第十七話 彼女が望むもの
「私、所謂成り上がり貴族なんですの」
ため息混じりに吐かれたセリフは、彼女にとってどれだけの重りとなっていたのか。
近くの露店で買ってきたラクレアと言う、オレンジジュースに似た飲み物を飲みながら俺は話を聞いていた。
プリムラにも渡しているが口をつけている様子はない。
口に合わないとかじゃなければ、ただ単に飲む気分ではないのだろう。
金に関してはミライからお小遣いとして、いくらか貰っていたので問題なかった。
物価などをよく知らないうちは無駄にする可能性が高かったので、使う予定はなかったが今は仕方ないだろう。
「成り上がり貴族?」
「元は平民だったのですけれど、お父様の働きがこの国の王に見初められたのが始まりでしたわ」
プリムラは複雑な表情をしていた。
父が認められたことは素直に嬉しい、だかしかし……と言ったところか。
そこから出世街道まっしぐらだったらしい。あれよあれよと言う間に昇進に次ぐ昇進。
気がつけば今の立場になった。それは運が良かったと言えるだろうが、幸せだったかは定かではない。
こうして笑顔を消してしまったプリムラがいい証拠だろう。
そんな出世頭が他の人たちから見たらどう思われるか。
簡単な話である。出る杭は打たれる。いや、打たれている。
「……初めてこの街で他の貴族の方とお会いした時に、自分がどういう立場なのか思い知りましたわ」
その時のことを思い出しているのか、プリムラは身を竦めて震えていた。
それは反吐が出る話だ。
この街に引っ越してきて数日、まだ子供だと言うのに律義に挨拶回りにきたプリムラ。
そんな彼女に対して貴族街の連中のとった態度は最悪だった。
門前払いに始まり、出会い頭の冷笑、嫌味、軽蔑と侮蔑。
果ては始めは愛想がよかったのに、ローズブライド家の娘だとわかった途端の掌返し。
犬でも追い払うようにその家を追い出されたという。
大の大人が子供にとっていい態度ではない。そこまでするのか、とさえ思ってしまう。
まるで殺人を犯した罪人のように忌憚される謂れはどこにもないだろう。
これは価値観の違いなどではない。人間の汚い部分がただ露出しているだけだ。
プリムラとは違う意味で異端児だった俺だからそれはよくわかる。くそったれは本当にどこにでもいやがる。
それこそ世界を越えてもそれは変わらない。
思わず怒りに染め上がりそうになる。落ち着け、まだ話は終わっていない。
「子供たちもそれは変わりませんでしたわ。だから私はずっとお屋敷にいたんです」
口さが無い子供だから大人よりひどかったのかもしれない。
内容を話すまでもなく、その渇いた笑いが十分に物語る。
再燃する怒りに拳を強く強く握りしめ、なんとか抑える。
自分の表情に出ていないことを願うしかない。
「お屋敷の使用人たちはよくしてくれますが、主従関係以上に踏み込んでくれた方はいませんでした」
私が一人で出た理由を詮索もされなかったですしね、と零した横顔はやはり寂しそうだった。
そうか……事情を知っている者だったなら、プリムラが他の貴族の所に遊びに行くなどおかしいとすぐに気付くだろう。
もしくは、知っていてからこそ何も言わなかった……か。クソが。
それからしばらくして、家庭教師として雇われたのが俺の母親、ミライだった。
とある伝手からの紹介だったそうだが、我が母親ながらどんな知人関係をしているのか不思議である。
最初はどこにでもいる教師と生徒という間柄だったらしいが、休憩時間に入ると途端にミライは饒舌にプリムラに話しかけてきたそうだ。
それも初日からである。
それからいつも休憩時間に入るとお喋りに興じるようになった。
始めは戸惑いがちだったプリムラだったが、外の世界の話は面白くて、また話せる相手が出来たのも嬉しくすぐに打ち解けた。
時には勉強する時間を過ぎてまで会話は止まらなかったらしい。
本末転倒ではあるが、女という生き物はお喋りが大好きらしいからしょうがないのだろう。
どちらかと言うと無口な俺は、よくまあ口が回るもんだと呆れ半分に感心してしまうが。
だが、そんな思い出を嬉しそうに楽しげに喋るプリムラを見ているとそんな些細なこともどうでもよくなる。
「ミライの話の中心はミコト、貴方の話ばかりでしたわ。だから貴方とお会いした時は、初めてだとは思えませんでしたわ」
なるほど、やけに親しげだと思ったらそういう裏があったんだな。
何の理由もなしに好意的なやつなんざただのお人好しか、怪しい勧誘だと相場は決まってんだ。
そんな穿った考え方をしている俺をよそに、プリムラは街行く人達を見ながら口を開いた。
