第百十六話 支配
『怯えた素敵な表情をした皆さん。こんにちは。存分に愉しんでいただけているようで何よりです。
一塊になって震えている貴方たちを見ていると、愛玩動物を見ているようでとても可愛らしいですよ。
あぁ、なんと甘美なる恐怖でしょう。ヒヒヒ』
その声は俺だけに聞こえてきたものではなく、この場にいる全ての者たちに聞こえているようだった。
何処からか聞こえてくる声に生徒たちのみならず、先生たちも動揺を隠せていない。
なんだこの声は。気持ちが悪い。一体何処から聞こえてくるんだ、とせっかく落ち着き始めていたのに騒然とし始める。
その声はまるでガラスに爪をひっかいたかのような耳障りなもの。
普通に聞いたとしても自然と不快感が湧き出てくるだろう。
毎夜、毎夜のように夢の中で出てきた、忘れもしないあいつの声。
「この声は……」
「おそらくこのふざけたことを仕出かした首謀者でしょう。
魔術を使って声を伝達させているのか……だとしたらこの近くに術者がいる可能性がある。
自分ごと一緒に転移してきたのか?現場でこの騒動を見ているとは悪趣味な下種め」
悪態をつきながらもライラックは冷静さを保っていた。
自分の声を遠くの相手に伝える魔術は、距離的な問題もあってそう遠くまでは届けることが出来ない。
つまりライラックの言う通り、あいつは近くにいる。
そう思うだけで、鼓動がどくんと大きく脈を打った。
『下種とは何ともひどい言い草です。まぁ聞き慣れた言葉ではありますが。
しかし貴方みたいな美麗なお嬢さんに言われると、なんとも抗いがたい快楽が生まれてしまいますねぇ。
おかしいですねぇ。下種や下劣であっても、私、変態ではなかったはずなんですがねぇ。ヒヒヒッ』
とても愉快そうな不気味な笑い声が頭の中に響き渡る。
間違いなく、奴だ。あいつ以外にありえない。あいつがすぐ傍にいる。
僅かに残った理性で落ち着け、と自分に言い聞かせるがそれも効果は薄い。
今すぐにでも講堂から飛び出していかないのが、自分でも不思議なぐらいだった。
「こちらの声も姿も見えている……既存の魔術ではできない、オリジナル魔術?いや、もっと単純な」
『おや、せっかく話にのったのにそっけがない。まぁいいでしょう。
今回、そこには特別なゲストがいますからねぇ?もっと、もっと愉しんでもらわなくてはいけません。
せっかく準備に色々と手間をかけた宴です。存分に味わってもらいませんと、私、悲しくなってしまいます』
特別なゲストとは俺のことを言っているのか?
またあの屋敷の時のように、俺の目の前で喜劇と称した悪辣な催し物でもするというのか。
血を分けた親子で争わせ、恋人同士を憎ませあう。
親友と互いを呼び、信頼で結ばれていた者たちを無残に引き裂き裏切らせる。
そこから生き残った者には一瞬だけの希望を与え、そして死という絶望の底に落としていく。
誰もが死んだ。死の淵に立ったその瀬戸際で恨みと絶望を俺に向けて死んでいった。
その表情を、その瞳を俺は覚えている。胸の中にしっかりと刻み込まれている。
奴を殺せ。恨みを果たせ、とずっと囁き続けている。
あぁ、わかってる。お前らに言われなくとも、俺は奴を絶対に殺してやる。
「お前、何者だ?何が目的で私たちをこんな場所に飛ばしている」
『目的は先ほど話した通りですよ。宴は愉しむもの、そうでしょう?私は貴方たちをもてなしたいのです。ヒヒヒ。
そして私が何者か、でしたか。それはすぐにでもわかることでしょう。ほぉら』
「ライラック先生!外を見てください!魔物の群れの進行が急に速まりました!!
それに……そんな馬鹿な。隊列を組んでいる!?」
「組織立った行動をとっただと?まさか、奴らは眷属だぞ」
「し、しかし、現にまるで軍隊のように徒党を組んでこちらへ向かってきています!」
外に目を向ければ、確かに暗闇の中の赤い光が雑多に広がっていたさっきとは違い規則正しく整列していた。
魔物の中で指揮系統が出来たかのような動きだった。
召喚術を使っていた奴なら魔物を従えることなんてありえないことではない。
だがその数は膨大でありライラックの、眷属、という言葉も気になる。
そんなもの無視してさっさと殺しにいけ?
