第百十四話 殲滅する炎
目視した魔物の姿はツリーウッドよりも禍々しい。
灰色の体と口のように裂けた切れ目。目にあたる部分からは赤い光が漏れ出ている。
赤い光は暗闇の中で不気味に光る。それは左右に揺れて除々に大きくなっていった。
魔物の動きは遅々としたものだったが、その数は半端なものじゃない。
最早、数えるのも馬鹿らしいほどの大群だった。
これほどまで魔物が集まっている光景は誰一人として見た事がないだろう。
押し寄せる大群はまっすぐに俺たちの元へと侵攻を開始していた。
「な、なんだよあれ……」
「嘘でしょ。なんで学校にいるのに魔物が現れるのよっ!?」
怯える生徒たちははやくも絶望したかのように悲壮な声をあげていた。
恐怖が色濃く顔に浮かび上がりそれが伝染していく。ざわめきはやがて大きなうねりとなっていった。
集団パニックになるのに然程の時間は必要なかった。
このまま魔物が襲いかかってくれば、抵抗する間もなくやられるのは目に見えている。
しかし、そうはさせないとばかりに立ち上がる者たちがいた。
ライラックと一部の先生たちだ。その中には意外にもクライブもいた。
生徒たちはそれをただ見守るばかりで……いや、一人だけ追従するように凛とした姿勢で歩き出す女生徒がいた。
他の生徒のように体を震わせず、魔物の大群を目にしても視線を逸らすことすらしない。
強き意志の光を携えて、ただ前だけをまっすぐ見ている焔の騎士。
「プリムラ……」
俺は無意識のうちに声を洩らしていた。彼女の名前を今どうして呼んだのかわからない。
プリムラが行く道には自然と人波が割れていく。
ちょうど俺の横を通りがかる時、一瞬だけプリムラが俺の方を向いて微笑んだ。
俺に声をかけるわけでもなく、足を止めないままにそうしてプリムラは講堂の外へと出て行った。
(シルフィード)
『わかっているのですよっ。プリムラを手助けにいくのですね!』
(違う。お前はさっきと同じようにあいつらの傍にいって様子を窺ってこい。
手は絶対に出すな。いいな)
『えっ、でもそれは……』
有無は言わせない。無言の圧力をかけるとシルフィードは戸惑いながらも俺の指示に従った。
何処にあいつの目があるかわからない。
過去の戦いからシルフィードがいることは予想はできるだろうが、あくまでそれは予想だ。
わざわざ確信に到らせるまでもない。
それに気になる点がある。どうやってこの転移を可能としたか、だ。
方法は未だわかっていないが、召喚術を得意としていた奴に可能なことなのか?
可能性はいくらでもありそうだが、俺は仲間がいる可能性が高いと見ている。
奴の背後にいるというレギオンという存在。そいつらが関係しているのかもしれない。
ひとまず魔物の対処をどうするか考えていたが、それもあいつらに任せておくとしよう。
魔物を殲滅すればよし。出来なくとも数を減らすことはできるだろう。
期待しているよ、先生たち。せいぜい頑張ってくれ。
「やはり現れたか……。最早、ここがダンジョンの中だということは間違いない。
よりにもよって実習に使っていたダンジョンに潜り込むとはな」
「ライラック先生。今の言葉、本当ですの?」
「ん?貴様は……飛び級したというプリムラ・ローズブライドか。何をしにきた」
「先生方のお手伝いですわ。この数を相手取るには少々骨が折れるかと思いまして」
「ふん、まぁいい。貴様ぐらいの腕があれば足手まといにはならないだろう。
それで先ほどのことだが、本当の話だ。ここはダンジョンの中……そう、繁殖の穴というダンジョンのな」
へぇ。ダンジョンはダンジョンでも、まさか実習に使っていた場所だったとはな。
だがこんな所は繁殖の穴にはなかった……いや、封鎖されていた更に下の階層か、ここは。
「ずいぶんとお詳しいのですね、ライラック先生」
「一度ここに来たことがあるからな。そしてあの魔物のこともよく知っている。
喜べ、ローズブライド。お前との相性はいい。弱点は火だ」
「なら私にとって物の数ではありませんわね。焼き尽くしてさしあげますわ」
「ほぉ。大きく出たな。しかし貴様は魔剣が使えないと聞くが?」
「うぐ……ま、魔剣が使えなくともこれでやってみせますわっ!」
すでに臨戦態勢であったプリムラは炎の鎧と盾を顕現させていた。
魔剣に耐えうる武器は未だに見つけられていないのだろう。すらりと抜き払った剣は普通のものだった。
プリムラの登場に他の先生は何か言いたげだった。
