第百十二話 グリエントの消失
ダンジョン実習の二日目。
俺にとって二度目のダンジョン攻略となったが、何も問題は起きなかった。
前回の変異種がイレギュラーだっただけで、このダンジョンの魔物自体の強さは大したことがない。
言ってしまえば俺一人でもどうにかなるレベルだった。
そうして俺はまた一人で宿屋の部屋の中にいた。
疲労感は特にない。自分から率先して魔物を倒すようにしてから、驚くほど楽になった。
パーティーの攻撃に合わせて俺の魔術を当てることで、リンカーとしての能力が発動。
フィーリングブーストを重ね合わせると魔術の威力は更に上がり、地下一階の魔物は一撃で倒せるようになる。
こうなるとロイドでさえ役に立つようになる。攻撃、と認められるぐらいの威力は出さないといけないようではあったが。
駒のように利用すれば俺にとって敵になる奴なんて一匹もいなかった。
俺は何を遠慮していたのだろう。最初からこうしていればよかった。
効率的に敵を倒そうと思えば一番これが早かったはず。
先生たちからの評価を気にしていたのか?そんなはずはない。
どちらにしても、俺が行動の方針を変えても誰も文句は言わなかった。物言わず、ただ俺を見るだけだった。
破竹の勢いでダンジョン攻略は進んだが、結局、生徒たちがいけるのはこの地下一階まで。
地下二階に繋がる入り口は見つけたものの、その場所には監視の為に配置された先生たちがいた。
ご丁寧に結界まで張られていて、あれでは隙を見て飛び込もうとしても無駄だろう。
その前にプリムラやミスラ、マリーに止められるだろうが。
あるいは、それさえも振り切って障害を打ち倒せば……。
「…………」
無言のうちに俺は心臓にあたる部分をぎゅっと抑えていた。
心の奥底から湧き上がる沸々とした何かが止まらない。
焦燥感にも似ているようで違う。何かが叫んでいるような感覚だった。
目を閉じてその声に耳を傾けようとしても何を言っているかわからない。
ただ俺はこの声の正体を知っている。
知っているからこそ、俺はその声に応えようとしている。
報いは、必ず訪れる。そこに辿り着いてみせる。
ダンジョン実習の最終日となる三日目。
今日この日は実習を受けるようになった生徒たちにとって、集大成となる日だ。
各々が出せる実力を最大限に引き出して、ダンジョンに篭ることになる最後となるこの日を悔いの残らないようにする。
頑張ればそれだけ結果として出てくるのだ。
……などと、高説を垂れる先生の言葉に頷く生徒はあまりいない。
わざわざゲートに入る前に講堂に集められたかと思えば、そんなことを長々と言うのだからたまらない。
ここにいる生徒たちは少なからずの実戦を経験し、同行者となる冒険者たちからも厳しい指導を受けている奴らばかりだ。
今更、舐めてかかるような馬鹿はいないだろう。
「なぁなぁ知ってるかミコト。うちの同行者であるアマナさんって人、めっちゃ綺麗なんだよ。
あー!ライザーさん羨ましいなぁチクショウ!どうも同じパーティー組んでるみたいなんだよ」
「同感である」
「右に同じ」
訂正しよう。舐めてかかっている三馬鹿はいるようだ。順にマーク、トーマス、エドの発言だ。
こいつらは初日、あれだけ交渉する金がなくて顔を青ざめていたのに。
ライザーがそれを見かねて拾ってやったのを調子よく受け止めていやがる。
一度といわず何度も痛い目を見ているのに、懲りない連中だ。
呆れ顔でそれを見ていた俺に、不意にマークが頬をぽりぽりとかきながら顔を背けた。
珍しい表情だった。マークはクラスの中でも俺の顔をしっかりと見て話すタイプの男だった。
俺に気後れするのか、ちゃんと顔を見て話そうとする奴は三馬鹿を除くとあまりいない。
他の人をあげるとしたらマリーぐらいのものだった。
「あー……その、なんだ、ミコト」
歯切れの悪い言葉に不審そうな顔で見やれば、トーマスとエドも似たような顔で気まずそうにしていた。
ますますもって気味が悪い。
遠慮のなさでいえばクラス一の連中が、一体何を企んでいるのか。
