第九十三話 マリーの過去
「あああ…………何で俺はあんなこと言っちまったんだ」
うめき声を上げて頭を抱える。燦々と降り注ぐ陽の光がなんとも恨めしい。
穏やかな陽気に包まれている屋上は、授業中ということもあって誰一人としていなかった。
ずーん、とたそがれる俺を見る者は誰もいないということだ。
……追いかけてきたシルフィードは別として。
こんな情けない姿を誰にも見せたくなかったが、そんなことを気にしている余裕もあまりない。
「はぁぁぁぁ……馬鹿やっちまった」
後悔で頭の中が一杯になっていたからだ。
暇になった時間を存分に楽しむ、と余裕を見せていたのはほんの僅か。
階段を一段上がる度に、さっきまで教室で大立ち回りした自分の姿を思い出して赤面していた。
ベンチに座り込んでいる俺の頭をシルフィードはぽんぽんと撫でている。
慰めようとしているのだろうが逆効果だからやめて欲しい。
『かっこよかったのですよミコト。私もすっきりしたのです!』
別にシルフィードをすっきりさせる為に言ったわけじゃねぇ。
そんな悪態をつく元気もなかった。
あれは完全なる俺のエゴだった。マリーが望んでいたわけでもなく、俺が気に入らないからと口から出ただけのもの。
感情に身を任せただけのガキっぽい暴走だ。
前世ではうん十年と生きてきたが、精神的な成長は少しもしていなかったというわけである。
『うーん、私にはわからないのですよ。ミコトがそこまで後悔している理由が。
きっとミコトの思いは皆に伝わっているはずなのですよ?
あのクラスの子たちは皆が皆、悪い子というわけでもないのです』
「……」
『ミコトは気付いていなかったのですか?
あのクラスの子たちはマリーに悪意を向けている様子はなかったのですよ。
どちらかというと……戸惑い、といったものが強かったと思うのです。
マリーに対する接し方をどうすればいいかわからなくなった。だから遠巻きにして避けていた、というのが正しいと思うのです』
衝撃の事実に俺は顔を素早く上げてシルフィードを見た。
彼女の顔こそ俺を気遣うように眉を下げていたが、嘘というわけでもないようだ。
嘘をつく時に発生する心の波、といったものが伝わってこなかったからだ。
マジかよ……それが本当なら尚更俺は余計なことしてしまったんじゃねぇか?
確かに、クラスメイトの奴らは全然マリーにちょっかいかけてくることもなかった。
噂を真に受けているとしたらもう少しアクションがあっていいはずだろう。
俺の恥ずかしい演説にも、最後には視線をまっすぐに合わせて聞いていてくれた。
「何でそれを俺に教えてくれないんだ」
『ミコトはそういうものには敏感だと思ったのですよ。とっくの昔に気付いているものだと』
自分では悪意に敏感だと思っていた。どうして俺は最初からあいつらが悪いと思ってしまったのだろう。
……俺の体験と重ねていたからだろうか?
クラスメイトなんてものは俺にとって敵でしかなかった。
いじめに加担し、あるいは自分には関係ないと存在さえ無視しようとしてくる奴らだったから。
俺の潜在意識にクラスメイトは悪だと、そう刷り込まれていたのかもしれない。
俺はベンチの背もたれにゆっくりと背中を預けて空を仰ぎ見た。
途端に眩しい光が目に入り、思わず瞳を閉じる。顔に当たる暖かな光。
未熟な自分の心、決め付けてしまっていたクラスメイト、そしてマリーのことを思い深いため息をついた。
更なる反省モードに入っていた俺の耳に何かが開くような音が届いた。
誰かが屋上に入ってきたようだ。授業はもう始まっているというのに誰だ?
さぼりの一人や二人いてもおかしくはないのだからどうでもいいが、俺が見つかるのは面倒でしかない。
いつでも逃げられるように身を隠しつつ、こっそりと件の人物を影から盗み見る。
きょろきょろと頭を振って誰かを探している様子を見て、隙を見て逃げ出そうという気持ちが消えうせた。
相手は俺の知り合いだった。知り合いというか、渦中の人物というか、マリーというか。
「お前かよっ!!」
「きゃっ。び、びっくりしたー!驚かせないでよ、ミコトっ」
驚かせるつもりは毛頭なかったのだが、思わず声に出てしまった。
誰かと思えばマリーである。まさか俺のことを探しにきたのだろうか。
まぁあれだけ目立つことをして、しかもそれは自分のことについてだったのだから、探し人が俺でも不思議ではない。
あ、やべぇ。思い出したらまた落ち込んできた。
俺はやるせない気持ちを隠そうともせず、ため息という形になって出すことにする。
おずおずと再びベンチに座ろうとする俺にマリーは怒っていた。
「何であたしの顔みてため息つくの!?かなり失礼じゃないかなっ!?」
「いや、お前の顔を見てため息をついたわけじゃ……はぁぁ……」
『わざとにしか見えないのです』
うんうん、とマリーはシルフィードの声に勢いよく頷いていた。
堂々巡りな気配がしてきたので、それはスルーするとして。
「お前まで授業さぼったのか?何してんだ」
「流していいところじゃないんだけど……」
そう言ってからマリーは思考を切り替えるように一息をつく。
次に顔を上げた時には何処か憂いを秘めた顔をしていた。切なくて、でもそれを声に出すことはできないような、そんな顔。
「何してんだ、はこっちのセリフだよ。ミコトこそ何をしているの。
ずっと皆の前では優等生だったのに、あんな素の自分を曝け出して、授業もさぼって……」
「いい加減自分を演じることに面倒になった」
