第百九話 歴代レコード
グリエント魔術学校が設置したゲートの傍の小屋の中は、小奇麗ではあるが生活感というものがあまりない場所だった。
それもそのはずで、普段はゲートの整備に時たま人が訪れるぐらいであり、基本的に無人に近い。
とはいえ、ダンジョンである繁殖の穴が近くにあることから、他の冒険者が訪れそうなものである。
グリエントがこのダンジョンを独占状態に出来ているのにはいくつか理由がある。
ダンジョン自体が人里から離れた僻地に存在していること。
詳しい場所は秘匿され、学校関係者でも一握りしか知らないこと。
そして爺ことシェイム・フリードリヒ本人が張った結界で守られていることである。
性格には少々難があるシェイムであるがその実力は誰もが認め、世界に知られている。
そんな人物が張った結界に余人が入り込む隙間など一つもなかった。
ゲートを使わなければ誰もこれないような場所に、今日に限っては百名以上に及ぶ人々が訪れていた。
ダンジョンに入り魔物を倒すことにやる気を漲らせている生徒たち。
グリエントの伝手を使って集められた冒険者たち。
そして今、ゲートの傍の小屋の中で張り詰めた空気を醸し出している者たちである。
「A04のモニター継続しています。心身ともに異常なし。現在1FのD地点を進行中です」
いつもはがらんとしていて寒い空気がひっそりと漂っている部屋の中は熱気に満ちている。
グリエントの教員である十数名もの大人たちが真剣な声で経過の報告をしていた。
彼らがしていることは、一種のモニタリングである。
それぞれの目の前の机に置かれている丸い水晶玉のような魔道具を使い、ダンジョンの中に入っている生徒たちを監視しているのだった。
実力に問題がない冒険者たちを同行者に選んだとはいえ、それだけではまだまだ危険が伴う。
不意の事故が起こる可能性も捨てきれない。
そこで用意されたのがこの魔道具である。
モニタリングしたい者にもう一つの小さな送信用の魔道具を持たせ、データの転送を行っていた。
直接覗き見るようなことはできないが、かなりの精度をもつ詳細なデータを転送することができる。
例えばどの地点にいるとか、魔道具を持っているもののみならず、近くにいる者のHPやMPを調べたりなど。
高性能な魔道具であり、それが現在、ダンジョンの中に入っている生徒たちの同行者全てに与えられていた。
「引き続きモニターを続行。現地の監視班との連絡は?」
「生徒たちには気付かれていないようです。ただ……」
「ただ?」
「魔物が自分たちの所にもきて鬱陶しい、そして魔石は自分たちの小遣いにしていいか、と言っていますが……」
と言いながらも男性の教員はおそるおそる上目遣いをしながら報告する。
心の中では監視班の阿呆な発言に辛辣な罵倒をしていた。
生徒たちと同じようにダンジョンの中に入り、気付かれないように彼らから一定の距離を取りつつ、有事の際には生徒たちの盾となる。
それが監視班の仕事であり大変な役柄だとは思うが、それにしてもである。
「ほう。そんなことを言っているのか」
報告を受けた女性は唇の端だけを引き上げて目を細める。その表情に男性の教員は股間の奥がきゅんとする程縮み上がっていた。
ただ笑っているだけであるが、その迫力は魔物でさえも尻尾を巻いて逃げ帰るだろう。
そんな女性……鋭利な美貌を持つライラックの怒りを買った監視班は馬鹿と言うしかない。
男性の教員も一瞬だけ監視班の為にありのままの報告は避けようとも思った。
だが、嘘がばれた時のことを考えるとあっさりと彼らのことを見捨てる選択肢を選んだ。
「はい」
「小金を手に入れるか、私に燃やされるか、好きな方を選べと連絡を」
「わ、わかりました」
震えそうになる声をどうにか抑えながら男性の教員は現地の監視班に連絡を入れた。
まだぐだぐだと愚痴を零そうとする阿呆どもに、彼は怒鳴り込みながら必死な言葉でそれを封殺した。
その声の大きさに周りでモニターしていた教員が振り返るほどであった。
その傍らでライラックは満足そうに頷いていたという。
ライラックは一仕事を終えると、備え付けられていた簡素な作りの椅子に優雅に座った。
音もなく座るその姿は彼女の苛烈な性格とは似て非なるもので、育ちの良さを窺えるものだった。