少しの時を置いてからマークは苦笑しながら俺の肩を叩いた。
「お前、何か悩み事があるんじゃないか?こんな時だけど、何かあるのなら相談にのるぜ」
「で、あるな。遠慮の必要なんてない。存分に話すがいいぞ」
「こういう時に上から目線は止めなよ、まったくもう……」
まぁ僕も同じ気持ちなんだけどね、とエドが最後を締めくくった。
その言葉に驚きがなかったとはいえない。
軽く目を見開いた俺はいつものようにぶっきらぼうに流すことが出来なかった。
マークは俺の表情を見てか、確信でもしたかのように一つ頷いた。
「まーたぶんだけど、マリーやあの先輩とのことだろ?最近はいつも騒がしくやってるもんな。
俺たちが言えたことじゃないけどな。ははは」
「羨ましい限りであるな。両手に花とはまさにこのこと。チェンジするならいつでも呼んでくれて構わないぞ、ミコト」
「チェンジて何さ、チェンジて。でも大変そうではあるよね。僕なら一日といわず、五分ぐらいで神経がまいっちゃいそうだよ」
楽しそうに三人は話していた。
それはわざとっぽくあり、無理にでもテンションをあげているような、そんな感じだった。
……余計なお節介を焼くな。
心の中で俺はそう吐き捨てる。俺を励まそうとしているこいつらに、何故か苛立って仕方なかった。
何も知らないくせに。何もわからないくせに。
訳知り顔で踏み込んでくるな。
喉にまででかかった言葉を深く息を吸い込むことでお腹の中に飲み込んだ。
落ち着こうとする俺の姿を何を勘違いしているのか、マークがもう一度手を伸ばして俺の肩に触ろうとした。
俺はそれを避けながら、本当の感情を隠して微笑んだ。
「大丈夫だ。何もないから大丈夫」
「そう……か?ミコトがそういうのならいいんだけどよ。でも、もし何かあったら」
「大丈夫だ」
二度目の言葉を強くそう言えば、マークは若干戸惑いながら引き下がった。
トーマスとエドもそれ以上は何も言わず、大人しくすることにしたようだ。
講堂の中は相変わらずの高説ばかりが響いていた。
壇上から聞こえてくるその声に混じりながら、ひそひそという話し声が聞こえてくる。
その言葉にならない声が、まるで自分だけに向けられているような、そんな錯覚がしてしまう。
いつからか、俺の精神状態はおかしくなっていた。
自分でもはっきりと自覚している異常。先ほどのような些細なことでも感情が逆撫でられる。
きっかけはきっとあいつの噂を耳にしたせいだ。
手が届きそうな場所にいるというだけで、平常心を失ってしまう。
そうして俺はどんどんと昔に戻っていっている。
あいつを殺す為だけに生きたあの日々に。いかなる時も殺意を滾らせていたあの頃に。
(……ここは俺のいるべき所じゃない)
強さを求めて遠回りすることを選んだ俺は、いつの間にか腑抜けてしまっていた。
どこかで俺は、もう一度の学校生活に甘えてしまっていたんだ。
やり直しをしようとでも思っていたのか。そんな時間なんてないというのに。
学校生活も先生も友達もいらない。何もかもがいらない。
そんな邪魔なものは、俺にとって荷物にしかならないものは必要ない。
((だって俺には力があるから))
……そうだ。俺(お前)の言うとおりだ。俺には力がある。
この力があればあいつでもきっと倒すことが出来る。
俺は俺(お前)だけで復讐を果たすことができるんだ。
(……シルフィードは?)
利用してやれ。
(……他の皆は?)
利用してやれ。
(……それでいいのか?)
それでいい。
そうでなくてはならない。俺が俺でいる為にも、それは必要なことだ。
俺はお前だ。お前は俺だ。さぁ、共に手を血で濡らそう……。
『……ミコト?ミコトっ。聞いているのです?そろそろ話が終わるみたいなのですよ』
はっ、として顔を上げればそこはまだ講堂の中だった。
きょろきょろと見回して俺は首を傾げる。
さっきまで自分が何を考えていたのか思い出せない。
うとうとしてまどろんでいたから思い出せないのだろうか……?
