第百十一話 刻々と
ミコトがダンジョン実習における歴代討伐スコアを一日で塗り替えた翌日のこと。
その日は一回目の実習を経験した生徒たちの休息の日だった。
初めての魔物との実戦ということもあって、多くの生徒たちは英気を養っていた。
かくいうミコトも自分の宿の部屋の中で、ゆっくりと体の疲れをとっていた。
今日は出かけることもせずに一日、部屋で過ごすことにしたようだ。
そんな中、ミコトたちと交代するように更に百名以上もの生徒たちが新たに実習に向かっていた。
ダンジョン実習の希望者は多く、こうした交代制でなければとてもじゃないがやりくりが出来ない。
今回の場合は合計で二百名ほど希望者がいたので、二週間がかりのローテーションが組み込まれている。
最初の週では一回目と二回目のダンジョン実習が休みを挟みながら行われる。
これで五日ある内の四日が消化され、残りの一日は対策の日にあてられる。
学校に登校して大図書館で書物を漁るもよし。フィールドを使って魔術の練習するもよし。
その日だけは実習に参加した者のみ、学校設備に関して自由が効くようになっていた。
そして次の週は最後のダンジョン実習が行われる。
いわば集大成を見せる本番の実習が最後に行われるのだ。
これは先生たちが実習における最終的な判断を下す重要な日でもある。
所謂、実戦向きである者、そうでない者と見極めるのだ。
前者であればそのまま魔術科コースへと進み、後者であれば研究部門の科に先生が後ほど勧めたりすることもある。
また覚えがいい者にはそのまま、同行者である冒険者たちにスカウトされることもあるという話だ。
なんにせよ、生徒たちにとって重要な分岐点となることには間違いないだろう。
ダンジョン実習に参加する生徒には、そういう裏事情に詳しい生徒も少数ながら参加していた。
目の色が違い、真剣に取り組んでいる生徒がいい例である。
新たにダンジョンに挑むことになった生徒たちの中にも、ちらほらとそのような生徒を見かけることができる。
大多数は魔物と初めて戦う高揚感や不安に胸の鼓動をはやくしているだけではあったが。
ともかく、このダンジョン実習における生徒はそうやって二分されていた。
ミコトというどちらにも興味がない者は例外であった。
「…………」
しかし、例外というものは何もミコトだけではなかった。
生徒たちの話し声でざわめく喧騒の中、その者は誰とも話すことなく無言を貫いている。
欠伸をするまでもなく、周囲をきょろきょろと見渡しているでもなく、一点をただ見詰めている。
先にあるものは虚空だった。そこには何もない。
熱心に見ることもない空間であるというのに、その者の視線が外れることはなかった。
何者にも興味がないかのような瞳は色あせていて、同年代の生徒たちの中ではかなり浮いていた。
その様子に周りの生徒たちは誰一人気付かない。いや、気付けなかった。
人込みの中にいながら、そこにはいない。いるはずなのに、気付けない。
先生たちですら、その者を認識することは出来なかった。あるいは、同行者として連れられた高いレベルを誇る冒険者たちですら。
もしもこの場にライラックがいたならば状況は違っていただろう。
彼女はミコトたちのグループの担当で、今日は交代していてこの場にはいなかった。
しかし、そのライラックをもってしても違和感というものを僅かに感じるだけに終わっただろう。
悟らせる前にスキルを解除しただろうから。
それ程までにその者の隠密スキルは卓越していた。
そうしてその者は自分に敵う者が一人としてこの場にいないことを確認すると、密かに笑う。
初めて浮かべた表情はしかし酷薄であり、見るものをぞっとさせるに十分な表情だった。
「宴が始まる」
小さく呟いた言葉は誰の耳に届くことはなく、記憶に留まることはない。
いつの間にかその者の手には宝石のようなものが握られていた。
怪しく光る鈍色の宝石は、まるでこれから起こることを予言でもしているかのようだった。
帝都グラフィール。
魔術学校グリエントを内包したこの都市は、常に最先端の技術を求めている。
それは服飾であり、料理でもあり、魔術であったりと様々だ。
新しいものが開発されていく中で古いものは淘汰されていく。
帝都にとってはそれが日常であったが、ただ古いものとして捨てられないものがある。
それは建築物である。
一つの建物を造るのにも土地が必要で、設計図が必要で、材料が必要で、大工が必要で……。
何かと手間がかかるのもそうであるが、必要なくなったとしてすぐに取り壊せないというのもまた手間であった。
そうした手間を省いた結果、生まれた区間が帝都にはあった。
乱雑した建物は新旧ごちゃまぜで統一感がなく、子供が積み木を積んで適当に建てたと言われても納得してしまいそうな場所。
しかし、これが意外と観光客にとっては受けがいいという話だ。
セアン区域と名づけられたその場所は、帝都の人々が住み込んでいる割合はあまり多くない。