ただし行儀の良さはそこまでだった。
ライラックはぎしり、と背もたれに背中を預けて挑発的に長い足を組んでは魅惑の軌跡を描いた。
悩ましい曲線美は見るものを虜にするには十分であり、現に男性の教員の幾人かはその光景を見てごくりと喉を鳴らしていた。
「ん、んん、ごほん!」
わざとらしい咳き込みでその視線をはがしたのは、ミコトのクラスの担任であるクライブだった。
彼もダンジョン実習のサポート役として選ばれた者の一人である。
クライブは男性陣の視線が逸れたことを確認してから、ライラックに話しかけた。
「ライラック先生。その、座り方をもう少し気を使っていただけると……」
「ん?あぁ……すみません、つい普段通りにしてしまいました」
そう言ってライラックは両足をきちんと地面につけて座りなおした。
自分の格好を改めてみて、この場には相応しくないと思ったのだろう。
むちゃくちゃな行動が目立つライラックであるが、自分が納得したことには素直に従うみたいである。
惜しげもない魅惑の曲線美が見えなくなったことに、クライブに向けて反感の目が投げつけられる。
クライブはそんな視線を全て無視していた。
周囲には真面目な堅物と通っていたクライブだからこそ、その視線もしばらく経つとため息と共に消えていった。
「概ね、生徒たちは順調そうに進んでいますね」
「同行者に選んだのは高レベルの冒険者ですから。生徒は過保護なぐらいに守られていますよ。
甘すぎる、デザートのようにね。私はあまり甘い物は好きではないのです」
「ははは……そうですか」
クライブは苦笑いをしてライラックの言葉を受け止めた。
そして心の中のメモにライラック先生は甘い物が苦手、と書き込んでおく。
彼は命知らずなことにライラックに思いを寄せている男の一人だった。
ライラックの性格がかなりきついことは周知の事実であるが、見た目は教師陣の中でもトップクラスであった。
一番人気は優しい顔立ちで周囲に気配りができる女教師だったのだが、最近になって寿退社してしまった。
悔し涙を流しながらも、いなくなった人をいつまでも気にしていられない。
そうして移り変わるように人気が出てきたのがライラックだった。
(ぽっと出の奴らに負けていられるかっ。……っと、いかんいかん。今はそんな時じゃないだろう)
堅物として知られているクライブの秘めたる思いを知る者は少ない。
そしてそれがずいぶんと前、ライラックが赴任した当初からの一途な思いとは、彼以外は知らないことだろう。
無論、そんな思いを露とも知らないライラックはふと思いついたかのように口を開いた。
「クライブ先生、現在のスコアトップがどのパーティーなのかわかりますか」
同行者に持たせている魔道具には魔物の討伐数をカウントする機能も備え付けられていた。
魔物を倒した数で単純に成績が決められるわけではないが、倒した数は多いければ多いほど良くなる。
クライブはモニタリングしている者たちに聞くまでもなく、さらりとライラックの質問に答えた。
「B02のパーティーですね」
「ほう……よく調べもせずにわかりましたね?」
生徒の数はここに来ているだけでも百人は超える。
パーティーの定員が最高で四人であることから、最低でも二十五組以上あるのだ。
リアルタイムで進行している二十五組以上のパーティーの中から、目的のパーティーを即座に探し出すのは難しいことだろう。
感心する顔を見せたライラックに、クライブは苦笑いで応える。
彼女のそんな顔を向けられるのは悪い気はしない。
だがこればっかりは誰にでもすぐにわかる答えだったから、素直に賛辞を受け止め切れなかった。
「簡単ですよ。そのパーティーの生徒が、私が担任しているクラスの生徒だったということもありますが……。
スコアが他のパーティーと比べるとあまりに桁が違いますから。
……一日目だというのに討伐数だけみても、歴代レコードをすでに更新しています」
B04……それは暫定的に当てられたパーティーの名前だった。
パーティーというのはそもそも出発順に名前が決められている。
Bは二グループ目、04は四番目にダンジョンの中に入ったパーティー、という意味である。
簡素で味気のない数字と記号だけのパーティー名。