『何かちょっと様子がおかしいのですよ?それに少しだけ心の動きが変だったような……』
(気のせいだろう)
そう、何もおかしくはない。
やっと俺は自分を受け入れただけのことなのだから。
自分という人間がどんな奴なのかわかっただけだ。
何も変わってはいない。変わるのはこれからだ。
「…………?」
僅かに感じる違和感に眉を潜める。何かが違うような、そんな気がする。
しかし、その違和感も次に起こる事態によってかき消されることになる。
初めにそのことに気付いたのはシルフィードだった。
次に俺とライラックが気付き、順に先生たち、プリムラ他生徒の間での実力者たちが気付き始める。
一般の生徒たちは事が起こったとしても、何があったのか把握すら出来なかった。
『ミコト!!何かおかしいのですよ!講堂は変わらないのですが、外の空気が一変しているのですっ』
「これは……」
それは音もなく行われた鮮やか過ぎる手並みだった。
さしずめ、たっぷりと料理が置かれたテーブルからテーブルクロスをさっと引くかのように。
並々と注がれたコップの中身は零れず、寸分と食器も動かさず、ただテーブルクロスだけが消える。
まさしく、俺たちはそのテーブルクロスになっていた。
事態にいち早く気付いたライラックが講堂から走って抜け出していく。
壇上に立っていた先生は未だに気付いていないのか、困惑した表情でライラックを見送っていた。
俺はライラックの背を追うように一緒に講堂を抜け出していく。
さすがに制止の声が後ろから聞こえてくるが、そんなのに構ってはいられない。
「…………」
無言のまま立ち尽くしているライラックにはすぐに追いつけた。
講堂から出ればすぐ外に出られるようになっていて、ライラックは十メートルもいかない場所に立っていたからだ。
本来であれば空から降り注ぐ太陽の光を浴びていたはずだというのに、一向に光は満ちていない。
薄暗い、まるで曇天の時のような暗さが一面に広がっていた。
「まさか、ここは…………いうのか」
ライラックの小さな呟きを耳にする。
微かなその声は耳を潜めなければ判然としないものだったが、俺にははっきりとその言葉が聞こえていた。
信じられない面持ちで俺はライラックを見る。
当の本人は俺の存在すら気付いていないのか、答えをくれる様子はない。
俺は上を見上げた。視界の先は遥か遠くまで真っ暗で何も見えない。
そこに太陽は存在していなかった。ライラックが言ったことが正しければ、存在するはずもないのだが。
(しかし……それは本当にありえるのか?)
可能だと言うならば、一体どんな力が使われたというのだろうか。
辺りは薄暗いだけで学校の敷地内にいるということには変わりない。だからこそ、俺は異常だと思うのだ。
ライラックはこう言った。
まさか、ここはダンジョンの中だというのか、と。
その言葉が指し示す意味は、空間転移。それも敷地ごと、中に存在している全てのものを巻き込んだ大規模転移。
魔術にも転移させる術式というものはある。学校に設置されたゲートがいい例だろう。
しかしあれは精密に組まれた術式と卓越した魔術師の手によって、長年の時を経て作られたものだ。
おそらく爺が手がけたものであり、最高位の魔術師でなければ実現できない技術だろう。
それだけ転移というものは扱いの難しいものだった。
こんな大規模な転移など、爺であろうと不可能な領域だろう。
世界で唯一のアークウィザードに出来ないということは、どの魔術師にとっても不可能なことだといえる。
得体の知れない事態に巻き込まれたことを確かに感じながら、俺は密かな確信を得ていた。
これはきっとあいつが現れたことと無関係なことではない、と。
ならば好都合じゃないか。あっちから来てくれるなんてなぁ?
未だ姿さえ見えず影がちらつくばかりだったが、すでに俺の中の復讐の炎は燃え広がろうとしていた。
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