第九十二話 優等生の仮面を外して
誰かに遠慮しているかのように入ってくるマリーを見て、俺の心は更にささくれ立つ。
キーラはそんな親友の様子をみて、居た堪れない顔をしながら小さく声をかけてから自分の席へと行ってしまった。
教室の空気が一変したのを肌に感じる。嫌な空気だった。
もはや動いているのはマリーだけだと錯覚するほど、誰も動かず静かにマリーのことを見ていた。
ひそひそと友だちと喋りながら盗み見て、横目にちらちらと無言で見る奴ら。
マリーは針のむしろであるだろうに、そんな奴らにも懸命に笑いかけておはよう、と話しかけようとしていた。
気まずそうに作った笑い顔で一応の挨拶を返すクラスメイト。
マリーは言葉を続けることができなかった。相手が無理をしているとわかってしまったから。
「……」
それから何も喋ることなく席に着いたマリー。しばらくして、少しずつだが教室に話し声が戻ってくる。
俺にはその話し声はマリーのことを貶めている罵倒のように聞こえていた。
魔術を使えばその話の内容は聞き取れるだろうが、するつもりは全く起きなかった。
もしもそれが予想通りの言葉なら、俺はきっと我慢が出来なくなる。
(……これは胸糞が悪いことが起きる前兆だ)
似たような経験をしたことがある俺にはわかっていた。
人は異物を許さない。自分と違うということを簡単には認められない。
他人の行動を真似ることだって安心感を得る為だ。同じである、同族であると思い込みたいのだ。
突出した才能や容姿があるならば憧れや妬みへと変わり、愚鈍であったり醜かったりすれば憐れみや蔑みへと変わる。
それは本人自身のものでもなくとも対象となるのだ。
マリーの親は帝国の裏切り者と噂された。
この世界で帝国がどの程度の力があるのかは知らないが、その嘘か真かわからない話だけでもマリーは除け者にされてしまったのだ。
今までは遠巻きにされているだけで直接の害はなかった。あの噂もロイド、そしてプリムラの尽力により消えかけている。
だが生徒たちに根付いている帝国の裏切り者という言葉は消えていない。
だからこそクラスメイトたちのこの反応であり、そして……。
「ここに帝国に仇なす愚か者がいると聞いたのだが本当か?」
こういう馬鹿が現れたりするのだ。
グリエントは貴族出の子供が多く在籍し、学校に通う内にその見分けがつくようになっていた。
こいつの判定は黒である。間違いなく貴族だろう。
一般の生徒よりも出来のいい制服に整った顔立ち。
茶色の髪は入念に手入れされているのだろう。動く度にさらさらと流れてなんともなめらかだった。
妙な色気のようなものを持つ人物だったが……貴族というのは変にプライドを持っている輩が多い。
どうせ安っぽい偏った正義感からマリーを成敗しようとでもいうのだろう。
(こういう馬鹿が今まで現れなかったのが奇跡だったのだろうな)
俺はため息をつきながら席を立つ。
自然と俺に視線が集まる形になったのだが、どうやらこの貴族は俺のことも知っているらしい。
芸術品でも見たかのように目を輝かせる。続いて賛辞の声をあげようとする貴族に、俺は……。
「おぉ、君がかの有名な妖精――ふぎゅ!?」
問答無用で殴り飛ばした。
この学校では当然のように庶民の者と貴族の者とが一緒に学んでいるが、階級の差によるトラブルというのはもちろん存在する。
グリエントの校風は来るものは拒まずであり、例えどんな身分のものであろうと一生徒として扱う。
先生たちは徹底してえこひいきということをしない。
だがそれは生徒の間だと通じないことが多々あるのだ。
教えてもらう相手になら不承不承従うとしても、同じ生徒でしかも庶民の者と同じに扱われるのは嫌だ。
グリエントに通っている生徒でそう思っている貴族は少なくない。
「……ふぅ」
パンパンと手を払いながら教室の戸を閉める。
廊下には俺の一撃によって意識を失った男が白目を向いて倒れていた。
唖然とする皆を前にして幾分か溜飲が下がった。
貴族を相手にするリスクをわかっていないわけではない。
クロイツはまだ優しい方だった。やろうと思えばもっと陰湿な、それこそこの学校から追い出されてしまうこともありうる。
それだけの力を貴族はもっているだろう。最もあの爺がそんな力に屈するとは思えないが……。
ともかく貴族に睨まれていいことなど一つもないだろう。
短絡的な思考だったと自覚し、それでも構わないと鼻を鳴らす。
いいかげんにして欲しかった。本人ではない俺が怒るのは筋違いかもしれないが、もういいだろう。
マリーをそこまで追い詰めなくていいだろう。こいつが何をしたというんだ。
何もしていない。誰かに責められる様なことなんて何も。
(あぁ、クソ。だから)
自分には到底柄じゃないことをするとわかっていて、俺はそのまま教卓に立った。
皆の驚きが未だ消えぬまま、今度は何をするのかとそんな俺のことを固唾を呑んで見守っている。
どいつもこいつも馬鹿面を晒して、マリーも同じような顔をしやがって。
俺はそんな奴らの目の前で仮面を取り払った。人あたりのいい皆に優しいミコト様なんてもういらねぇ。
変わろうとしないなら変えてやる。お前たちの目を覚ましてやる。
「お前ら、いつまでそうやってんだ?あぁ?」
ドスの聞いた声を出しながら眼光鋭く目を細めれば、揃いも揃って驚愕しやがる。
それも当然か。こんな声でこんな口調でこいつらに接したことなんて一度としてない。
俺の素を知っている奴なんてここにはマリーとシルフィードぐらいだろう。
決闘騒動で多少口の悪い部分もあると聞いていたかもしれない。
だがまさか自分がそんな風に話しかけられるとは思ってもいなかったのだろう。
「み、ミコト、くん?」
「聞きたい事があるから後にしろ、いいな?」
「は、はひ……」
俺の名前を呼ぶ女子生徒ににっこりと笑いながらそう言った。
何やら半笑いで怯えた様子を見せつつも、頬を紅潮させるという器用なことをする女子生徒から視線を外す。
今は一人だけに構っているわけにはいかない。このクラスの奴ら全員に言っておきたいことがあるのだから。
「さっきの奴がここに何をしに来たか、わかるやつはいるか?」
皆を見渡してからそう訪ねれば、静かに周りの奴らと目配せをし始める。
中には本当にわかっていない奴もいるようだが、察しのいい奴は言わずともわかっている。
そういう顔がちらほらと見えた。
「わかっているよな?当然だよな?だってお前らも似たようなものだからな。噂に振り回される馬鹿共なんだからよ!」
「ッッ」
強い言葉を吐けば目を逸らす者、顔を伏せる者など様々だった。
心にやましいことがあった奴らに、真っ向から俺のことを見ようとする奴なんて一人もいない。
そんな反応が俺は悔しかった。
一人でも、そう一人でも俺を睨み返すような奴がいればよかったのに。
期待は落胆へと変わり、それを隠すように俺は手の平を教卓に叩きつけて大きく声をあげた。
「お前らずっと続けてきたな。新人戦の時からだから一ヶ月と少しか?