しかしこの日、B04というパーティー名は彼ら教員全ての記憶の中に強く刻み込まれることになった。
「ダンジョン実習での歴代レコードというと、確か百五十ぐらいでしたか?」
ダンジョンに入る回数に微妙な差はあれど、実習の時は平均して三回は入ることになっている。
討伐数百五十、つまり一回につき五十体の魔物を狩っているということだ。
これは最大四人のパーティーであれば一人につき、大体十二体狩っていることになる。ちなみに同行者が倒した場合はカウントされない。
数にすれば大したことがなさそうであるが、まだ未熟な学生であることを考えれば快挙といえるだろう。
それに歴代レコードが出た年は特に優秀な学生が集まり、黄金時代とも称される時代であった。
今の学生たちが同行者たちの手助けがあってようやく倒していることに対し、その時代の学生は各々が一人で魔物を倒していたという。
それだけでも実力の差が窺えるというものだった。
「そのぐらいですね。あの時もずいぶんと騒がれていたみたいですがこれは……」
困惑した顔のままで押し黙るクライブ。
続く言葉をどういえばいいのかわからなくなっていた。
握っていた紙に目を落とす。紙面上にはB04の詳細なデータが書かれていた。
ライラックはクライブが持っている紙に目を移し、見せてもらっても?、と声を掛けた。
いくばかの逡巡の後、クライブはその紙をライラックに手渡した。
ライラックはそこに書かれていた内容をつらつらと読み上げていく。
「同行者……プリムラ・ローズブライド及びミスラ。パーティーメンバー、ロイド・マーカス、マリー、ミコト。
ロイド・マーカス、討伐数零。HP、MP共に変化なく戦闘の形跡が見られない。
監視班からの連絡からも実習に対する意欲が見られず要注意。ふん……毎度ながらこういう消極的な奴は現れる」
魔物に対し怖れを抱いてパーティーメンバーに全てを任せてしまう輩は後を絶たない。
また貴族などの上流階級の者によくあることだが、楽をしようとして他の者をこき使うパターンもあった。
こうして監視されているとは知らずにご苦労なことである。
評価するにも値せず、ライラックは読み飛ばした。
「マリー、討伐数二。直接戦闘による討伐であり、魔術の使用は見られない。
パーティーメンバーのHPが回復した際、彼女のMP減少を確認。MP量に対する回復量は優秀である。
迅速な処置は監視班からも高評価。
同行者の意見を聞かなければ最終的な判断は下せないが、ヒーラーとしては及第点、か」
魔術師に求められるのは破壊だけではない。時には癒しの力が必要になる。
戦うということは傷つけあうということであり、怪我とは切っても切れない相棒である。
大怪我を負った時、優秀なヒーラーがいれば命が助かる場面など腐るほどあるだろう。
……しかしながら、攻撃魔術が一切使えない、というのは問題であるとライラックは考えていた。
ある程度、彼女に対する問題点を洗い上げた後、ミコトの項目にライラックは目を移した。
途端、ライラックは思わずといった様子で笑みを浮かべてしまう。
そこにあったのは想像通りであり、想像以上の内容だったから。
「……ミコト。開始した当初は高威力の魔術を行使し、順調に魔物を倒している模様。
下級魔術も行使してサポートも入り、周りがよく見えている様子。
他のパーティーメンバーに問題があることから、彼一人に偏った討伐数になると予想された。
しかし、ある地点を境に、まるでMPが湯水のように湧くが如く魔術を行使しては魔物を連続して討伐。
単独行動による戦闘をメインにシフトしたようである。協調性に欠けた行動であるものの、その戦闘力は目を見張る。
魔術を行使するサイクルが異常ともいえる速度であり、またMP回復速度も常軌を逸している……」
つらつらと未だに続いている内容は、おそらく現地にいる監視班からのものだろう。
その興奮っぷりはこの文字数の多さからも窺える。
途中で見飽きたライラックは最後の行だけに目を通すことにした。
そこには忘れていたかのように討伐数が書かれていた。
その数値を読み上げるライラックの顔はより一層の深い笑みを浮かべていた。
「討伐数……三百」
歴代レコードを大きく塗り替えたその数字は、個人で到達するにはあまりにも異様に過ぎていた。