ミライとの思い出を楽しそうに語っていた口は一変して重苦しくなった。
「私はどうしたらいいかわかりませんわ……貴族になれず、かといって平民に戻ることもできず……」
「……」
そう独り言のように呟き、切れ長の瞳を伏せて膝元に目線を落とした。
俺は先程、プリムラがしていたように雑踏に目を向けた。思い思いに歩んでいる彼らに、彼女は平民だった自分を見ているのだろうか。
俺は単刀直入にそのことを聞くことにした。何よりもプリムラがどうしたいか、それが一番大事な事だろう。
「プリムラは平民に戻りたいのか?」
「そんなこと出来ませんわ」
「出来る出来ないじゃない。戻りたいか、戻りたくないかだ」
「…………平民だった、と言っても本当は私が赤ん坊だった頃の話です。正直、その頃の記憶はあまりありませんわ。でも……」
そこで一つ区切り、プリムラは顔を上げた。視線の先には走りながら目の前を駆けていく子供たち。
元気な声を上げながら追いかけっこをしていた。その様子をプリムラは目を細め眩しそうに見つめている。
「平民のままだったら、あんな風に走り回れたのかもしれない、と時々思ってしまうのです」
「……何だよ、そんなことか」
「そんなこととは何ですの!?失礼ですわっ」
「いやいや。マジでそんなことだろ」
このお嬢様は本当に何言ってんだが。思わず笑っちゃいそうになってしまった。
前のめりに食ってかかるプリムラが、目と鼻の先にいなかったら間違いなく笑い飛ばしてる。
結局、プリムラにとっての悩みのタネはそこに行き着くわけだろ。
平民に戻りたいって願いなら、俺の協力ではどうすることもできない可能性が高いが、これならもっと簡単な解決方法がある。
てーか、十数分前に俺言ったはずなんだけどな……返事貰ってないし、スルーされてるならマジ立ち直れないんだが。
烈火の如き怒りを発散させようとするプリムラの前に、俺は右手を突き出し待ったをかける。
憮然とした表情でむくれながらも、彼女の理性は一応残っていたのか留まってくれる。
ほっと胸をなでおろし、浮き地味の激しいやつだな、と内心苦笑してさてどうするかと考える。
このまま素直に解決方法を言うのもシャクだ。と言うかまた言うのは恥ずかしい。
だが、悠長に考え耽っていたら火山がまた噴火するだろうし、あ、高速思考使っとこう。
いやーこのスキル便利だわー。日常生活のお供に高速思考お一つ、だな!
そんなくだらないこと考えてないで、何か案はないものか。自分で気づかせるのが最良なんだが。
ジェスチャーでそれとなく伝える?
いやいや、それは普通に言うより恥ずかしいことにならないか。
しりとりをしてその言葉に誘導して気づかせる……迂遠すぎるわっ。
こうしてくだらねー案ばっか浮かぶわけだが、思考がどれだけ速くなろうとも元がクソなら役立たず、というのを実感しただけだったという。
ちくしょう。
「おい!そこのお前ら!どこの地区のやつだ!」
諦めて高速思考を解除し、さて恥の上塗りタイムだぜ、と覚悟を決めていた時にタイミング悪く声を掛けられた。
明らかにこちらに向かっているその声は内容からして衛兵みたいだ、と思いドキリと鼓動がはねる。
だが声の調子が子供のそれだった。
なんだなんだと思いながら振り向くと、その先には三人のややぼろぼろの服を着た子供たちがいた。
先頭に一人、その後ろに控えるように二人。
先頭の子供は眉根を寄せて厳しい顔を作り、乱雑にカットされた金色の髪を見る限りガキ大将、と言うイメージがぴったりと当てはまる。
身長的には俺より十センチほど高いだろうか。俺はどちらかというと小柄でチビなので素直に羨ましい。
体格にも恵まれているようでこの場にいるどの子供より大柄だ。
後ろの二人は中肉中背で雑踏の中に紛れれば埋没しそうな面構えだったが、この子供は精悍な顔立ちで一見粗暴だがその中に洗練された原石が垣間見える。
まぁ要するにイケメンの原石である。すなわち、俺の敵だ。
こちとら可愛いだの小動物だのプリティ路線で褒められる?(褒められているのか?)ことしかないと言うのに。
男ならかっこいいと言われたいだろう。
けしてモテたいわけではないが……これも人間嫌いがもっと緩和すれば変わってくるのだろうか。
……いや、ねーな。
「おい!聞いているのか!?どこのどいつだって聞いてんだよっ」
俺が益体のないことを考えていると、反応がないことに痺れを切らしたのか剣呑な声で先頭のリーダーっぽいやつが近付いてくる。
明らかにトラブルになりそうな予感がし、心の中で溜息をつく俺だった。
時間がなかったので、とりあえずの投稿。
話進むのが遅いなあと思う今日この頃。