも疎らで、戦後処理といったところだろう。
膨大な数の魔物が一波、二波と襲ってきたが、これで終わりというわけではけしてない。
次なる一手が必ずあるに違いない。
そうやって奴の行動を予測していると平静を取り戻している自分に気付く。
ようやく元の自分に戻ってきた。それにしても、どうしてあんなに自分は取り乱したのか……。
いや、そんなことを考えているとまた悪くなる可能性がある。気にはなるが、捨て置くしかないだろう。
一息をついていた俺の横合いから、ひょっこりと人影が現れる。
どうやら校舎の中から出てきたようであるが、その人物に俺は意外な思いを抱くことになる。
どうしてこいつがここにいるんだ?
それはその人物にとっても同じようで、きょろきょろと辺りを見回していたそいつが俺と視線が合うと、びっくりしたかのように目を丸くしていた。
「あれ?ミコトくん?」
そいつはマリーの親友でもあるキーラという少女だった。
確か、ダンジョン実習では何故かマリーとパーティーを組まないことになっていて、マリーが嘆いていたのを覚えている。
マリーにとっては不運なことにグループも違っていて、同じ日にダンジョンに篭ることはなくなっていた。
つまり、今日、学校にいないはずの人物である。
運良く転移に巻き込まれず、ダンジョン実習の合間の束の間の休息を楽しんでいるはずのキーラがどうしてここにいるのか。
真相を確かめるよりも早く、俺にとって最大級に忌々しい声が頭の中に響いた。
『お休み中の皆様、御機嫌よう。私でございますよ。ヒヒヒッ。
いやぁ実に素晴らしい戦いを見せてもらいました。
死傷者が一人も出なかったのが実に残念ではありますが、死というものを少しは身近に感じていただけましたか?
まだまだ終わりではありませんよ。むしろ今からこそがメインディッシュというものです』
「何、この声……怖い」
キーラが身を震わせて恐怖を表しているが、そんな見飽きた反応はどうでもいい。
俺は感覚を研ぎ澄ませて奴が何処にいるのか探ろうと試みる。
風を操ってレーダーのように周囲に走らせ、居場所を掴もうとしていた。
奴は高みの見物を決め込むタイプではないはずだ。きっとこのすぐ何処かにいる。
『時に皆様が戦っている魔物がどういう魔物がご存知ですか?
貴方方の中には知っている方もいるでしょうが、私が教えてさしあげましょう。
眷属という特殊な魔物でしてね、その魔物はこの階層のこの場所にしか存在しない魔物なのですよ』
相変わらずの嫌味で人をいらつかせる言葉を並べる。
風の探知は速く、すでに学園内はサーチ済みだ。この中に奴らしきものはない。
気になる反応はいくつかあるが、今は気にしていられない。
『眷属、というならばその上がいるのは道理でしょう?いくら無知な貴方方でも想像はつきやすいはずです。
そう、メインディッシュとは彼らの上位存在。この階層、いや、このダンジョンの主。
今度は誰も死なずにすみますかねぇ?私、影ながら応援させていただきますよ?
では健闘を祈ります。ヒヒヒッ』
学校の外にまで探知を広げれば、困惑したように立ち尽くす、戦後の処理をしていた生徒や冒険者……。
それらを越え、数が少なくなった眷族といった魔物たちの更なる向こう。
巨大な、巨大すぎる反応を俺は探知した。これがまさか……。
「ダンジョンの主、ボスモンスターか……!!」
ダンジョンというものは千差万別であり、同じ形のダンジョンなんて一つもないと言われているが、共通していることが一つある。
それはボスモンスターという存在だ。
最下層あたりに鎮座するボスモンスターは普通の魔物とは隔絶した力を持つ。
人間であればパーティー単位で挑むのは当たり前で、百や二百数を揃えても敵わないボスもいるという。
それがこの階層にいるということ。
遥か彼方、未だ視認できない距離にいるが確かに俺はその姿を感じ取っていた。
地響きが鳴る。グリエントのみならず、この階層全体が揺れていた。
これはそいつが地上に姿を現そうとしている予兆だった。
『ミコト!!何かが来るのですよ!』
シルフィードの警告を聞くまでもなく、それは地面が弾ける破砕音と共に猛然とした勢いで姿を現す。
巨大、と評するにはあまりに陳腐であるが、それ以外に表現のしようがない大きさ。
地面に大穴を空け、天高く伸び続けるその体は茶色と緑色。
高速で伸び続けるその体には蔓や草葉が纏わりつき、その太さも尋常ではない。
人一人など軽く押し潰せるほどの大きさであり、本体である部分の大きさは計り知れない。
それがグリエントから数キロメートル先に突如として現れたのだった。
この薄暗い場所の中でもはっきりと見えるその姿は、一見すれば巨大すぎる木、といったところだろう。
ただし、それはあの光景を見ても同じことが言えるだろうか。
「あれは……」
予兆もなく、巨大な木の頭頂部分から光る鱗粉のようなものが撒き散らされ、それが地上に無数に降り注ぐ。
傍目から見れば幻想的ともいえるような光景に、一瞬、目を奪われたものは少なくないだろう。
鱗粉が何なのか知っていれば、そんな悠長なことはとても思っていられないが。
その鱗粉は地上に根を下ろすと、時を待たずして一層光り輝き……光が収まった時にそこにいたのは眷属という魔物。
そう、あの巨大な木は眷属を産み出しているのだ。それも尋常ではない数の魔物を。
薄暗いこの階層を光で満たしていく。あの全てが眷属だということ。
巨大な木……ボスモンスターの威容が光によって浮かび上がる。
それはグリエントの敷地の半分以上もありそうな幅を持ち、高さは仰ぎ見ても首が痛くなるほどであり、この階層の天辺付近まで伸びている。
これほどまで巨大な魔物を俺は見た事がない。
そもそも、こいつを魔物といっていいのか……?
あまりに規格外すぎるボスモンスターの姿に、さすがの俺もしばらく口を開くことが出来なくなっていた。
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