第百十話 レコードの裏側
どっと纏わり付く疲労に階段を上るのでさえ億劫になっていた。
正直、あまりに疲れていて帰り道をどうやって帰ったのかさえ覚えていない。
回復魔術で失った体力は戻りはすれど、体の芯に残っている疲労は落ちない。
それともあのスキルの反動なのだろうか。
最後の一段をようやく上り、僅かに軋む板張りの廊下を歩いていく。
誰一人としてすれ違うことなく、俺はようやく宿の自分の部屋へと転がり込んだ。
(……疲れた)
ただの一言、そう頭の中で呟いてベッドに身を投げ出した。
安物のベッドはあまり反発性がなく硬い。
それでも俺が外に出ている間にシーツは取り替えられていたのだろう。
真新しいシーツは仄かに太陽の匂いがした。
それを呼吸と共に吸い込んでから深く息を吐いた。
そういえば部屋の扉は閉めただろうか……?
……まぁいいか。どうせシルフィードが後から帰ってくる。
ごろりと体勢を変えて仰向けになる。
何の変哲もない天井が出迎える。数ヶ月をこの部屋で過ごしてきたが、未だに愛着の一つもわかない。
それでも朝起きてからいの一番に見上げるこの光景に、少しだけ違和感がなくなってきた。
ぼんやりとそれを見上げながら、俺は今日のことを思い出していた。
マリーのあの言葉を聞いてから、俺は言いようのない思いに胸の中が支配されていた。
誰かを頼ることは嫌いか。
そんなもの、答えはずっと前から出ている。
俺は誰かを頼ろうとは思わない。信じればいつかきっと裏切られるから。
一人ならそんなことは絶対に訪れない。俺だけは俺を絶対に裏切らないからだ。
なら……どうして今の俺はこうも心をかき乱されているのだろうか?
「やぁあ!!」
戦闘中にそんなことを考えている場合ではないのに、俺はずっと思考の迷路に囚われていた。
俺が考えている間にも戦闘は止まらない。
ツリーウッドの亜種の突撃を、気合の入った声を上げながらプリムラがブロッキングした。
完璧な形で迎えた突撃は微塵もプリムラを動かすことなく止まった。
そこに俺は支援魔術を唱える。
器用にプリムラだけを避け、魔物に魔術をあてることに成功した。
体勢を崩し、その隙をついて攻撃したプリムラ。木で出来た腕が吹き飛び、辺りに散らばっていく。
優勢はこれで崩れることはないだろう。
後はプリムラだけでも対処できる。
「もう寝る時間っすよ!魔物さん!」
「この!すばしっこいんだからっ」
ミスラとマリーのペアは空中を飛び交う小さな魔物を相手にしていた。
フライリーフ、という名は体を現すような魔物で見た目は木の葉のような形をしている。
ひらひらと木の葉のように舞うかと思いきや存外に素早く、すれ違いざまに尖った体で切り裂いていくのだ。
大きさは大したことがなく殺傷能力も高くはないが、数だけ多いという厄介な魔物だ。
ミスラは撃墜数を順調に伸ばしている。一方のマリーはなかなか攻撃が当たらない様子だった。
必死にダガーを振り回しているものの、魔物のスピードについていけていない。
シルフィードも一緒に手伝って数を減らそうと頑張っていた。
今すぐどうこうという話ではないだろうが、あの様子だと俺がサポートに入った方が適切だろう。
「…………」
そう思っていた俺の足は一歩を踏み出してから、次の足が進まなくなっていた。
今現在、俺以外に手の空いてる奴は戦力外のロイドしかいない。
必然的に中間距離を保って戦況把握に務めていた俺しか手隙になっていなかった。
数だけは多いフライリーフに万が一ということはない。
未だ十以上残っているが、マリーはともかくミスラとシルフィードの手にかかれば大丈夫だろう。
俺が間に入らなくても時間さえ掛ければ……。
その躊躇はおそらく数秒のことだった。
俺の迷いと様々な思いが巡りに巡り、その僅かな時間だけ戦闘に使っていた高速思考が解かれた。
自分でも気付かないほどの無意識。それが引き起こしたのは……。
「きゃあああ!?」
空気を切り裂く悲鳴に顔をあげる。
反射的に高速思考が発動し、周りの動きがスローモーションになる。
声が聞こえてきた先には弾かれて飛んでいくダガーと倒れこんでいるマリーの姿。
驚きに目を見張り、何が起こったのか確認しながらブーストを発動する。
異常事態が起こったのは間違いない。先ほどの思いなど吹き飛ばしながらマリーの元へと疾走する。
(…………あいつかっ)
『ミコト!あれはおそらく葉っぱさんの変異種なのですよ!』
変異種。魔物の突然変異ともいえる強力な個体。
ローエンウルフという変異種と戦った時は死に物狂いだった。