逸る気持ちもわかるが、奴の姿さえ見えていない現状ではそれは無謀というものだ。
「もはや話している時間はないな。クライブ先生、貴方はここで戦える戦力を集めてください」
「……怯えている生徒たちを戦わせるのは心が痛いですが、そんなことも言ってられませんね。
わかりました。ライラック先生はどうされるのですか」
「私は残党処理をしていた者たちの所へいきます。まだ外にいるでしょうし、再編も容易でしょう。
数人、冒険者をつれていきます。残りはうまくパーティーに組み込んでください。
前衛がいるなら戦える、というひよっこ共もいるでしょう」
「ははは……確かに。なんとかうまくやってみます。それで、ライラック先生……あー、その、……ご武運を」
「えぇ、ありがとうございます。クライブ先生もご武運を」
そう言ったきり、ライラックは振り返ることなくその場を立ち去っていった。
名残惜しそうにその背中を見ていたクライブは、頭を振ってから頬をぱんっと両手で張って動き出す。
ここに残された者たちもいよいよもってして覚悟を決めたのか、その瞳に戦う意志を宿していた。
それでも数十人ほどは未だに震えた体を抑えきれず、座り込んではいたが。
座したままでいて何が解決するというのか。
そのまま魔物の餌にでもなってしまえばいい。戦うことすら選択しない奴らは死ね。
『ミコト、頭の中に響いていたさっきの声、あの時の……』
(シルフィード。わかっているだろうな。今度こそ俺の邪魔はするな)
裏切りは許さない。
俺についてきた以上は俺の言うことに従ってもらう。例えそれがどんなことでも。
シルフィードとの会話を強引に断ち切ると同時に俺は立ち上がる。
くんっ、と腕を引っ張られる感触。マリー、お前はまだ俺の服の袖を掴んでいたのか?
冷たく見下ろすとマリーと視線がかち合う。
不安げで、それでいて俺のことを気遣うような瞳。それがひどく気に入らない。
お前は戦う力もなく守られてばかりだというのに、俺を心配するだと?笑わせてくれる。
俺はこんな女のことをどうして気にしていたのだろう。
力がないやつは食われるだけだ。支配する者から搾取されて玩具にされるだけだ。
強さがなければ何も始まらない。強くありたいと願っても、結果が伴わなければ意味がない。
「あっ……」
マリーのそんな小さな声と共に掴んでいた手を振りほどいた。
弱い者は弱い者同士で群れていればいい。俺はそんな所には留まらない。
俺は昔よりも強くなったのだ。何も出来ずに見ているだけじゃないんだ。
目の前で大切なものを奪われる、弱いだけの存在じゃない。
(ああ、俺の中にこんなにも力があったんだな)
一歩、足を踏みしめるごとに体の中から力が溢れ出す。胸の中に燃え盛る黒い炎が俺の血肉を焦がす。
まるで憎悪という感情が俺の力となっていくかのようだ。
ならば、俺はどこまでも強くなれるだろう。
際限のない憎しみを俺はずっと、ずっと心の中に秘めていたのだから。
平穏な日常が束の間、その感情を奥に押し込めていた。
今はもう、そのくびきはどこにもない。
だからさぁ殺しに行こう。あいつの全てを。完膚なきまでに、魂の一欠けらさえも粉々にしてやろう。
殺せ、殺せ、殺せ殺せ!!