「……あたしのことで怒ったのも面倒になったから?」
「ある意味では、な」
我慢をするのが面倒になった。ただそれだけのこと。
言葉ではかなり嫌なことを言っているというのに、マリーは苦笑をするだけだった。
「ミコトは損をするタイプだね」
「……」
「言葉足らずで、心の中ではもっとたくさんのことを思っているに、それを口に出せない。
さっきみたいに一杯声に出せばいいんだよ」
「恥ずかしいから、もうしない」
「……ぷ、あは、あははは。お、おもしろい。ミコトってそんな顔をすることも出来るんだね」
一体俺はどういう面をしているんだ。
問い質したくて仕方ないが、マリーも、それにシルフィードも一緒に笑っている。
不思議と嫌な気持ちにはならなかったものの、それでも後でシルフィードにやろうと思っていたおかしはしばらくお預けにしようと心に誓う。
不穏な空気にシルフィードは真顔になってこちらを見ていた。
その顔に俺はにやりと笑って返した。
「また悪いことを考えている顔をしてる。
ふふっ。最近、ミコトが何を考えているのか、顔を見ただけで大体わかるようになってきたよ?」
「そいつは……良かったな」
「うん!良かった!仲良くなってきたって証拠だからねっ」
その場でくるりと回ってマリーは上機嫌な笑顔を俺にみせる。
いやにハイテンションに彼女に違和感を覚える。
後でマリーに聞いたところによると、この時はそうして自分を鼓舞していたようだ。
これから話す事は彼女にとってタブーといえることだったのだから。
マリーの内心は知らずとも、漂う空気が変化していることに俺は気付いた。
暖かく降り注ぐ陽光は変わらない。この天気なら今日一日中は快晴だろう。
マリーは浮かべていた笑顔を引っ込めると、顔を俯かせ俺に見えないようにしながら近づいてくる。
そうして俺の隣に適度に距離をとってからすとんと腰を下ろした。
すぐに口を開くことなく、静かな沈黙が続いた。
時折、校舎からは不明瞭な雑音が聞こえてくる。
先生が授業をしている声だろう。反響して響いて、ここに届く頃には判別もつかなくなっている。
遠くからは何かが爆発をしているかのような音も僅かに聞こえてきていた。
方角からして魔術の実技で使っているフィールドからだ。
あそこは魔術によって外に音が響かないように魔術式が刻まれている。
その許容量も越える音がしたということは、誰かが制御に失敗したか、調子に乗ったかだろう。
担当の先生から雷が落ちるのは確実だが、あの鬼教官ライラックの場合はそれだけでは済まされない。
想像して思わず身震いをしてしまい、だがそれ以外は平穏な時が流れていくのだった。
「あたしの、ね……」
雲が流れる動きを目で追っていた頃になって、マリーはぼそりと声を発した。
まったりと待ち続けていたからどれだけ時間が経っていたのかはわからないが、陽は少し傾いてしまっていた。
空に向けていた顔を戻してマリーを見れば、彼女は自分の手元をじっと見詰めていた。
「あたしの両親は帝国に所属する医者だったんだ」
訥々と語られるマリーの話に俺は相槌を入れることなく黙って聞いていた。
「最初は帝都グラフィールに住んでいたわけでもないんだ。ウルジっていう片田舎に住んでいたんだよ。
そこは細々として何もない所だったけど、緑が豊かで人の温かさも身近にあってあたしは好きだったなぁ。
それを言えば師匠と過ごしたあの小屋も似ていたかもしれないね。
周りが自然ばっかりで、三人で毎晩のようにいつものようにご飯食べてさ……」
「…………」
「両親と過ごしていたウルジもそれは変わらなくてね。時々近所の人たちと一緒にささやかなパーティーもしたんだ。
お父さんはお酒に弱いのに、その時だけは近所の人と一緒に飲んで、すぐに潰れたりして。
お母さんはそんなお父さんを呆れ顔で見ながら介護していたんだよ。
仕方ないわね、って笑いながら楽しそうにね」
それはとても幸せな家庭のあり方だったのだろう。
マリーの横顔はそれを現すように幸せそうに笑っていた。
「本当にお父さんとお母さんは家でも、そして仕事のパートナーとしてもすごく、すっごく仲良かったんだ。
ウルジではたった一人の医者のお父さん。お母さんはそんなお父さんを手伝っていたんだよ。
お父さんは一人しかいない医者だったのもあるだろうけど、町の皆に頼られていたんだ。
あたしはそんな二人に憧れて、医者になりたいと思った。
お父さんは魔術を使って癒す医者だったから、あたしもそうなりたい!って言ったんだけど困った顔をされてね。
その頃はあたしに魔術の素養があるのかもわからなかった。それに魔術を習うにもたくさんのお金が必要だった。
そんな余裕、家にはなかったんだろうね。応援したくても出来ない、そんな顔をしていたよ」
その時のことを思い出したのか、マリーは苦い顔をして唇を噛んでいた。
子供の夢を叶えて上げられない。それはマリーを愛しているからこそ両親の胸に突き刺さっていたのだろう。
どうにかしてあげられないだろうか。何かできることはないだろうか。
マリーは両親が悩んでいたことも話してくれた。
そして薄々ながらも子供であるマリーは両親の悩みに気付き始めた。
子供心ながら自分のせいで苦しい思いをさせることが嫌だった彼女は、自分の夢を諦めかける。
そんな時、当時のマリーの両親にとっては幸福が……そして今のマリーにとっては不幸が訪れた。
「グラフィールからスカウトがお父さんにきたんだ」




