第百五話 無双も程ほどに
ダンジョン、と聞くと暗い洞窟のような場所を想像してしまう。
地下深くの迷宮には目も眩むような宝と凶悪な魔物たち。
行く先々で待ち受けるのは魔物だけではなく、冒険者たちの隙を狙う罠が命を刈り取ろうと鎌首をもたげている。
一秒足りとて油断することを許さない魔窟。俺のイメージはそんな感じのものだった。
だから繁殖の穴、といういかにもな名前のダンジョンに入った時、俺は意外な思いを隠せないでいた。
「ここが……ダンジョン?」
踏みしめる地面は草の葉。歩けば絨毯のような感触でけして足を取られることはない。
壁は木々が折り重なってできた天然の壁。名も知らぬ花が所々に咲いては彩を加えている。
木々の隙間の向こうには別の通路が見え隠れしており、あちら側に人でもいれば会話すら簡単にできるだろう。
天井に至っては何もなく、空の青がよく見えるぐらいだった。
まるで庭園の中にでも迷い込んだかのような感覚。
だかここは紛れもないダンジョン、繁殖の穴の一階……らしい。
「何だか綺麗な所だねぇ……」
呆けた声で立ち尽くしてそう言ったのはマリーだった。その気持ちはわからなくもない。
今でも俺は疑う思いを捨てきれないぐらいだった。
通路は五人ぐらいなら並んで歩けるほど広く、天井からは遮ることなく光りが降り注いでいるおかげで明るい。
俺の気持ちを裏切るように、閉鎖的といったものとは程遠い光景がそこにはあった。
「これ、飛行魔術か壁の上にまで跳べば楽に攻略できそうだね」
マリーの隣では、目の前の光景に何の感情も抱いていないかのように現実的なことを口にするロイド。
現実的なこと、と言ったとはいえそれが実際にできることではないとこいつは知っているだろう。
歪んだ口が性格の悪さを隠せていないぞ、てめぇ。
先生からの事前の説明でそのことについては教えられていた。
どうやらダンジョンの上空には魔力を散らす仕掛けが働いており、飛行したとしてもその効果は打ち消されてしまう。
壁をよじ登ろうとしても罠が発動するようで、試さないように言われていた。
あの話を聞いていたならよほどの馬鹿でもない限りやるやつなんて……。
「んしょ……んしょ……」
「って、やろうとしてんじゃねぇ馬鹿っ」
聞くが早いか、いつのまにか壁をよじ登ろうとしていた馬鹿の首根っこを俺は掴む。
きゃっ、と小さく叫びながらバランスを崩して後ろに倒れこむマリー。
仕方なしに俺は自分の体で受け止めて支えてやった。
……どうやら罠は作動しなかったらしい。全く油断も隙もない。
早速やらかそうとしていた馬鹿を睨むように見れば、マリーは顔を真っ赤にしながら俺のことを見上げていた。
唇は僅かに震えていて要領の得ない囁き声を洩らしていた。文字にすれば、あぅあぅ、だとか、はぅはぅ、とかだろうか。
「ちょっと!いちゃつかないで欲しいですわっ!」
「ダンジョンに入ったばかりだっていうのに、お盛んっすねぇ」
ぷんすかと怒る声と呆れ混じりに笑う声。
どうやったらそんな状況に見えるんだ、という非難の視線を込めながらそちらを見る。
そこには俺たちのパーティーの同行者となった二人、プリムラとミスラの姿があった。
学校側から用意された人員は実は冒険者だけ、というわけでもなかった。
よくよく見れば生徒服に身を包んだ人があの中にはいたのだ。
とはいえ、冒険者たちに比べるとそれは明らかに人数としては少なかったが。
その中に俺の見知った人が二人いて、しかもあの時に高々と声を上げたのがプリムラだったというわけだ。
(何の因果なんだろうな、これ)
『まぁまぁ。私はプリムラと一緒にいけて嬉しいのですよ』
そんなことをシルフィードは楽しそうに言った。
あの時、プリムラの熱意の篭りすぎた宣言を受けて、怯まずに対抗できる冒険者は一人もいなかった。
強力すぎるオファーに、何故だかその場の雰囲気はプリムラを選ばないといけない空気になっていた。
こんなの交渉でも何でもないじゃねぇかよ……プリムラの戦い方もそうだが、こいつ力技使いすぎなんだよ。
それに……。
「ん?どうしたっすか、ミコト」
「いえ、なんでもないです」
眼帯を嵌めたミスラを見ながら思う。魔眼という特異な体質を持っている彼女だが、果たして戦闘ではどうなのだろうかと。
同行者に選ばれた冒険者を見れば、生徒たちの弱点である接近戦に秀でた戦士系の者たちで固められていた。
その点でいえばプリムラはグリエントの生徒ではあるものの、十分に合格点であるといえるだろう。
ミスラは確か調律技師科、という所に所属している三年生だったはず。
魔導デバイスの調整を主に担当しているはずで、どちらかというと裏方仕事のはずだが。
それに彼女には一つ借りがある。
実は俺とプリムラとの決闘の際、二人の会話を会場全体に伝わらないように細工してもらっていたようなのだ。
他人には知らされたくないことばかり話していたのでそれはとても有難かった。
だからこそミスラには危険なことには首を突っ込んで欲しくない、というのが手助けしてもらった者なりの心配りだった。
そんな胸中の不安をミスラは感付いたのか、自分の胸を叩きながらにっと笑った。