フライリーフが強くない魔物とはいえ、けして油断できる相手ではない。
(それにしても、あんな模様のやつ見落とすはずが……)
変異種のフライリーフは通常の枯れ葉のような見た目とは違い、ヘドロのような濁ったまだら模様をしていた。
枯れ葉の中にいれば一発でわかるような色合いである。
さっきまで通常個体しかいなかったのに、いつの間に湧いて出たのか。
「……擬態か!!」
変異種が仲間たちの元へと飛んでいくと、次の瞬間にはまだら模様のフライリーフは消え去っていた。
いや消えたのではない。周囲の仲間たちと同じ色に変化したのだ。
それは用意周到であり一瞬のことだった。
統率でもされたかのように変異種を通常個体が隠すように飛び交い、次の瞬間にはもう見分けが付かない。
俺の高速思考を持ってしても見破れない鮮やかな手際だった。
それに数も増えている。いや増え続けている。
十、二十、三十……耳障りな羽音が絶え間なく鳴り響く。
あんな数のフライリーフに攻撃されたら、それこそ人間なんてウィンドブラストで切り刻まれるよりひどい有様になるだろう。
(何処からこんな数が湧き出てきやがった……これも変異種としての能力か?)
群集の中に身を潜め擬態する。そして兵隊のように通常個体を操り、呼び寄せる力。
群れを統率するリーダーとしては何とも嫌らしい。
(だが逆に言えば、リーダーさえ倒せば後は烏合の衆となる可能性も高い)
すでに百は超える数のフライリーフが俺たちを取り囲んでいた。
見ればすでにツリーウッドを倒したのか、プリムラも俺たちの傍まで後退していた。
固い顔をしているプリムラに否が応でも緊張感が高まる。
「まずいですわね、数が多すぎますわ。くっ、こんな時に魔剣が使えないなんて」
「さすがにこれは応援を呼んだ方がいいっすね。私たちだけでは手に余るっす。
……近くにはいないみたいっすから、今、連絡を……」
「待ってください」
ミスラが懐から取り出した通信器のような物を使おうとしたところに俺は待ったをかける。
顔を上げたミスラからは焦りが見えていた。いつ襲われるかもしれないと心配しているのだろう。
余裕があるうちに助けを呼べば最悪の事態は防げる、そう思っているのかもしれない。
その判断は正しいのだろう。しかし。
「連絡をした場合、この実習はどうなりますか?」
「は?」
「中止されるのではないですか?」
「そ、そんなの当たり前っすよ!変異種が現れたなんてわかれば……!!」
予想通りの答えに嘆息する。それでは困るのだ。それでは俺の目的が遠のいてしまう。
必死に言い募るミスラはよほど余裕を欠いているのか、何故、こんな悠長に会話が出来ているのさえ気付いていなかった。
フライリーフは俺たちを警戒して攻撃を仕掛けてこないのではない。
シルフィードが風の結界を張って接近を防いでいたのだ。
(シルフィード、この結界はどの程度持つ?)
『いくらでも持つのですよ。でもミコト……』
シルフィードの続ける言葉をあえて無視して俺は足を一歩、前に進める。
途端、くいっと袖を引かれる感触に俺は頭だけ振り返った。
俺の袖をマリーが片手で引っ張っていたのだ。
「ミコト、あたしも手伝うよ」
以前、変異種と遭遇した時には怖がって震えていた女の子が、今となってはどうだ。
毅然とした顔で俺のことを見詰めているじゃないか。
マリーは様々な経験を得て成長している。少しずつ、少しずつ、強くなっている。
それを俺は確かに認めながらも……その手を振り解いた。
「手伝いなんていらない。俺だけで十分だ」
言ったきり、俺は一人で結界の外に飛び出した。
シルフィードには結界の外からも内からも出入りが出来ないように伝えておく。
何か言いたそうな思念のようなものが伝わってくるが、シルフィードは最後には俺の言うとおりに行動に移した。
「何これ!?壁のようなものが出来てるよっ」
「これは結界っすね。風属性の……えらく強烈なシロモノっす」
「風……?まさか、シルフィードですの!?」
マリー、ミスラ、そしてプリムラの声が後ろから聞こえてくる。
加勢しようと俺の後を追ってこようとしたのだろう。
そんなもの必要ない。いらない。
変異種は確かに強敵であるだろう。それも敵はうじゃうじゃとそこかしこにいる。
一匹一匹対処していたら処理が追いつかない。変異種を見つけなければ延々とフライリーフは増殖するだろう。
攻撃手段は?魔術は詠唱が間に合わない。
全方位から隙間なく襲い掛かれたらどうする。ブーストで身体を強化していても無駄に終わるだろう。
勝算は何処にある。俺一人で勝つには。一人じゃ荷が重いんじゃないか?
