第百一話 予兆
一生を賭けてでも殺したい相手が見つかった時の気持ちを言葉にするのは難しい。
言葉、という括りだけで表すにはあまりに複雑だった。
ただ、その中の一つだけ選び出して言葉にするとしたら……喜び。
俺はどうしようもなく歓喜していた。瞳から涙が零れるほどに、体の震えが収まらないほどに。
切り離した思考の中でどうにかその感情を処理しようとしたが無駄だった。
止まらない、俺の奥底から沸き続けて満ちていく。俺という器さえ壊して、溢れかえりそうだった。
その日のロイドとの会話はそれで終わりだった。
俺は表面上はいつもの自分を装っていた。
だが、奴についての話をこれ以上ロイドから聞いてしまえば自分を保てる自信などなかった。
それをロイドは感付いたのだろうか。ともあれ、ロイドは満足そうな顔をして立ち去っていったのだった。
放課後の密談の翌日、ロイドは学校を休んで姿を消していた。
それは時間を置いたことで気持ちの整理がある程度ついた俺にとって、なんとも歯がゆい事態だった。
クライブ先生からは、病気になったから休むと連絡がきた、という話を聞いたが胡散臭すぎる。
俺と話した翌日だなんてタイミングがあまりによすぎる。
一日ぐらいならば我慢も出来た俺だったが、さらに二日、三日とロイドの休みは続いた。
(あの野郎、何をしてやがる……)
熱をあげておきながら姿を隠したロイドに苛々が募り、それが周囲にも伝わっているのか俺に声をかける奴も少ない。
三馬鹿もクラスの奴らも同じく、マリーも何かを察知しているのか日に一言二言話すだけだ。
一番俺の近くにいるシルフィードは、いつも何かを言いたそうな顔をしていて煩わしかった。
俺とシルフィードは契約しているとはいえ、俺がシルフィードに伝えたくないと思ったことは伝わらない。
それはここ数日のことを思い返せば歴然である。
もしも今の俺の心が全てシルフィードに伝わっているのなら、絶対にこいつは俺のことを放っておかないだろう。
そんな確信が俺にはあった。だからこそ教えるわけにはいかない。
(あいつを殺したい、殺さなきゃ。絶対に誰にも邪魔なんかさせない)
例えそれがシルフィードであろうと、誰であろうと。
全身が打ち震える喜びが過ぎれば、残されたものは憎しみしかないのだから。
どうすればあいつを殺せるだろう。どうやって復讐すればいいのだろう。
想像の中で何度も何度もあいつを殺して、満たされない欲望を満たそうとしている。
でもそれだけじゃ少しも足りない。乾きはなくならない。
そこに痛みにもがき、空気を震わせて耳に届く悲鳴が足りない。
この手で奴の身を切り刻む甘い感触が足りない。
血の匂いが足りない。断末魔の声が足りない。
足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない。
足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない。
足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない。
(何もかもが足りない)
そんなことばかり今もずっと考えている。
俺はきっとおかしくなっている。いや、あの時から俺はずっと狂ったままだ。
この世界のただ一人、あの人を失ってから俺の世界は壊れてしまったのだから。
ふと、俺は彼女の最期の言葉を思い出す。あぁ、こんな時になってそんなことを思い出してしまった。
俺というどうしようもない奴を生き返そうとする彼女は微笑みながら告げたのだ。
幸せに生きてね、と。魔法の光の中で、それこそとても幸せそうな笑い顔で。
(幸せ……?ミライ、俺はこんな世界でそんなものが見つかるとは思えないよ。
もしもそんなものが本当にあるのなら……俺の幸せは奴を殺すこと。それだけしかもうない)
ロイドとの再会はほどなくして訪れた。別に失踪をしたわけではなかったらしい。
どうやら学校を休んでいる間、情報の収集に奔走していたようだ。
幾分かやつれたロイドの顔を見るに、かなりの苦労をしたようである。
「お待たせしてしまったようで申し訳ないね」
そう口火を切るロイドと俺はあの時と同じ場所で人目を避けて話していた。
時は変わって昼休みのことである。
放課後まで待てなかった俺としてはちょうどいいが、急ぎの話だということだろうか。
「理由があったのなら別にいい。中途半端な所で消えられたのはどうかと思うがな」
「はは。あの時はあれ以上話したら君がまずいことになったんじゃないかな?」
「……相変わらずいけすかない野郎だな」
舌打ち混じりにそう言えば、ロイドは何が嬉しいのか顔を綻ばせていた。
ろくに寝ていないのか目も充血していてその顔は普通に気持ちが悪い。
以前であればもうこの時点で立ち去る所だが、こいつの情報には確かに価値がある。
ロイドが消えている間、俺も自分だけで黒い死神について追っていたがロイド以上の情報は見つからなかった。
情報収集能力についてはもう認めるしかないだろう。
「せっかくの楽しい友だちとの会話だけど切り上げて話させてもらうよ。
どうやらかなり面倒なことになってるみたいでね。仮面の男のことだけど……」
「奴は何処だ?何処にいる!!」
「ミコトくん。あれから時間が経っているのにまだ落ち着いていないのかな?