「任せて置いて欲しいっすよ。前衛として頑張らせてもらうっす。まぁ、あの子よりは活躍できそうにないっすけど……」
「ふあああああああ!!変、身!!」
妙に気合が入りまくった声に視線を向ければ、そこにはすでに炎の鎧を纏ったプリムラがいた。
騎士盾も健在であり、唯一武器となる剣だけは炎を纏っていなかったが。
俺が折った剣はどうやら特注品らしく、代えが早々きかないものだったようだ。
普通の武器だと魔剣化する際に魔力に耐え切れなくなり激しく劣化してしまうそうである。
未だ魔物の姿すら見えていないというのに、無駄に魔力を使っているプリムラには阿呆としか感想がもてなかった。
というかあの掛け声は何だ。決闘の時はあんなこと言ってなかったじゃないか。
昔っから格好とか言動から入るようにしていた残念お嬢様だったが、そんなところも今も変わってないらしい。
懐かしいやら、情けないやら。
『あんなに燃え燃えして、ここが大変なことになったりしないのです?』
(あぁ、ダンジョンの周りの壁や地面はダンジョンパワーで守られているらしいぞ)
『だんじょんぱわー?なんなのですそれ』
(しらねぇよ……)
実際に先生がそう言ってたからそう言ったまでで、謎の力としか言えない。
大図書館で調べたことによると、どうも各ダンジョンにはそういった不思議な力が備わってるようである。
無理やり魔術によって壁に穴を空けたり、ダンジョンに湧き出た泉を凍らせるといったことが出来ないようだ。
無論、破壊そのものはできたり、一時的に凍らせることはできるようである。
だが、破壊してもいつの間にか直っていたりして労力の割には効果はあまりないようだ。
この脆そうな木々で出来た壁も簡単に破壊できそうであるが、おそらくそううまくはいかないだろう。
プリムラの炎でもそれは同じで、燃え広がったりしない、という点では有難い話なのだろう。
でなければこのダンジョンはあっという間に火炎地獄である。
まぁできるだけ火系統の魔術は使わないようにして置いたほうが無難ではあるな。
そんなことを炎の攻撃が得意なプリムラに言えば、物凄く落胆してへこみそうだから言えないが。
幸いプリムラは魔剣が使えない状態なので幾分かマシだろう。
「さぁ!魔物どもかかってくるのですわっ!この私がばっさばっさと切り伏せてあげますわっ!!!」
だから炎を纏った騎士盾をぶんぶんと振り回すのは止めてくれプリムラ。
マリーは気が気じゃなさそうに見ているし、その気合が篭った声で魔物が無駄に寄ってくるだろうが。
前途多難なダンジョン攻略になりそうで、俺ははやくも頭が痛くなり始めていた。
「せぇい!」
裂帛の気合が込められたプリムラの一撃は、すんなりと魔物の体を両断した。
ばらばらき木が崩れるような音を立てながら掻き消えていくツリーウッドという魔物。
その姿はまさしく動く木といった有様で、体長は一メートル半程の木で出来た魔物だった。
攻撃方法は到って単純で、ちょうどプリムラが二体目のツリーウッドの攻撃を華麗に避けていた。
自分についている太い枝を鞭のようにしならせて攻撃してくるものの、動き自体はそう速くはない。
マリーでも気をつけていれば避けれるぐらいであり、従ってプリムラにその攻撃当たる可能性は皆無であった。
「無双っすね」
「無双してますね」
「無双すぎてあたしたち何もする暇ないね」
無双という言葉が我がパーティーで流行っているのを前に、プリムラが合計十体ものツリーウッドを一人で全滅させた。
数はかなりのものであったのに、かかった時間は一分足らずである。
その感、プリムラ以外の四人は何もしていない。
接敵と同時にプリムラが飛び出し、後は一方的な蹂躙が始まっただけだ。
さすが仮とはいえ騎士団に所属するだけあって、各方面で魔物とも戦ってきたのだろう。
その動きは迅速であり、一切の躊躇はなかった。
問題が一つあるとすれば、それは……。
「でも同行者である私たちが率先して魔物を倒したら意味がないっすよね」
そうなのだ。採点をするはずの者が魔物を倒していたら意味がない。テストを先生自ら生徒の代わりに解いているようなものだ。
あっ、という顔をしたプリムラはあたふたと魔物の残骸と俺たちを交互に見ている。
その間にも魔物は魔石だけを残して崩れ去っていく。小さいながらも魔石は傷一つない様子だった。
魔石だけを傷つけずに倒す手並みはやはり見事だった。ドロップも期待するならこういうことにも気をつけなければな。
俺は俺で少しだけプリムラに感心していたが、当の本人はやっちまったという表情をしていて泣きそうだった。
『あれはきっとミコトにいい格好がしたくて頑張っちゃったのですねー。プリムラも健気なのです!』
……まぁそれはなんとなくそうなんじゃないか、とは思っていたが改めて言葉にされても面映い。
気まずい空気になりかけた所、先輩であるミスラが明るい声で場を変えていく。
「まっ、最初ぐらい手本を見せるってことでいいんじゃないすかね。
じっくりと魔物がどんな攻撃するのかも見れたし、他の皆の緊張も解れたっしょ。
他にも魔物は出ると思うっすけど、ただ見るだけじゃなくて観察するんすよ?