あいつを遠巻きにして、腫れ物でも触るかのように扱い続けて、わかるか?そんなことをやられた本人の気持ちが。
……辛いだろ。苦しいだろうがっ!あんな噂を流されるまでは一緒にいてくれた友達が避け始めるんだからよ!!」
身勝手な言い分である。それはきっとマリーにしかわからないことだ。
もしかしたらマリーは全然違うことを思っているのかもしれない。
だから俺は自分がもしそうなったら、と想像するしかないのだ。
想像するだけで俺は苦しかった。悲しかった。耐え忍ぶしかなかったマリーの気持ちが少しはわかった気がした。
「なんでそんなことをするんだ。マリーが何かをしたか?お前らに悪いことをしたのか?」
マリーだって人の子だ。それは他の人にとって、気に入らないことをすることだってあるだろう。
でもいいことだってたくさんしたはずだ。
マリーは魔術の実技がある時、怪我をした生徒を率先して治していた。
自分の魔術がうまくいかなく徒労に終わる日が続こうとも、その役目を放棄することは一度としてなかった。
それは噂が広がった後だとしても。自分が避けられているとわかった後でさえも。
「そりゃ大食らいだし、宿題はよく忘れるし、あまつさえ俺のを丸写しにしようともする。
勉強のさぼり癖は相当なものだし、ぶっちゃけ頭の出来は近所の子供の方がいいだろう。それに大喰らいだ」
「えぇ……」
悪い部分を列挙すると、何故だかドン引きをされた。
真剣な顔で聞いていたはずのマリーでさえ涙目になっている。お、落ち着け。これで終わりじゃないから。
「でもマリーは面倒見がいい。うざったいほどにいい。もういいと言ってるのに、いつのまにか傍にいたりする。
厄介事に自ら突っ込む頭の悪さも、事と次第によっては利点だろう。
ん……?何か良いことを言ってるつもりが、あんまり良いことを言ってないような……」
心なしか呆れた顔が増え始めた気がする。おかしいな、俺は真剣な話をしているつもりだったのだが。
やはりこういう人の目がたくさんある場所に立つのは得意ではないということだろうか。
いや、だからそんな目で俺を見るんじゃないマリー。
後、シルフィード。そんなマリーの頭を慈しむ顔で撫でているんじゃない。まるで俺が悪いことしているみたいじゃないか。
一度仕切りなおす為にごほんと咳をつく。
「……んん、だからだな、その」
と、続く言葉を言おうとして何を言えばいいかわからなくなる。
元々勢いでこの場に立ったぐらいだ。その勢いがなくなれば途端に失速して言葉がなくなってしまう。
皆が俺の言葉を待っている。いつの間にか俯くことなく、目線を逸らすことなく俺を見ていた。
真剣な瞳にはっとさせられた。……そうか。こいつらは違うんだな。
自分に飛び火することを恐れ、無関心でいることを選ばないということだろう。なら、まだしもマリーにとっての希望が見える。
「……マリーのことをもっとみてくれ。そして話してくれ。何も前と違わない。
お前らの友だちである彼女はまだそこにいるんだ。それを、わかって欲しい。
……俺から言えるのはそれだけだ」
お粗末な俺の独演に終止符を打つように始業の鐘がなる。クライブ先生はまだ来ないようだ。
ちょうどいいとばかりに俺は教室から出て行くことにする。
背中には皆の視線が刺さっているが、とてもじゃないが授業を受ける気がしない。
このままサボることにする。慌てて追いかけてくるシルフィードを連れて廊下に出た。
放置していた貴族の男は誰かが保健室にでも連れて行ったのだろうか。
そんなことを思いながら誰もいなくなった廊下を歩き始め、ふと今日は天気が良かったことを思い出した。
無遅刻、無欠席。先生からの評判も良く、生徒たちの人気も厚い。
人気者のミコトを演じることを止めた俺は、暇になった時間を存分に楽しむ為に階段を登っていくことに決めたのだった。