守るべき生徒であるプリムラに戦わせることに忌避感があるのか。
ライラックがプリムラを認めたことで、それを口にすることはなかったが。
「威勢がいいのは良いことだ。だが貴様に期待しているのは私が撃ち洩らした敵の処理。
無闇に前に出ることは許可しない」
「は?そんな雑魚処理なんてごめんですわっ。私が突撃して蹴散らしてしまえば手っ取り早いですわ!」
「嫌ならば講堂に戻っていろ。勘違いするなよ、小娘。
私は貴様の実力を認めてはいるが、横に並ぶことを許可しただけだ。無謀な突貫なんて馬鹿なことは許さん。
その鼻っ柱、叩き折ってやりたい所だが今は時間が惜しい。従え、ローズブライド」
「なっ…………」
相変わらずの辛辣な口ぶりにプリムラは開いた口が塞がらない。
ライラックの言い方も淡々としたもので、事実をそのまま言っているかのような印象を与えていた。
「これを見ても前に出たいというのなら、私は止めはせんぞ」
言い終えてからライラックは魔力を励起させる。
真紅の魔力。火属性の魔術か。魔力の色が鮮やか過ぎてまるで別系統の魔術のようだ。
それに魔力の構築が恐ろしいほどに速い。瞬きの間に準備を済ませてしまっていた。
俺が見たどんな魔術師よりも速い。それこそシルフィードよりも。
速さもそうだが、魔力のロスが見えないのも驚愕に値する。
普通の魔術師ならば魔力を込める時、ある程度のロスが発生する。
それは俺のスキルを使って観測すれば、体の外に魔力が零れているように見えるのだ。
ライラックの体には零れる魔力が一滴もなかった。無駄になっている魔力が一切ないのだ。
「火よ、炎よ、万物をくべる者たちよ。汝らの怒りは天を衝き、この地に柱となって生まれ出でる」
言葉そのものに熱があるかのような詠唱が耳を打つ。
黙々と侵攻を続ける魔物の大群を前にしてその言葉は揺るがない。
ライラックは右手に杯を掲げるようにして、更に詠唱は淀みなく続いていった。
真紅の魔力はその右手に。余すことなく集まっていき、収束していく。
濃縮された魔力は余波を周囲に飛ばし頬を撫でた。
本来、感じないような熱がその魔力には篭っているような気さえする、膨大な魔力だった。
「怒り狂え灼熱よ。咆哮せよ炎熱よ。その身をもってして汝らの敵を撃滅せよ」
ゆっくりと自らも魔力を押し固めるようにライラックは右手を握り締めた。
詠唱もそれと共に終わりを迎え、最後の節へと言葉を繋げる。
「地の底より穿つ炎、フレアバースト」
掲げた手の平をライラックは地面にたたきつけた。周囲にいた人々は何が起こるのかと身構える。
しかしライラックの魔術はすぐに効果を表さなかった。
まさか失敗に終わったのか。そう思うほどに時間が経った時、ライラックの魔術は発動する。絶大な効果を伴って。
魔物の大群の中心に突如として巨大な炎の柱が立ち昇る。
直撃した魔物が一瞬にして蒸発するほどの高熱を持った炎である。
それも一つだけではない。何本もの炎の柱が地面を揺らしては現れる。
その威力は直撃を免れた魔物でさえも傍にいるだけで燃え上がる。
頂点にまで達した柱は天から降り注ぎ、炎の雨を降らしていく。
薄暗かったこの場所が、今では真昼よりも明るくなっていた。
いくら火が弱点とはいえ、ダンジョンの奥にいる魔物だ。弱いわけではない。
しかしあまりにあっさりと魔物は倒されていく。
あれだけ数がいた魔物がはっきりと目にわかる程に数を減らしていた。
(これがライラックの本気か?やはり侮れない女だな)
俺に指導していた時でもこれほどの力は見せた事がなかった。
ライラックの力の片鱗は確かに感じていたが、予想以上の力だといえるだろう。
それは他の奴らも同じなのか、特にライラックの傍にいたプリムラは呆然としていた。
「最初としてはこんなものか。ローズブライド、そして先生方。後は頼みます」
眼前の光景などライラックにとって当たり前なのか、そっけない態度で視線を逸らした。
そして他の人が止める間もなく、ライラックは講堂の方へと歩いていくのだった。
行動の中へと戻ってきたライラックを歓声が出迎えた。
あれだけの光景を見せられたのだ。生徒や先生たちが沸きあがったとしても仕方ない。
外で残って戦っている者たちもいるが、始めにライラックの広範囲魔術をぶつけたおかげで、難なく殲滅しているようだ。
さりげなくその戦いも俺は観察していたが、あの魔物は確かにツリーウッドより数段強い魔物のようだ。