観光地として有名になって住み難くなったのも一つだが、あまりに乱雑としていて住み心地が悪いという意見も結構あるそうである。
物好きは逆にそれがいい、と言って住み着いているそうだが、それはともかくとして。
セアン区域の一画に、目深までローブを被った年齢、性別不詳の者が歩いていた。
大通りにいれば悪目立ちしそうな格好であるが、セアン区域であれば外から訪れる人々が多数来ることからあまり目立たない。
それを承知の上でローブを着ているかは定かではないが、その者は外れの路地へと足を踏み入れる。
人気がない路地裏だった。
セアン区域では別段、こんな場所は珍しいわけではない。所謂、ゴーストタウン化している場所が所々にあるのだ。
ある建物の前でその人物は足を止めた。
建物を見上げるような動作を一つして、その入り口である扉に手をかける。
軋みを上げながら開いた先には昼間だというのに暗闇が広がっている。明かりの一つもなければ先が見えなかった。
ローブを被った人物は臆することなく、淀みのない動きで暗闇の中に入っていった。
足音のみが響いていく。その足取りはまるで暗闇の中でも目が見えているようであった。
そして、延々と続く闇の中を歩いていき……ようやく小さな明かりが見えてきた。
それは扉の隙間から漏れる光だった。
ローブの人物は扉を押し開き、部屋の中へと入っていた。
「兄様っ」
途端、ドンっという衝撃がローブの人物の体を揺らした。
どうやら先ほど声を上げた人物が腰の部分に抱きついてきたようだ。
ローブの人物とは一回りも二回りも違う、小柄な体に白い髪が目立つ少女。
頭の左右に束ねた髪型、ツーサイドアップが幼さを主張している。
背中に流れる長い髪を揺らしながら、嬉しそうにローブの人物に頭をぐりぐりと押し付けていた。
「…………」
兄様、と呼ばれたことからもローブの人物は男であり、この二人は兄妹なのだろう。
男は優しく少女の髪を撫でて、されるがままに抱きつかれていた。
「相変わらず仲がいいねぇ」
その二人を茶化すような厭らしい声が投げかけられる。
部屋の奥に座っている妙齢の女性から発させられたようだ。
こんな場所には似つかわしくないナイトガウンを羽織り、優雅にグラスに注がれたワインを手の平で転がしている。
ガウンから零れ落ちそうな魅惑の肢体は異性の目を引き付けて止まない。
だが顔立ちは美人ではあるが高圧的な態度がまず目に付いてしまい、あまり人に好かれるタイプではないだろう。
「……何?何か文句でもあるわけ?」
「別にぃ?可愛らしいなぁ、と思っただけだよ」
少女は抱きついた姿勢のまま顔だけを女性に向けて睨みつけていた。
余裕の態度でそれを迎えた女性は、挑発するように笑いながらグラスをゆらゆらと揺らしていた。
ぶすっ、とした表情でそれを見ていた少女は、小さく「あの女、嫌い」と呟いていた。
それを慰めるようにローブの男はもう一度頭を撫でるのであった。
しばらくの静寂がこの部屋の中を満たしていた。
兄妹は部屋に備え付けられていたソファに仲良く座り、女性は女性で話しかけることもなかった。
しかし、女性が持っていたグラスの中身がなくなった頃になってようやく静寂が破られる。
「それにしても、呼びつけた奴が未だに現れない。仲良し兄妹は来ても他が来ない。
本当にここで場所はあってるんだろうね?」
「…………」
「宗主様はともかくとして、お堅いあいつは来ないのかね?
まぁ来ないなら来ないでいいんだけどね。いちいちあいつは私の格好にケチをつけるからねぇ」
饒舌に語る女性は返事がなくとも喋り続けていた。
うるさいなぁ、という目で少女が睨んでいてもそれはお構いなしだった。
このままだとずっと聞き続けなきゃいけないと思ったのか、少女は不承不承ながらに口を開いた。
「……宗主様は来ない。色々と忙しいって言ってた」
「へぇ?やっぱり一番上に立つ者としてはやることがたくさんあるのかね?」
「知らない。興味ないし」
「あいつは来るのかい?」
「しかめっ面の人?たぶん来ないんじゃない」
「しかめっ面って……ぷっ、あはははっっ。い、いきなり笑わせるんじゃないよ」
少女のその言葉がツボに嵌ったのか、女性は腹を抱えて笑い出した。
ナイトガウンしか羽織っていないせいで、色々と見えてはまずいものが見え隠れしていて危うい。
少女は笑わせるつもりがなかったのだろう。女性を変な顔で見てから、兄の膝の上に体ごとダイブした。
どうやらもう女性のことを気にすることをやめたらしい。
ひとしきり女性は笑い続けた後、目をこすりながら浮かんだ涙を拭っていた。
余程少女の言葉がおかしかったのだろう。未だに顔は上機嫌に笑ったままだった。
「あーおかしい。全く、はるばる帝都にまで来たかいがこれだけでもあったかもしれないね」
「……おかしいこと、言ってないし」
