第九十六話 強さの形
「ちょ、ちょっとミコト、落ち着こう。ね?」
動揺をひた隠しして茹でった顔でそう言うマリー。
俺が手を掴んでいるせいで逃げられないのだろう。
空いた手で俺の胸を押し留め、言葉でどうにか俺を説得しようとしていた。
いかんせんながら、まさしくその時の俺は説得しなければいけない状態だったのだ。
自分で何をしているか、客観的に見られていない。頭が真っ白になっていた。
ただ自分の言葉を伝えたくて、逃げられたくないと思っていた。
それは過去の自分の過ちから学んだことだった。
もう伝えなければいけないことを伝えず、取り返しの付かない事態にはさせたくなかった。
させたくなかった、とはいえこの場合はただの暴走としか言えない。
異性を壁に押し付けて逃がさないようにするとか、どんな女たらしだ。
『b』
制止に入るべきシルフィードは、縋るような視線を向けるマリーに小さな手でサムズアップしていたそうだ。
サムズアップ、つまりは親指を立ててグッとジェスチャーをすることである。
意味としては良くやった、とかナイスとか、そういう意味で使われることが多い。
この時の意味としてはおそらく応援していたのだろう。応援?何にだよ!
当然、後ろに目がついていない俺はシルフィードのことなんて見えていなかった。
味方なんて一人もいないとわかったマリーは半笑いで現実と向き合うしかなかった。
息も触れ合うような距離に迫ってきた責任を取るっ!と豪語してきた男と向き合うしかないのだ。
勘違い要素盛りだくさんな現状だが、誓ってそんな気はなかったと断言しよう。
次に俺が口走る言葉がそれを証明してくれる。中身は大分痛々しいものであったが……。
「いいか、マリー。お前がまたのけ者にされたってなら、俺がそいつらをぶっとばしてやる。
こっちを指差して陰口を叩く阿呆がいたなら、その指ごとへし折ってやる」
「え、えぇ……」
どん引きするマリーの声に俺も激しく同意する。
責任うんぬん言っていたのにいきなり暴力発言をするなど、この男の頭の中はどうなっているのだろうか。
「俺の実力は誰だって知ってる。この学校のナンバーワンを倒したんだからな。
誰にだって文句は言わせない。言葉の暴力を振るうっていうなら、こっちは本物の暴力を見せてやる」
「それはちょっと過激なんじゃないかなぁ……」
「過激なものか。言ったところでわからない奴なんてそれこそたくさんいる。
そんな輩に言葉なんて軽い。軽すぎるんだよ。痛い目に合わないと理解できないんだ」
「でもあたし、暴力は嫌いだよ」
「……自分が痛い目にあっても、か?」
「そう。ねぇミコト。あたし、前に強くなりたいって言ったよね」
いつのまにか、マリーは強い意思が篭った瞳で俺のことを見ていた。
俺はその強い意思の光にたじろぐように掴んでいた手を離した。そしてようやく正気を取り戻す。
今まで見たことがないマリーの顔。彼女が追い求めようとしている強さの形をその口で語ろうとしていた。
「一つだけ、これは師匠にも話していなかった秘密があるんだ。……きっと師匠は知っているかもしれないけど。
あたしの両親は反逆罪で処刑されたって言ったよね。それはちょっと違うんだ」
「……違う?」
「うん。お父さんはね……処刑されたんじゃないの。救っていた敵方の兵士に殺されたんだ」
「………………」
「ごめん。本当は言うつもりなかったんだ。けど、あたしが強くなりたい理由を話すなら秘密にはしておけない。
あたしは……自分の身を守れるぐらい強くなりたい。叶うなら、みんなを救えるぐらい強くなりたい。
あたしはお父さんのようになりたくなくて、お父さんのようになりたいの」
弱いから殺された。強い力に抗えないから殺された。
それは真実である。この世界に弱者だからといって守られる法律なんてない。
死にたくなければ強くなれ。でなければ、弱者という立場を甘受しなければならない。
マリーは言う。父のようになりたくない。
救っていたはずの者にむざむざ殺されたくない。
自分の身を守れるだけの強さが欲しい、と。
マリーは言う。父のようになりたい。
差し伸べる手に貴賎はなく、みんなを救いたい。そのみんなと言う言葉にはきっと味方だけではなく、全ての人が当てはまるのだろう。
例え相手が敵であろうと救いの手を伸ばせるような人になりたい、と。
(そんなものは幻想だ)
誰も彼をも救えるものなんていない。たった一人を救うことさえ難しいのに。
俺は苛立ちを覚えた。目の前のマリーがあまりにその幻想を信じていたから。
どうしてそこまで信じられるのか。お前の両親はその幻想に殺されたのではないのか。
喉元まで出かかった言葉は、結局言葉として出ることはなかった。
(俺に……この光を消す権利なんてない)
いや、俺が強くそう断じた所で輝きを失うことなんてないだろう。
マリーは辛い過去があったとしても、前向きに笑える強さを持っている。
それが張りぼてで頼りないものであったとしても、その強さを持とうとしている。
精神的な強さだけでいえば、きっとマリーは俺よりも強いのだ。
(だが)
マリーは父親を殺した者が目の前に現れたとしても、その輝きを失うことはないのだろうか。
復讐に走る俺だからこそわかる。復讐はあまりに甘美に俺たちを誘うのだ。
一度その道を歩んでしまえば、もう後には戻れない。誰かに止められたとしても、後には引き返せない。
それだけの重みを背負っていくのだから。
俺なら。俺なら仇が目の前に現れればきっと我を失うだろう。失いつつも、狂喜しながら殺すだろう。