それは僕にとって好ましい感情でもあるけど、今はまだその時じゃない」
お前に何がわかる。そんな言葉が口から出かかったものの、ロイドの揺らぎない瞳を見ていると熱が下がっていく。
……ここは冷静になろう。
こいつに当たり散らかした所で進展どころかその妨げになるだけだ。
一息をついた俺の姿を見てロイドは話の続きを喋り始める。
「……さて、面倒って話だったけどね。どうも最近になって帝都に怪しい者たちの出入りがあるんだ。
外から来た一般人を装っているけれど、雰囲気ってものは同業者には隠せないものでね。
その人数も確認しただけですでに十は越えている」
「仮面の男とそれに何の繋がりがある。それに同業者って言うのは何だ」
「時期が重なるんだよ。黒い死神の噂が流れ始めた時と、そいつらが帝都に現れ始めた時がね。
そいつらは俗に言う裏の世界の人たちっていうのかな。まぁ汚れ仕事が得意な連中だよ。
それも高レベルの奴らばかりだ。十人程度とはいえ、一斉に動かれたら厄介なことになるのは間違いないね」
この世界のレベルはまさに強さが明確化されたものだといっていい。
無茶なレベル上げなどしない限り、順当にレベルを上げていった者はそれこそ一騎当千といって過言ではないだろう。
中には軍を数人のパーティーで相手どったり、強大な力を持つドラゴンを単独で倒した者もいるという。
それだけレベル、強いてはステータスの高さが強さに影響するのだ。
「中でも特に厄介なのは一迅槍っていう男がいるのが怖いね」
「それは二つ名か?えらくご大層な名前がついてるな」
「その槍捌きは雷鳴のように速く鋭い。気付いた時には胸を貫かれていたって話もあるようだね。
何よりその性格が好戦的過ぎて、どの戦場にも現れては好き放題暴れていっては次の戦場へ、って具合さ。
そして彼は有名な魔術師殺しでもある。気をつけた方がいいね」
「出会いたくない奴の筆頭みたいだが……仮面の男と関係しているのなら」
叩き潰す。言外にそう俺は言葉を潜ませる。
最初からそれはわかっていたのか、ロイドはにたりと気持ち悪い笑顔を見せるだけだった。
「頼もしいね。期待させてもらうことにするよ。
他にもまだあるのだけど、それはちょっと調べが足りなくて調査段階だ。
ただ今の僕に言えるのは、この学校も面倒ごとに巻き込まれる可能性があるってことかな」
「学校……?俺じゃなく、グリエントがってことか?」
「そうだね。グリエントに今、校長という存在がいない。それが僕には気になってね。
今の所それだけのことなんだけど、タイミングが重なりすぎている気がするんだ。
この三つが重なることを偶然と言うには抵抗を覚える」
「…………」
自分の顎に手を添えて、俺は高速思考を発動させて考える。
仮面の男の出現、高レベルの裏の手の者たちの帝都入り、そして爺の不在。
ロイドが言うようにそれら全てを偶然と言うには怪しいものがある。
仮面の男は昔、地獄のような館でたくさんの人々を誘拐してきていた。
その際、人々を館に連れ込む為にあいつは誰かを使って攫ってきていたのだ。
手を汚すのは玩具を弄ぶ時だけで、調達自体は誰かに任せていた。
今回もそう考えるならば、裏の奴らと仮面の男は関係している可能性は高い。
しかし、証拠はほとんどなくとも表立って仮面の男が行動していること。
そして裏の奴らのレベルが高いということが気に掛かる。
誘拐……だけでなくもっと大きなことをやろうとしている?この帝都で?
(ありえない話ではないか……)
あの狂った化け物ならばどんなことをしようと驚きはない。
だが、ここリヒテンは帝国にとって一の柱とも言うべき場所である。
その分、兵たちも十分すきるほど配置されていて万全なる守護を完成させている。
たかが十人程度の高レベルの者たちが暴れようとも、その火は瞬く間に消火されるだろう。
(引っ掛かる点が多い。憎しみだけに目をとられていたら足元をすくわれそうだ)
そういう意味でもこうしてロイドと話したことは、情報を得られる以上の価値があった。
胸の奥では未だに燃え盛っている感情はあるものの、それは奴と正面から対面した時に爆発させればいい。
そう無理やり納得させてから一瞬の間に俺は考えをまとめ、そして口を開いた。
「俺も奴とその裏社会の人間とは関係があると思う。何をしようとしているのかはわからないが。
それに気に掛かる点がある。それは仮面の男が表舞台に顔を見せていることだ。
あいつは自分から動くタイプじゃない。肝心な場面、自分が大好きなシーンになって意気揚々と現れるクソ野郎だ。
そんな奴が準備段階といえる今の時期に現れるのはおかしい」
「……なるほど」
「いやに素直に頷くな?お前の性格ならもう少し突っ込んできそうなものだが」
「……ただ素直に納得しただけだよ。他に他意はないさ」
そう言って唇を皮肉げに歪ませているロイド。
俺は目を細めながらその様子をつぶさに観察していた。
こいつの憎しみの心だけは信用できるが、依然としてその他の部分はこれっぽっちも信用していない。
「まぁ後は追々、情報を集めて埋め合わせていくしかないね」
俺の問いから逃げるかのようにロイドは瞑目しながらそう言った。
利用し、利用されるだけの関係であるからこそ、こいつの動向にも気をつけなければならない。
でなければ利用されるだけで終わってしまうだろう。
(俺が、お前を利用してやる。利用されるだけの人生なんてもういらねぇ……)
裏切りが破滅を呼び込んだ。利用されてしまったから最悪の結果が舞い込んだ。
俺は二度とそれと同じ過ちを繰り返さない。
「そういえばミコトくん」
「……なんだ?」
考え事をしていたせいで一瞬だけ反応が遅れた。
その間を気にすることなく、ロイドは突拍子もないことを口にするのだった。
「ダンジョン実習あるじゃない。その時のパーティー、僕と組まない?」
「……は?」