俺の風の魔術でも粉砕できたツリーウッドだったが、あの魔物は弱点である火属性の魔術をぶつけても一撃で倒せていないようである。
先生たちの魔術が弱いのではなく、ライラックの魔術が規格外すぎたのだろう。
「ライラック先生!あの魔術すごかったっす!すごすぎたっす!鳥肌がたちまくったっす!」
「キャー!ステキ!ライラック先生ー!!」
ライラックはその歓声の中でも喜ぶことなく、平静そのままの表情で壇上の方へと歩いていく。
そして壇上の上に立つと、鳴り止まない歓声を断ち切るように声をあげた。
「あれは始まりに過ぎない」
その言葉に一瞬にして場が静まる。
何を言っているんだろう、とほとんどの生徒が間抜けな顔でライラックを見上げていた。
「もはや隠す意味もないので単刀直入に言うが、ここはダンジョンの中、それも繁殖の穴の地下三階にあたる。
何故こんな場所に学校ごと転移させられているかは不明だ。以上、質問がある奴は手を挙げろ」
しん、としていた講堂の中が途端にざわめきを取り戻す。
わけがわからないといった顔をした奴らが大半だった。いきなりそんなことを言われても、といった所か。
そんな中、一人の先生が手を挙げていた。
あの顔は見た事がない。五十過ぎの教員で頭皮が怪しくなっている男だった。
額に緊張の汗をかきながら、おそるおそるといった様子でライラックに訊ねる。
「繁殖の穴の地下三階、というのは本当かね?」
「本当です。先ほどの魔物は例の魔物の眷属です」
「なんてことだ……」
顔色を悪くしてふさぎ込む教員に、わけがわからずともそれが良くないことだと察した生徒たちは不安な表情を浮かべる。
例の魔物……眷属……。
気になる言葉だ。この場で表現を濁したことからも間違いなく厄介事に違いない。
思案にふける俺とは違い、不安を抱え込んだ生徒たちはそれを爆発させるように次々と叫んだ。
「ダンジョンの中って……嘘だろ?だったらどうやって元の場所に帰るんだよっ」
「そんなの歩いて帰ればいいんじゃない?転移させられたっていっても、入り口はあるんだし。ねぇそうだよね先生?」
「ばっかだろお前!あんな魔物がまだそこらへんにいるかもしれないのにっ」
「誰よこんな所に私たちを飛ばしたのっ。怖い……私、ここから動きたくないっ」
実習の上で魔物と戦ったとはいえ、やはりそれは授業の一環。
冒険者たちの手伝い、そして手厚い先生たちのフォローがあったからこそ、生徒たちは安心できたのだ。
こうしてダンジョンの中に放り出され帰る宛もなくなれば、不安は簡単に爆発してしまう。
ライラックは真っ向からその言葉の数々を受け止め、しばらく言われるがままにして無言を貫く。
そして皆が落ち着くタイミングを見計らって静かに話し出した。
「……元の場所にすぐに戻れる方法は今の所ない。またここから歩いて入り口に向かうのも難しい。
大人数だということもそうだが、この階層は広すぎる。フロアが平坦になっていて特徴がなく、薄暗さも手伝って方向感覚も掴みづらい。
まっすぐに階段がある方向へと行ける可能性は低いとしか言えん」
「…………」
「一つだけ無事に帰れる方法はあるが、それは実力行使になる。貴様たちの手も借りる必要が出てくるが」
そうしたライラックは顔を皆に向けるが、積極的に顔を合わせる生徒はほとんどいなかった。
目線を逸らしてしまう奴らばかりで、そんなことやりたくない、と言外に言っているも同然だった。
「無理強いはできんのはわかっている。幸いここは校長が張った結界がまだある。
講堂、もしくは校舎の中にいれば魔物に襲われることはないだろう。
どうにか私たちも脱出の手口を考えていくつもりだ」
その言葉にあからさまにほっとする子供たち。それは大人である先生たちも例外ではなかったようだ。
大人で戦えるのは、今も外で魔物の処理をしている先生たちだけだと思った方が良さそうである。
(しかし、結界?あの爺が張った結界だから、それは余程強力なものだとわかってはいる、が)
果たしてそううまくいくものだろうか。
確信めいた思いを抱いていた俺は、講堂の外から走ってきたクライブの慌てた顔を見て、やはり、と思わずにはいられなかった。
「ら、ライラック先生!!結界がっ、結界が機能しなくなっています!!!」
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