「…………」
ひゅう、という妙な呼吸音をした後、俺は自分の顔を手で触る。
口元あたりに手を伸ばして気付いた。俺は嗤っていた。
三日月形に、口の端が裂けそうなほどに笑みを崩して。
乾いた笑い声を洩らしながら、俺は奴がいるはずの戦いの場へとその足をすすめるのだった。
クライブを含め、生徒や他の先生、そして冒険者を加えた総勢八十名。
魔物と戦う意志をもった彼ら彼女らは講堂の中から出て、いくつかのパーティーを組み散開していった。
全方位から攻めてくる魔物に対応するには、この学校は守りに適していない。
頑丈な校舎に立て篭もろうにも、魔物の数が数なだけに押し切られるのは目に見えている。
ならば守りが手薄になったとしても、こちらから迎え撃つことができる外で戦う方がまだマシというもの。
「くっ、なんて数だ。こんな数の魔物を今まで見た事がないっ!」
俺が配属されたパーティーには何の縁か、ライザーとアマナがいた。
おまけに三馬鹿も同じパーティーにいる。これはクライブが機転を生かしたのだろう。
ライザーの焦った声に三馬鹿は思わず顔を見合わせているが、目の前の光景を見ればライザーと同じ感想を抱くことになる。
遠目から見た時には赤い点しか見えていなかったものが、今は目と鼻の先にその存在を顕にしていた。
ツリーウッドをより禍々しく変異させたかのような魔物。
その数、ざっと数えるだけで百体以上。
校門を防衛ラインとしてその場に留まっている俺たちだったが、あの数はとてもではないが一パーティーで対処できるものではない。
無論、他のパーティーも何組か近くにいるのだが、カバーに容易く入れるほどの距離にはいない。
「ライザー、これは覚悟を決めるべきかもしれないわね……」
「さっきライラック先生が言っていただろう、アマナ。そんな覚悟はいらない。
必要なのは生き残ることだ。戦った結果、死んでしまってはダメだ」
「……まったくもう、あの女のことになると目の色変えるんだから。……いいわよ。やってやろうじゃない。
元々、そんなに死ぬ気はなかったんだからね!冒険者としての意地、見せてあげるわ!」
すらりと己の武器を抜き放つライザーとアマナ。
高位の冒険者としての証か、その武器は素人目でも業物のように見えた。
ライザーの武器は魔術が込められている物なのだろう。薄っすらと青い膜のようなものが刀身を覆っている。
アマナの武器には特別な効果はないように見えるが、その磨きぬかれた刀身は手入れの賜物なのだろう、刃こぼれ一つない。
力みのない自然体で戦闘態勢をとる二人。なるほど、こいつらは使える。
「すげー迫力だな、おい」
「ちょっとここにきたの後悔してるよ……」
「……トイレに行きたくなってきたぞ?」
三馬鹿は気が抜けたような会話をしているが、緊張感をほぐすためだろう。
一生懸命笑おうとしているが引きつったものになっている。
何故、こいつらは戦おうと思ったのだろうか。こいつらの実力は俺も知っている。
知っているからこそ、こいつらはこの場で死ぬことになるだろうと確信している。
まぁいい。こいつらの考えていることなんてどうでもいい。
俺が興味があることなんて、今は一つしかないんだから。
(シルフィード)
心の中で俺は語りかける。否、語りかけなど不用だろう。
俺たちの契約にそんなものなんて必要ない。必要なのは語りかけではなく、支配する言葉である。
シルフィードは俺の目の前にいた。その小さな体を空中に浮かべて、目を閉じてその時を待っていた。
始めよう、俺たちの復讐劇を。
『風の大精霊たるシルフィードよ、その身に宿るあまねく力を顕現し』
手を伸ばせば小さな手の平が触れる。
それはあまりに儚く、しかしその身に宿るのは人には過ぎたる力。精霊化の力。圧倒的なまでの力を俺は欲する。
忌々しいあの時と、そしてプリムラとの戦いの時に俺はこの力を手にした。
プリムラの時は……あれ、俺はあの時、何を思っていたのだろうか。
……信じる?
何を信じるというのか。信じるという行いは唾棄すべきものだ。
(いや、そうだ、そうか。思い出した。俺は信じたのだ)
シルフィードが持っている誰にも負けない力を信じたのだ。
人という存在は信じられない。しかし、形のない力ならば信じられる。
あぁ、そうだ。俺はお前の力を信じているよ、シルフィード。
俺とシルフィードを中心に光が満ちていく。
それはこの闇が領域を広げている場所にとってあまりに眩しいものだった。
突然の光にぎょっとして振り返るライザーとアマナ。三馬鹿の視線もこちらに降り注いでいることを肌身で感じる。
循環する魔力で体が熱を発する。膨大な力が満ちていくのを感じていた。
一歩間違えば暴走しうる圧倒的な力に、俺は嗤いながらそれがどうしたと言わんばかりに掌握していく。
大精霊たるシルフィードの力を全て、俺が支配する。
『我が行く末に立ちはだかる愚か者たち、その魂さえ打ち砕く力を……』
願いは死を死とも恐れぬ化け物を殺す力。
例え目の前に何百、何千もの敵が襲いかかろうともその尽くを討ち果たす力。
その為ならば俺は自分がその者たちと同じ存在になろうとも構わない。
これは英雄が化け物を退治する御伽噺ではない。
化け物が化け物を殺す、ただそれだけのつまらない現実の話なのだ。
契約は成される。
俺たちが交わした契約は、今この時をもってして真に発揮される。
支配する側とされる側。それがこの契約の始まりの誓いであった。
故に続く言葉は俺一人だけの言葉となる。
『俺によこせ!!』
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