だから俺は彼女の幻想に苛立ちを感じながらも、その思いを捨てないで欲しいと思っていた。
マリーに俺と同じ道は歩んで欲しくない。そう心のどこかで思っている。
そんな複雑な思いを抱きながら俺は、そうか、と短く言葉を発した。
つれない返事をする俺に、マリーは輝くような笑顔を返す。
あぁ、全く。俺はマリーには勝てないのかもしれない。この顔を見るだけでそう思ってしまう。
そしてできるなら、貸し借りとは関係なく、彼女の力になりたいとも心の中で思っていた。
「そろそろ、戻ろうか」
「あぁ、そうだな。それと……さっき言ったことは嘘じゃねぇからな」
「なにが?」
「だから、だな……その、お前のことをいじめるやつをうんぬんだ……」
『素直に助けたいって言えばいいのです』
「てめぇシルフィード!今まで黙っていたくせに、唐突に余計なこと言うんじゃねぇ!」
憤慨する俺に軽やかに飛び去るシルフィード。
風の魔術をも駆使して飛ぶシルフィードに俺はブーストを起動させて追いかける。
ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てながら追いかけっこする俺たちを、マリーはこの青空のように晴れやかに笑っていた。
悩んでいたことが一つ解決でもしたかのような晴れ晴れとした笑顔。
現状は何も変わっていないけれど、しかし確かに何かが変わったような。そんな屋上での出来事だった。
……これは後日談、ということになる話だ。マリーとクラスメイトとの確執の問題について。
あれから教室に戻った俺たちが目にしたのは、教室満面に広がっている土下座だった。
わけのわからない事態にあわあわとしているマリーとは反対に、俺は冷静に土下座ってこの世界にもあるんだな、と思っていた。
さて、何故クラスメイト全員が示し合わせたかのように土下座をしていたかだが。
マリーのことを避けていてごめんなさい。すんませんでした。そういう意味らしい。
要はシルフィードが言っていたことが真実だったという。それだけの話だった。
とはいえ、俺はマリーがそんなことはいいから頭をあげて、と汗をかきながら奔走している姿を見ながら、安心していた。
昔の俺のように周囲の全てが敵。その他は無関心を貫いていた。そんな状況じゃないとわかったから。
そして少なくとも、俺が大演説したのも一つのきっかけになったのかもな、とそう思っていた。
これでまた前のような平穏無事に毎日に戻る……そういうわけにはいかなかった。
マリーの問題は無事に解決。流れている噂もプリムラの頑張りもあって消火済み。
後に残る問題といえば……俺の猫被りの件である。大分、ぶっちゃけたこともあってさぞかし衝撃があっただろう。
騙されていただけに、それ相応の反応がある。そう思っていたのだが……。
「ようミコト!おはよう」
「あぁ、おはよう」
「うーん、相変わらず外とのギャップが激しいな。前とは違って淡白な反応だ」
「悪いか?」
「悪くはないさ。それがお前の地ってやつだろ。っと、おはよー」
他の生徒に挨拶をしていく……ええと、確かマークと言ったか。
マークの姿を尻目にため息をついた。こんなにも簡単に受け入れられるのかと逆に俺が衝撃を受けていた。
俺の優等生の姿が嘘だとわかっても、このクラスの連中はなんてことでもないようにけろりと受け入れた。
今まで慎重に演技をしていたのが馬鹿らしくなる程だった。
クラスメイト曰く、マリーのことをあれだけ案じている人が悪い人であるはずがない、とのこと。
なんとも体がむず痒くなる話だったが、こうして大したトラブルもなく終わったのはいいことなのだろう。
……それ自体はいいのだが。
「ミコトくん、おはよう」
「おはよう」
「きゃっ」
「ミコトくん、おはようっ」
「……おはよう」
「きゃー!」
恥ずかしそうに走り去るクライメイト女子その一。
そして続けて挨拶をしに来る女子その二。
普通に挨拶をしているだけなのに何故か黄色い声をあげるんだが、これは何だ。
俺は到って普通にしている。特に猫被ってエンジェリックスマイルを浮かべているわけでもない。
むしろ無愛想であるといえるだろう。
それなのに、猫被っている時よりも声を掛けてくるクラスメイトが激増したのだ。
気安さが増したのか、とっつきやすいと思われたのかよくわからない。
ふとしたきっかけで人間関係なんてものは変わりやすい、とは聞いたことがあるが、まさしくこれがそうなのだろうか。
「わけがわからんな……」
『素のミコトが受け入れられているということなのですよ。私はとても嬉しいのです!』
誰にも届かないぐらいの声で一人ごちれば、うざったらしいほどにニコニコしたシルフィードが応える。
この頃、ずっとこの調子である。最初の内は機嫌がいいから別にいいか、と放置していたがさすがに長続きしすぎだ。
笑っているだけならまだましな方で、このチビは上機嫌になると鼻歌を歌いながら俺の頭の上でリズムを取り出すのだ。
ぽむぽむ。ぽむぽむ、と。
真面目に授業を受けている時でさえそんな有様なのだから邪魔なことこの上ない。
鞄に押し込んだら物凄く悲しそうな声でしくしくと泣き始めるから手に負えないのだ。
(俺の平穏な日々は何処にいったんだ……)
また女子その十ぐらいが挨拶にきて、きゃーと言いながら走っていった。
すでに恒例の行事になっているらしく、これが毎日である。そろそろ飽きて欲しい。
ギャップ萌えー、という声が何処からしていたそうだが、俺のため息によってかき消されて聞こえなくなっていた。
万事解決、とはいかなくとも、そんな比較的平和な日々がそうして続いていくのだった。




