第百二十一話 傭兵
その男にとって今回の仕事は楽なものだった。
学校の中に忍び込んでおき、折を見て結界というものを発生させている装置を壊せばいいだけだから。
学校に侵入するのにも中からの手引きがあって簡単だった。
装置の破壊も一撃叩き込むだけで済んだ。
なんと楽な仕事なのだろう、と鼻歌でも歌いたい気分だった。
「…………ぷはぁー」
景気づけに酒を持ち込んだのは正解だった、と酒を呷りつつ男は思う。
木々の中に隠されていた装置がバチバチと耳障りな音を立てているが、男は気にしている風もない。
適当な場所に腰を下ろして、獲物である武器を近くに置き、胡坐をかいてなんともおいしそうに酒を飲み続けるのだった。
ひとしきり酒を楽しんだ後は木に背中を預けて、頭の後ろを両手で抱え込み空を見上げる。
いや、空、というよりも天井を見上げた、と言った方が正しいか。
ここは繁殖の穴というダンジョンの中である。青い空が見えるはずがない。
時折、聞こえてくるのは鳥のさえずりなどではなく激しい戦いの音。
悲鳴や怒声、魔術が炸裂する爆音が木の葉を揺らす。
男はその音を耳にしながら、とても楽しそうに口を笑みの形に歪ませる。
いかつい顔で笑うその姿はどう見ても凶悪そのものだった。
「うまい酒に子守唄を聞きながら昼寝というのも悪くなかったが、どうやら客がきたみてぇだな?」
愉快そうに男はそう言うと、片目だけを開けて姿を見せぬ来客に笑みを向けた。
一呼吸ほどの沈黙の後、木の陰からすっと女が現れる。
その姿を見て、男は驚いたように眉を上げる。
ラフなタンクトップ姿に長い黒髪を背中に流し、鍛え上げられた筋肉はしなやかで、美しく均整がとれていた。
同姓であっても思わずため息をつくような整った顔には、何の表情も浮かべてはいない。
際立つのは両腕に嵌められたガントレットである。
女に対して巨大で無骨なそれは異質さを浮き彫りにさせていた。
女は数歩、男に近づいて足を止める。そして口を開いた。
「アンタはカルデネア・グリードかい?」
「いきなりだなぁおい。名前を聞くならまずは自分から……なんて、まだるっこしいことは言わないけどよ?
少しは会話を楽しむ余裕を持とうぜ?」
「……アタシはアリエス。それでアンタは?」
「嬢ちゃんは人の話をきかねぇなぁ。まぁいいさ。上機嫌だから答えてやるよ。
そうだ。俺がカルデネア・グリードだ。俺の名前を知ってるってこと……」
グリードの言葉は最後まで続くことはなかった。
何故ならアリエスの拳がそのにやけ面を粉砕せんと、力の限り振るわれたからである。
衝撃が走る。
それはあまりに大きな力が物体にぶつかった時のように、空気を震わせ、地面さえも揺るがした。
「……知ってるってことは、昔、俺と何かあった奴か?」
ばきばきとアリエスの一撃で破壊された木が倒れ伏していく中、グリードは何事もなかったかのように先ほどの言葉を続けた。
事実、グリードは傷の一つすら負っていない。
アリエスが攻撃を仕掛けた瞬間には体をばねの様にして飛び起き、余裕をもって回避していたからである。
「でもなぁ、嬢ちゃん……闘鬼とまで言われた女に恨まれることをした覚えは……あるかもなぁ?
わかんねぇよ。あまりに覚えがありすぎて、どいつだかわかんねぇな。
直接の面識はねぇ。お前ほどの大物とやりあっていれば忘れるはずがねぇ。うーん、わかんねーなぁ……」
本気でどれだかわかっていないのか、グリードは頭を傾げるばかりでふざけている様子はない。
しかしその姿が尚更、アリエスの怒りの炎に油を注いでいるとは知らず。
アリエスは体がかっと熱くなるのを意識しながらも鉄の理性で押さえつける。
全力の一撃を軽く避けられただけでも只者でないのは明白であった。
むしろ、あの一撃を避けられたことこそ、何よりこの男がカルデネア・グリードだということを証明している。
常在戦場。争いの火種がある所には必ず姿を現し、敵味方からも恐れられた傭兵。
ある時を境に姿を消していたが、この男が残した傷跡をどれも大きなもので、今になっても語り継がれている。
並外れた強さを持つバトルジャンキー。それがカルデネア・グリードという男だった。
「リヒテンという街の名前を知っているかい?いや知らないとは言わせないさ」
「リヒテン……リヒテンなぁ。……んん?お前、まさか、いや、まさかお前もか?