ぼそりと呟いた少女の言葉は女性にも届いたのだろう。にんまりと笑みを深めていた。
女性に顔を向けることなく兄の膝の上でリラックスしていた少女に、再び女性がちょっかいをかけようとしていた所に……。
ぼわっ、と何もない空間に炎が巻き上がった。
それは一瞬の内に消えてなくなり、炎が掻き消えた後には翼が生えた魔物が宙に羽ばたいていた。
小人のような体に羽が生えた醜悪な魔物だった。
突然に現れた魔物にソファでくつろいでいた兄妹も、女性も慌てる様子はなかった。
「使い魔か」
女性がそう呟いて、床に描かれていた魔法陣に目を向ける。
召喚術用に描かれた小さな魔法陣だった。無論、その魔法陣があることには三人は部屋に入った瞬間から気付いていた。
「おや、三人ともお揃いで」
流暢な言葉ながらどこか歪な声を魔物はあげた。
この魔物が喋っているわけではなく、召喚主である魔術師が喋っているのだ。
便利な術であるかのように思えるが、話したい場所に魔法陣を描かなければいけない点。
そして術者の力量によって話せる距離に差が出来やすいこともあって、頻繁に使われる代物ではない。
「本人ではなく使い魔で済ませるとは、いいご身分だね?死霊使い」
「これはこれは失礼しました。なにせ私も忙しい身でして……。
こうして遠方から連絡を入れるのが精一杯なのですよ。
所で……奥方のその刺激的な格好はどうなされたので?まさか外をその格好で来たのではないでしょう」
「これかい?何、魔女に扉を開いてもらったのさ。便利な力は使うに限るね」
「それはまた、贅沢な使い方をしますね」
「それに刺激的って言うけど、死霊使い。あんたには刺激されるようなナニはついてないだろう?」
「ヒヒッ、ヒヒヒヒ!!それは確かに、確かに」
不気味な笑い声をあげる使い魔。女性は鼻で笑いながら目を細めていた。
一方で、傍で聞いていた少女は笑う理由がわからなくて眉をハの字に曲げていた。
そもそも、自分を置いてけぼりに会話されるのは気に食わない。
例えそれが嫌いな奴らであったとしても、だ。
「わけのわからないことを話してないで、ここに呼んだ理由さっさと教えなさいよ」
「おっとすみません。待たせてしまったようで申し訳ないですねぇ」
術者の言葉に少女はかちんときていた。
物言いがそこにいる女と同じであり、心の中ではきっと別のことを思っている違いない、と敏感に察知していたからだ。
だからこいつらは嫌い。
顔に感情を如実に出しつつも、言葉に出さなかっただけでもこの少女にとってはよくやった方だろう。
「怖い顔をなさらなくとも話しますよ。これから起こる、楽しい楽しいパレードのお話をね」
「ぱれーど?ってなによ」
素直に訊ねる少女に使い魔はそれこそ悪魔のように嗤った。
「この日から四日後、帝都グラフィールを震撼させる大事件が起きますよ。
舞台は魔術学校グリエント。主催は僭越ながらこの私めが。」
「あの子をそのぐりえんと?に行かせたのもそれが理由?
何をするかあの子も教えてくれないし、知らないけど……もしあの子に何かあったら」
その時、少女から放たれた殺意は反射的に肌を粟立てるほどの強烈なものだった。
年相応に我侭で無邪気な女の子はもうそこにはいない。
事の経緯を見守っていたガウンの女性は少女の急激な変化に、舌なめずりをして恍惚な表情を浮かべるだけだった。
「あの方ならむしろこの劇を愉しんで参加してくれるでしょう。万が一もありえません。
それに此度は魔女の方にも手伝って貰っていますからねぇ。結構、大掛かりなのですよ?」
「へぇ?あの偏屈がねぇ。どんな手品を使ったんだい」
「簡単なことですよ。宗主様が私の劇に賛同してくださったのです」
「あぁ、なるほど。あの宗主様に傾倒している魔女なら納得だね」
横入りを入れた女性にも、とびきりの殺意をぶつける少女。
何処吹く風と女性は受け流しているが、これがただの人間だったなら卒倒していてもおかしくはない。
「…………」
物理的な圧迫を感じるほどの殺意も、ローブの男が少女の頭を撫でると途端に消えうせた。
ころっ、と態度を変えて猫の様に目を細める少女に先ほどの面影は微塵もなかった。
魔物は少女のその様子を見ながら、両手を天に芝居がかった動きであげた。
「若干名揃ってはいませんが、今宵は報告だけに過ぎません。
本番は次の時。その時には観客席も満たされることになるでしょう。
とびっきりの愉しくてたまらないショーを皆様にご提供するのが待ち遠しくてたまりません。
……さてさて、あの方の花はいよいよもってして咲き乱れるでしょうか。ヒヒヒ……」
最後の言葉は誰にも聞こえないように、だが、堪えきれない笑い声が漏れ出していた。
誰にも知られない秘密の会合はこうしてひっそりと幕を閉じた。
やがて再び幕があがる時まで、刻々と時は過ぎ去っていくのだった。
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