第九十四話 帝国の裏切り者
帝国はとある理由からその力を増強させようと、常に優秀な人材を躍起になって探し続けていた。
その貪欲さといえば近隣諸国のどの国よりも精力的だったという。
だからこそ辺鄙な田舎であるウルジにも手を伸ばしてきたのだった。
それは強制的に徴集するという形ではなく、あくまでも言葉での交渉だった。
マリーの両親がウルジにとってたった一人の医者だ、と断ろうとすれば村には新しく国から派遣すると言われ。
慣れ親しんだ土地を離れるのは忍びないと言えば、帝都での輝かしい暮らしぶりを約束すると断言した。
好待遇といえばかなりの好待遇だったのだろう。
慎ましい生活をしていたマリーの家族にとって、生活のレベルが二つも三つも跳ね上がるほどのものだった。
得られる金も多い。田舎町ではけして手にすることが出来ない富を手にすることが出来ると言われたそうだ。
普通の人ならば二つ返事で返す所を、マリーの両親は難しい顔をして悩んだそうだ。
「お父さんもお母さんもウルジって村が大好きだったからね……。
二人の生まれ故郷だったから当然だけど、でも最後にはその人の言葉に首を縦に振ったんだ。
……あたしの為に。あたしの夢を叶える為には、お金が必要だったから」
沈痛な面持ちでマリーはそう言った。
良い両親だったのだろう。娘の為に慣れ親しんだ土地を捨て、自分たちを犠牲にする程には。
愛する娘の未来の為に故郷を出る覚悟を固めたのだ。
「ウルジから出る時には村の人たちが総出になって見送ってくれたよ。
皆、別れを惜しんでくれてた。あっちに行っても元気でやれよ。たまには村にも戻ってこいって。
お父さんもお母さんもそしてあたしも、思わず泣きそうになっちゃった。
それからあたしたちは帝都グラフィールに住むようになった。
何から何まで、全てがウルジとは違って毎日が驚きの連続だったよ。
時々、村の皆のことを思い出して寂しくなったけど、それ以上に楽しかったなぁ」
ウルジとは比べることも出来ない高度な建造物に驚き、舗装されている硬い地面に驚いて……。
極めつけは人間以外の種族に初めて会って更に驚いたそうだ。
俺がこの世界に来た当時のことを思い出す。
あの時の俺もマリーと同じような反応をしていたと思う。
「苦労することは多かったよ。だって全然違う環境に飛び込んだんだもん。
でもお父さんは一生懸命に慣れない仕事をこなして、お母さんは精一杯にお父さんを手伝ってた。
あたしだけが苦労しているわけじゃないってわかったから、だから頑張れたよ。
三人で一心になってさ、時も場所も違うけれど、ウルジにいた時のようにあたしたちは家族のままでいたんだ。
でも……」
当時のことを思い出しては様々な表情を見せていたマリー。
しかしその時に見せた表情はとても苦しげで悲しそうに顔を歪めていた。
「……帝国は神都フリューゲルに宣戦布告をして戦争を始めてしまった」
それは今から十年前、歴史上に名を残すことになる戦争の始まりだった。
この学校で歴史の授業にもよく出てきていた。
帝都グラフィールから北西の遠く、高く険しい山々が連なる山脈を抜けた先にあるという謎多き国、フリューゲル。
その国がある位置の関係上、人の行き来も難しくろくな国交さえ行われていない。
国の全容は誰も確かなことは知らず、どの種族が住んでいるのか、どんな文化が栄えているかさえわからない。
されど国の名は不思議と周辺各国に知れ渡っているという、なんとも奇妙な国だった。
帝国が何故、そんな国に対して侵攻を進めてしまったのか今となっても定かではない。
一説にはフリューゲルが抱える貴重な資源目的だったとも言われている。
ともかく、戦端はすでに切られてしまい、帝国軍は速やかに行動を開始した。
その飛び火はフリューゲルだけではなく……マリーたちにも及んでしまった。
「お父さんは軍医としてその戦争に参加しなくちゃならなかったの。
おかしいよね。ただの医者として帝都に来たと思っていたのに。
帝都での仕事もウルジでしていた時とそんなに変わらなかったのに」
……冒頭で語ったとある理由とは戦争のことだったのだ。帝国は初めからそのつもりで人材を集めていたのだろう。
戦争の駒にする為に人を集めていたのだ。
マリーたちに拒否権はなかった。断れば最悪の場合、非国民として処刑されていたかもしれない。
非国民でなくとも理由なんてどうとでもでっち上げられる。国という大きな立場なら。
授業では語られなかったが、大図書館の禁書の中にはそんな記述が残された資料もあった。
胸糞の悪い話だったので嫌でも記憶に残っていた。
力があるならば何をしてもいいのか。従え、従わぬなら死、だと?そんなものクソだ……!