ははは!!これはおもしれぇ!!楽な仕事だとは思っていたが、あっちには手出しすることが出来なかったんだよ。
それがお前が来て、そしてリヒテンときた。これは何かの因果か?ってぐれぇ面白い偶然だなぁ!」
あっち、とはミコトのことである。
当然の如く、グリードはミコトの存在を知っていた。しかし、ミコトに手を出すことは厳重に禁止されていたのだ。
雇い主の命令であろうと、グリードにとって聞くに値しない命令には容易く反旗を翻していただろう。
戦闘狂のグリードにとって、まさに今回の命令はそれだった。
だが、今回はそうできない理由がある。
だからこそ楽な仕事ではあったがつまらないと思うものであり、酒で無理やり誤魔化していた。
そんな所にアリエスが来たというわけだ。グリードにとって喜びしかない出来事だった。
「リヒテンで起こっていた誘拐騒ぎ、アンタも関わっていたね?」
「あぁ!クソつまらねぇ仕事だったがお姫さまの命令でもあったからな、俺にしてはよくやったと思うぜ?
ガキを攫うなんてわけねぇし、どんな奴だろうと俺に敵うやつなんていなかったしなぁ。例外はいたがな?」
「……誘拐された人たちがどんな目にあっていたか、アンタは知っていたのかい?」
「しらねぇな。俺は仕事をただこなしていただけだ。それ以外に興味はない」
アリエスは拳を痛い程に握り締める。
グリードたちに誘拐され、あの屋敷に幽閉された者たちの末路を思い出して。
屋敷の地下には具体的な証拠は一つすら残っていなかったが、拭い去ることが出来ない血の匂いだけはこびりついていた。
地下に入った瞬間、吐き気を催したのをアリエスは今でも覚えている。
それをこの男はつまらなそうに吐き捨てたのだ。
「噂通りの男のようさね。最後に一つだけ聞きたいことがある」
「あぁいいぜ?どんなことだろうと正直に答えてやるよ。これからお楽しみが待っているだろうしな?」
わくわくとまるで子供のように喜びを抑え切れないグリードに、アリエスは深く、深く嘆息する。
さながらそれは機械が冷却する為に灼熱の蒸気を外に排出するかの如く。
こんな男に人生を狂わせられた人たちがいる。名前も知らない誰か、そしてアリエスにとって大切だった人。
今もその傷跡は残っている。あの娘の忘れ形見。その子は未だに苦しんでいるのだ。
豪、とアリエスの中で音が響き渡る。
それは燻っていた怒りの炎が激怒へと転化した音だった。
「レギオンという組織を知っているか、返答次第では……」
「嬢ちゃんよぉ?返答次第はないだろ?もうお前の中では俺をぶちのめすって決定してんだからな?
怒気を少しは隠す努力をした方がいいんじゃねぇか。最初のやつもそれで避けられたようなもんだしよぉ。
若いねぇ、若すぎる。俺も説教なんて柄じゃねぇが、一言言いたくなっちまったぜ。
それで?レギオンだったか?知っているかって話だったな……もちろん、その答えは」
あからさまにアリエスを挑発しながら、グリードは笑う。心底愉快そうに。
「イエスだ。というか、今はレギオンに所属しているからなぁ?」
「――――」
アリエスにとって我慢の限界はそこまでだった。
アリエスのクラス、武神の固有スキルの闘気が感情に呼応するように自動的に発動する。
最初の一撃が全力の一撃だったのは間違いないが、それはスキルを発動していない状態で、だ。
加えて、怒りのままに叩き込んだものだったが、殺すつもりはなかった。せいぜいが、顔面が陥没する程度である。
しかし、闘気を発動した状態のアリエスならば人をミンチにする程度など容易い。
そして今の彼女に容赦をするつもりなど欠片も存在していなかった。
「シッ!!」
殺意をその身に纏ったアリエスの速度は尋常ではなかった。
彼我の距離など一瞬の間に走破し、闘気を込めた拳をグリードに叩きつける。
歴戦の傭兵だったグリードもさすがにこの一撃は余裕もって回避する所ではない。
左手に抱えていた武器……長槍を両手に持ち、防御に回した。
反射的な行動だったとはいえ、すんでの所でグリードの防御は間に合った。
間に合っただけで、アリエスの一撃を完全に防ぐことは敵わなかったが。
「っつぁぁあ!?」
重い、重すぎる一撃に巨漢であるグリードをもってしてもその場に留まることすら出来ない。
ふわっ、と体が浮いたかと思うとまるで大砲のように体ごと吹き飛んでいく。
一本の木に背中から激突したグリードはふらつきながらも倒れることはなかった。
口の端からは血が流れ落ちてきていたが、まだまだ健在のようだった。
衝撃を受けた木がずしんと根元から倒れていく中、グリードは槍を支えにしながら笑う。