(だから?それがどうした)
頭の中で過ぎるのは不気味な声。特徴的なあいつの嗤い声。
憎んでも憎み足りない憎悪の対象。能面で顔を隠した化け物。
どんなに難しい戦いであれ、あいつに辿り着こうと思うならこの程度、切り抜いてみせる。
絶対に……俺はあいつを殺さなければならないから。
ドンドン!と壁を叩くような音が聞こえる。
振り向かなくてもわかる。結界を叩いている音だ。
それはきっと内側から。マリー?あるいはプリムラ?
どちらにしても邪魔だ。俺は、俺一人だけで十分なんだ。
「高速思考、展開――」
詠唱のようにそらんじて、俺だけの世界を形成する。誰にも追いつけられない、孤独の世界。
ぐんっ、と時間が引き延ばされ、周囲の状況が鮮明に頭の中に描かれる。
四方にフライリーフが二十体、すでに襲い掛かってきていた。
回避は困難と見て間違いなく、防御は更なる愚策。
ならば圧倒的な火力を持って迎え撃つ。
その力に対する躊躇いはあった。恐怖もあった。だがしかし、いつかは向き合わなければならない。
俺が正気を保てている今のうちに慣れねばならない。
制御のつかないまま、あいつがもし俺の目の前に現れたら、今度こそ俺は……。
そうして、俺は森羅万象という強大な力を解き放った。
「結果、撃墜スコアは数え切れず……一人で全部殲滅したが、さすがに疲れたな」
森羅万象の力は凄まじく、フライリーフの変異種はいつの間にか倒してしまっていた。
魔術の威力は倍増しになり、ウィンド一発だけでもフライリーフを倒すことが出来た。
範囲魔術を唱えれば跡形もなく消し飛ぶ姿は圧巻だった。
魔力をそれこそ自分の体の一部のように扱え、魔術の行使する速度も段違いである。
ブーストを起動しながらの移動詠唱、及び二重詠唱すら楽にこなせる。
俺が目指す理想系がそこにあった。
こうなると敵の数がいくらいても関係がなくなっていた。
「嬉しいことのはずなのに、釈然としないのは何故だ」
独り言を呟いてから横に体を向ける。
森羅万象は俺にとっての奥の手になりうる力だ。一日に一度しか使えないが、デメリットはそれぐらいしかない。
確かにコントロールが出来なければ危うい事態を招くかもしれないが、そんなもの力がある奴ならば誰にでも同じことがいえる。
今回は実際に力を使い、試運転にはちょうどいい相手だった。
試す前までは不安があったが、今となってはそれもない。
だが……。
フライリーフ達を一人で全滅させた後のあいつらの顔が頭の中に残っていた。
ミスラは何ともいえないような顔をしているだけで特に何も言わなかった。
あれは戸惑っていたのだろう。まさかあの大群を一人で倒すとは思っていなかったに違いない。
ロイドは爛々と瞳を輝かせ、気持ちの悪いことに嬉しそうにしていた。
あいつはあいつで、何処かで俺の実力を試そうと機会を伺っていた、そんな感じがする。
その実力を垣間見たことで満足していのだろう。
俺が気になったのはプリムラとマリーの顔だった。
二人共、同じような顔で俺のことを見ていたのだ。
一言で言えば、悲しそう、だろうか。何故そんな顔を俺に向けるのか、わからない。
わからないが、妙に気になってしまって今もこうして思い出してしまっている。
「……やめよう。実習は後二回ある。明日が一日休みでその次の日に二回目が、また同じようにして三回目。それで最後だ。
イヤリングはあれだけ倒したにも関わらず外れていない。色は結構変わり始めている……この実習中にどうにかする。
外れた後は……あいつを、……絶対に見つけ出し……て……」
意識が遠のいていくのを感じながら、俺は瞳を閉じていく。
心地よい疲労感にもう抗えそうにない。
今の今まで考えていたことも忘れ、俺は眠りの底へと落ちていった。
すー、すー、と穏やかに呼吸を繰り返す俺の頬を柔らかな風が撫でていた。
優しく傍らで佇んでいる小さな精霊と共に、そうして日は暮れていった。
誤字・脱字があったら教えていただけると幸いです。
また感想・評価の方も随時受け付けております。
特に感想の方は作者にとってのエネルギーになるので、いただけると非常に嬉しいです。