歯軋りをして苦い顔をする俺だったが、マリーはそんな俺を見ることなく地面に視線を落としていた。
「お母さんは……そんなお父さんについていった。
お父さんは優しすぎたから、戦争の悲惨な光景に一人では耐え切れない。そんな風にお母さんは思ったんだろうね。
だけどあたしを一人にすることに迷って、踏ん切りがつかなかったみたい。
いくら後方支援の部隊に医者は配属されるとはいっても、危ないことには変わりない。
子供のあたしでもそれはなんとなくわかってて、行かないで欲しかった。
ずっと傍にいて欲しかった。だけど、それが出来ないこともわかってた。わかってしまった。
お父さんを迎えに来た騎士の男の人の眼が……とても冷たかったの。
行かないで、ってあたしが言えば殺されてしまうと思うほどに。
お父さんも、お母さんも……その人につれていかれた。あたしは身動きさえとれなかった」
身震いをしてマリーは自分の体を両腕で抱え込んだ。
彼女にとってそれがトラウマになっているのだろう。
見たこともない程に怯えている様子に手を伸ばしそうになる。
俺はその伸びかけた手を、途中で痛い程に握り締めて止めた。
何の言葉をかけた所で安っぽい同情にしかならない。怖かったね?それとも俺が傍にいるから大丈夫とでも言うか?
そんなもの何の慰めにもならない。
マリーが自分の辛い過去を話そうとしているというのに、今の俺では上辺の言葉しか吐くことが出来ない。
それがどうしてだか悔しかった。
「あたしはそうして一人になったんだ。
頼れる親類は帝都にはいなかったから、一時的に孤児院に預けられることになった。
……あたしみたいな子はたくさんいたよ。親を戦争に奪われた子たちがね。
それでもあたしはそんな中でも幸せだったかもしれない。
戦争にいった両親たちから毎週のように手紙が届いていたからね。
元気でしているか、不自由はしていないか。孤児院の人たちとは仲良くしているか。
あたしを心配することばかりで、嬉しいと思いつつも心配性な二人に苦笑して返事を書いていたんだ。
まるで普通の手紙のやり取りをしているように。
だってお父さんもお母さんも、自分のことは少しも書いてくれなかった。
……気付けなかった。二人とも戦っているってことに。
今にも死にそうな怪我を負った兵士を救うべく、毎日のように死神と戦っていたことに」
それこそが医者としての戦いだったのだろう。
前線にいなくとも生死の争奪戦は戦場にいる限り、何処でだって変わらない。
そんな血生臭い話をマリーの両親は子供に伝えることはしなかった。
あくまでも普通に、何事も起こっていないかのように。マリーを愛するが故に弱音は見せなかった。
「何ヶ月も手紙のやり取りは続いたよ。おかげであたしの字の書き方もうまくなった。
それをお父さんに手紙で褒められて嬉しくなって、もっとたくさん書くようになった。
お母さんは背は少しは伸びたのかしら、って言って、あたしはお日様に届くぐらい背が伸びたって自慢したんだ。
二人がいなくて寂しかったけど、手紙があるから遠くにいても繋がっていると思えた。
二人の姿は見えなくても、傍にいるんだと感じることが出来たんだ」
俺は自分の胸をぎゅっと押さえた。
その気持ちは、わかるような気がしたから。
今でも俺の傍にはミライがいるような気がする。
ただの感傷だと簡単に切り捨てることが出来ないぐらいに、近くにいるような気がするんだ。
それはきっとその人にとっての心の支えとなる。必ず。
……でもその支えがなくなったとしたら、俺はどうなるのだろう?そしてマリーは?