強敵が目の前に現れたことに感謝しながらこれからの死闘を思い浮かべて笑う。
アリエス、と言う女は聞くに違わぬ強者であるとその身でしかと確かめて、笑う。
「おもしれぇなぁ……こんな気持ちになったのは久しぶりだ。あのガキ以来かぁ?くっ、くくくっ」
「そんな余裕もアタシが砕いてあげるさね。心を砕き、体もぶっ壊してあげるさ。
アタシは今とてつもなく怒っている。人情なんて期待しないことさね」
「こぇえなぁ。嬢ちゃんならそれが簡単にできるんだろうなぁ?」
すでに体力は回復したのか、グリードは両手に長槍を持ち、槍の穂先を地面すれすれまでにつけて構えた。
これこそがグリードの本来のスタイルだった。
無手でも恐ろしいほどの戦闘力を誇るグリードだったが、得意の槍を持った状態はまさしく手がつけられない。
戦闘の状況を常時把握する能力で先を読み、槍を手足のように扱うその戦闘スタイルは誰も寄せ付けない。
対してのアリエスはリーチという面では圧倒的に不利だった。少なくとも、この表面上では。
「まさか槍を手にしたから自分が有利に立ったとでも?」
「いやいや、すまねぇな。これは俺の悪い癖のようなもんなんだ。
今まで結構痛い目を見てきたんだけどなぁ、どうしても治らないんだわ。治す気もねぇしな?」
「じゃあアタシがその減らず口を治してやるさね。ただし、二度と口がきけないというオマケつきさね!」
互いの気迫と武器と武器が交差する。
槍使いであるグリードはそのリーチを余すことなく活用し、一種のテリトリーのようなものを形成した。
アウトレンジから攻撃にアリエスはいなしながらも懐に飛び込んでいく。
簡単にいなすといってもグリードの一撃は重く速い。
アリエスでなければそもそもがいなす前に心臓を一突きにされていただろう。
さしものグリードも懐に飛び込まれれば形勢不利だと察したのか、槍を回転させながら石突きでアリエスを横殴りにする。
死角からの攻撃に見事に反応したアリエスは首を振るだけで回避したものの、体勢を崩してしまう。
グリードは曲芸さながらに更に槍を回転させながら、勢いをつけて容赦なくアリエスを袈裟斬りにした。
確実に当たる間合いだったが、その刃がアリエスに届くことはなかった。
闘気を体に纏うことでグリードの攻撃を跳ね返したのである。
まさか弾かれるとは思っていなかったのか、グリードは僅かに硬直し、その隙をアリエスは見逃さなかった。
グリードに再接近し、密着状態からアリエスは技を繰り出す。
グリードの肉体は強靭であり、筋肉の鎧を纏っているといっても過言ではない。
何発も打撃を与えれば別だろうが、そんな好機は何度も訪れないだろう。
だからこそアリエスはこの一撃で決めるつもりだった。
「ハァァ!!」
両手をグリードの腹に密着させ、闘気をその部分に集中させる。
アリエスは自分のことをひとつの武器のようにイメージしながら、全身の力をその両手から放出するかの如く、だんっと踏み出した。
その衝撃だけで地面が陥没し、放射線状に広がった衝撃は木々を激しく震わせた。
アリエスがしたことは所謂、発勁のようなものである。
ただし、運動エネルギーのみならず、闘気を相手に流し込みその内部からずたずたにするという凶悪極まりない技であった。
衝撃の余波だけで草葉が薙ぎ倒されている光景を見れば、攻撃を受けた相手がどうなるかなど想像に難くない。
グリードはごぱっ、と大量に口から血を吐きながら倒れこむ。
いや、倒れこもうとしていた。
「くっ、くく……はぁ、はぁ!な、なかなか強烈な一撃じゃねぇか、えぇ?」
「馬鹿は死ななきゃ治らないらしいさね?アンタもその類かい?」
「ははは、はは!!残念だが、俺は死んでも治らんぞ?はははっっ!!」
どういう体の構造をしているのか、グリードはまたも槍を支えにして踏みとどまった。
アリエスは手加減を一切していない。本来なら全身から血を流して憤死する恐ろしい技なのだが、グリードにその傾向は見られない。
大ダメージを負っているのは確かだが、なんとも不気味な光景だった。
アリエスは傷の一つすら負ってはおらず、圧倒的な優勢を誇っている。
果たしてこの戦いの結末はどうなるのか。
グリエントの混乱の最中に埋没したこの戦い。これもまた、誰にも知られることのない一つの戦いの始まりである。
そう、カルデネア・グリードという男の真価はまさしくこれから発揮されるのであった。
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