私たちの間をすり抜けて君たちに向かっていったり、バックアタックくらうかもしんないっすから」
すり抜けて、の部分でプリムラが声を上げて抗議しようとしたのをミスラは手の素振りだけで抑えていた。
このパーティーの中では年長者ということもあって、プリムラもミスラにはあまり強く出られないのか、それだけで大人しくなっていた。
悔しそうではあったけどな。
騎士としての心意気がプリムラにある以上、ミスラの言ったことは屈辱に値することだったのだろう。
「何事も想定しておくのが一番いいっす。ね、ミコト」
「そうですね。最悪を想定して動くことは理にかなっていると思います」
ここで俺に振るあたり、ミスラはわかっているといった感じだ。
こうなるとプリムラは素直に従うしかない。
色々と俺に負い目を感じているのか、プリムラはやけに俺に対して従順であるからだ。
こくりと子供のように頷くプリムラにミスラは満足そうだ。
『今回のダンジョン攻略でプリムラともっと仲良しになるといいのですね?』
(そう、だな……)
俺の心を敏感に察知したシルフィードはそう言った。その言葉に俺は躊躇いつつも肯定した。
前と全く同じ関係に戻ることは無理だろうが、それでも俺に気兼ねなく接して欲しいとは俺も思っている。
プリムラだけに責があることではないのだから。
それにもう一人のあいつにも……。
ちらりとそいつに向かって視線を向けると、そいつはダンジョンの入り口の方に頭を向けていた。
「マリー?どうしたんだ」
「あ……ミコト。ええっと、その」
マリーは何かを誤魔化すように口を濁していた。
何か心配事でもあるのだろうか。帰り道のことなら同行者である二人がマップを持っているから心配ないのだが。
そう俺は思っていたが、実際のマリーの心配は別のことだった。
「実は、ね。キーラのことが気になっちゃって。彼女、何だか柄の悪そうな人たちと一緒に行くことになってたんだ」
マリーの言葉をきっかけに俺は思い出す。
確かにキーラは頭の悪そうな阿呆面の冒険者と組むことになっていた。
とはいえ、学校側から用意されたあいつらがそこまで無茶なことをするとは思えない。
何かしらの監視の目をつけていると思っていいだろう。
それにキーラと同じパーティーを組んでいたのは、新人戦の予選で少しの間一緒になったあいつらのはずだ。
名前は……ケニーという男性とサラという女性だったか。その姿を見て少しだけ驚いたものだった。
サラという女はわからないが、ケニーは人の良さそうな性格をしていたから問題はないと思う。
しかし、キーラとケニーたちとの接点は何処にあったのだろうか?
(それはともかく、マリーの心配ごともそれほど気にしなくてもいいと俺は思うが)
ああいう質の悪い冒険者を用意したのは、生徒たちに勉強させる為だったのではないだろうか。
生徒たちが卒業した後、中には冒険者として旗をあげる奴らもいるだろう。
冒険者をなろうと思えば一人では生きていけない。学校で知り合った連中も魔術師ばかりでパーティーを組むのは難しい。
そういった時に今回の経験が活きてくるのではないだろうか。
ダンジョン実習は今回だけでなく、定期的にやっているようである。参加していれば自然と人選の為の目も鍛えられるだろう。
……まぁそういったことを抜かして、ただ単に面白いから、という理由もないではないが。
クソ爺元気にしてっかなぁ?あぁ、ぶっとばしてぇなぁ。
「まぁ大丈夫だろう」
「ううう、そっかなぁ……そうなのかなぁ」
「…………」
「……っあ」
あんまりにも心配そうなので、俺はつい彼女の頭を撫でてしまっていた。
俺が不安でいる時はよくミライにこうしてもらっていたから、自然とそれが出てしまっていたのだ。
気付いた時にはぽーっとしているマリーと、物凄く羨ましげにしているプリムラ、そしてにやにやと笑うミスラがこちらを見ていた。
俺がぱっと手を離すと、途端に残念そうにするマリー。
恥ずかしいことをした、と自覚した俺は顔を赤めながら一人通路を歩いていく。
その後ろから、私もして欲しいですわっ、という声が追いかけてきたが務めて無視をしたのだった。