「……その手紙はある時を境に届かなくなった。いくら待っても両親から何も届かなくなった。
あたしからいくら手紙を書いても、返事の手紙はこなくなった。
それから……それから、数ヶ月もしない内にあたしは真実を知ることになった。
両親が反逆罪で処刑されたことを知ったんだ」
帝国の裏切り者。
その噂の根拠がそこにはあった。
「あたしは信じられなかった。両親の死が、そしてそんなことをするはずがないって。
そのことを知った次の日も、そしてまた次の日も、毎夜のように神様に祈ってたんだ。
どうか明日は手紙がきますように。願わくば、両親が帰ってきますようにって。
来るはずのない手紙を待ち続けて、届くことがない手紙をあたしは出し続けた。
でもね…………ある話を聞いてしまったんだ。
街の人たちが口汚く、嫌そうに話していた。大声で鬱憤を晴らすように。
その話の中に名前はあがらなかったけど、あたしの胸の中にすとんと落ちてきた。
あぁ、それはあたしのお父さんとお母さんだって、きっとそうなんだって。
……街の人は敵国の兵士も治療してしまう医者のことを話していたんだ」
マリーはその時、顔を上げて俺に笑いかけた。
その時の表情は笑っているのに、俺には泣いているようにしか見えなかった。
そんな顔をするんじゃねぇよ……。
「ばかだよね。そんなことをしたらそりゃ罪にだって問われるよ。
そんなのあたしにだってよくわかるよ。やっちゃいけないことだって。
目の前で倒れている人を誰も彼も救ってちゃ、大変なことになるってわかってなかったのかな?
あたしはきっと両親によく似てたんだね。だってそんなに頭よくないから。
こんなの笑い話にしかなんないよ。街の人たちだってそれは笑っちゃうよね。ばかな奴らだって」
「……笑うんじゃねぇ」
「……?」
「お前がっ……っ……それを笑うんじゃねぇよ。一番悲しい癖に、一番泣きたい癖に。
笑って誤魔化そうとする必要があんのか?」
声を荒げてしまいそうな自分を必死に抑えて、俺はマリーにそう言った。
誰よりも両親のことをわかっていたのはマリーだろう?
人は人のことを好きになればなる程、その人のことを知ろうとし、理解を深めていく。
それが家族ならばなおのこと、傍にいる時間が他の誰よりも長いからこそわかるはずなのだ。
「……ミコトは、やっぱり冷たいようで優しいね」
「……そんな顔を見れば誰にだってわかるだろう。お前、今の自分の顔、見たことあるか」
「あはっ。そっかぁ……そんなにひどい顔してるかな」
「あぁ、ひっでぇ面構えしてるよ」
「それこそあたしはひどいと思うな。あははは…………あれ?」
マリーはそれでも取り繕うに笑いながら、そしてぽろりと一滴、零した。
自分でも無意識の下に流した涙を。
困惑した表情のままマリーはぽろぽろと涙を流し続ける。
拭うこともせずに流れる涙を止め処なく、日の光りを浴びてきらきらと落ちていく。
慌ててマリーは止めようとするものの、それは本人の意志に歯向かうように止まらなかった。
「は、はは、ご、ごめ……なんか、止まらない……」
「泣けばいいじゃねぇか」
「だって、こんなの、おかしいよ……」
「それはお前が押し殺してきた感情だろ。無理に仕舞い込む必要なんてねぇ」
「…………」
「恥ずかしいってんなら、俺はあっち向くから」
その言葉にマリーはしばらく時間を空けた後、こくりと確かに頷いた。
俺は体ごと動かして背中をマリーに見せる。すすり泣くような声が後ろから聞こえてきた。
それと共に背中にかかる僅かな重みと暖かさ。
マリーは俺の背中にしがみつくように抱きついていた。
「……ごめんね、ごめんミコト。ちょっとの間だけ、貸してくれないかな……」
「……好きにすればいい」
全く。こんな時にかける言葉なんて思いつかず、そんなぶっきらぼうな事しか言えない。
震えながら静かに泣き始めるマリーに、俺は何も声を掛けることなく空を見上げた。
頭上に広がる晴れ渡る空が今はどうにも忌々しく感じてしまう。完全なるやつあたりだ。
まぁそれでも、陽光は暖かく降り注いでくれている。
俺には出来ないことだが、この光りが悲しみの冷たさを少しは和らげてくれるかもしれない。
太陽にそんなことを願いつつ、背中から伝わる震えが収まるまで、俺はずっとそうしていたのだった。




